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色あせた世界に咲く花:顔、貸します ~記憶を返す少女の歌~赫映 ~無貌の神がくれた色彩~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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記録と記憶

夜のオフィスは、墓場のように静かだった。

デスクの上のモニターだけが、青白い光を放っている。他の職員はとっくに帰宅した時間だ。私は、ロックのかかった引き出しから、一台の古いタブレット端末を取り出した。

外装は傷だらけで、四隅には擦り切れた跡がある。これは、妻・早織が生前、私の“仕事の安全確保”のためにと、密かに用意してくれたツールキットの一部だ。彼女は、一流サイバーセキュリティ企業のホワイトハッカーだった。その技術のほとんどを、私のような“国の仕事”に使われるシステムの脆弱性発見と、私個人のバックドア確保に費やしていた。

「もしもの時、これで逃げ道を作っておくから」

彼女は、いたずらっぽい笑顔でそう言い、この端末を渡した。当時、私は“もしもの時”など来るはずがないと思っていた。早織が、あの“もしも”そのものになるとは、夢にも思わなかった。

端末の電源を入れる。起動画面には、早織がデザインしたという、シンプルな桜の花びらのロゴが表示される。パスワードは、彼女の命日。認証が通る。

画面には、いくつかの特殊なツールが並ぶ。ネットワークトラフィック偽装、暗号解読支援、権限昇格エクスプロイト…どれも、明らかに“合法的”な用途からは外れている。

私の目的は一つだ。厚生労働省の最深部にある、機密レベル「朱雀」のファイル群へのアクセス。もんろの、本当の“誕生記録”だ。

公式のプロフィールは、曖昧すぎる。“ある研究所で発見された特殊能力保持者”。いつ、どこで、誰が、どのように? すべてがぼかされている。

私は、ツールの中から“フェレット”と呼ばれるプログラムを起動した。これは、システム内に潜伏し、特定のキーワードを含む通信を嗅ぎ分け、暗号化されていてもそのパターンから内容を推測する、いわば“デジタルな嗅覚”を持つプログラムだ。早織が最も得意とした、目立たない情報収集術だ。

キーワードを入力する。

“赫映もんろ 発見”

“Kagiya Monro origin”

“面容巫女”

“能面 107”

プログラムが動き始める。画面に、無数のデータパケットが流れていく。ほとんどは無関係な日常業務の通信だ。しかし、その中に、ごく稀に、暗号化の強度が異常に高いパケットが混じっている。省の通常業務ではまず使われない、軍用レベルの暗号だ。

“フェレット”が、そのパケットの宛先を追跡する。厚生省本庁舎のサーバー群の中の、特定の物理的に隔離されたセクションを示している。アクセスには、大臣クラスの生体認証が必要な、超機密領域だ。

そこには、もんろの真実があるはずだ。

私は、次のツールを起動する。“影踏み”。これは、特定の高権限ユーザー(この場合は、たまたま夜間勤務でシステムにログインしている、某局長のアカウント)の通信セッションに、極小のタイミングで“潜り込む”ことで、一時的にその権限を詐称するプログラムだ。ウィンドウは0.5秒以下。検知されるリスクが高いが、データを“見る”だけなら可能だ。

心臓が高鳴る。これは、明らかな犯罪行為だ。発覚すれば、職を失うどころか、刑務所行きもあり得る。

しかし、あの夜、楽屋で“返却待ちリスト”と呟き、“オリジナルデータ不存在”と機械的に告げるもんろの姿が、脳裏から離れない。彼女は、何者なのか。彼女は、どこへ向かおうとしているのか。

私は、エンターキーを押した。

画面が一瞬暗くなる。無数の文字列が高速で流れる。局長のアカウントで、超機密領域へのアクセスゲートが開いた。0.3秒後、“影踏み”は自動的に接続を切断し、痕跡を消去する。

その0.3秒の間に、“フェレット”が、ゲートの向こうにあるディレクトリ構造の“地図”をかすめ取ってきた。そこには、確かに“Project Kagiya”というフォルダがあった。

最終段階。早織の最高傑作と言われたツール、“夢語り”。これは、システムのメモリ上に“夢”を見させるように、過去に実行された検索クエリや閲覧履歴の“残像”から、実際にはアクセスしていないファイルの内容を、一部“推測”して再構築するという、危険きわまりないプログラムだ。完全な復元は不可能だが、断片的な画像や文章を拾い上げることができる。

