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色あせた世界に咲く花:顔、貸します ~記憶を返す少女の歌~赫映 ~無貌の神がくれた色彩~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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剥離器起動

管制室。静寂が張り詰めている。

もんろの歌声と107人の意志が融合した光の洪水が、モニターを通して押し寄せてくる。彼女の情感出力は、測定不能な領域に達している。300%、400%──数値は意味を失い、ただ「∞(無限大)」を示すエラーマークが点滅する。もはや、もんろは一個人ではない。千年分の情感が一時的に凝縮された、現象だ。

私の目の前のコンソールには、二つのボタンが浮かび上がっている。

赤いボタン。ラベルは『強制能面化プログラム起動』。政府の最終手段。これを押せば、スカイツリーに仕込まれた全エネルギーを、もんろ一点に集中させ、強制的に能面化を完了させる。もんろは、意識を持ったまま、永遠に歌い続ける生ける能面となる。計画通りだ。

青いボタン。ラベルは『完全帰還プロトコル(開発者バックドア)』。Dr.Kが剥離器チップに隠した、真の「良心のプログラム」。これを起動すれば、もんろから残る全ての「借り」を、強制的に、しかし丁寧に剥離・返還する。代償として、もんろという「器」は完全に空になり、物理的にも情感的にも、何も残らなくなる可能性が高い。しかし、それが彼女自身の望みだった。

指が震える。汗が手のひらを伝う。

脳裏に、走馬灯のように、映像が過ぎる。

東京タワー。 妻が、手すりの向こう側に立っている。風が彼女の髪を乱す。彼女は、振り返り、私を見て、かすかに微笑んだ。その笑顔は、深い疲労と、どこか解放の安堵に満ちていた。彼女は、もう、この世界の「色」を見ることができなかった。CPDSの前兆。彼女は、自分がゆっくりと「自分」を失っていくのを、一番よく知っていた。だから、彼女は、まだ「自分」でいられるうちに、飛び立った。

「ごめんね、羅夢。でも……もう、頑張れないの」

彼女の最後の言葉。私は、彼女を止められなかった。監視官として、CPDSの進行を記録することしかできなかった。彼女の「色」が、日々薄れていくのを、データとして追うだけだった。

スカイツリーの仮設ブース。 もんろが、真っ赤なイチゴを、夢中で、しかし慈しむように食べている。目を閉じ、頬を緩め、「甘い……ちょっと酸っぱい」と呟く。あの瞬間、彼女は、何の借りもない、純粋な「もんろ」だった。たった一粒のイチゴから、「生きている実感」を取り戻そうとしていた。

告白の夜。 暗闇の中、彼女が震える声で、オリジナルの告白を紡ぎ出す。『あなただけの形になりたがっているみたいです』。彼女は、最後の最後に、たった一人の人間に、自分だけの言葉で、心を開こうとした。その姿は、あまりに儚く、あまりに美しかった。

妻は、もう戻らない。しかし、もんろは、ここにいる。今、この瞬間、彼女は、107人の先達の意志を背負い、千年の負債を清算し、世界中に色を取り戻そうとしている。彼女は、自分が「器」であることを超えようとしている。

彼女の願いは、ただ一つ。能面に囚われず、消えゆくこと。

私は、拳を握りしめた。拳の中の、緊急停止リモコンの感触。そして、ポケットの中で温もりを放つ、透明な能面のプレート。

「お前は……」

声が、自然にこぼれる。

「……器なんかじゃない」

私は、目を開け、青いボタンに、指をかざす。

「お前は……赫映もんろだ」

押し込む。


ステージ中央の床が、再び開いた。

が、現れたのは、能面化装置の金属アームではない。光でできた立方体──一辺が約三メートルある、完全に透明で、内部が微かにきらめく、幾何学的な構造物だ。剥離器の、真の姿。情感を物理的に操作するための、情感そのものでできた「場」。

