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色あせた世界に咲く花:顔、貸します ~記憶を返す少女の歌~赫映 ~無貌の神がくれた色彩~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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コンサート当日、夜明け前。

旧国立競技場の裏方エリアは、異様な緊張感に包まれていた。技術者たちが最後の機材チェックを駆けずり回り、警備兵の無線が飛び交う。10万人の観客はまだ入場していないが、場外にはもう数万人が詰めかけ、熱気が立ち上っている。

もんろは、ステージ裏の特別化粧室にいた。鏡の前の椅子に座り、無表情で自分を見つめている。鏡に映るのは、金色の裂け目と無数の色の染みに覆われた、もはや人間のものとは思えない相貌。彼女は、その顔をじっと見つめていた。

ドアが開き、二人のプロのメイクアップアーティストが入ってきた。道具箱を抱え、もんろの顔を観察する。しかし、その表情は複雑だ。この顔に、どう化粧を施せばいいのか、見当もつかない。

「では、ヘアメイクから始めさせていただきますね」

一人の女性アーティストが、優しく声をかける。が、もんろはゆっくりと首を振った。

「…結構です」

声は、かすかだが確かだ。

アーティストたちは驚いて顔を見合わせる。

「でも、お客様が見るのはあなたのお顔です。少しでも…」

「今日は…」 もんろが言葉を切る。そして、鏡の中の自分を見つめながら、静かに言う。「…私の顔で、いたいんです」

その言葉に、アーティストたちは言葉を失った。彼女の顔は、確かに恐ろしいものかもしれない。が、そこには、紛れもない彼女自身の意志が刻まれている。無理に化粧で隠すことは、その意志への冒涜だ。

二人はうなずき、静かに退出した。

もんろは、一人きりになった化粧室で、鏡に向かって立ち上がる。そして、そっと自分の頬に触れる。裂け目の感触。光の温もり。

「…さよなら…」

彼女の声は、かすかなささやきだ。

「…たくさんの…私たち…」

漁師の妻、画家の妻、戦場の兵士、飢えた人々、凍える者、隠れ切支丹の青年、そして107人の先代巫女たち。彼女の中に宿る、無数の「私」。彼女は、一つ一つの記憶に、心の中で別れを告げていく。

そして、彼女は、机の上に置かれた小さな箱を開ける。中には、透明な能面が収められている。結衣が、純心会の秘密ルートで届けてくれたものだ。107人の意志が凝縮された、最後の贈り物。

もんろは、その透明な能面を、そっと取り出す。軽い。しかし、中に渦巻く銀河のきらめきは、重い意志を感じさせる。

彼女は、能面を顔に近づける。触れる瞬間──。

透明な能面が、溶けるように彼女の顔に吸い込まれていった。液体のようでも、光のようでもある。それは、彼女の肌の上に、かすかな透明な膜として広がり、金色の裂け目や色の染みを、優しく包み込む。膜は、彼女の顔の輪郭にぴたりとフィットし、内側のきらめきが、彼女の肌を通して微かに透けて見える。

もんろは、鏡を見る。自分の顔が、透明なベールに覆われている。裂け目は相変わらず深いが、その縁がかすかに金色に縁取られ、調和して見える。内側の銀河のきらめきが、彼女の目を通して、ほのかに輝いている。

彼女は、深く息を吸い込む。

「…これで…全部…返せる…」

その時、机の端に、小さなイチゴが一つ、置かれているのを見つけた。真っ赤で、つやつやしている。誰が置いたかは、わかる。あの夜、彼が持ってきてくれたのと同じものだ。

もんろは、そっとそれを手に取る。イチゴの赤い色が、彼女の透明な手のひらを通して、ほのかに透けて見える。まるで、小さな心臓が、彼女の手の中で鼓動しているようだ。

彼女は、それをしっかりと握りしめた。温もりを感じる。


管制室では、最終チェックが行われていた。

私は、「監視担当」として自分のコンソールに座りながら、こっそりと用意していた剥離器チップを取り出した。周囲の技術者たちは、自分たちのスクリーンに没頭している。碇大佐は、別室で最終ブリーフィング中だ。

チップをコンソールの裏蓋にある緊急アクセスポートに差し込む。画面が一瞬暗くなる。そして、バックドアプログラムが起動する。Dr.Kが残した管理者権限で、システムの深層部にアクセスできる。

私は、二つのプログラムをセットアップした。

第一:緊急停止プログラムの自動起動条件設定。

もんろの情感出力が100%を超え、かつ、能面化装置の起動信号が検知された瞬間、自動的に緊急停止コード『MOTOMURAI』を発動。能面化プロセスを強制中止する。

第二:政府の強制介入に対する自爆プログラム。

もし、碇大佐らが緊急停止を無効化し、強制的に能面化を実行しようとした場合、能面化装置と剥離器のコアシステムを過負荷させ、物理的に破壊するプログラム。ただし、これは最後の手段だ。周囲の人間にも危険が及ぶ。

