表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
痛快都市伝説 the Reverse  作者: 玄瑞
第二章
17/44

陽炎

 双眼鏡を覗くと、マストを駆け上るブレザー制服を着た赤髪少女の姿が見えた。

 海賊船の帆が、少女を覆い隠す。帆は海を荒らす強風を受けて、激しくはためいている。

 ……はためく?

 さっきまで、風をすり抜けていたよな。方向転換のとき以外には動いていなかった。

 風の中、遠くからかすかに声がする。

「うぃっち・おぶ・からー・どぅーゆーらいく、ぶるーまんと・おあ・れっどまんと?」

「Come again!」

「Red!」

「Red...?」

 帆がマストから切れて、落下する。

 少女ナギーの姿は現れない。

「GYAAAAAA!」

「What!?」

「Look behind!...Oh!」

 亡霊集団の小さな叫び声、ではなく、絶叫が聞こえた。この距離だと絶叫のはずだ。

 悲鳴を上げる骸骨たちは、その全員が背中から赤い粒子を飛び散らせている。粒子は噴水のように高々と上がり、血の霧と化して、敵船上の空間を赤く染め上げた。

 赤い霧が消えると、巻かれた絨毯のようなものが現れた。

 甲板上に立っている。

 色は、赤と黒と白の三色。赤の部分がほとんどだが、目を凝らすと、白い骨のマークが描かれていることがわかった。切れて落ちていた帆だ。

 巻かれていた帆が開く。

「じゃあ~んっ! 正義の味方、ナギー参上っ! 聞こえるーっ?」

 うるせえ。聞こえてるよ。

 ナギーがこちらを向いて立っている。

 右の手刀を自身の左斜め上方に掲げ、左手を腰に当て、仁王立ち。帆をマントのようにまとっている。

 ……それ、ヒーローじゃないからな。

 間違ってもヒーローじゃないからな。

 正義のヒーローは、敵を背中から斬りつけまくったりはしないのだ。


「残りは……あれを含めて四隻ですわね」

 双眼鏡は俺が使っている。

 十数分前にシュールな光景を見せてくれた陰陽師少女は、別の船の残骸から立ち上る煙を元に、敵の残数をはじき出していた。最初が全六隻で、そこからこの少女自身が木っ端微塵にした一隻と、ナギーが燃やした一隻を差し引けば、四隻になる。