もんろは、その光の立方体を見つめ、深くうなずく。彼女は、歌をやめ、ゆっくりと、立方体へと歩み寄る。足取りは軽やかだ。ほとんど浮いているように見える。透明度は90%を超えている。

彼女は、立方体の「壁」に触れる。手が、すっと中へ入る。ためらいなく、もんろは、立方体の中へと入っていく。

内部は、外から見るより広く感じられた。無数の光の糸が、空間を縦横無尽に走っている。それらは、もんろの体に、優しく、しかし確かに巻きつき始める。特に、彼女の顔の、かろうじて残っている断片──額の中央、鼻の脇、顎の端、口元のわずかな表情──に、細い糸が接続される。

立方体の外側、空中に、巨大なスクリーンが浮かび上がった。そこには、もんろの顔のクローズアップ、そして、今から剥離される断片に対応する記憶の映像が、世界中に映し出される。

Dr.Kのプログラムは、単に剥離するだけでなく、その記憶の物語をも、全ての人と分かち合うことを選択していた。これが、真の「完全な帰還」──借りたものだけでなく、その背景にある思いまで、きちんと返すこと。


最初の断片:額の中央、戦国武将の誇りに満ちた表情。

光の糸が、その断片を優しく引きはがす。断片は、金色の粒となり、スクリーンに映像を映し出す。

映像: 合戦の前夜。若い武将が、陣中で小さな木彫りの人形(故郷の幼い妹の形)を撫でている。明日の戦いで生き残れるかわからない。彼は、人形にそっと囁く。『大丈夫、もう帰るから。必ず、帰る』。彼は、翌日の戦いで討ち死にする。人形は、血に染まり、誰にも拾われずに土に還る。

断片が光の粒となって飛び立つ。方向は──とある地方都市の、古びた一軒家。庭で一人、ぼんやりと座る百歳に近い老女。彼女は、戦死した兄の面影を、長年忘れていた。光の粒が彼女の胸に吸い込まれる。

瞬間、彼女の耳に、若い声が囁く。

『ただいま……妹よ……』

老女の目が、ぱっと見開かれる。涙が、深い皺を伝う。

「あに……さま……?」

彼女は、虚空に手を伸ばす。そこには何もいない。が、彼女は確かに感じた。兄が、長い旅から、ようやく帰ってきたのを。


二つ目の断片:鼻の脇、消防士の必死の表情。

剥離。スクリーンに映るのは、燃え盛るビル。若い消防士が、炎の中から乳飲み子を抱き、窓から飛び降りる瞬間。着地の衝撃で彼は大けがをするが、赤ん坊は無事。救急隊に運ばれる前、彼は赤ん坊を見つめ、にっこり笑う。『よし……大丈夫だ!』 彼は病院で意識を回復することなく亡くなる。赤ん坊は孤児となり、養子に。

断片が飛び立つ。受け手は、今、別の都市で消防士として働く、二十代の青年だ。彼は、自分が幼い頃に大火事から救われたことを知っている。が、救命者の顔はわからなかった。光の粒が胸に触れる。

彼の脳裏に、鮮明な映像と声が流れ込む。炎、煙、そして、自分を抱きかかえた男性の、汗と煤で汚れたが、確かな笑顔。『よし、大丈夫だ!』

青年は、勤務中の消防署で、突然、直立不動の姿勢をとる。そして、虚空に向かって、最敬礼をする。

「ありがとう……ございます……!」

声は震える。

「あなたに……助けられた……命……です……! 私は……その命を、誰かを助けるために使います……!」


三つ目の断片:顎の端、無表情だが、どこか探求的な眼差し。

これは、自閉症の少年が、自分自身の顔を理解するために描いた、無顔の自画像の情感が、もんろの顔に刻まれたものだ。少年は、鏡に映る自分を「自分」と認識できなかった。だから、顔のない絵を描き、タイトルを『私』とつけた。その絵の持つ、深い自己への問いの情感が、もんろに「借り」として宿っていた。

