荒海
日本海に現れた海賊の亡霊集団は、全滅した。
「ふー、強いのはいいんだが、心臓に悪いぜ。あれ、しけてんな」
漁師のオッサンは呟きながら、無造作な手つきで携帯灰皿に吸殻を突っ込んだ。
陰陽師アニーがナギーに問いかける。
「今ので最後ですわね」
「そうだよ」
「では、後始末をして帰りましょうか」
海賊船から投げかけられた幾つものフックを外しながら、アニーは船室ドアに向かって歩いて行った。
「後始末って何だろうな」
「何だろうね。全部倒したのに」
「後始末か、俺もやらないとなあ。まだ配線が」
渋々といった様子で、オッサンも船室に向かった。
しばらくすると、アニーが戻ってきた。左手に空のペットボトル、右手にはたくさんの札を持っている。
彼女は札の一枚をボトルに貼り、残りの札を海賊船に投げた。長方形の紙は吸い寄せられるように宙を飛び、次々と大船の側面に付着していった。
付着した札が発光した。
アニーがボトルの口を突き出すと、掃除機のノズルを向けられた巨大な埃のように、船が一気に吸い込まれた。船はボトルの中で元の形を取り戻したが、長さ十数センチ、幅と高さが数センチの大きさになって、一・五リットルサイズの容器に収まった。
「ボトルシップか」
「それいいなー。もう一つあったよね。お土産に一個もらっていい?」
羨ましげな表情でナギーが尋ねた。もう一隻は、この釣り船のずっと後方に浮いている。
「船は二つとも陰陽寮に持って帰ります」
「え~」
「貴女の分は他にありますから」
「じゃあいーか」
現金な奴だ。
アニーが操舵室に向かって叫ぶ。
「船長さん、出してくださいますー? あちらの船の横ですわー!」
「まだ無理だー」
窓からオッサンの答えが帰ってきた。
「そうですの……。もう他にすることも無いですし……。二人とも、暇じゃあ、ございませんこと?」
いったん仕事を終えた陰陽師が、意味ありげな横目遣いで尋ねてきた。
「まあ、そうだけど」
「あっ。ダメだよ」
横からナギーが小声で注意してきた。
それを払いのけるように、アニーが勢い込んで話しかけてくる。
「それならば、この『渡会流沈霊式道』第四十七代後継者・渡会阿仁女、先ほどご覧頂いた『渡会流沈霊式道』について、仔細にご説明してさしあげますっ」
長い言葉を一気に話した。何だか、戦闘時よりテンションが高くないか?
「あちゃー。始まった……」
ナギーが呟いた。何かまずいらしい。
断ろうか。
「いや、見れば十分わかるから。気を遣ってくれなくてもいいよ。戦いで疲れてるんじゃないかな」
「遠慮なさらずに。不肖ながらこのアニー、この程度の疲れで伝道の使命を投げ出したりはいたしませんわっ。とくとお聞き遊ばしてくださいませ」
「う~ん、まあ、そこまで言うなら……」
これ以上断る理由が思いつかない。
「あーあ。終わらないよ~?」
嘆くナギーを無視して、講師たる陰陽師が口を開いた。
「では始めますわね。『渡会流沈霊式道』は深遠なる陰陽の原理を維持したまま、それを最も実用的な形で霊障に対する技術に落とし込んだところに強みがあるのです。どういうことかと申しますと、陰陽、これは天地を表しています。陽が天で、陰が地。この天地の力を直に活用するということですわ。陰陽は天地の別のみならず、男女の別も示します。男性は陽、女性は陰。わたくしは女ですので、陰の性質を主に用いることになります。すなわち地の力を術として組み込むのです。おわかりいただけますわね?」
いただけない。
何が何やら。わからないところがわからないという状態なので、曖昧に頷いておく。
「具体的な方法の前に、知っていただきたいことがあります。術の対象となる霊障の種類です。大きく分けると二つです。一つは外部から来た霊的な存在が災厄をもたらすこと、もう一つは自分に内在する霊的な力の制御を失うことです。組み合わさった場合もありますが、これは後でお話しますわ」
後でって。すごく長そうだ。
「前者の外部からの災厄ですが、これは言わずもがなでしょう。代表的なものは、悪霊妖魔の類です。様々な種類がありますが、霊障となるものは大抵、穢れがまとわりついています。これが邪な性質を引き出し、助長します。ですから、この穢れを祓ってしまえばよい、ということになりますの。ですが、疑問もありますでしょう? 浄化などしなくても、そのまま倒してしまえばよいと。わたくしも先の戦闘ではやむを得ずそのように致しましたが、これは渡会流の本分とは申せません。この方法では穢れが散ってしまい、別のものに移ってしまう危険があるからですわ」
聞くのが少し面倒になってきた。
「そして浄化といえば、水が思い浮かびますわよね? さんずいがありますものね。確かに水は霊的な存在を溶けこませる上で優秀です。ですが、限りがあります。海には大量に在りますが、海にはすでに大量の穢れが流れ込んできており、清らかさが十分とはいえません。また、穢れの溶けた水が集まって大きな塊になってしまったり、どこかに流れてしまうこともありえます。海の妖怪の餌になってしまいますわ」
隣にいたナギーの姿がいつの間にか消えている。
逃げたな。
