第九十八話 ヴェロールの先へ
「王宮に反乱勃発の報が届き、急ぎ勇者様に知らせるべしとなったのです。勇者様はニヴィウ大陸へ渡られたことが分かっていましたし、取り敢えずエピニアの町には伝令を走らせましたが、我々もガストーンで待機してお帰りをお待ちしておりました」
モリーさんはメデニーガ号がガストーンの港にいた理由を教えてくれた。
俺たちがエピニアの町へ向かったことは知らないはずだと思っていたが、そこはミーモさんとロフィさんから情報を得ていた。
「お仲間の皆さんもコパルニに滞在されています。そもそも王宮からの命令をもたらしたのが、近衛騎士のカロライン様でしたから」
彼女はそうも言っていたから、ロフィさんもミーモさんもコパルニで足止めを喰ったようだ。
ニヴィウ大陸からフェルティリス大陸へ帰ろうとすれば、どうしたってコパルニに上陸せざるを得ないのだ。
そこで待ち構えていれば捕まえられるってことになる。
「勇者様には一刻も早く、ヴェロールへ向かっていただかねばなりません。そのために便宜を図るようにと、これも王宮からの指示ですから」
そう言うわけでモリー艦長は俺たちを拾うため、わざわざガストーンまで出張ってくれていたらしかった。
そして、ミーモさんはまだしも、ロフィさんはせっかく故郷のルークの森に帰る機会だったのに、反乱が起きたせいでまた、大陸南部で俺たちを待つことになってしまったようだ。
いや、そんな事態が起きて、あのエルフの族長が言ったことがいよいよ現実になるのではって不安を覚えたのかもしれない。
彼女は族長の言葉を信じていたのだから。
メデニーガ号がコパルニの港に着くと、桟橋には三人の姿が見て取れた。
もう日も傾いていたので、その日はコパルニの宿に泊まり、出発は翌朝にすることにした。
俺たちは宿の部屋でカロラインさんから事情を聞いた。
「ヴェロールの町の反乱はこれまでにない大規模なもので、もう私は王宮で立つ瀬がなかった。とにかく勇者様を捜して対処をお願いするようにとの国王陛下のご命令をいただき、すぐにタゴラスの王宮を発ったのだ」
カロラインさんはほとんど涙目で、彼女がこの町へやって来るまでの状況を説明してくれた。
「あのエルフの女王が言っていたことを信じて皆がこの町へ向かったことだけは分かっていたから、それを頼りにここまでやって来たのだ。そしてメデラー総司令官やモリー艦長から五人がニヴィウ大陸に渡ったことを教えてもらった。だが、その先の足どりは分からないと言われて途方に暮れていたのだ」
彼女はこの町まで来たものの、どうすることもできず、無為に時を過ごしていたと嘆いていた。
「こうしている間にも、ヴェロールの町の反乱は取り返しのつかない状況になるやも知れぬ。もうこれは私が一人で町に突入し、身を挺して治安を回復するしかないか。そこまで思い詰めていたのだ」
彼女がそう口にすると、ミーモさんが呆れた顔をした。
「近衛騎士は大袈裟なの。そんなにすぐに事態は悪化しないの。誰か亡くなったりしたら大ごとだけれど、そんなことはこれまで起きていないの」
反乱は起きても、亡くなる人は出ていないのだ。
もしそうなってしまったら、それはヴェロールの町で魔人が生まれることを意味している。
さすがにそうならないだけの分別は、領主側にも反乱を起こした民衆の側にも残っているようだった。
でも、今回もそうだって思うのは、それって正常性バイアスってやつじゃないだろうか。
「いや。今回の反乱は前回、領主が町を離れざるを得なかった時と比べても、参加者も多く、過激なものだったと聞いている。あの町は今は王国の直轄に近い状態になってしまっているのだ。実質的には住民の代表が治めているようなものだ」
王宮はそれが王国内の各地の町に伝播することを恐れているらしいが、そんなことはあり得ないだろう。
あれはあくまで魔人の遺した光る石の粉のようなものが原因だと思えるからだ。
「まずは町の外で魔法を使って町を安定化させるしかなさそうですね。でもそれだけだと、またすぐに元の木阿弥です」
俺は前回、あの町に行った時、その方法で反乱を収めているのだ。
今回の反乱は規模がかなり大きいようだが、とにかくあの光る石の粉が町に流れ込まないようにマナの流れを調整すれば、何とかなるって自信がある。
「では、どうするのだ?」
カロラインさんが不安そうな顔で聞いてきた。
その先は実は俺もあまり自信がない。
「もう一度『黒い森』へ行って、あの穴の様子を確認しましょう。あの深い穴がヴェロールの町の反乱と無関係とは思えないのです」
俺の提案にカロラインさんは、
「いや。それよりやはりモルティ湖に向かうべきではないか? あの魔人の方こそ反乱と無関係とは思えないのだが」
