第九十七話 フェルティリス大陸への帰路
「プレセイラさんもエピニアから来たのですね? どうせならご一緒できたら良かったのに」
彼女は歩いてこの大陸の町を回るって言っていたから、てっきりエピニアとは別の町にいるか、もしかしたらもう、ニヴィウ大陸を離れたかもしれないと思っていたのだ。
「いいえ。私は色々な町の教会を巡っていて、先ほどこの町に着いたばかりですよ」
俺は彼女が馭者らしき人物に「エピニアの町に帰りなさい」って言っていたと思ったのだが、聞き間違いだったのだろうか?
彼女が嘘をつくとも思えないから、もしかしたらエピニアの町から馬車を回送していた馭者を、どこか別の町で雇ったのかもしれないなと俺は思った。
「そうですか。でもここから先はご一緒できますか? リールさんとクリィマさんも一緒にいるんです」
俺がそう尋ねると彼女はまた普段の優しい笑みを見せてくれた。
「ええ。もちろんですよ。アリスさんとまたこうして会えたのも、モントリフィト様のお導きですね。正直言って、アリスさんと離れて寂しかったです。少し後悔していましたから」
彼女はそう言ってしゃがむと、俺の頭を撫でてくれた。
俺はその心地良さに、何だかまたぼうっとしてしまうのだった。
三日後、俺たちは連絡船に乗ってステリリット大陸へと向かった。
その間、プレセイラさんは俺たちと宿を共にはせず、教会に泊まっていた。
「何だか寂しいですね。そう思いませんか?」
俺は二人にそう尋ねたが、クリィマさんは、
「教会は私の敵です。彼女だって何を考えているのか分かりません」
そんなことを言って敵意を剥き出しって感じだった。
連絡船に乗ってからも俺の前で喧嘩こそしないものの、完全に冷戦状態って様子で、碌に話しさえしない。
辛うじてリールさんと俺が二人と話すだけで、クリィマさんとプレセイラさんの間に会話はなかった。
「プレセイラさん。何とかなりませんか?」
俺は連絡船の船室でプレセイラさんにお願いしていた。
俺にとっては二人とも、この世界の数少ない知り合いなのだ。
俺は子どもだから「仲間」って言うのはどうかと思うが、感覚的にはそう言っても問題はないと思う。
実際に守られてばかりってこともないのだし。
その大切な仲間の内の二人が、仲違いしているのには耐えられなかった。
「私は何もこだわってはいませんよ。ですがクリィマさんは……」
プレセイラさんに言わせれば、問題はクリィマさんの側にあるってことになる。
でも、クリィマさんは教会から襲われ、危うく魔人として囚われるところだったのだ。
責任の一端は彼女が不用意に用いた黒ずくめの格好にあるにせよだ。
「私には教会がそのようなことをするとは思えないのですが。ただ単にクリィマさんが何らかの原因で気を失ったのではないのですか?」
彼女にそう言われてみると、その方が可能性としては高い気もする。
対象者の意識を失わせる聖スィナリウスの薬なんて、そう簡単に手に入るとは思えないし。
「でも、クリィマさんはそう信じていますから」
俺は言外にプレセイラさんに教会を代表して謝ってほしいって意味合いを込めたのだが、彼女の返事はにべもないものだった。
「私は教会がそのようなことをするはずがないと信じていますよ」
確かに教会に謝罪させるなんてかなり難易度が高そうだ。
そもそもこの世界の神であるモントリフィトは誤りを犯さない。
自分でも無謬だって言っていたからな。
「時間は掛かるかもしれませんが、クリィマさんもいつか自らの過ちに気がつくはずです。神はご覧になっていますから」
彼女の中ではあくまでもクリィマさんが誤っていて、それはいずれ正されるはずだってことだった。
まあ、この世界に暮らす人には誤りを正す時間はたっぷりあるから、そんな悠長な結論になるのかもしれない。
俺がそんなことを考えていると、プレセイラさんは、
「そう言えば、私たちはこれからモルティ湖に向かうのですね」
そう言ってかなり嬉しそうだ。
「ええ。そうです。リールさんはモルティ湖に行くって言っていました」
俺の答えに、プレセイラさんは、
「勇者様がやっと目を開いてくださって。これで安心ですね。国王陛下もお喜びになるでしょう」
そう言って手放しの喜びようだ。
だが、俺はリールさんの本当の目的は、国王の命令に従うこととは別にあるんじゃないかと思っていた。
「私はアリスさんが勧めてくれたように、モルティ湖に旧友の弔いのために向かうつもりです。あの人が安らかに眠っている。そのことを確かめるために」
リールさんは俺にそう言ってくれたのだが、それをプレセイラさんに伝えたら、彼女が平静でいられるとは思えない。