「ナギーの調子はどうですか? スタミナ切れになっていないでしょうか」

「大丈夫。あれなら何ともない」

 帆を失ったマストがへし折れて、五体ほどの亡霊が下敷きになった。

 双眼鏡を陰陽師アニーに渡す。

「なるほど……。全部沈めてしまいそうですわ。少しまずいですわね」

「何が?」

 楽勝なら問題ないはずだ。

「一隻は調査用に拿捕だほしておくのが望ましい、と言われておりますの。先ほどはつい勢い余って……わたくしとしたことが」

 忸怩じくじたる表情だ。

 見ていただけましたか!? どうでした!? 素晴らしいでしょう!? などと矢継ぎ早に言葉を繰り出していたときの興奮は、もう完全にさめたようだ。

「おーい、どうするんだ?」

 操舵を担当する漁師のオッサンが窓から話しかけてきた。

「あの船に向かって進んでください」

 戦闘中の船を指差してアニーが答えた。攻守の担当を交替するつもりだ。

 俺達の乗っている釣り船が速度を上げた。半壊にされた海賊船の姿が徐々に大きくなってくる。砲弾は飛んでこない。

 残る無傷――もともとボロいことは別にして――の敵船は、三隻。

 そのうちの一隻が救援のため、戦闘中の船の横に移動している。残る二隻は、残骸からの煙と戦闘中の船の向こう側にいるらしく、この船を狙い撃つことができないようだ。

 半壊の海賊船上に、赤い閃光が走った。

 船が炎上を始める。

 甲板の中央部がひときわ激しく燃え、それから炎が船を縦断するように広がっていく。すぐ脇まで近づくと、炎の壁はなかなかの壮観だ。

 体温計の温度を上げたり、マーガリンを溶かしたりするこの技、こんなに威力があったのか。

「あれー? 来たのー?」

 燃え盛る船の舷側で、ナギーが手を振って叫んだ。赤い髪が、オレンジの炎に照らされて彩られている。

「替わりなさい! あれはわたくしが封じますっ」

 焼け落ち始めた船の隣に停まっている船のことだ。

「えー? いいんじゃないかなー? まだいけるよー」

「貴女が良くても、わたくしが良くありませんっ」

「しょうがないな~。よっ!」

 ナギーがこの船に飛び移った。

 船が発進する。

 全焼寸前の船を回り込み、救援に来た船の横に着いた。

「That red bitch came here!」

「Damn and blast!」

「Don't bring fellows!」

「Move to larboard! Knock them down!」

「Please do it yourself, Captain! We run away, don't we!?」

「You coward!」

 敵方は大騒ぎになっている。

「後は頼みましたわよ」

 そう言い残すとアニーは海賊船に飛びつき、かぎのように曲げた手とつま先蹴りを使って、すごい勢いで側面を登り始めた。

「あはははは。ヤモリみたいだねー」

「笑うんじゃありませんっ! 貴女だってバシリスクじゃありませんかっ!」

 釣り船が動き出した。

「しっかりつかまれよぉーっ」

 漁師のオッサンが窓から叫ぶ。

 残りの敵船が向かってきたのだ。

 二隻が左から迫る。そのうちの一隻の動きが速い。こちらの加速が十分でない間に、距離を一気に詰めてきた。

「これは乗り込まれるな」

「飛んで火にいる夏の虫、楽勝です。冬のキリギリスのよーに、キリキリ舞いにしてあげましょう! 今は秋だけど」

 結局どの季節なんだ。

 左手の平を右の拳で軽く叩きつつ悠然と待ち構える少女に、海賊船がさらに接近する。

 首を傾けなくとも見えていた帆の髑髏どくろ印が、見上げなければ見えない位置になった。オンボロとはいえ、近くだとやはり迫力がある。下から見えるその髑髏は、あごが大きく額が狭い。頬は綺麗に左右対称だ。