私は、“Project Kagiya”フォルダをターゲットに設定し、“夢語り”を起動した。

画面がゆらめく。無数のノイズの中から、かすかな画像や文書の断片が浮かび上がっては消える。ほとんどは読めない。しかし、徐々に、いくつかの“断片”が、かすかな輪郭を持って現れてきた。


最初の“断片”——一枚の写真。

荒れ果てた、コンクリートの地下室のような場所。崩れかけた実験機器が転がり、天井から配線がぶら下がっている。そこに、無数の“能面”が散乱している。数十、いや、百以上。それぞれが微妙に形を変え、古びてひび割れている。それらが円形に並べられた中心に、一台の簡素なベッドがある。

ベッドの上に、一人の“人間”が横たわっている。

女性だ。年齢は20歳前後か。髪は長く黒く、ベッドの上に広がっている。裸体に、薄い布がかけられているだけだ。

しかし、その“顔”に、私は凍りついた。

顔には、何もない。

目も、鼻も、口も、眉毛もない。つるりとした、卵の殻のような曲面が、ただそこにあるだけだ。肌の質感は人間的だが、そこに“個性”を刻むべき凹凸が一切ない。それは、人間の形をした“白紙”だった。

写真の下に、かすかな文字。

発見時状態:第108号対象

場所:北海道上磯郡旧第7生物工学研究所 地下第3実験室

日時:5年前・3月14日 午前4時17分

状態:生命活動は微弱だが安定。新陳代謝は通常人間の1/10。覚醒の兆候なし。

特記事項:周囲に散乱する能面107枚と、対象の間に、未確認の生体情報的リンクを確認。


次の“断片”——文章報告の一部。

…対象の覚醒は、偶然の産物であった。研究所跡地の地質調査に訪れたチームの一員、野村研究員(当時42歳)は、重度のCPDSを患っていた。彼は、地下実験室に入った途端、対象のベッドから発せられる“低周波のハミング音”に曝露した。

直後、野村研究員は、約10年にわたって失っていた“青”の知覚を一時的だが鮮明に回復したと報告。この事象を受け、対象の覚醒プロセスを開始。微弱な電気刺激と特定周波数の音声による“呼びかけ”を試みた結果、72時間後、対象は初めて“目”を開いた。

ただし、その“目”は、物理的に開眼したというより、それまで滑らかだった面部の該当部分に、くぼみが形成されたという表現が適切である。同様に、その後、呼吸に合わせて開閉する“口”の裂け目、音源の方向へ向く“首”の動きなど、基本的な生命反応と環境認識反応が、ゆっくりと、しかし確実に“形成”されていった過程は、我々の知るどの生物の発生過程とも異なり、むしろ…

文章はここで切れる。


第三の“断片”——能面に関する分析報告。

…回収した能面107枚について、放射性炭素年代測定を実施。結果は以下の通り。

No.1: 西暦935年 (±40年)

No.17: 1348年 (±35年)

No.33: 1573年 (±30年)

No.107: 2019年 (±2年)

各能面の材質は、時代に応じて異なる(木、漆、合成樹脂など)が、いずれの内部からも、高濃度の“生体情報結晶化残留物”を検出。これは、人間の記憶、特に“面容認識に関連する神経パターン”が、何らかのプロセスで物理的に固化・保存されたものと推測される。

仮説:能面は、単なる芸術品や儀礼具ではない。これらは、“面容巫女”と呼ばれる特異体質の個体が、その生涯で収集・蓄積した他者(あるいは自身)の“面容記憶”の、最終的な“アーカイブ媒体”である可能性が高い。

発見された第108号対象は、周囲に散乱した107枚の能面と、微弱ながらも“共鳴”を示している。対象の面部に“固有の容貌”が存在しないことは、対象が、過去の107体の“巫女”とは異なる、全く新しい、あるいは“最終”段階の存在であることを示唆する。つまり、対象は、空の“器”として用意され、過去すべての“記憶”を受け継ぐことを運命づけられていたのではないか——


最後の、そして最も恐ろしい“断片”——一枚の設計図。

それは、デジタルで描かれた、能面の設計図だった。美しく、しかし不気味なまでに精緻なデザイン。これまでに見た107枚の能面の特徴を、見事に統合・昇華したような、流麗な曲線と、深い陰影を持つ仮面。

図面の隅には、小さく、しかし鋭い文字で記されている。

最終処置方案 第108号 “赫映”