「魔人を弔うなど、聞いたこともありません! そのような目的のためにモルティ湖を訪れるなど……」
彼女はきっとそう言って、憤慨するに違いない。
この世界で彼女とかなりの時間を過ごしてきた俺には、さすがにそのくらいは分かるようになった。
そうして今度はリールさんとプレセイラさんが仲違いをするようになったら、道中はさらに辛いものになってしまう。
逆にリールさんの方は、プレセイラさんが怒りを見せても、
「では、やめておきますか? 私はもともと乗り気ではないですし、実はまだあの人に会う自信がないのです」
平気な顔でそう返しそうだ。
そう言われるとプレセイラさんもひと言もないだろうが、その後、友好的な関係が継続するとは思えない。
俺だって平穏な気持ちで快適な旅をしたいのだ。
(リールさんの本当に気持ちは王宮には聞かせられないな。もちろん大聖堂や神殿にも)
俺はプレセイラさんに申し訳ない気はしたが、とりあえず結果として王命は果たせそうなのだ。
ここにはいないがカロラインさんだったら、それさえ叶えば良いのだって考えそうだなと俺は思っていた。
ステリリット大陸の東岸の町、ヴェーラに上陸した俺たちは、馬車を雇って西の港町ガストーンへ向かった。
「乗合馬車が出ているみたいですよ」
ヴェーラからガストーンまでは、定期的に馬車が出ているようだった。
もちろん、ニヴィウ大陸から船が到着した直後には、馬車が出発するようになっていて、急げば間に合いそうだった。
「アリスさん。あなたが乗合馬車に乗ったりしたら、騒ぎになってしまいますよ」
プレセイラさんが笑って教えてくれたが、今でも慌てたりすると、自分が可愛らしい少女の姿であることを忘れてしまうのだ。
「クリィマだってまずいと思いますよ」
リールさんの言うとおり、クリィマさんの顔立ちも恐ろしく整っているのだ。
彼女だって何者かと詮索されずには済まないだろう。
「そう思うのなら帽子を返してください。それで顔を隠しますから」
クリィマさんはリールさんにそんな苦情を寄せるが、帽子で顔を隠すなんて、馬車の中でずっとできるはずもない。
目深に帽子をかぶり続けていたら、その方が怪しい人物って思われてしまうだろう。
彼女もやっぱり乗合馬車を利用するわけにはいかないようだった。
そうして馬車での旅を続け、ガストーンの町に着き、対岸のコパルニまでの連絡船に乗ろうと港を訪れた時だった。
兵士が一人、走り寄って来たのだ。
「失礼ですが。勇者様のご一行ではありませんか?」
兵士は真っ直ぐリールさんに向かって来たから、どうやら俺たちのことを知っているらしい。
「はい。私が勇者のリールですが。あなたは?」
「私はモリーの配下の者です。勇者様方をコパルニまでお連れするよう、メデニーガ号が待機しております。こちらへどうぞ」
兵士はリールさんに「お会いできてよかった」と言っていたから、俺たちを待っていたらしい。
俺たちはモルティ湖に向かうことを誰にも連絡していないから、そのために船を派遣してくれるはずもないのだがと思ったが、その理由は向かったメデニーガ号の艦長室でモリーさんが教えてくれた。
「すぐに出航しますから、詳しい説明は航海中にしますが、ヴェロールで反乱が再発したのです」
俺たちは驚きを隠せなかったが、モリー艦長は出航の準備に忙しい。
邪魔にならないよう、取り敢えず船室でおとなしくしているしかなかった。
「どうしてまた反乱が起きたりしたのでしょう?」
クリィマさんは不審そうだったが、俺にとってはそうでもない。
以前、ヴェロールの町で反乱が起きた時、俺は対症療法としてマナの流れを変えただけで、あの南から北へと向かう不自然なマナの流れをなくしたわけではない。
何らかの理由で町の中のマナが枯渇し、町へ流れ込むようなマナの流れが起きたら、北へ向かうマナの流れと相まって、魔人イリアの遺物から発するあの光る物質が町へと流れ込む可能性は十分にあるはずだ。
「あの『黒い森』にあった深い穴を塞いだことで、一旦は反乱の原因を取り除いたと思ったのですが、どうもまたマナの流れが復活したようなのです。ロフィさんもそれを感じていましたから」
それについては何度も話したし、皆、頭では理解していたはずだ。
だが、やはり実際に反乱が起きたと聞くと、動揺を隠せない。
前回の反乱は俺が『分解消滅』の魔法を使って、マナの流れを町の外へと導くことで、すぐに収まったからなおさらだった。
「あの穴以外に原因があったということか? それとも穴が復活したのか?」
クリィマさんはそんな考えを口にしていたが、これはもう一度、ヴェロールの町へ向かうしかなさそうだ。
そうして四人で話していると、水兵がやって来て、俺たちを再び艦長室へと誘った。