そう言って、あくまでモルティ湖へ向かうべきって主張してきた。
「今の王命はまずはヴェロールの町の反乱に関する調査なの。騎士はそう言っていたはずなのに、それを違えて大丈夫なの?」
それでもミーモさんの言葉に、すぐに考えを改めてくれた。
「そうであった。私も気が動転していて、冷静な判断ができなくなっていた。まずはヴェロールへ行くことが第一だな」
彼女はそう言って納得していたが、もし原因が魔人イリアであると言うのなら、モルティ湖に向かうのは間違っていない。
俺たちがあの穴が怪しいってのは、あくまでも仮定に過ぎないのだから。
それが分かっているのだろう。ミーモさんはカロラインさんの死角から、俺に向かってこっそりと親指を立てていた。
「とにかくまずはヴェロールだな。あの町へ行かねば始まるまい」
翌朝、カロラインさんはそう言って、コパルニの町が用立ててくれた馬車の馭者を務めてくれた。
そうして一路、西の方、ヴェロールへと進む。
「今回は峠を越えて南から『黒い森』へ向かうの。以前よりはマシだと思えるの」
ミーモさんの考えではそういうことになるらしい。
確かに北からあの森を抜けて初めてヴェロールへ行った時は大変だった。
今回は森を縦断する必要はないから、多少は楽だってことだろう。
でも、あの穴は結構、森の奥まった場所にあった気がするから、往復することを考えるとそこまで変わらないんじゃないかと思えて、俺は憂鬱だった。
「そこを行く馬車! 待て! 停まれ!」
とりあえずヴェロールの町を迂回して町のさらに西から黒い森へ向かう峠へと通じる街道を目指した俺たちの馬車に、馬に乗った三騎の兵が近づいて来て、そう呼ばわった。
「私たちはこの先の町に向かう者。決して怪しい者ではありません」
カロラインさんが答えると、兵たちはヴェロールの町の衛兵だと名乗った上で、
「この先に町などないぞ。嘘をつくな!」
難詰するといった声で、厳しく問い質してきた。
以前、ヴェロールの町に来た時、プレセイラさんが町の周辺の教会を巡ると言っていたから、それなりに大きな町があるのかなと思っていたが、兵の口ぶりではそうでもなさそうだ。
「いや。嘘ではない。ここまで来てみたところ、申し訳ないがあなたたちの町は危険そうなので、道を迂回しようとしただけなのだ」
カロラインさんが多少の軌道修正を試みながら、そう弁解するが、それを聞いた別の兵士が激昂したように、
「黙れ! 我らの町を愚弄するか。ヴェロールに危険など微塵もないわ!」
そう言って剣の柄に手を掛ける。
「とにかく全員、一度、馬車を降りてもらおう。逃げられると思わないことだな」
もう一人の兵がそんな要求をしてきた。
まあ、相手は馬に乗っていて、こちらは馬車なのだ。
普通に考えて逃げ切れるはずもない。
「どうしましょう。魔法で眠らせますか?」
俺が小声でクリィマさんに聞くと、隣に座っていたプレセイラさんが、
「アリスさん。ダメですよ」
そう言って美しい顔を左右に振って、俺に自重を促した。
「そうですね。一旦は馬車を降りましょうか。その方が狙いもつけやすいですし」
一方のクリィマさんはそんな調子だった。
俺だって自分が魔法を使えることを知られたいなんて思わないが、手早く済ませたいから妨害されるなら、こちらにも考えがあるってやつなのだ。
そうして俺たちが順に馬車を降りると、
「むむっ。剣士が二人に、エルフに僧侶か? その黒い服はなんだ?」
兵の一人がそう言って、俺たちを値踏みするように見る。
どうやらリールさんのことはただの剣士だと思ったようだ。
そして最後にプレセイラさんに抱きかかえられるように俺が馬車を降りると……、
「おおっ!」、「なんとっ!」、「これはっ!」
三人の兵からそれぞれ驚愕の声が上がり、なぜか視線が一斉に俺に集まった。
俺は嫌な予感を抱きながら、それでも何とか笑みを浮かべ、スカートの横を摘んで少し引き上げながら三人の兵士に頭を下げてあいさつをした。
「アリスと言います。はじめまして」
俺のあいさつに、三人はぼうっとして、しばらく言葉を失っていた。
「こ、こちらこそはじめまして……」
一人がそう返事をすると、残りの二人も我に返ったようだった。
「これは……、確かに町に入っては危険だな。いや。我らの町だけでなく、どこの町の住民も平静ではいられないだろう」
一人がそんなことを口にすると、もう一人も、
「この子を危険に晒すわけにはいかんな。今、ヴェロールは危険な状態だ。見つからないように気をつけて行くのだぞ」
なぜか急に今までと百八十度変わって、俺たちをこのまま通してくれるようだった。