 左右対称――。

「え? え!? ちょっと!?」

「駄目だっ!」

 ナギーとオッサンが叫ぶ。

 音と一緒に、木材が砕けて飛んだ。

 俺の体も飛んだ。

 背中が甲板にぶつかり、頭頂部が右舷の内側にぶつかった。意識も飛びそうになる。

「おおおおおおおおお」

 背中は救命胴衣のおかげで何ともないが、頭のてっぺんから下方向に突き抜けるような痛みが走る。

「Wooow!」

「We did it!」

「Yeaaaah!」

 敵集団の歓声がよく聞こえる。ナギーは左舷にしがみついたまま、ううううう、と唸り声を上げている。聞こえないのは、ある機械の音だ。

「くそっ! 動けっ! よしっ、いけるぞ!」

 エンジンが再び動き出した。

 しかし、音が細切れだ。

 大きく進んだかと思うと減速し、止まったかと思うと進み出す。安定しない。

 俺はどうにか起き上がり、右舷側から後甲板に移動した。釣り船の左舷後方には縦横数十センチの欠け目ができていて、近寄ると危ない。

 痛みをこらえ、敵の動きを探る。

 先端部に穴の開いた海賊船がゆっくりと追ってくる。

「よくも、よくも、よくも……。ぜったいに、ぜったいに、ぜったいにっ!」

 歯ぎしりしながら、ナギーが左舷側を歩いてきた。

 握りこんだ左手が震えている。右手が舷を掴んで握りつぶした。欠け目が手の平の分だけ広がった。

「どうしたんだよ。ケガか?」

 俺のほうは、ようやく頭の痛みが治まってきた。

「うるさいっ!」

「そんなにダメージあったのか?」

 近くで見ると、ナギーに傷は無いようだった。

「だまってて!」

 ナギーが海に飛び降りた。そして、海面に大きな水しぶきを立てて、猛然と海賊船に突っ込んでいった。

「この様子だと、あの連中も終わりだな……」

 操舵室に向かう。

「どうですかー? 直ります?」

「持ち直してきたからな、無理しなけりゃ大丈夫だ。……ん? 助手のお嬢さんは?」

「また突撃しましたよ」

「そうかい、そりゃあ頼もし……くねえよな……」

「いやそんなこと……仰るとおりです」

 もう一隻に追いつかれた。すぐ左にいる。ぶつかりそうな距離を並走している。

 至近距離で、大砲を撃たれた。

 一斉掃射だ。

 幸い、砲弾は釣り船の上をかすめて反対側の海に飛んでいった。右方で海水による白いカーテンが生じ、すぐに消えた。

「ちいっ!」

 オッサンがハンドルを切ろうとしたその時、へさきに第二弾が当たった。

 船の前面についていた金属製の柵が折れ、吹き飛んだ。

 船首が右方向に、船尾が左方向にわずかに回転し、船全体が大きく右傾する。赤い砲弾の残骸が海に散った。

「振り切れそうにねえな」

 船が水平を取り戻してからオッサンが呟いた。

「撃沈される……!?」

「いや、初志貫徹ってやつだな。見なよ」

 オッサンがあごで左上を見るように促す。

 そちらを見上げると、海賊船の甲板があった。骸骨が、その頭上でロープを横向きに振り回している。ロープの先にはフック。

「兄ちゃん、あんたは戦え――」

「ません」

「だよなあ。助手の助手だもんなあ……」

 弱くてすみません。

 つーか、そのフレーズを何度も言うなオッサン。

「船長さんこそ、海の男の底力を見せる時では」

「海の男が戦う相手は、波、風、魚介類だ」

 鉤縄を引っ掛けられて、釣り船が揺れた。

「くそ……停めるしかねえ。無理したらひっくり返る」

 板が叩きつけられたような音がした。大きなものが一回と、小さなものが一回。

 多分、タラップだ。

 もうすぐ来る。

「しょうがない、戸締りでもしとくか。お嬢さんがたの帰りを待とうや……」

 オッサンが前部キャビンに歩いていった。

 俺はドアの確認だ。

 ドア窓から外を見ると、この船のずっと後方で、海賊船が絶賛炎上中だった。片付いたようだ。

 うん、これならナギーが帰ってくるな。よかったよかった。

 壁一枚を隔てて歩いている骸骨への警告のように、赤い光が彼方の船で何度も閃く。燃えながらさらに何度も分断されて細切れになっていくあの船の如く、この船に乗り込んだ連中も細切れに……って、戻って来ないじゃねーか!

 バチッと、ドアの外から、火花が散るときの音が聞こえた。

 ガンッと、ドアを叩く音が聞こえた。

 ガキッと、ドアを曲刀で斬りつける音が聞こえた。

 音がするたびに、ドアが緑色に発光する。この結界、どれぐらい持ってくれるんだろう。

 強度の説明をしてくれる陰陽師は、ここにはいない。彼女が帰って来るのは……帰って来れるのか? 幽霊船を操れるのだろうか。

「お、おいおい、何だかまずいな……」

 戸締りして戻ってきたオッサンが呟いた。

 骸骨たちの連打は一層激しくなり、ドアからの火花の音がひっきりなしに鳴っている。オッサンの手元にあるライターも同様に、何度も火花を散らしている。

「こいつはケツに火がついてきたぜ……」

 もちろん俺たちのケツだ。オッサンの煙草のケツには、火がつかない。

「Come out!」

「Don't hide, this fuck'n guy!」

 ドアが叩かれる際の音の位置が、床から少し上あたりになった。

 これはつまり、アレだ。

 ロッカーを蹴りでボコボコにしながら、『おらあっ、出てこいっ』と言っているアレ。漫画で見るあれを実際にやられるとは、シャレにならん。

 ピシッと、何かがひび割れる音が聞こえた。

「今の……」

「結界……ですよね……」

「どうしたもんかなあ」

 オッサンが頭を掻く。

「奥へ逃げましょう」

 窓から脱出すれば、少しは時間を稼げるかもしれない。少しは。

「奥へ逃げてもなんもな……あ、あれだ」

 あれ? あれって何だ?

 ……そうだ、コーラと魔法の薬だ!

 ペットボトルが詰められた箱の元へ、走った。

 箱の蓋を乱暴に開けて、中から一本を取り出す。後をついてきたオッサンも、同じく一本取り出した。

「たぶん酸か何かの力で、あいつらを溶かすはず……」

「ああ、ガイコツだもんなあ」

 キャップが固い。プシュッと炭酸ガスが漏れたときには、陶器が割れて床に落ちるような音が、船室の出入り口から届いた。

「来るぞ!」

 迎撃態勢を整える仕上げに、魔法の薬――ソフトキャンディを何個もボトルも入れる。

 さあ、ボトルにこめられた謎のパワーが炸裂だ!

