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色あせた世界に咲く花:顔、貸します ~記憶を返す少女の歌~赫映 ~無貌の神がくれた色彩~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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無面の微笑み

全てが終わった。

もんろの顔は完全な空白。内側から柔らかな光を放つ、滑らかな卵形の曲面。目も鼻も口もない。しかし、その無の顔は、恐怖でも不気味でもない。深い静寂と、全てを受け入れ、全てを赦した優しさに満ちていた。

彼女の体は、99.99%透明。朝日が東の空から昇り始め、その最初の金色の光が、彼女のほとんど存在しない体を通り抜け、ステージの床に長い影(影さえほとんどない)を落としている。彼女は、かろうじて形を保つ輪郭で、ゆっくりと、カメラの方向──全世界に向けられたレンズの方向へと、体を向ける。

その「向ける」動作に、目はない。が、世界中の三十億人が、一瞬で理解した。彼女が、見ているのだ、と。私たち一人一人を、心の目で、優しく見つめているのだ、と。

声が出る。もう、声帯という物理的器官は、ほとんど残っていない。情感の波動が、空気を直接震わせるような、かすかな、しかし深く響く囁き。

「借りていた……もの……」

一語一語に、深い安堵が込められている。

「全部……返しました」

沈黙。その言葉の重みが、世界に浸透していく。

「ごめん……なさいね……」

声が、わずかに震える。謝罪の言葉。千年もの間、無断で、いや、むしろ人々の無意識の願いによって、顔と記憶を借り続けたことへの。

「長い……間……」

そして、その謝罪を、感謝へと変える、かすかな微笑みを含んだ声。

「でも……ありがとう」

観客席の十万人が、息をのむ。場外の百万人が、涙をこらえる。

「『顔』を……貸して……くれて」

彼女は、そっと自分の胸、心臓があったはずの場所に、かすかな手の形を重ねる。

「誰の記憶でも……ない……『私』という……存在を……」

その言葉を紡ぐのが、とても辛そうだ。彼女自身の、確かな「私」は、あまりに小さく、儚い。が、確かに、今、そこにある。

「感じさせて……くれて……」

長い、深い間。

そして、彼女の空白の顔の中心、口元あたりに、かすかな、しかし確かな輪郭が浮かび上がる。

微笑みだ。

これは、彼女がこれまで「借りて」きたどんな笑顔とも違う。母の深い慈愛の笑みでも、恋人の切ない微笑みでも、子どもの無邪気な笑顔でもない。赫映もんろだけの、全てを成し遂げ、全てを受け入れ、静かに喜びを噛みしめる、深く穏やかで、どこか無邪気さを残した微笑み。彼女が告白の夜、一瞬見せたあの笑顔の、完成形。いや、彼女の、存在そのものの形と言えるかもしれない。

その微笑みの輪郭は、金色の光で縁取られ、彼女の空白の顔に、優しく刻まれる。


管制室。 私の個人用モニター(非公開の監視官用チャンネル)に、もんろの顔のクローズアップが映る。そして、彼女の声が、このチャンネルだけに、かすかな、しかし私だけにははっきりと聞こえるささやきとして流れ込む。

「尚さん……」

私の背筋が伸びる。彼女は、今、私だけに語りかけている。

声は、夢のようにかすかだ。が、一つ一つの言葉が、私の胸に、まっすぐに届く。

「苺の……味……覚えて……います……」

彼女の声に、ほのかな幸福感がにじむ。

「甘くて……少し……酸っぱくて……」

その言葉と同時、私の舌の上に、あの夜のイチゴの甘酸っぱさが、鮮明によみがえる。彼女と分け合った、あの一粒の味。

「あなたの……手の……温かさ……も……」

彼女の声が、かすかに震える。感謝と、名残惜しさが入り混じっている。

そして、最後に。彼女が、私との関係を、最初から最後まで規定した、あの呼び方で。

「監視官……さん……」

私は、目を閉じる。こらえていたものが、溢れそうになる。

「最後まで……見て……いてくれて……」

彼女の声が、涙声になる。

「ありがとう……」

その感謝の言葉に、私は、うつむき、拳を握りしめた。何もしてやれなかった。ただ、見ていることしかできなかった。それなのに、彼女は感謝する。


ステージ上でもんろは、再び全世界へと向き直る。

彼女は、かすかに残る腕の輪郭を、ゆっくりと、大きく横に広げる。まるで、この東京の街全体、日本全体、そして、スクリーンの向こうに広がる全世界を、優しく抱きしめようとするかのように。