「そこで浄化の方法として他に思いつくのは、火です。焼却ですわね。でも、これにも難があります。穢れていない部分までも燃やしてしまいますから。穢れだけを燃やすには、高度な技術が必要です。火は燃え広がりやすいですものね」
どうも回りくどい。さっきの戦いと関係がないように思えるし。
「これは困った状況に思えますが、ここから陰陽道が本領を発揮します。陰陽道とはその名の通り陰陽を用いるものですが、五行の性質も用いるのです。火、土、金、水、木の五つです。世界に満ちるこの五つの気の性質を応用するのです。五行は相生・相剋といって、助け合ったり抑えあったりしますの。相生とは火が土を生じ、土が金を生じ、金が水を生じ、水が木を生じ、木が火を生じる、という流れです。相剋とは火が金を抑え、土が水を抑え、金が木を抑え、水が火を抑え、木が土を抑えるという仕組みです」
観念的すぎてついていけない。
「陰陽道流派である以上、渡会流も当然にこの五行の原理に基づきます。術式を構成する中心は、土です。陰陽の陰、地と親和的です。十分に重なった土は中に水分を含み、蓄えます。水を散逸させません。土が水を抑える、そう、相剋の原理です。これとともに、火の力も借りるのです。火の気はどこにあるかと申しますと、まずは、空の彼方にある太陽です。吸血鬼によく効くのはご存知ですわね。ですけれど、太陽の力は常に使えるわけではありません。曇りや雨、それに夜間と日陰では使えません。しかし、天候や時間帯に左右されずに火の気が使える場所があります。大地です。火は地面のはるか下、地球の中にもありますから。土はそのずっと下にある火の力を受けるのです。これは相生の原理ですわね。この相生・相剋、二つの原理を組み合わせます」
もうお手上げだ。
「つまり、水の長所である穢れの溶けやすさと、火の長所である浄化の力の強さをともに取り込み、それでいて水の短所である散漫さを抑え、火の短所である急激さを受け止め利用する、というわけです。土によって浄化プロセスの安定が保たれるのです」
海の上で土の話をされても。
「この土と地の力を実際の祓いの技術として確立すべく奮闘してきたのが、渡会家です。術式の確立には長い年月がかけられ、それによって現在の完成度が……あら、呼んでますわね」
助かった。
話の長い陰陽師は、オッサンのところに行った。
釣り船が動き出す。
旋回して、いまだ海上に浮かんでいる海賊船の回収に向かう。
「だから言ったのに」
ナギーが戻ってきた。
「あの話、あとどれぐらいあるんだ」
「まだ半分も話していないよ。原理話して、歴史語って、お家自慢して、倒した妖怪のこととか喋って、それから技の説明を一つずつ延々と」
どんだけあるんだ。
「原理は終わったような気がする」
「じゃあダイジェスト版の一割ぐらいかなあ。フルバージョンだと三パーセントってとこ」
短い方だったのかよ。
「トイレにでも行ってくる。ゲーム直しておいてくれ」
「いいよー」
トイレを済ませ、船室ドアの横にある蛇口から水を出して顔を洗った。
コーラ浸しの船室ではくつろげないので、甲板に戻る。
ふと見渡すと、船の周囲の天候バリアーが小さくなった気がする。波が船のすぐ近く、数十センチに迫っている。
海賊船の姿はもうどこにもない。
濡れていないところを探して、そこに座った。
「お待たせしました。片付きましたわ。続きをお話しいたしますわね」
元気だな。
「術式の変化と進化の前に、陰陽道そのものの歴史について知っていただくのがよろしいですわね。造詣が深くなります」
「ああはい、どーぞ」
いい加減に返事をしたが、気にしていないようだ。
「陰陽道は古く古代中国のシャーマニズムに端を発し、万物流転・有為転変の老荘思想を取り込み適用の幅を広げ、儒教に取り込まれる中で秩序を与えられ、道教との融合によって怪力乱神に対する力を得て、やがて日本に伝わりました。そして神代、上古と受け継がれてきた神道と結びつくことで穢れ・禊ぎの概念を加え新たな流派を形成し、祓いの技術として独自の発展を遂げるに至ったのです。渡会家もその過程に深く関わりました。渡会流の源流をさらに詳しく述べれば初代……ちょっと、聞いていますの?」
「もちろん」
もちろん、適当に聞き流している。
眠くなる。
朝早かったからな。
「それならよろしいですわ。続けますから、ご存分に堪能してくださいませ」
船が少し揺れてきた。揺れが眠気を強める。
講師の少女は、揺れと俺にお構いなく喋り続けている。
「江戸時代にあっては京都所司代とともに京の……その武威は……。幕末の動乱期、専門筋の間では剣術の天然理心流、体術の渡会流と並び称されるほどの……それでいて公家との交わりもゆるがせには……」
熱をこめて話をしている。自分の世界に入っていて、こちらを見ていない。
このまま寝ても、バレないかもしれない。
「……嘆かわしいことに、明治の近代化の過程では辛酸を……」
もう寝てしまおう。
「第四十四代から第四十六代にかけて、つまりわたくしの……が洋式格闘術の本格的導入に踏み切り……道の変容の歴史に新たな一ページを……」
突然、腕を強くつつかれた。バレた?