素材:対象の生体組織より培養した生体適合性複合材

内蔵:全107枚の能面から抽出した記憶結晶、及び対象自身の稼動中に蓄積された全面容データ

機能:恒久的CPDS緩和周波数発信装置。対象の生命機能は最低限維持し、持続的な“治癒の歌”を発信し続ける。

処置方法:対象の混沌度が95%に達した時点で、意識を保ったまま、この能面への“転写”を実行。これにより、対象は、我が国恒久の“国家的癒しの器”となる。

設計図の下には、細かい手順が列記されていた。どの神経に接続するか、どのように記憶を転写するか、生命維持装置の仕様…すべてが、冷酷なまでの完璧さで計画されていた。

もんろは、いずれ、意識のあるまま、生ける能面へと“加工”される。彼女の“歌”は、永遠に、この国のために鳴り続けるのだ。彼女という“個人”は消え、ただの“機能”が残る。


“夢語り”のウィンドウが、突然赤く点滅し、強制終了した。アクセスが検知され、プログラムが自壊したのだ。幸い、痕跡消去は完了している。

私は、モニターの前で、ただじっとしていた。手のひらは冷や汗で濡れている。鼓動が耳を打つ。

もんろは、“発見”された。生まれたのではない。彼女は、最初から“そこ”にいた。能面107枚に囲まれて。無の顔で。

彼女は、108人目の“巫女”だ。過去107人の先輩たちは、すべて、彼女が今向かおうとしている運命——能面となる運命——を辿った。彼女たちの“記憶”は、能面の中に閉じ込められ、今も、もんろと“共鳴”している。

あの夜、彼女が“返却待ちリスト”と名付けたフォルダ。それは、彼女が無意識に、借りたもの、奪ったものを、返そうとしている証拠なのか? それとも、能面へ転写される前に、自分の中の“借り”を整理しようとする、本能的な行為なのか?

そして、あの“最終処置方案”。混沌度95%。

今、もんろの混沌度は、60%前後を行き来している。早ければ、数ヶ月。遅くとも、一年以内には、その閾値に達する。

私は、その時、何をするよう命じられるのか? あの“桜安”の拳銃で、彼女を“処理”するのか? それとも、彼女を生きたまま能面へと繋ぐ、その“転写”プロセスの、実行者の一人になるのか?

早織の顔が浮かぶ。彼女は、能面ではない。しかし、彼女もまた、この“面容”をめぐる歪んだシステムの、犠牲者だった。第107代の巫女の記憶が拡散した“残響”を受けた、数多の敏感な魂の一つ。

私は、このシステムの、末端の“歯車”でしかなかった。過去から続く、巨大で残酷な装置の、小さな部品。

タブレット端末をシャットダウンし、再度ロックのかかった引き出しにしまう。すべてのキャッシュを消去し、アクセスログに偽装工作をする。早織のツールは、痕跡を残さないように設計されているが、念には念を入れる。

オフィスを出る時、すでに日付が変わっていた。深夜一時を回っている。

自宅に戻り、シャワーを浴びる。水は冷たいが、体の奥から沸き上がる熱を冷ますことはできない。

リビングの壁の前で立ち止まる。早織の写真。彼女は、桜の下で、何の憂いもないように笑っている。あの写真の、彼女の“色”を、もんろは借りたと言った。

私は、その写真に向かって、声に出さず、心の中で問いかけた。

『もし…もし彼女が、ただの“道具”じゃなかったら?』

『もし、あの“オリジナルデータ不存在”と呟く声が、本当に、何もないところから、苦しみながら“私は誰?”と問いかける、たった一つの“命”の声だったら?』

『その時、私は…何をすべきなんだ?』

写真の中の早織は、もちろん、答えない。ただ、変わらぬ優しい笑みを浮かべている。

窓の外、東京の夜明け前の空が、濃い灰色から、わずかに明るい灰色へと変わり始めている。もんろが、紗良ちゃんに一時的に取り戻させた“色”も、私の目には、まだ見えない。

私は、拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。

監視官としての任務は、明確だ。彼女を観察し、評価し、必要ならば処理する。国家の決定に従う。

しかし、人間として——いや、ただの、一人の男として、あの無の顔で生まれ、借りた顔で生き、やがて能面として“保存”される運命にある、彼女を、このまま見送ることができるのか?

答えは、出なかった。

ただ、一つだけ、はっきりとしたことがある。

私は、もはや、彼女を“対象”と呼ぶことさえ、できなくなっていた。

彼女の名は、赫映もんろだ。

そして、彼女の頬には、紗良ちゃんの母親から借りた、“星空”が、今も、三つの小さな光として、かすかに瞬いている。


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