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痛快都市伝説 the Reverse  作者: 玄瑞
第二章
13/44

進水

 最寄の駅に着いた。

 人の数は少ない。暇そうな駅員が、駅員室の中から窓越しに俺を見ている。

「電車代ある?」

 ナギーが尋ねてきた。

「切符を手配してあるって言ったよな。ここからじゃないのか」

「この路線は都市伝説力が足りません。三宮さんのみやまで行きましょう」

「そこまでなら金はあるけど……。伝説力ということは、まともな列車じゃないんだな」

「そう、都市伝説列車よ」

「なんだそれ」

「別名は幽霊列車」

「俺生きてるんだけど」

「切符があれば大丈夫よ。でも、無くしたら線路に落ちて幽霊になるからね」

 通勤電車に乗って移動する。

 車内は空いている。同じ車両の乗客は俺達を除いて五人だ。離れて座っているから、小声なら怪しまれることは無いだろう。

「どうやって乗るんだ? 都市伝説の列車って」

「踏み切り事故が列車事故の基本。だからそこから乗るのが基本」

 死ぬのが基本かよ。

「三宮のあたりは高架か地下だ。踏み切りは無いぞ」

「次は駅のホームね。身投げの常道。さらにその次は、いわくありげな名所」

 ホームから乗る?

 三宮で幽霊列車を目撃したという話は聞かないし、空中に浮いてすっ飛んで行く自分の姿が他人に見られるとも思えない。ということは……。

「人がたくさんいるぞ。俺がいきなり消えることになる。ホームのカメラにも消えるところが映る」

「切符があれば最初から姿を消せるから、心配しないで」

 駅に停車するたびに人が乗ってくる。座席が埋まってきたので、会話を中断することにした。

 三宮駅に到着した。電車を降り、改札を抜ける。

「ここからは?」

 三宮には複数の駅がある。鉄道会社のものが三つと、市営地下鉄のものが二つ、それに空港へ行くポートライナーのものだ。京都へ行くことが出来るのは、鉄道会社の内の二つ。

「北陸まで線路が続いてるほうの駅です。入場券を買って入ります」

 地味に出費がかさむな。

 入場券を使って改札を抜ける。

「それでは切符を渡します。トイレの個室の中で開封してください。私はここで待ってます」

 赤い封筒を手渡された。

 男子トイレに入る。俺の他には二人が小便器のところにいる。大便用の個室のドアは、全て開いている。

 個室に入り、封を破った。封筒は煙のように消えていき、手には切符だけが残った。

 その切符には血塗りの文字が並んでいる。

 三宮から京都近郊区間までの表示の他にも、細かい表記がある。

『冥途鉄道 片道切符(普通席乗車券・車内透過Ⅰ種・構内透過Ⅱ種)』

『落下車前途命無効』

『都市伝説の有効期限・発行から一月命日』

 溜めておくとちびりそうだ。この際、用を足しておこう。

 個室を出て小便器の前に移動する。今は俺以外、誰もいない。切符はポケットに入れておいた。

 そして小便をしながら、今日はどうなるんだろうな、と思いをめぐらせた。

 血のめぐりも良かったらしい。

 薄く赤みを帯びた尿が出ていた。

 やはり、ここ二週間の異常事態で俺はストレス過多だったのか……。血尿が出るとは。知らない間に手の皮膚も薄赤く変色している。やられたのはどこの臓器だ。腎臓か?

 顔がどうなっているのか確かめるために、洗面台へ急ぐ。センサーが反応せず血尿が便器に残ったままだが、それどころじゃない。誰も映っていない鏡で顔を……、顔……、どこ?