 泡立つ液体が、雌伏の時を終えて雄飛する黒竜の如く、噴き上がる!

 俺の顔に。

「ゴホッ、ゴホッ、フンッ!」

 鼻に入った。

「自爆してやがる……早すぎたんだ」

 黒い噴水はおさまった。くそっ、キャンディは発射用か!

「You can't run away any longer!」

 誤射している間に、敵の先鋒がコーラの池の対岸に到着してしまった。

 亡霊がにじり寄ってくる。

「くらえ!」

 手際よく発射準備を整えたオッサンが、ボトルの口を相手に向けて突き出した。

 液体がほとばしる。

 そして、液体の勢いにひるむ骸骨の胸骨を、見事に貫いた。

 やったぞ!

 攻撃を受けた骸骨がおもむろに崩れ落ち……ずに、勢いよく曲刀を斜めに振り上げる。

「え?」

「お?」

 二つ目のコーラの池に、カルシウムは溶け出していない。全く。

「うおっとー!」

 袈裟斬りの刃が、オッサンの右胸の前を通り過ぎた。

 オッサンは三分の一ほど中身が残った容器を振り回したが、空しく亡霊をすり抜けた。コーラが揺れ動き、ちゃぽんちゃぽんと、気の抜けた音をわずかに立てた。

 再び振りかぶる敵に向かって、俺が叫ぶ。

「ストップ! ストップ! ジャストモーメン!」

 叫びながら次の弾の準備をした。顔面で冷や汗とコーラの雫が混ざった。

 やはり敵は待ってくれない。

 オッサンの頭上に、縦の一撃が振り下ろされた。

「ぐっ」

 後ずさりで間一髪かわしていた。

 しかし、攻撃を受け止めるべく慌ててかざしたボトルを、真っ二つにされている。

「ちいいいっ! 甘かったか!」

 人工甘味料で味付けされた清涼飲料水をわずかに浴びて、オッサンの顔が苦渋に満ちる。

 ここは俺がどうにかするしかない。

「もう一回だ!」

 相手の全身にかかるように、上下に振りながら放水した。

 これでダメなら……。

 黒い酸性雨は床に降下した。

 奴の肋骨にも、骨盤にも、ダメージは無い。帽子を濡らすこともなければ、白骨を染めることもない。

「HAHAHAHAHA!」

 最後の数滴が、奴の高い骨をすり抜ける。これをへし折りたかったのだが……。

「HAHAHAH……」

 溶解した下顎が床に落ちた。

 この野郎、顎が外れるほど笑いやがって。汚いじゃねーか。

「おい兄ちゃん……、効いてるぜ……」

「何が?」

 オッサンの顔、床、正面の敵。この順に自分の視線を動かす。

「GA,GA,GA……」

 笑い声が呻き声に変わっている。よく見ると、奴の喉骨が茶色く変色している。

 腐蝕が進行する。

 首が折れた。

 落下した頭蓋骨が、床でバシャッと黒いしぶきを立てた。それから少し転がった後、床面に接する側から崩れ出し、やがて赤い泡沫となって消えた。

 奴の残りの部分がそれに続いた。

 服と帽子と靴が残った。曲刀も残った。

 オッサンが叫ぶ。

「弱点は顔……いや口だ! そうだ、お嬢さんも顔にかけろって言ってたしな!」

「なぜ口が!?」

「知らん! とにかく飲ませようや!」

「Hey! Did you it? What!?」

 別の骸骨が、この前部キャビンに侵入してきた。質問は後回しだ。

「ほれ!」

 オッサンに手渡された新しいボトルの中身を、新手の顔面めがけてぶちまける。

「UUUUUUUUUUUUUUH!」

 命中……というか、飲ませた量が増えたためか、効果がさっきのものより大きい。変色が一気に口から全身に広がり、あっという間に溶けた。

