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第九十四話 滞在の日々

 その後もさらに十日ほど、俺たちはエピニアの町に滞在を続けた。

 その間、特にすることもなく、俺はかなり退屈していた。


 そのせいもあって、暇つぶしに宿の部屋の中で体操をする要領で身体を動かしてみた俺は、机の角で腕をしたたかに打ってしまった。


「大きな音がしましたが、何か起きましたか?」


 クリィマさんが飛んで来て、俺にそう尋ねた。


「いえ。少し腕を打ちつけてしまって」


 俺が答えると、彼女はいつにない深刻そうな表情で、


「これは……後で腫れてくるのではないですか? 一度、医者に見てもらった方が」


 そんなことを言う。


「いえ。マナを使って治せますから」


 俺が深呼吸する要領でマナを取り込むと、痛みが多少和らいだ気がした。


 でも、完治とまではいかないようだ。


「かなりひどく当てたようですね。そう簡単には治らないかもしれません」


 クリィマさんは相変わらず心配そうだ。

 これまでならプレセイラさんにお願いして癒しの魔法で治療してもらえたのだが、あいにく彼女はこの町にはいない。


 でも、そう考えたことで、俺は彼女が教えてくれたことを思い出すことができた。


「アリスさん。もし体調が悪くなったりしたら、教会を訪ねなさいね。この大陸の教会には聖スィナリウスが遺された薬を作る方法が伝わっていて、けがや病気を治してくださるのです」


 彼女はこの町を去る前に、俺を心配してそう言い残して行ったのだ。


「クリィマさん。教会を訪ねたいのですが、一緒に行ってくれますか?」


 俺が一人で行くと、また騒ぎになるだろう。

 クリィマさんと二人ってのもまずい気がするが、俺一人よりはマシだろう。


「ああ。薬を塗ってもらうのですね。行きましょう」


 安心したって感じでそう答えてくれて、俺は彼女と連れ立って、この町の教会を訪ねることにした。



「単なる打ち身のようですね。でも痛いでしょう。すぐに薬を塗りますね」


 教会にいたシスターは優しそうな人で、俺の腕に薬を塗ってくれる。


 するとすぐに痛みが消え去り、少し腫れていた箇所も、すっきりと元に戻ったようだった。


「あなたがアリスさんなのですね。オルデンの神殿のプレセイラから話は聞いていました。それにしても、聞きしに勝る美しさですね」


 どうやらプレセイラさんは町を出る前にこの教会を訪ね、俺のことをお願いしてくれていたらしい。


「ありがとうございます。助かりました。凄い薬ですね」


 元の世界の湿布薬のようなものなのかもしれないが、魔法のあるこの世界でも使える人は少ないから、薬にもそれなりに需要があるのだろう。


 実際に俺も頼ることになったし。


「ええ。聖スィナリウスは魔人に傷つけられた人を、様々な薬で救われたのです。中には痛みを感じることなく、悪い部分を取り除くために人の意識を失わせる薬さえあるのですよ」


 この世界では、麻酔を使った外科手術も行われるようだ。

 あくまでも魔人が現れてけが人が溢れたような緊急時だけかもしれないが


 俺は改めて彼女にお礼を言うと、教会を後にした。




「あれ? クリィマさんはいませんか?」


 けがが治って数日後、俺がリールさんの部屋を訪ねると、彼女は一人で剣を磨いていた。


 薬のおかげでけがはすぐに良くなったが、退屈なのに変わりはない。


「クリィマなら少し出掛けてくると言って出て行きましたよ」


 リールさんはそれでも剣を磨く手を止め、顔を上げて教えてくれた。


「そうですか……」


 俺の様子が残念そうに見えたのだろう、彼女は優しく、


「何かクリィマに用がありましたか? 私が代わりにできることなら……」


 そう言ってくれたが、特に用事があったわけではない。


「いえ。大丈夫です」


 俺はそう答えて自分の部屋へ戻った。



「ちょっとだけ出掛けてみるか……」


 俺がクリィマさんを探していたのは、別に彼女に用があったわけではない。


 この町での滞在も二十日ほどになり、さすがに退屈になって、彼女と無駄話でもするかって思っただけだ。


 リールさんが招かれた式典の行われた町の広場や、古い歴史を持つ教会など、三人で町の中を見て回ったが、そこまで大きな町ではない。


 俺はすぐにこの町に飽きてしまっていた。



「やっぱりちょっと暑いな」


 宿から抜け出した俺は、ファイモス島へ行く時に買ったフード付きのコートを着込んでいた。


 そして(うつむ)いて通りを歩いて行く。


 不可知を魔法を使おうかと思ったのだが、そうするとリールさんに感づかれるかもしれない。


 俺の魔法は強力で、かなりマナの流れが生じるし、リールさんには魔法が効かないから、こっそり外出するなんて無理だろう。


(背丈はミーモさんとあまり変わらないし、フードで顔を隠せば、万が一住民とすれ違っても、俺のことを見咎める人なんていないんじゃないか?)