目を開けると、ナギーが隣に座っていた。
お前か。
今度は、俺のズボンのポケットを人差し指で軽く叩いている。
電話かと思ったが、入れている場所が違う。叩かれたポケットを探ると、中から紙片が出てきた。
以下はその文面だ。
――説明しよう!
『切磋琢磨』とは、都市伝説力を手刀と拳の周囲で高速回転させ、その摩擦力と摩擦熱を斬撃・打撃に加えて攻撃する、マルチウェイ・スマッシュのことである!
そのスピードによって赤い閃光が縦横四方向に、すなわち赤い十字がほとばしる様は、圧巻の一言につきよう!
都市伝説『連続殺人鬼のチェーンソー』の進化形として、申し分のない威力があることはいうまでもない!
なお、この技が完成したのは閃いてから十三日目の金曜日である!――
……自分の必殺技の説明かよ。
眠いのに、しょうもないところで対抗意識を出すな。それに地獄送りの赤十字って、医療関係者に失礼だろ。おまけに物理的過ぎる切磋琢磨だ。
「ああ……すごいな……」
メモを用意する、手回しの良さが。
「でしょー。ふふふ」
腕を組んで目を閉じて、したり顔をしている。
放っておこう。
「すごい? その通りですわ。並みの妖怪ごときは地上なら一撃で……。とはいえ順風満帆というわけではありま……。そこで新たな技を編み出し……強力な悪霊相手に一進一退の激しい攻防……。思わぬアクシデ……。その後、捲土重来を期して技にさらなる改良を……」
もう一人が熱く語る内容は、波乱万丈のサクセスストーリーに移行したらしい。
これも放っておこう。
しかし、もう一度眠りにつくのも難しかった。
いつの間にやら、波乱はこの船にも訪れていた。遮るものなき海の上で、波に激しく揉まれている。
ナギーがさりげなく小声で聞いてくる。
「効果切れちゃったね、照る照る坊主。またやる?」
「するな」
アニーに同じ手は効かないだろう。ということは、次に吊るされるのは俺だ。船がよほど危なくならない限り、あんなにアブない縛られ方は許容できない。
少し経って、ナギーがまた話しかけてきた。
微笑を浮かべて、俺の顔を覗き込んでくる。
「いい思い出になりそう?」
「うーん、悪くはないか……」
しばらく前まで繰り広げられていた戦いを思い起こす。
あれに俺が参加することになるとは思わなかった。危ない場面もあったが、勝利のために役立てたというのは気分が良い。経験値が入り、異世界の戦士として1から2にレベルアップだ。どのゲームのファンファーレを頭の中で鳴らすか、迷うところだ。
迷っている間も、あらためて感じた勝利の余韻は消えない。瞼を閉じると、激戦の光景がその目まぐるしさの実感を伴って、ありありと再現される。
む!
これは何か、胸にこみ上げてくるものがあるな。
熱いものが駆けのぼってくる感覚。
目覚めた本能が猛り、座していられないほどの衝動が、体を駆け巡る。
――俺は立ち上がって船端に寄り、海に向かって咆哮を上げた。
「グボッ。ゲホッ、ゲホッ」
海面に汚物が散らばった。
船酔いだ。
勝利の余韻は未消化物もろとも、海の藻屑。
「あ! やっちゃった~。後ろ向いとこ。終わったら言ってねー」
「く。うう。お前は大丈夫なのかよ」
「もう平気だよー」
「もう? ぐわ、俺はまだ駄目だ」
「気をつけてねー」
もはや気をつけようが無いだろう。またもや胃と喉が大きく動いたが、汚物は出なかった。
「折角のお話の途中だというのに……。はしたないと思いますわ。このようなことを申し上げるのも失礼ですが、心構えができていないからで……うっ!? ……耐えて見せます。何の、これしきのことで……」
世界に存在する悪夢は、多種多様。
やっぱり早く目覚めたい。