「よし、いけるぞ!」

 オッサンが意気を揚げて言った。

「俺が袋破ってフタも外すから、兄ちゃんが今の調子でかけてくれ」

「分かりました」

 オッサンのほうが開封のスピードが速い。海の男は手作業もスムーズにできないと、やっていけないのだろうか。

 端を破ったソフトキャンディの筒を渡された。これを右手に持つ。ボトルは左腕で抱える。

「次の奴……こねえな。怖気づいたか」

 怖気づいていたのは俺たちだったのだが。形勢逆転か。

「それなら待っていればナギーが……あ、助手の奴です。あいつが帰ってくるから大丈夫ですね」

「そうだな。いや待て、なんか変な音が」

 操舵室から金属音がする。

「何の音ですか、あれ」

「まさか機材を」

「それって、帰れなくなるんじゃ……」

「ああ、無線もあそこだ」

 オッサンが青ざめて答えた。

 ここは荒っぽい日本海の真っ只中だ。航行のための装置を壊されたら、漂流するしかない。

「こうなったら打って出ましょう」

「それしかねえな。機械にかけるなよ!」

「了解」

 一本抱えて、前部キャビンから出る。俺を見つけて、後部キャビンにいた一体が振り向いた。そいつに五本目のコーラ鉄砲をお見舞いしてやった。

「GUAAAAAAAAH!」

 一箱あたり六本で、二箱あったから残りは七本だ。乗り込んできた奴らは何人いるのだろう。

「よっ。重てえなあ」

 オッサンが箱を抱えて歩く。七本だと十キロを超える。

「マグロより軽いんじゃないですか」

 箱の上に乗せてある一本を手に取りつつ、軽口を叩いた。弾切れになったら、という不安を少しでも追い払いたい。

「俺はカニがメインだぜ」

 オッサンが箱を床に置き、そこから一本取り出して抱え、甲板に通じるドアを見張る。

 俺は操舵室を覗く。

 機械類のコードがクラゲの足のごとく広がっている。引っこ抜いて持ち去ろうとしたのだろう。亡霊の姿はない。さっき倒した奴が荒らしていたようだ。

「これ、直りますか」

 時々振り返りながら、オッサンがゆっくりと近づいてくる。俺と入れ替わりになってから返事が来た。

「壊れてはいないな。つっても面倒だ。直すか、戦うか……」

 判断つきかねている中年漁師は、操舵室前方についている丸い回転窓から甲板を窺った。

「三体か。前は破られていない……。よし、今の内に直そう。後ろ頼むよ」

「はい」

 外を窺う。

 後甲板では、一体の骸骨が歩いている。そいつの右手には海賊標準装備の、もう見慣れてしまった曲刀。左手には標準かどうかは知らないが、燃え盛るタイマツ。真昼間なのに何でそんなものが。

「Hey, Bastard John! I can't wait for it! Okay!?」

 こっちに向かって叫んだ。何を言っているんだ?

 甲板からも叫び声がする。

「We go back, too! Hurry up, John!」

 ハリーアップ。急げ、か。

 でも、溶けて消え去ったジョンには無理だ。このまま奴らを焦らせておけば有利だろう。不意打ちを仕掛けやすい。

 うむ、我ながらいい判断だ。すばらしい策士ぶり。

 気のせいか、バチバチと拍手が聞こえる。

 これは天からの祝福だな。鼻につく焦げ臭い煙の匂いからも、やつらの焦燥ぶりは明らかだ。ドア内側から見て右方に、それを象徴する炎が見えた。ゆらめいている。

 ……燃えてる?

