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色あせた世界に咲く花:顔、貸します ~記憶を返す少女の歌~赫映 ~無貌の神がくれた色彩~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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53/74

返還

透明度70%。

もんろの体は、スポットライトを通して、かすかに後ろのスクリーンが透けて見えるほどになっていた。白いドレスの輪郭もぼやけ、その中を流れる微かな光の脈絡が、かろうじて彼女の存在を形作っている。だが、彼女の歌声は、衰えるどころか、むしろ澄み切り、力強くなっていた。返還される記憶の重みが減るにつれ、彼女自身の、あるいは彼女に最後まで残された「核」のようなものが、表面化してきているのかもしれない。

彼女は、一曲終えるごとに、ほんの一瞬、目を閉じ、深く息をつく。そして、次の曲の説明を、静かな声でつぶやくように始める。

「…では、次は。海の歌です。ある漁師のおじいさんから、借りました」

口を開く。旋律は、荒々しくもどこか寂寥感に満ちた、日本海の追い込み唄だった。彼女の顔の万華鏡が、深い藍色と白い波しぶきの模様へと変わる。歌がクライマックスに達した時、彼女の左頬の一部——小魚の形をした淡い茶褐色のそばかす(老漁夫の妻のもの)が、ぽっと金色の光の粒になり、彼女の顔から浮かび上がる。粒は、ゆらゆらと舞い上がり、東京の夜空に浮かぶ107本の光の柱の一つ(おそらく日本海側の神社のもの)へと吸い込まれていく。

観客席の一角で、老人が立ち上がり、声を上げる。

「…おっかあ! おっかあの顔! ほくろ! あのほくろ!」

彼は、虚空に手を伸ばす。飛び去った光の粒は見えない。が、彼の網膜に、半世紀以上忘れていた母の、小魚の形をしたほくろが、鮮明によみがえった。

もんろは、微笑み、次の曲を告げる。

「…次は。色のワルツ。ある画家さんから、借りました」

今度は、優雅で、しかしどこか切ないピアノの旋律。彼女の顔に、無数の絵の具のにじみのような模様が広がる。歌の最後、彼女の右目の奥深くにあった、深いこげ茶色の瞳の輪郭が、やはり光の粒となって飛び立つ。別の光の柱へ。

遠く離れたアトリエで、老画家・風間梧朗が、テレビの前で絵筆を落とす。彼の目に、長年失っていた、最愛の妻の瞳の「色」と「形」が、突如として鮮烈によみがえる。彼は、キャンバスに向かい、狂ったように筆を走らせ始める。もう灰色ではない。こげ茶だ。

曲は続く。

「…お母さんの子守唄。小さな男の子から、借りました」

かすかで優しいメロディ。彼女の顔から、レモンイエローの小さな斑点が飛び立つ。

「…鎮魂歌。戦場の看護師さんから、借りました」

荘厳で悲しい合唱。彼女の頬の、藍色の武士の頬当ての影が飛び立つ。

「…さよならの詩。たくさんの恋人たちから、借りました」

切なく美しいラブソング。彼女の唇の端の、さまざまな笑いじわや泣きぼくろが、無数に飛び散る。

一首終えるごとに、もんろの透明度が上昇する。50%…60%…70%。彼女の体は、よりかすかに、より儚くなる。飛び立つ光の粒は、彼女の顔の「素材」を少しずつ削り取っていく。顔の万華鏡の色数が、確実に減っている。


東京の夜空は、無数の金色の光の粒が、雪のように、あるいは逆流する天の川のように舞い、107本の光の柱へと吸い込まれていく、幻想的な光景に包まれていた。

各地方の神社では、能面が強く輝き、もんろから飛来する光の粒を受け取り、さらに細かく砕き、それぞれの土地に、それぞれの「持ち主」の記憶へと、丁寧に分配していく。純心会の逆流陣法が、完璧に作動していた。

