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色あせた世界に咲く花:顔、貸します ~記憶を返す少女の歌~赫映 ~無貌の神がくれた色彩~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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告白の夜

深夜、コンサート前夜。

監視カメラのルートをかいくぐり、警備の隙を縫い、私はもんろの仮設ブースに忍び込んだ。ドアの鍵は、結衣から渡された特殊ツールで開けた。中は薄暗く、もんろはベッドの縁に座り、窓の外の闇を見つめていた。私の気配に、彼女はゆっくりと振り返る。顔の金色の裂け目が、微かな温もりのような光を放っている。

「…尚さん」

声はかすかだ。彼女は疲れ切っている。明日への重圧と、体の限界が、彼女を確実に蝕んでいる。

私はポケットから小さな容器を取り出した。中には、二粒のイチゴ。真っ赤で、つやつやしている。会場地下の研究用栽培室から、こっそり摘んできたものだ。

「約束だ」

もんろの目が、ぱっと見開かれた。その瞳に、子供のような純粋な驚きと喜びが浮かぶ。彼女は、そっと容器を受け取り、蓋を開ける。甘酸っぱい香りが、狭いブースに広がる。

窓辺に並んで座る。外は、東京の深夜。灰色の街に灯りが点々とともっている。もんろは一粒のイチゴをそっとつまみ、じっと見つめる。真っ赤な色。彼女には灰色にしか見えないはずなのに、その形、質感、香りから「赤」を想像しているようだ。

「…いただきます」

彼女は、小さくかじる。目を閉じ、味わう。そして、もう一口。一粒を、途切れ途切れに、時間をかけて食べ尽くす。まるで、その一瞬一瞬、甘さと酸味、食感、香りのすべてを、身体の隅々に刻み込もうとしているかのように。

食べ終えると、彼女は深く息を吐き、かすかに微笑んだ。

「…美味しいです」

「ああ」

「…明日になったら…」 彼女の声が、ほんの少し震える。「…もう、食べられないかもしれないですね」

その言葉に、胸が締め付けられた。私はもう一粒のイチゴを差し出す。

「まだある。全部食べろ」

「でも、尚さんは?」

「俺はいい。お前が全部味わえ」

もんろは、少し迷ってから受け取り、今度は少し大胆に口に運ぶ。頬をふくらませ、夢中で食べる。その様子は、無邪気で、あまりに普通の少女のようだった。国宝級歌姫でも、最後の巫女でもない。

食べ終わると、彼女は容器を抱え、窓の外を見つめた。長い沈黙。

「…ありがとう、尚さん。二度も、イチゴを、食べさせてくれて」

その感謝の言葉が、なぜか胸に突き刺さる。彼女の人生で、本当の意味で「与えられた」もの、それがたった二粒のイチゴだとしたら。


その時、異変が起きた。

もんろの顔の金色の裂け目が、急に強く輝き始める。そして、それらの裂け目が、広がり、うねり始めた。まるで、熱で溶けた蝋のように、顔の輪郭がゆがみ、流動する。無数の色の染みも、混ざり合い、濁った色彩の渦を形成し始める。

「あ…」

もんろが、自分の頬に手を当てる。が、その手の感触に、彼女の表情が曇る。触れているはずの皮膚の感覚が、ぼんやりと、遠のいていく。

「…ごめんね…」 彼女の声は、苦しそうに詰まる。「…もう…限界、みたい…」

彼女は、必死に目を閉じ、深呼吸する。顔のゆがみを、意志の力で抑えようとしている。金色の光が強く脈打つ。が、逆効果だ。裂け目はさらに広がり、顔の輪郭そのものが、かすんでいく。

「もんろ!」

私は、思わず彼女の肩に手を伸ばす。が、彼女の顔に触れようとした瞬間──。

手が、すり抜けた。

物理的に。彼女の頬のあたりに手をかざすと、その輪郭がぼやけ、指先がわずかに霞のようなものを感じるだけだ。彼女の顔が、物理的な「肉と皮膚」から、情感と記憶の概念的な集合体へと変質し始めている。能面化の一歩手前。存在そのものが不安定になっている。

もんろは、私の驚いた顔を見て、かすかに、悲しげに微笑んだ。

「…触れないみたいですね」 彼女は、自分の半透明になりかけた手を見つめる。「…私、もう…しっかりした『形』じゃないのかも…」

その言葉の無力さに、私は拳を握りしめた。彼女が、文字通り消えかけている。明日の「大いなる帰還」を前に、器としての形を保つのが限界なのだ。


長い沈黙が流れた。

窓の外から、遠くのサイレンの音がかすかに聞こえるだけだ。もんろは、半透明の手をじっと見つめている。そして、突然、ふっと笑った。小さく、どこか自嘲的な笑い。

「…尚さん、私のデータベースにはね…」

彼女の声は、驚くほど穏やかだ。

「…37種類の、告白テンプレートが入っています」

私は、息をのんだ。

「AIが与えた、『最適な恋愛シナリオ』の一部です。状況、相手、感情の強さに合わせて、37通り。どれも、統計的に『効果的』で『感動的』な言葉が選ばれています」

彼女は、私を見つめる。その目は、深く、澄んでいる。

「でも…今、この気持ちに…どれも、合わないみたいです。どれも、どこか嘘くさくて…借り物みたいで…」

彼女の告白が、テンプレートだなんて。そんなことはどうでもよかった。彼女が今、「告白」という言葉を口にしたこと。それが全てだ。

私は、彼女の半透明の手に、自分の手を重ねた。物理的にはすり抜けるが、その「存在」を感じようとして。

「なら、テンプレートを使うな」

私の声は、かすれていた。

「お前自身の言葉で、言え」

もんろの目が、わずかに見開かれる。そして、深く、深く息を吸い込む。顔のゆがみが、一瞬、静まる。彼女が、残る全ての力を振り絞り、自分という「形」を、最後に保とうとしている。