 鏡面上にはなかった。

 首の上にはあった。

 おそらく血の気が無いであろう顔が、二つの手の平を押し返している。

 姿が消えている――。

 これは切符の効果か。そういえば構内透過とかいう表記があったな。まあ重病でないのなら、一安心だ。さあ手を洗って、洗って、洗えない。洗面台のセンサーも反応しない。

 仕方ない、このまま洗わずに行こうと思ったそのとき、背広姿の男がトイレに入ってきた。すでにファスナーを開けていて、その中に手を入れて放水口を探りながら俺の後ろを通過した。

 このおっさんに便乗することにしよう。

 少し手間取るが、手を洗わないのは気持ちが悪い。おっさんが自分の尿を俺の赤い尿の上に追加する様を見届ける。

「ふうぅー、あぁ~」

 安堵と恍惚の入り混じった表情の顔から出てくる、でかい喘ぎ声。

 こんなもん聞かせるな。

 警戒心ゼロの他人を覗き見するのは、精神衛生上よろしくない。ナギーの言うとおりだ。

「よっ」

 待つこと約四十秒、ようやくおっさんが洗面台の前に来た。

 おっさんが差し出した手の上に、横から自分の両手をかざす。皺と薄い斑点が入った手をよけて、水が排水口に吸い込まれていく。

「わっ。ここの蛇口なんやねん。変な出方しよる」

 変な声を聞かせてくれたお礼です。気になさらずに。

 トイレから出ると、待っていたナギーが目ざとく反応した。こいつには見えるらしい。

「長いよー。まさか朝から二回も大きいの?」

「大きくない。小だ」

「ああ、小さいのね」

 何か嫌な言い回しだ。気にしないことにしよう。

 エスカレーターに乗ろうとしたところで、腕を引っ張られた。

「そっちじゃないよ」

 案内表示を見る。京都・大阪方面だ。間違いない。

「こっちのホームだろ?」

「そうじゃなくて階段で。追突されてしまいます」

 そうだった。せっかちな人はエスカレーターを歩いて上っている。そのまま行ってたら大惨事だ。

「他人から見えないのって、結構面倒だな」

 階段を上りながら呟いた。

「うんうん、そのとーりです。苦楽を共にしてこそ、良き思い出、良き伝説となるのです」

 苦はともかく、楽の共有はありうるのだろうか。

 プラットホームに着いた。線路に挟み込まれる形のホームだ。ぶつかられて転落しないように、中央に立つ。ここでは全く気が抜けない。

 五分ほど経った。時刻は午前七時五十分。

 ホームには播州赤穂ばんしゅうあこう発・野洲やす行の新快速列車が停車している。姫路から京都までの区間ならば、在来線の特急列車と同じぐらいに速い列車だ。

「この次ね。すぐ来るから急いで」

 アナウンスが終わり、連なった白い車両が徐々に加速する。

 しかし、俺はそれを見送ることはできなかった。白い列車の最後尾にぴったりくっつくような距離で、入れ替わりに黒い物体がホームに入ってきたからだ。

「列車?」

 全面に真っ黒い触手が生えている、直方体のイソギンチャク。大きさは普通の電車車両と同じ。これがいくつも連なっている。

「そう」

 次の新快速列車を待つためにホームに並んでいる人々は、無反応だ。彼らをすり抜けてナギーが物体に向かって歩く。その後に人々をよけながら俺が続く。

 ぐちゅっ、と音がした。

 それと同時に、無数の触手の間から口が現れた。位置と形は普通の電車と同じ。違いは入口の縁が脈打っていることだ。

 二人で中に入る。

 車内は予想と異なって、無機的と呼べるものだった。窓はなく、灰色の壁で囲まれている。触感はリノリウムと変わらない。天井には一面にびっしりと青白い照明がある。ただしその光は柔らかく、面積の割に眩しくはない。緑色のシートとつり革が各駅停車の普通電車と同様に配置されている。一見したところ、他の乗客はいないようだ。

『マモナク発車イタシマス。扉ニゴ注意クダサイ』

 天井から車内アナウンスが聞こえた。

 その数秒後に、ぐちゅうううぅーっ、と音を立てて出入り口が閉まり、灰色の壁に変わった。横向きの物理的な力が体に加わってくる。加速が終わると、俺の皮膚の色は元に戻っていた。