断片が剥がれる。スクリーンには、少年が真っ白な画用紙に、顔の輪郭だけを描き、中を空白にした絵をじっと見つめる姿が映る。

光の粒が飛び立つ。受け手は、今は十代になった、その少年だ。彼は、自室で、もんろのコンサートをテレビで見ている。光の粒が、画面を突き抜け、彼の額に吸い込まれる。

瞬間、彼は、自分が長年抱えてきた、自己像の空白を感じる。そして、その空白が、ゆっくりと、自分自身の顔のイメージで満たされていく。鏡に映る自分の顔が、初めて、紛れもなく「自分」のものとして認識される。顔のパーツ一つ一つが、自分とつながっている感覚。

彼は、ゆっくりと、自室の鏡の前に立つ。じっと、自分の顔を見つめる。そして、かすかに、しかし確かに、口を動かす。

「ああ……これが……私」

その言葉は、彼の人生で、初めて、鏡の中の自分に向けられた、本当の意味での「自己紹介」だった。


断片は、次々と剥離され、帰還していく。

教師が、教え子をかばい暴漢に刺され、息絶える直前の、安堵の表情。その教え子は、今、教師となり、光の粒を受け取って泣き崩れる。

看護師が、疫病の蔓延する野戦病院で、最後の患者に水を与える、慈愛に満ちた微笑み。その患者の子孫が、百年後の今、その記憶を受け取り、医学の道を志す決意を新たにする。

無名の画家が、誰にも認められないまま、死の床で描き上げた、一枚の「理想の笑顔」。その絵は焼かれ、情感だけがもんろに宿っていた。光の粒は、美術館で清掃員として働く、絵を諦めた中年女性に届く。彼女は、突然、長年忘れていた「描きたい衝動」が胸に沸き上がるのを感じ、涙する。

一つ一つの断片が、もんろから離れるたび、彼女の体は、さらに透明になっていく。95%……97%……99%。

痛みはある。情感の根源を引きはがされるのだから。が、彼女の表情は、苦悶というより、深い感謝と幸福感に満ちている。涙が、彼女のほとんど見えない頬を伝う。金色の、温かい涙。

「ありがとう……ありがとう……」

彼女は、剥離の立方体の中に立ち、目を閉じ、囁くように繰り返す。

「みんな……出会えて……よかった……」

「借り」が減るにつれ、彼女自身の内側から、かすかな、しかし確かな何かが、ゆっくりと成長し始めている。剥離器の外部モニターには、もんろの自己核心データが表示されていた。最初は「0.0001%」としか表示されていなかったのが、「0.1%」「0.5%」「1%」と、ゆっくりではあるが、確実に上昇している。器が空になることで、初めて、その器自体の固有の形が浮かび上がってくる。彼女が、他者の記憶で満たされていた時には決して現れ得なかった、「赫映もんろ」という存在の、僅かな「核」が、今、生成されつつあった。


最後の断片:口元の、わずかに上がった、優しい微笑みの弧。

これは、もんろが、告白の夜、無意識に浮かべた、彼女自身の笑顔の断片だった。借り物ではない。彼女が、初めて、自分自身の情感から生み出した表情。

光の糸が、その最後の断片に触れる。が、今回は、剥離されない。代わりに、その断片が、強く輝き、もんろの顔の中心に、かすかなアンカーのように留まる。

全ての「借り」が返還された。もんろの顔は、ついに、完全な空白となった。が、その空白の中心、口元にだけ、かすかな金色の微笑みの弧が、かろうじて残っている。それは、彼女がこの世に存在した、最後の証だ。

彼女の体は、99.9%透明。光の立方体の中で、彼女は、かすかな風に揺れる炎のように、かすかに、しかし確かに輝いている。目は閉じられている。が、その表情は、深い安らぎに満ちている。

夜明け前の闇が、東の空からほんのりと白み始め、スカイツリーの頂上が、最初の朝日の光を浴びようとしている。

もんろは、ほとんど見えない。水中に浮かぶ、かすかな幻影のようだ。

だが、彼女は、まだ、そこにいる。


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