長い、長い間。彼女は目を閉じ、考え込んでいる。胸の鼓動(かすかだが確かにある)が速い。

そして、彼女が、ゆっくりと目を開ける。その瞳は、107の色が混ざり合った深い宇宙のようで、その中心に、かすかな、しかし確かな彼女自身の光が灯っている。

「…はい。では…」

一呼吸。

「尚羅夢さん」

彼女は、私のフルネームを、丁寧に呼んだ。

「この顔には…107人分の、借りた欠片が、詰まっています」

彼女は、そっと自分の胸に手を当てる。

「そして…一つ、今、消えつつある…小さな『私』が、います」

声が震える。だが、彼女は続ける。

「でも…今、この瞬間…あなたを見つめている、この心は…」

彼女の目に、大粒の涙が浮かぶ。金色の光に照らされ、宝石のように輝く。

「…あなただけの…形に…なりたがっているみたいです」

その言葉と同時に、驚くべきことが起こった。

もんろの顔の、流動する裂け目と色の渦が、一瞬、収束した。無数の破片が、ある一つの「形」へと、自然に、調和して整っていく。それは、今まで彼女の顔に現れたどの「借り」の顔とも違う。漁師の妻の優しさでも、画家の妻の深い瞳でも、雪の巫女の哀しみでもない。

丸い輪郭。少し吊り上がった優しい目尻。ぽってりとした柔らかい唇。無邪気な笑窪えくぼの跡。

それは、どこか幼さの残る、しかし深い慈愛に満ちた、ごく普通の、しかし唯一無二の少女の顔だった。赫映もんろという存在が、もし最初から「自分」の顔を持っていたなら、そういう顔だったかもしれない、そんな相貌。

その顔は、ほんの三秒だけ、かすかに浮かび上がり、そして、ゆらめき、再び無数の金色の裂け目と色の染みへと崩れていった。が、その一瞬、彼女の目には、深い安堵と、かすかな誇りのようなものが輝いていた。

彼女は、涙ながらに、かすかに笑う。

「…これって…『オリジナル』の…告白ですか?」


私は、言葉を失った。

胸の奥で、熱いものが爆発し、こみ上げてくる。彼女が、最後に、自分自身の力で、「自分」の顔を作り出した。たった三秒でも。そして、その「自分」で、私に告白した。

私は、ゆっくりと立ち上がる。そして、彼女の半透明の肩に手を伸ばす──ではなく、自分の胸、心臓の上に、手をしっかりと当てる。

「お前の形は…」

声は、涙でぐしゃぐしゃだった。

「…ここにある」

もんろの目が、見開かれる。

「107人分の借りでも、これから返す百万人分の思い出でも、全部…この胸に、収まっている。お前という存在の、全ての重みが」

私は、一歩前に出る。

「だから…もう、頑張らなくていい。『自分』の形を、無理に作らなくていい。お前は、もう、十分…お前だ」

そして、私は彼女を抱きしめた。

彼女の体は、半透明で、抱いている実感は薄い。が、確かに温もりがある。微かな、かすかな生命の鼓動。そして、彼女の涙が、私の肩に落ちる。水ではなく、細かい金色の光の粒が、ポロポロとこぼれ、私の服に吸い込まれていく。

もんろは、最初、硬直していた。そして、ゆっくりと、その細い腕を私の背中に回す。力は弱い。が、確かに、抱きしめ返している。

「…尚さん…」 彼女の声は、私の胸に埋もれて聞こえる。「…ありがとう…」

私たちは、長い間、ただそうして抱き合っていた。窓の外では、夜明け前の闇が、最も深くなっている時刻だ。


やがて、もんろがそっと体を離す。

彼女の顔は、再び無数の金色の裂け目に覆われている。が、その表情は、驚くほど穏やかで、落ち着いていた。彼女は、私の胸の中で、子供のように小さく丸まっていた。

「…明日…」 彼女が、かすかに言う。「…頑張ります。全部、返します」

「ああ」

「…もし…」 彼女が、顔を上げ、私を見る。その目は、かすかな希望に輝いている。「…もし私が、全部返した後に…ほんの少しだけ…『私』が残ったら…」

彼女は、私の手を、自分の冷たい手で包む。

「…その時は…もう一度…イチゴを、食べに行きましょう。一緒に」

その言葉に、私は強くこぶしを握りしめ、こらえきれなかった涙を、一粒、また一粒とこぼした。そして、うなずく。

「…約束だ」

もんろは、満足そうに、深くうなずいた。そして、私の胸にもたれかかる。彼女の体は、ますます軽く、かすかになっていく。金色の裂け目の光も、次第に弱まる。闇夜の星が、ゆっくりと輝きを失っていくように。

窓の外、東の空の地平線が、ほんのりと紫色に縁取られ始めている。

夜明けまで、あとわずか。

もんろは、静かな息づかいで、深い眠りについた。彼女の顔の光は、かすかな炎のように、ゆらゆらと、最後の灯りをともし続けている。


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