「消化液が出てきたら嫌だな、これ」

「壊して脱出するだけです」

 ナギーが平然と言ってのけた。女子高生のセリフか、それ。

「俺も遠くまできたもんだな……」

「出たばっかりだよ?」

「現実世界からだ」

「ここが現実です。よく見つめましょう」

 はあ、とため息をついて席のほうに歩いて行く。

「あ、そこは人が座ってるからダメだよー」

 呼び止められた。

「すいませーん。この人霊感ないんですー」

 空席に向かってナギーが言った。

「え? 何? 見えない誰かがたくさん乗ってるの?」

「別名が幽霊列車って言ったじゃない。半分ぐらい埋まってるよ。……ここにしましょう」

 シートの中央付近に並んで座った。

「あなたは都市伝説としかシンクロしていないんだから気をつけなきゃ」

 幽霊は見えないのか。変なところで普通だな。

「見えないのにどうやって気をつけるんだよ。ん? そういえばあの子、アカクツは見えてたな。式神は都市伝説じゃないよな?」

 精霊のようなものだと陰陽師アニーが言っていた。幽霊と同類のはず。

 声の大きさを抑えて、都市伝説ナギーが言う。

「そうだけど、職人芸の式神と普通の浮遊霊を一緒にしたら怒られるよ~」

「どう違うのかさっぱりだ。よくわからない世界だよなあ……。次の停車駅もわからないし」

 アナウンスがあったようだが、聞き逃していた。

「芦屋だよ。霊光掲示板に書いてあります」

「芦屋? 速いな。快速か、これ」

「ううん、各停。都市伝説力があるところにしか停まらないから速いの」

「ふーん。それでも京都までだと結構時間かかるよな。お前何度も往復したんだろ? 暇じゃなかったか」

「そうでもないよ。都市伝説列車じゃなくて普通の電車で人間観察です。窓があるから開放感が違います」

 この列車には確かに開放感がない。まあ、幽霊列車にあるはずもないか。

「普通の電車ならタダ乗りだよな」

 ナギーは三宮駅までの電車をタダ乗りしていた。

「その代わりに必殺仕事人ごっこをして、法の網を逃れる悪党を懲らしめていました。トラウマをザクッと植えつけて、再犯の可能性をプチッと潰したのです。よって治安維持に貢献したので、差し引きの結果、鉄道会社に迷惑をかけていません。じゃじゃじゃーーーーーんっ♪ じゃじゃーんじゃ、じゃじゃ~んっ♪」

 歌い出した。必殺仕事人の曲とは似ても似つかない。『ヘタクソな演奏がアナタらしい』などと評されるわけだ。

「仕事人ごっこって、具体的にどんなんだ?」

 暇なので聞いてみた。

「朝夕の満員電車で痴漢撃退ゲームです。まず、冤罪にならないように決定的な瞬間をきちんと目撃します。それから他のヒーロー誕生を邪魔しないように、しばらく様子を見ます。で、犯人が逃げ切れそうだったら私の出番。降りる前に手を掴まえて、お触りしたほうの手の指を一本、ポキッ☆とお仕置きです。決めゼリフと一緒に。『ヒツケトーゾクアラタメカタ、ハセガワヘーゾーであるっ! 神妙にお縄につけいっ!』」

 声を低くして話しながら、握りこんだ右手を手首から返した。顔は余韻に浸っている。

 指を折るのは鬼の所業だが、痴漢のならば見逃せないことも無い。警察に突き出すのが本来のあり方だが、ナギーがそれをしたところで警察も困るだろう。それにしても、仕事人に縄で首を絞めるキャラクターがいたとは知らなかった。

「おっさんくさいよ。いや、それを通り越してもうジジくさいの域だな」

「いえいえ、これが流行りのレキジョというものです。電車に乗って悪事を轢殺れきさつ、というのが由来です」

「すぐにわかる嘘をつくな」

「まあ、いいってことよ」

 再び低い声で言った。右手を使って何かを飲む演技もしている。

「何がいいんだか」

「何だか霊感インスピレーションを感じるの」

 それからはずっとテレビの話をしていた。ただ、バラエティにしてもドラマにしても、少し話がかみ合わない。今年の番組について、全くといっていいほどナギーが知らないからだ。去年の紅白やレコード大賞のことも知らない。それなのに、なぜか一昨年の大賞は知っていたりする。俺はすっかり忘れていたというのに。