その姿勢は、あまりに儚く、しかし驚くほど力強い。

「さようなら……」

彼女の声は、再び全世界へと向けられる。静かで、澄んでいる。

「たくさんの……私……」

左頬の母たち、右頬の恋人たち、額の子どもたち、そして、より深い闇の中にいた、すべての「借り」だった人々。彼女は、その全てに別れを告げる。

一呼吸。朝日が、ついに完全に地平線から姿を現し、スカイツリーの頂上を金色に染め始める。その光が、もんろの透明な体を通り抜け、彼女を光そのもののように輝かせる。

「そして……はじめまして……」

彼女の声に、ほんのりとした、新鮮な驚きと喜びが込められる。まるで、生まれて初めて世界を見る赤ん坊のように。

「たった……一つの……世界……」

彼女が、千年かけて背負ってきた重荷から解放され、初めて、「ありのまま」の世界を見つめている瞬間。色あふれる、美しくも残酷な、愛おしい世界。

彼女は、広げた腕を少しずつ閉じ、自分の胸の前で組み、祈るような姿勢をとる。そして、全世界に向かって、静かな、しかし切実な願いを紡ぐ。

「どうか……これからも……」

声は、かすれ、消え入りそうになる。

「お互いの……顔を……忘れないで……」


消滅が始まった。

彼女の体の輪郭の端から、ゆっくりと、金色の光の粒が、剥がれ落ちるように浮かび上がる。足から。ふくらはぎから。まるで、砂時計の砂が、逆さまになって、上へと昇っていくように。

その粒は、一つ一つが微かに輝き、ゆらゆらと舞い上がり、朝焼けの空へと吸い込まれていく。逆流する星の雨のようだ。

もんろは、その過程を、深い安らぎの表情(微笑みの輪郭がそれを示している)で受け入れている。彼女は、そっと自分の右手(もうほとんど形がない)を上げ、その手のひらを、自分のかすかに残る空白の顔、特に、微笑みの輪郭が刻まれた場所に、そっと当てる。

そして──。

その手を、そっと前方へ、全世界へと、差し出す。まるで、自分の中にある最後のもの──あの微笑みそのものを、誰かに、いや、全ての人に、手渡そうとするかのように。

その瞬間、彼女の顔に刻まれた金色の微笑みの輪郭が、ぱっと強く輝き、彼女の手から離れ、一枚の光の印章のように浮かび上がる。それは、ほんの一瞬、朝焼けの空に、くっきりと、優しい笑みの形を映し出した。

そして、その光の印章が、ゆらめき、かすかな粒子へと拡散し、消えていく。

もんろの体は、ほとんどすべてが光の粒へと変わった。最後に残ったのは、胸の中心、心臓のあった場所の、ほんのわずかな光のかたまりだけだ。

そのかたまりが、最後の輝きを放ち、そして、ふわりと浮かび上がる。

その最後の一粒が、完全に消え去る直前、空気中に、かすかな、しかし確かな情感の波動が広がった。言葉ではない。メロディでもない。ただ、一つのはっきりとした思いが、直接、世界中の全ての人の心に、そっと触れた。

『愛している』

誰に対してもなく、存在そのものに対しての、深く、静かな愛の宣言。

そして、静寂。


舞台には、何もなくなった。

真っ白な円形のステージ。中央に、一本のマイクスタンドが、ぽつんと立っているだけだ。朝日が、そのステージをまぶしく照らす。金色の光の中、微かな埃だけが舞っている。

巨大スクリーンには、その何もないステージの映像が、ずっと映し出され続ける。

十秒。

二十秒。

一分。

世界中のテレビの前、スマートフォンの前、広場の巨大スクリーンの前で、誰も動かない。誰も話さない。ただ、深い、計り知れない情感の海に、ゆっくりと沈んでいく。

東京・スカイツリーの観客席で、一人の老婆が、そっと立ち上がる。彼女は、顔を上げ、涙に曇った目で、空っぽのステージを見つめる。そして、そっと、手を叩いた。

パン。

その一つだけの、かすかな拍手が、完璧な静寂の中で、驚くほどはっきりと響く。

それを合図に、隣の女性が拍手を始める。その隣の男性が。子どもが。老人が。

パンパンパン……パンパンパンパン……

拍手は、燎原の火のように、観客席全体に広がる。立ち上がる人。泣きながら拍手する人。叫びながら拍手する人。ただ、無言で、力いっぱい手を叩き続ける人。

拍手は、場外の百万人へ。東京の街へ。日本中へ。世界中へ。

テレビの前で、家族と抱き合いながら拍手する人。病院のベッドで、涙をぬぐいながらそっと手を合わせる人。戦場の塹壕で、銃を置き、空を見上げて静かに手を打つ兵士。

拍手、歓声、泣き声、叫び──全てが、一つの大きな賛美と感謝の合唱となって、世界を満たした。

もんろは消えた。しかし、彼女が返したもの──色、記憶、そして、自分自身である勇気──は、確かにこの世界に残された。

スカイツリーの頂上に、朝日がまぶしく降り注ぐ。その光の中、マイクスタンドの影が、長く、まっすぐに伸びている。まるで、そこに、たった今まで、誰かが立っていたことを、静かに示しているかのように。


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