 急いで戻った。

「水! 水! 水は!」

「休憩は後にしてくれや」

 作業中のオッサンは振り返らない。

「燃えてるんです!」

「休みたいのか戦いたいのか、ハッキリしねえな」

「ボケんなおっさん!」

「このナイスヤングガイをおっさん呼ばわりか!」

 四十を越えていそうな男がやっと振り返った。

「火がついてるんですよ!」

「何に」

「船のケツです!」

「そうかい。そいつは……ドア横の蛇口からボトルに入れろ!」

 二人で駆け出した。

 俺は空のボトルを拾って蛇口に向かうが、オッサンは別方向だ。

「エンジンがやられたんじゃねえだろうな」

「奴らが火をつけたんですよ」

 エンジン周りには結界が張ってあるはずだ。つまり、刀を使って短時間で壊すことは不可能。フックを掛けられてから動かしていないので、故障でもない。さっきのタイマツだ。

 炎は左舷側にある欠け目・・・から広がり始めている。連中は海賊船に帰ったらしい。

 水をかけたが、消えない。一・五リットル程度では駄目だ。

「こいつでいくか」

 オッサンが小さめの消火器を持ってきた。最初からそれでやってくれ。

 勢いよく噴射された粉末が、炎を押さえつける。

 火の勢いが弱くなる。一分も経たないうちに、白い煙を残して消火活動が終わった。

 だが、ボトルの役目は終わらない。

「Shit! That stupid has failed!」

 奴らがこっちの船に戻ってきた。

 四体いる。

 まずいことに、そのうち二体がタイマツ持ちだ。これでは、狭い船室に引っ張り込んで戦うことができない。また放火される。

「ほらよ兄ちゃん、撃て!」

 オッサンが中身入りのボトルを投げてよこした。

 キャップは緩んでいたのですぐに開封できた。手早く中身を噴射させ、一体を溶かすことに成功した。残りの連中はたじろいでいる。

「次だ!」

 再びコーラ砲で攻撃した。

 しかし警戒していた相手にかわされてしまい、顔面に命中しない。かろうじて、一つのタイマツの炎を消すという戦果を上げるにとどまった。

「かわされたか……どうする?」

 漁師のオッサンが尋ねてきた。

 何か作戦は……。そうだ、あれをもう一回……。

「カニでやりましょう!」

「……カニ? ああカニか!」

 オッサンがソフトキャンディをボトルに投入し、急いで蓋をする。閉める際に結構漏れるが、やむを得ない。

 投入済みを二本用意する間、俺は別のボトルを構えて相手を牽制する。三体を相手に睨み合いだ。俺が言うのもなんだが、この連中は頭が悪い。

「よし、やるぞ!」

 合図を受けて、噴射した。

 方向は奴らの頭上。よけられてはいるものの、奴らの目には宙を舞う黒い液体しか映らない。その隙を突き、オッサンがボトルを一本抱えて、後甲板経由で右舷に走った。

 俺が一本撃ち終えると、奴ら全員が一気に距離を詰めてきた。

 こちらはボトルを抱えて背面走行で後退だ。

 敵が追いかけてくる。

「Go to hell, yellow monkey boy!」

 刀の切っ先が、眼前を横切った。

 刃が壁の結界に当たり、高い音を立てる。

 ボトルのキャップを開けようとしたときに、敵が俺の手元を狙って刀を振り下ろした。手は無事だったが、ごとん、と鈍い音を立てて、プラスチックの容器が中身ごと床に落ちた。

 武器が――。

 まあいい。

 とっさに、俺はそのボトルを思い切り蹴飛ばした。足が痛いが仕方ない。ボトルは眼前の敵をすり抜けて、甲板上を滑っていった。

「You're the end!」

 何か決め台詞を言ったらしい。

「ハハハハハ!」

 わざとらしく笑ってやった。ハッタリだ。

「HAHAHAHAHA!」

 付き合ってくれてありがとう。さようならだ。

「おらよっと!」

「WHA……TT!?」

 骸骨が、黒い反吐を口から噴出する。それが俺の顔に直撃した。液体で視界が閉ざされた。

「こいつもだな」

「When di……」

「GUUHHHHHHHH!?」

 暗闇の中で、泥を立て続けにぶちまけたような音が響いた。

「よし、全部始末したぞ。成功だな」

 一息ついた様子の、オッサンの声がした。空のボトルが転がる音もした。

 まだ目を開けられない。

「なんか、素直に喜べないものが……」

「いやいや、濡れた姿がセクシーだぜ」

 そうなのか? 今の俺、すごくロチックな気がする。頭はベトベトするし……。

「ま、イカとタコがまざっちまったカニ作戦はさみうちだったけどな」

 エビも混ざってたかもしれない。

「What's that!?」

 顔をぬぐっている間に、海賊船の甲板が騒がしくなった。

「ゲッ。また来る……?」

「いや、こっちの援軍だ。部屋に戻ろうや」

 目を開けると、タバコを咥えてオッサンが余裕を見せていた。

 ケツに火のついたタバコが、海上に煙を散らした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