設定を終え、私は、システムのログ領域に、短いメッセージを残した。私のIDで。

記録者:尚羅夢・元監視官

もし、私がこのプログラムの発動に失敗し、もんろ(赫映もんろ)が能面化されたなら──

どうか、彼女を、ただの「器」や「データベース」として扱わないでください。

彼女は、107人の先達の意志を継ぎ、無数の人々の記憶を背負い、それでも「自分」であろうとした、最後の巫女です。

彼女は、歌姫でした。

たとえ、もう歌えなくても。

メッセージを保存し、チップを抜き取る。全ての痕跡は、十分後に自動消去される設定だ。

私は、モニターに映るもんろの化粧室の映像を見つめた。彼女は、イチゴを握りしめ、目を閉じている。その横顔は、透明な膜に覆われ、神々しいほど美しく、哀しい。


一方、その頃、日本全国107の神社で、結衣と純心会革新派の面々が、最後の準備を進めていた。

結衣は、軽トラックを駆り、山奥の小さな神社から神社へと駆け巡っていた。それぞれの神社には、仲間が待機している。宗一郎の「邪魔はしない」という言葉は本当で、保守派の者は誰も現れない。

「第一神社、陣法起動準備完了!」

「第二十三神社、準備完了!」

「第六十七神社、完了!」

無線から、次々と報告が入る。結衣は、車を路肩に停め、眼前の古社に向かう。ここは、第52代・雪の巫女を祀る神社だ。能面は、政府に引き渡された複製品ではなく、結衣たちがこっそり持ち出した本物が安置されている。

結衣は、社殿にひざまずき、宗一郎から渡された桜の巻物を広げる。古い術式を読み解き、能面の前で複雑な印を結び、祈りの言葉を唱える。

能面が、かすかに輝き始める。青白い、雪の結晶のような光だ。その光が、社殿の天井を貫き、細い光の柱となって、灰色の朝もやの中、天へと昇っていく。

同じ瞬間、全国の神社で、107本の光の柱が立ち上った。色とりどりだ。桜色、紅葉色、藍、白、紫…。それらは、夜明け前の暗い空に、巨大な光の鳥居のように浮かび上がる。

地上では、人々が空を見上げ、驚きの声を上げる。

「なんだあれ? コンサートの演出?」

「きれい…」

「でも、なんだか…胸が苦しい…」

特に、CPDSの患者たちは、その光を見て、胸の奥でかすかな疼きを覚える。忘れていた何かが、呼び覚まされようとしているような、甘く切ない痛み。


管制室で、碇大佐がモニターに映る光の柱の映像を見て、顔をこわばらせた。

「あの光は…なんだ? 計画にはない!」

技術者が慌ててデータをチェックする。

「全国107か所から、同時に情感共鳴波を検知! ソースは…各地方の神社です! 純心会の仕業かもしれません!」

碇大佐の目が鋭くなる。彼は、もんろと結衣、そして私の動きを、一瞬で結びつけた。

「…裏切られたか。だが、遅い!」

彼は、管制室の全員に向かって命令を下す。

「計画変更! もんろの生命維持装置を最優先に確保せよ! ステージ下の能面化装置、即時、起動準備に入れ! 万一、彼女の情感出力が制御不能になったら、強制能面化を実行する! たとえ、半分でも、欠片でも、彼女を『器』として確保しなければならない!」

「了解!」

管制室が騒然とする。技術者たちが、能面化装置の起動シーケンスを開始する。低い唸りが、ステージ下から響いてくる。107の宝石が埋め込まれた能面が、昇降装置にセットされ、ゆっくりと回転し始める。

モニターでもんろの情感出力が、96% に達している。まだ上がり続ける。

碇大佐は、私の方を見る。その目は、冷徹で、全てを見透かしているようだ。

「尚、お前は、ここを動くな。彼女の監視を続けろ。少しでも異常があれば、報告しろ」

私は、うなずくしかなかった。手の中の緊急停止リモコン(チップを組み込んだ簡易型)を、しっかりと握りしめる。


化粧室のドアを、ノックする音がした。

「もんろさん、時間です。ステージへどうぞ」

もんろは、目を開ける。鏡の中の自分を見つめる。透明な膜に覆われた、金色に輝く裂け目の顔。彼女は、深く、深く息を吸い込む。

そして、握りしめていたイチゴを、そっと机の上に置く。真っ赤な実が、静かに転がる。

彼女は立ち上がり、ドアに向かう。一歩。また一歩。足取りは軽い。体が、もうほとんど重さを感じない。

ドアを開ける。通路の向こうに、ステージへの階段が見える。スポットライトの光が、階段の上から漏れている。

彼女は、振り返り、化粧室を見る。机の上のイチゴ。鏡の中の、かつての自分。

そして、つぶやく。

「行ってきます…私」

ステージへと、一歩を踏み出す。

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