『次ノ停車駅ハー長岡京ー長岡京ー』

 京都府内に入ったようだ。

「旅は誰かと一緒の方がいーよねー。一人旅は途中が退屈すぎ」

『長岡京ー長岡京ー。オ降リノ際ハ……』

「そろそろ京都駅だな」

「まだ先だよ。京都駅は混雑しすぎだから」

「先?」

 列車は長岡京駅を出て、京都駅へ。

 京都駅からの発車は、緩やかだった。ほとんど加速を感じなかった。

 陰気なメロディが流れてきた。

『本日モコノ列車ヲゴ利用イタダキ、誠ニアリガトウゴザイマス。コノ列車ハ足摺アシズリ岬発、清水寺行キ上リ普通列車デゴザイマス。エー、長ラクノゴ乗車オ疲レ様デシタ。次ノ停車駅ハー、終点ー清水寺ー清水寺ー。舞台下一番ほーむニハ富士ノ樹海入口行キ、舞台下二番ほーむニハ網走刑務所行キノ列車ガ参リマス。ナオ、舞台ハ大変混雑シテオリマス。ゴ注意クダサイ』

 観光名所の清水寺はいいとして。

「樹海かよ……」

 この辺は幽霊列車らしいな。

「樹海発着の路線は怖いのよ……。首がもぎ取られるように先頭車両だけが消える、『Strange Southern Side』。怖いから、運転士以外は誰も先頭車両には乗らないの」

 列車にブレーキがかかったらしい。進行方向に対して慣性が働き、体がごくわずかに傾く。

「あ、もう着くね。降りますよー」

 生々しい音がして、出入り口が開いた。

 眼前に広がるのは駅のホームでもなく、古式ゆかしい建築物でもなく、ただの林。

 足下は土のある地面だ。触手が絡まって階段状になっていたので、それを使って降り立った。

「うん、空気がすがすがしー。神社仏閣の清い空気はサイコーです」

「ちょっと待て。ここが駅?」

「そーです。霊力全開のお寺の中に割り込んでいるんだから、小さくても馬鹿にしてはいけません。舞台伝説を褒めてあげましょう」

「割り込む?」

「ほら、あれ」

 ナギーが前方の斜め上を指差した。紅葉した木々の隙間から、三角形の瓦葺きの屋根らしきものが二つ見える。その屋根の先には曇り空。屋根と屋根の間の少し下方には、張り出した展望台がある。二人ほどが柵に手をかけて下を見ている。少なくとも、我が家のあるマンション四階ほどの高さはありそうだ。

「何だあれ」

「舞台よ。キヨミズの舞台」

「舞台って木製なのか」

 いくつもの太い木の柱が支えている。

「鉄骨のわけないでしょ」

「お城の石垣と同じかと思ってた……。すぐそこに舞台ってことは、ここは境内なのか。罰当たりだな」

「このお寺には散財する人の煩悩を受け止める義務があります」

 つながりがよくわからない。

『扉ガ閉マリマス。ゴ注意クダサイ』

 背後にいた触手の塊が走り去っていった。ムカデのような、あるいはフナムシのような、機敏かつグロテスクな動きだった。坊さんに見つかったらどうするんだろう。

 草を踏み分けて誰かが林の中に入ってきた。

「来たみたいね」

「坊さんが?」

「お坊さんではありませんわ」

 顔を真っ赤にした少女が話しかけてきた。自宅で見たのと同じ形状のセーラー服が、雲の切れ目と木々の葉の隙間を突破した日光に照らされた。服も心なしか赤い。手には和傘と大きな風呂敷包みを持っている。

