第32話 バルナの誇り
バルナ国王よ永遠に……。
バルナの誇り
どうぞ。
笑みを浮かべた半妖が、亡霊の如く舞う。
結界の内側には、皇帝と国王、そして剣を交えるマルクとガンツ。
彼らを取り囲むように立つ、無数の帝国兵——圧倒的な戦力差だった。
「——マルク!」
場外へ吹き飛ばされたルキに駆け寄っていたルミナは、結界による隔離の範囲外にかろうじて留まり、その惨状を見つめていた。
「チッ……面白くねえ。これからなのによ」
吐き捨てるように呟いたガンツの目は、どこか苛立ちを帯びていた。
剣を構えたまま動かぬ彼は——感じ取っていたのだ。この戦いが、既に終わりへと傾きつつあることを。
……だが、終わりを悟っているのは彼だけではなかった。
離れた場所からその様子を見つめる俺もまた、歯がゆさを噛み締めていた。
(どうすれば……)
俺には立ちはだかる結界をすり抜けられる事ができるが、俺が行ったところで何の力にもなれない。
——すると、外の様子を見に行った一人のバルナ兵が、血相を変えて王の間に戻ってきた。
「マール様! ……外に、大量の妖魔が」
王宮を囲む様に配置された妖魔。
次々と襲いくる魔の手に、一同は戦慄する。
『ど、どうしましょう? カガミさん……』
本当にどうしたらいいんだ……。
俺は、迷いに迷った末に伏兵の存在を伏せていた。
それに対応できる兵力がバルナにはないというのもあったし、何より皆の作戦の成功を信じていたからだ。
だが今、それが裏目に出てしまった——。
「……ちくしょう」
あれだけ威勢がよかったルキも、次々に襲いくる予想だにしない出来事に落胆している。
——そして、皇帝はその絶望を、ゆっくりと絶頂へと導いていく。
『カガミさん! 王様が‼︎』
いち早く気づいたのはラキだった。
それにこだまする様に、皆が国王に目を向ける。
「……うぐぐ」
皇帝の触手が国王の老体を締め上げ、まるで玩具のように宙に持ち上げられていた。
その口からは、絞り出されるように血が流れる。
「国王!」
「やめろ、皇帝!」
——バルナ国王が、なすすべもなくいたぶられる姿を、皇帝はまるで見世物のように晒していた。
呻き声に笑みを重ねながら、ゆっくりとその喉元へ手を伸ばす。
「そう、それだ……その顔を見たかったのだ」
——これが、彼の狙いだった。
希望を削ぎ、心の奥に“絶望”を植え付け、二度と立ち上がれなくする。
それこそが、皇帝の言う“支配”というものだった。
「皆さん、よくご覧なさい——これが、真の絶望ですよ」
結界の壁を背に、嘲るように囁くシュダ。
その声は、剣よりも冷たく、王の間の空気を完全に凍らせた。
——誰もが動けずにいる。
息を呑み、次の悪夢を待つことしかできなかった。
……だからこそ、俺は動いた。
意を決して、結界を越えて国王の元へと飛ぶ。
そしてその耳元で言った——。
(国王! 聞こえるか⁉︎ 返事してくれ!)
意識が朦朧とする中、国王は微かに反応を返す。
「——天の声か? ふっ……どうやら、お迎えのようだな」
走馬灯の様な何かと勘違いしている様だが、この際なんでもいい。
俺はなんらかの力で、ラキをこの世に留まらせる事ができた。だから、国王が生きる気力を失わなければきっと——。
(まだだ国王! 諦めなければ、魂だけはこの世に残る!)
涙目になりながら、何度も頷くラキ。
俺の根拠のない提案に、国王は——。
「夢みたいな話だな……だが、私はもういい」
どこか、吹っ切れた様子だった。
「私はな、嬉しいのだ……」
国王は血反吐を吐きながら語り出す。
この地に滞在し、皆の支えがあり国を立ち上げた事。
辛い事もあったが、今もこの不利な戦いに、誰一人逃げ出さず立ち上がってくれた事を。
「それで十分。十分なのだ……」
死を覚悟し、言葉を吐く国王に、必死に届かない声をかけるラキ。
『王様! 気をしっかり持ってください!』
——作戦決行までの数日間、小説で語ればほんの数行に過ぎない。
けれど、俺はその時間を実際にこのバルナ王国で過ごし、肌で知った。
民と兵に慕われる王の姿。
多忙な中でも、兵一人ひとりに声をかけ、貧しい民に手を差し伸べ、時に涙し、共に笑った。
王が築いたこの国の“笑顔”は、作られたものではない——本物だった。
——そんな行いを見ていた神としては、見捨てるわけにはいかない。
(頼む! 俺があんたの無念を晴らす!)
国王はゆっくりと首を振り、最後の言葉を絞り出そうとする。
——しかし。
無慈悲な触手が、さらに国王を締め上げる。
「独り言がお好きな様だな。バルナ国王……」
国王の影と重なるように広がっていく大きな血溜まり。その深さこそが、国王の死が迫っている事実を物語っていた。
老体からは徐々に力が抜けていき、朦朧とした目で皆を見つめる国王。
……バルナの民よ、私なんかについてきてくれて礼を言う。
マルク殿、ルミナ殿、ルキ君、私達の戦いに巻き込んで本当にすまなかった。
君達と過ごした数日間は、決して忘れぬ。
そして……。
結界越しに、国王を見つめるマール。
いつも優しく笑う彼の目に映るのは、覚悟を決めた男の姿。
マールよ……バルナの皆を頼んだぞ。
本当に——今まで、ありがとう。
心の中で、愛する者たちへの別れを告げ、目の前にいる皇帝に向き直し、力強く言い放つ国王。
——それはまさしく、バルナを背負った魂の叫び。
「皇帝! 人間以下の貴様にこの大陸の支配などできん! 先に地獄で待っているぞ犬畜生よ——」
「くだらん」
グシャァ——‼︎
肉の裂ける音と共に、赤い飛沫が弧を描き、結界の白を染めた。
国王の体は、玩具のように無残に地へと叩きつけられる。
……耳を裂く音が、消えた。
残ったのは、耳が痛いほどの沈黙。
玉座を囲む結界の中、血の匂いと絶望だけが満ちていく。
誰もが言葉を失い、剣を握る手は力を失って震えていた。
「国王様ぁぁぁッ‼︎」
しかし返事はない。
ただ、氷の様な冷たい結界の中に、血と絶望と静寂が満ちるだけだった。
マールの絶叫が——王宮を震わせた。
誰もが慕っていた王。
誰よりも強く、優しく、誇り高い王。
その命が、今この瞬間、無残にも散ってしまった。
お次は金曜日。




