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色あせた世界に咲く花:顔、貸します ~記憶を返す少女の歌~赫映 ~無貌の神がくれた色彩~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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裏切り者の選択

純心会本部の地下牢。石壁が冷たく湿り、ろうそく一本だけがゆらゆらと不気味な影を揺らす。

結衣は、壁に鎖でつながれ、石の床に座っていた。叔父・冬月宗一郎による尋問は、身体的暴力ではなく、執拗な言葉の拷問だった。純心会の秘密、もんろの計画、そして彼女自身の信念を、延々と問い詰められる。

「お前たちのやろうとしていることは、無謀だ」

宗一郎の声は、牢獄の暗がりから響く。彼は、結衣の前の粗末な木の椅子に腰かけ、ろうそくの灯りに照らされた顔は、深い皺と苦渋に刻まれている。

「大返還? すべての記憶を一気に解放する? 馬鹿な」

彼は拳を握りしめる。手の甲には、古い火傷の痕が走っている。

「私は…昔、同じようなことをしようとした」

結衣の目がかすかに動く。聞いたことのない話だ。

「三十年前だ。私もお前くらいの年頃だった。純心会の若手の筆頭として、熱に浮かされていた。能面に閉じ込められた記憶たちを『解放』し、現代に蘇らせれば、人々は過去から学び、CPDSのような病も克服できると本気で信じていた」

宗一郎の目が、遠い過去を見つめる。

「ターゲットにしたのは、戦国時代の飢饉を記録した第40代巫女・穂波ほなみの能面だ。私は、仲間と共に、神社から能面を『解放』する儀式を強行した。結界を破り、能面に直接、情感の逆流を促す古い術式をぶつけた」

彼の声が震える。

「…能面は、割れた。中から、無数の悲鳴と飢えの記憶が、堰を切ったように溢れ出た。それは、物理的な音ではない。直接、心に、魂に響く、絶望の叫びだった」

宗一郎は、うつむく。肩が小刻みに震える。

「その記憶の奔流は、神社のあった村全体を飲み込んだ。村人三百人。そのほとんどが、一夜にして重度のCPDSを発症した。自分が誰かわからなくなり、家族の顔を忘れ、狂乱する者さえいた。中には…自ら命を絶つ者も」

結衣は息をのんだ。そんな事故が、純心会の歴史上にあったとは。当然、公式記録には残されていない。

「私は…自分の過ちを理解した」 宗一郎の声は、枯れている。「能面は、単なる『封印』じゃない。危険な情感を保護するための、緩衝材なんだ。人間の心は、千年分の苦しみや悲しみを、一気に受け止められるほど強くない。それを無理矢理解放することは、毒を川に流すようなものだ。川は汚染され、下流の生き物は死ぬ」

彼は、結衣をじっと見つめる。

「お前たちの計画も同じだ。もんろが中に閉じ込めた無数の記憶を、一気に『返還』する? 百万人が、それぞれ他人の、しかも千年分の苦しみの断片を、突如として受け取ることになる。彼らは耐えられるのか? 百合の事故は、一人の巫女の暴走が、周囲数十人に影響を与えただけだった。今回は、その数万倍、いや数百万倍の規模だ」

宗一郎の目に、本物の恐怖が浮かんでいる。

「もし失敗すれば、もんろが崩壊するだけじゃ済まない。受け取った人々の心も、押しつぶされるかもしれない。社会全体が、情感の大津波に飲み込まれる。それこそが、千年前の巫女たちが、能面という『緩衝材』を作った理由なんじゃないのか?」


結衣は、叔父の言葉を真剣に聞いていた。

彼の恐怖は、本物だ。過去の失敗が、彼を臆病に、保守的にした。それは理解できる。が、結衣は首を振る。

「でも、叔父さん…今の状況は、違います」

彼女の声は、鎖でつながれていても、確かだ。

「千年前の巫女たちは、災害で物理的に消えゆく命を守るために、能面を作りました。でも、現代の問題は、物理的な死じゃない。人々が、内側から、ゆっくりと、『自分』を忘れていくことです」

結衣は、ろうそくの炎を見つめる。

「能面が『緩衝材』なら、それは千年もの間、情感を溜め込み、社会から隔離し続けてきました。その結果、社会には情感の循環がなくなり、人々は『色』を失い始めた。能面が保護しすぎたことで、人々は情感を受け取り、処理する『筋肉』を衰えさせてしまったのかもしれません」

彼女は、叔父をまっすぐ見る。

「でも、もんろ様は違います。彼女は、ただ溜め込むだけでなく、返すことを選びました。優しく、丁寧に。107人の先輩たちの意志を継いで。それは、危険かもしれない。でも…」