 少女が言葉を続ける。

「陰陽師です」

「そんなに怒って言わなくても」

「貴方も赤いですわよ、雅弘さん」

 自分の右手を見る。三宮駅のときと同じく、赤くなっていた。

「向こうのホームに行くよー」

 ナギーに案内されて移動する。地面に引かれた二本のぶっとい赤線をまたいで、降りた場所からさらに奥へと林の中を進む。再び赤線が見えると、その手前で立ち止まった。

「今何分?」

 時刻を尋ねてきた。

「九時二分」

「もう来るね。今度のはゴージャスです。舞台から飛び降りて買いました。はい切符。アニーのはこれね」

 こいつの『ゴージャス』は信用できない。

 その証拠に、またも全面触手の巨大直方体イソギンチャクが連なって走ってきた。違いは触手が長いことと、虹のような七色に輝いていることだ。

「化け物度がアップしたな」

「この程度なら大したものではありませんわ」

 肩についた落ち葉を手で払いつつ、アニーが落ち着いた様子で言った。物が当たるところと化け物に慣れているところを見ると、もう本物の陰陽師とみなしていいかもしれない。

 口が開いたので、三人で乗り込む。

 中の構造は来たときに乗っていたものと異なっていた。

 新幹線の車内に近い。入ってすぐの左右は壁。その先の左右に扉と連結部への通路がある。扉と連結部の床は脈動していて生々しい。これらも虹色をしている。

 自動で開いた扉を抜けて車両中央の通路を進む。

 座席は通路の両側に二つずつ並べられている。後ろ側に取り付けられた折畳み式のテーブルと、マジックテープで着脱できる白いカバー。シートについては新幹線そのものだ。

 前から誰かが歩いてきた。

 黒い人型の影、それも立体的なものが、赤い制帽を被っている。二つの目が光っている。車掌だろう。昔のアニメを取り上げたテレビの特番で見た気もするが、それより背が高く思える。

 車掌は先頭に立つナギーを見ると、ビクッと体を震わせたが、すぐに落ち着いた様子で話し出した。

「なぎー様デゴザイマスネ。コチラヘドウゾ。座席マデゴ案内イタシマス。オ荷物ハ私ガオ持チシマス」

 ナギーが持っていた学生鞄を車掌に渡した。

「これぞセ・レ・ブ」

「成金のくせに」

「育ちもあまり良くないですわね」

「オヤ、ソチラハ……」

 車掌はアニーの存在に気づくと、恐る恐るといった様子で彼女に話しかけた。

「わたらい様デゴザイマスネ。当列車デハオ静カニオ過ゴシ下サイ。オ願イイタシマス」

「わかっていますわ」

 アニーが澄ました様子で言った。俺が彼女に尋ねる。

「何かやらかしたの?」

「大したことではございません。行きましょう」

 車掌の後ろを三人で縦に並んで歩く。

「ここ林の中だったよな。木はどこに?」

「車内ニモアリマス。駅構内ノモノ・・・・・・ニハ別種ノ透過ヲカケテオリマス」

 歩きながら車掌が答えた。

 当の座席にはなかなか到着しない。すでに何両も通過している。

「席遠いな」

「先頭車両二階ニゴザイマス。三六〇度ぱのらまびゅーノ特別席デス。空気抵抗ヲ受ケナイコトヲ活カシタ設計ガ、当列車ノ自慢デゴザイマス」

「窓があるのか」

「ハイ。まじっく・まじっくみらーヲ使用シテオリマス」

 車掌が立ち止まった。

 先頭車両についたらしい。これまでの車両連結部と異なり、室内へのドアが二つ並んでいる。

 車掌はカードキーを使って左側のドアを開けた。

 中に入ると、階段があった。二階に上る。

 二階はサロンルームになっていた。赤い絨毯が敷き詰められており、四角いテーブルが中央に一つある。列車の進行方向に対して幾分長い形の四角だ。そのテーブルを挟み込むようにソファーが二つずつ向かい合って配置されている。

 窓は車掌が言ったとおり、前方・後方・側面のいずれにもある。窓があるというより、壁が無いと言ったほうが相応しい大きさで、強度が心配になる代物だ。窓の外は今のところ、風に揺れる木の枝葉と、蠢く触手しかない。

「隅ニアルすいっちデ壁ト窓ノ切換エガデキマス。係員ノ呼ビ出シぼたんモソノ横ニ。オ手洗イハ一階ヲゴ利用クダサイ。ソレデハゴユックリ」

 テーブルの上にナギーの鞄とカードキーを置いてから、車掌は階段を下りていった。

「さて、それではごゆっくりしましょう」

 ソファーに深々と腰掛けてナギーが言った。

 今日の目的は何だったかな? 俺も忘れそうだ。

 木々の間から見える京都の空は、曇天から雨天に変わりつつある。窓の外では、数滴の雨が木の葉に付いた。車内では天井から雨が降ってきて、俺達と調度類と床をすり抜けて落ちていった。

「はあ……これは落ち着けそうにありませんわね」

 荷物を置いたアニーが片手を腰にあて、もう一方の手で額を押さえて言った。

 雨漏りしているようにしか見えない特別室。

 ナギーの『ゴージャス』は、とことん当てにならない。

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