その効果は、圧倒的だった。

北海道の病院で、長年妻の顔を忘れていた老人が、突然、枕元の古い白黒写真に色がついているように感じ、涙した。

九州の小学校で、母親の作りるお弁当の「黄色」を忘れていた少年が、給食の玉子焼きを見て、「お母さんの玉子焼き、これだ!」と叫んだ。

パリの美術館で、モネの『睡蓮』の色彩が突然くすんで見え、絶望していた日本人画家が、ふと、絵の具のチューブからにじむコバルトブルーに、初恋の人の瞳の色を重ね、震えた。

CPDSの症状が、大規模に、しかし個人個人のペースで回復し始めた。世界の灰色が、ぽつり、ぽつりと色づいていく。SNSは、奇跡の報告であふれた。しかし、人々はまだ、その奇跡が、一人の少女の消失と引き換えであることに気づいていない。


管制室では、パニックが起こっていた。

碇大佐は、もんろの生体データと、全国から報告されるCPDS回復データを見比べ、顔色を失った。

「…これは…『癒やし』じゃない…」

彼の声は、震えている。興奮ではなく、恐怖だ。

「彼女は…全てを返している!吸収した症状を、そのまま持ち主に戻している!能面化…能面化したって、中身が空っぽじゃ意味がない!」

彼の計画は、中身(無数の記憶データ)ごともんろを永久保存することだった。だが、もんろが中身を全て「返却」してしまえば、残るのは空の器だけ。戦略的価値は激減する。

「強制能面化、開始! 今すぐだ!彼女が完全に空になる前に!」

「でも、大佐、情感出力はまだ高止まりしています!無理な能面化は…」

「構わん!装置をぶん回せ!彼女を、たとえ欠片でも、確保しろ!」

技術者たちが、恐怖に震えながらも、強制能面化シーケンスを起動する。ステージ下で、重い機械の唸りが轟く。


ステージ上でもんろの体が、突然、下方へと強く引っ張られるような動きを見せた。

足元の床がわずかに開き、下から金属のアームが現れ、彼女の足首を目指して伸びてくる。能面化装置の捕獲機構だ。

もんろの歌が一瞬乱れる。体勢を崩しそうになる。透明な体が、アームの放つ青白い光に照らされ、より一層幽霊のように見える。

彼女は、必死に踏ん張り、マイクスタンドにしがみつく。アームが彼女の足首に触れる。冷たい金属の感触。しかし、彼女の体はすでに物質としての実体を失いつつあり、アームは彼女の足を「すくい取る」ことができない。かすかな抵抗があるだけだ。

その瞬間──。

管制室で、私が緊急停止リモコンのボタンを押した。

『MOTOMURAI』

管制室のメインコンソールが一瞬赤く光り、警告音が鳴る。能面化装置のメインシーケンスが、急停止した。アームの動きがぴたりと止まる。

技術者たちが騒然とする。

「シーケンス、強制停止!」

「原因不明のシステム介入です!」

「バックアップシステム、起動します!」

碇大佐が、烈火のごとく怒り、私を睨みつける。

「お前…!」

が、その言葉も虚しく、バックアップシステムが起動する。止まったアームが、再び動き始める。今度はより力強く。綱引きだ。私の中止プログラムと、政府のバックアップシステムが、もんろの体を奪い合う。

もんろの体が、舞台の上で、微妙に上下に揺れる。引き摺られる。彼女は、必死にマイクにしがみつき、歌い続ける。声は、体の苦痛と引き裂かれる感覚で震え、かすれる。が、彼女は、口を大きく開け、より一層力強く歌う。

そして、その瞬間、彼女が、管制室の方向を、ちらりと見た。

モニター越しに、彼女の瞳が、私を捉える。透明な体、苦痛に歪みかけた顔。しかし、その口元が、ほんの少し、ゆるむ。

唇が動く。声は出ていない。

『大丈夫』

たったそれだけの、無声の言葉。

彼女は、ゆっくりと顔を上げ、再び観客席を見つめ、歌の最後のサビへと突入していく。

透明度:85%…87%…90%

彼女の体は、ほとんど見えない。スポットライトが、彼女の「いた」場所を無碍に通過する。ただ、歌声だけが、確かにそこに存在する。

そして、彼女が、深く息を吸い込み、口を開く。最後の歌の、前奏となる、一つのかすかな、澄んだ音を、紡ぎ出した──


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