結衣の目に、涙が光る。

「…人々は、もう、受け取る勇気を持たなければならないんです! 過去の悲しみも、苦しみも、そして…それらを乗り越えて生きた、私たちの先祖の思い出も、全部!」

彼女の声が強くなる。

「千年も閉じ込めておくことが、優しさじゃない! それは、ただの無責任です! 私たちは、過去と向き合い、受け入れ、未来へ進まなければならない。そのために、もんろ様は、自分を犠牲にしても、全てを返そうとしている!」

宗一郎は、結衣の激しい言葉に、目を見開いた。かつての自分と、あまりに重なる。熱い信念。危険を顧みない情熱。

「お前は…私の若い頃に、そっくりだ」

彼の声には、自嘲が混じる。

「同じ過ちを、繰り返そうとしている」

「違います!」 結衣が叫ぶ。「叔父さんが失敗したのは、能面を『壊した』からです! でも、もんろ様は、能面になる前の、生きた巫女です。彼女自身が、情感の流れをコントロールしようとしている。107人の先輩たちの意志が、彼女を支えています。そして、全国の神社の能面ネットワークを、『分配』の経路として使う。一気に放出するのではなく、丁寧に、それぞれの持ち主へと導く。それは、壊すこととは根本的に違います!」

その言葉に、宗一郎は沈黙する。結衣の計画は、確かに彼が昔やったような乱暴な「破壊」とは違う。もっと洗練され、システマチックだ。が、それでもリスクは計り知れない。

彼の脳裏に、もんろの顔が浮かぶ。数日前、スカイツリーの施設で見た、あの金色の裂け目に覆われた顔。苦しみに満ちているはずなのに、どこか深く静かで、潔い表情。そして、彼女が囁いた言葉。

『図書館の…一番奥の、書架ですね』

あの少女は、自分の運命を、淡々と、しかし確かに受け入れている。博物館の飾りになることさえ。それでも、彼女の目には、かすかな希望のようなものが灯っていた。結衣たちの計画を知ってか知らずか。

そして、もう一つの記憶。純心会の秘蔵する、107枚の能面の前で、彼が時折感じる、かすかなざわめき。能面たちの情感が、完全に眠っているわけではない、という感覚。彼女たちも、いつか「解放」される日を、待ちわびているのかもしれない。

長い、長い沈黙が流れる。ろうそくの炎が、ぱちりとはぜる。

宗一郎は、ゆっくりと立ち上がる。彼は、結衣の鎖の鍵を取り出し、差し込む。

カチリ。鎖が外れる。

結衣は、驚いて叔父を見上げる。

宗一郎は、うつむいたまま、低く言う。

「…わかった」

彼は、結衣の目をまっすぐ見る。その目には、決意と、深い哀しみが入り混じっている。

「だが、私は…手は貸せない。もう二度と、あの時のような過ちの、きっかけにはなりたくない」

彼は、懐から、古びた巻物を取り出し、結衣に渡す。

「これは、初代巫女・桜が、自らの手で記した『大返還術式』の原稿だ。政府が持つものは、欠落部分が多い複製だ。これには、情感の分配と制御に関する、核心的な記述が残っている」

結衣は、息をのんで巻物を受け取る。重い。千年の時を超えた、初代の意志の重み。

「私は…お前たちの、いや…」

宗一郎は、言葉を切り、深く息を吸う。

「…もんろの選択を、見届けるだけだ。それ以上は、できない」

彼は、背を向け、牢屋の扉に向かう。そして、振り返らずに言う。

「純心会は…もう、分裂した。私に従う保守派と、お前に従う革新派に。だが、少なくとも…邪魔はしない。お前たちがやろうとしていることの、邪魔だけは」

そう言い残すと、彼は扉の外へ消えた。

結衣は、手にした古い巻物を、しっかりと抱きしめた。羊皮紙のような感触。そして、その中に封じられた、初代・桜の、未来へのメッセージを感じる。

彼女は、こらえていた涙を、ぽろりとこぼした。

「…ありがとう、叔父さん」

声は、震えている。

「そして…ごめんなさい。私たち…きっと、成功してみせます」

彼女は立ち上がり、巻物を胸にしまい込む。体は傷だらけで、鎖の跡が痛む。が、心は軽い。最後の障害が、消えたわけではないが、せめて、邪魔されずに戦える。

彼女は、牢屋の扉を開け、薄暗い廊下へと歩み出した。外では、夜明け前の空が、ほんのりと白み始めている。

コンサート開始まで、あと数時間。全ての準備を、最終確認する時間だ。

もんろ様、107人の先輩たち。どうか、私たちに力を。最後の戦いが、始まる。

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