 俺はそう思っていたのだが、それは甘い考えだったようだ。


「あら。あなたどうしたの? まさか一人?」


 俺は向こうからやって来た人を通りの端に寄り、背中を見せてやり過ごそうとしたのだが、何故か子どもだと見抜かれたようで、そう声を掛けられた。


 優しい声にさすがに無視するのも悪い気がして、俺は振り返った。


「あら。なんて美しい子なのかしら? この町にこんなに可愛い子がいたなんて!」


 両手を胸の前で組み、大袈裟な身振りでそう言った彼女の方こそ、元いた世界なら大変な美人だと思う。


 それでも、やはり俺の容姿の見事さは別格らしく、彼女は惚れ惚れするって様子だった。


「はじめまして。ちょっと急ぐので」


 俺はまずいことになりそうだと思って逃れようとしたのだが、この世界の人たちは子どもが大好きで、とても大切に思っているのだ。


「あら。どこへ行くの? 危ないから送って行くわ」


 案の定、彼女はそう言って逃してくれはしなかった。


「いえ。大丈夫ですから……」


 俺が笑みを見せてそう断っても、


「本当に可愛いわ。こんな可愛い子を一人にしておけないわ。遠慮することないわよ」


 そう言ってついて来ようとする。

 この世界に悪い人なんていないから絶対、大丈夫だと思うのだ。


「ラサじゃない。どうしたの? こんなところで」


 俺が女性の申し出を断っていると、別の人が近寄って来て彼女に話し掛けた。


「いえ。この子が一人でここを歩いていたの。たまたま通り掛かったものだから……」


 それなら放っておいてくれればいいのにと思うのだが、そんなことはできないのが、この世界の人なのだろう。


「まあ。これはまた綺麗な子ね。こんなに綺麗な子は見たことがないわ。いったいどこの子なの?」


 ラサさんと呼ばれた人がそう言ったからかもしれないが、やっぱり子どもだってことはすぐに分かるようだ。


 この世界では子どもからは何か独特の甘い香りでもするのだろうか?


 俺がどう答えたらこの場を逃れることができるだろうって考えて黙っていると、後から来た女性が、


「ラサのことを怖がっているんじゃないの? 可哀想に。私が送って行ってあげますからね」


 ラサと呼ばれた女性を少し睨むようにして、そんなことを言ってきた。

 いや、ラサさんはとても美しくて優しそうで、怖そうなんてことはまったくないのだが。


「失礼ね。初対面だから緊張してるだけよ。私と一緒に行きましょうね」


 今度はそう言って優しい笑みを浮かべると、ラサさんは右手を差し出してきた。


 俺が思わず後ずさってしまう。だって、俺の行き先は宿屋だし、また面倒なことになることは間違いなさそうなのだ。


「えっ。本当に私のことが怖いの?」


 俺の態度に彼女はショックを受けていた。


「いえ。あの。そんなことは……」


 俺が思わず口を開くと、


「かわいい〜!」


 もう一人の女性が大袈裟な身振りとともにそう声を上げる。

 その声に少し離れた場所にいた別の女性が気がついて、また俺の方へ寄って来た。


 これはまずい流れだろう。

 王都の宿で騒ぎになった時と同じことになりそうだ。


 あれからもう一年以上の時間をこの世界で過ごしたのに、俺はまったく進歩していないようだ。


(進歩していない?)


 俺はそう考えたところで違和感を覚えた。

 この世界では進歩なんて必要ないのだ。


 もともと完璧な世界なのだから、変化が起きたらそれが崩れてしまう。


(たった一人の住民が魔人になっただけで、町が恐ろしく衰退してしまうのって、それが原因なんじゃないか?)


 俺はそこまで考えて、これはクリィマさんに確認すべきだなって思った。


 この世界で三十年ほどの期間を過ごしてきた彼女は、きっとそのことに気づいているはずだ。


「一人で大丈夫です! ついて来ないでください!」


 俺は一刻も早くクリィマさんと話したくて、思わず大きな声を出した。

 そしてサッと(きびす)を返し、小走りに通りを戻って行く。


 女性たちは呆気に取られたように、俺を見送っていて、俺は何とか面倒ごとに巻き込まれる危機を脱することができた。



「クリィマさん! クリィマさんはいませんか?」


 宿へ戻った俺はリールさんの部屋に顔を出し、そう尋ねた。

 まずはクリィマさんの部屋へ行ったのだが、彼女はいなかったのだ。


「クリィマならまだ戻っていませんよ。アリスさんは静かにしていましたね」


 リールさんは俺がこっそり外出したことに気づいていないようだった。


「不可知の魔法を使っていたようですし、そのうち帰って来るでしょう。何か急用ですか?」


 やっぱりリールさんは自分の周辺で魔法が使われたことが分かるようだ。

 クリィマさんが外出する時に不可知の魔法を使ったことに気がついていた。


 俺もさっき不可知の魔法を使っていたら、リールさんに止められていたかもしれなかった。


「いえ。急用ではないのですけど……」


 俺は自分の考えたことが間違いではないか、早く彼女に確かめたかった。

 間違いなら間違いでも仕方がないが、もし合っているのなら、それは何かの手掛かりを得たことになる気がしたのだ。


 だが、クリィマさんはちっとも宿に帰っては来なかった。


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本作と同様に『賢者様はすべてご存じです!』
お読みいただけたら嬉しいです。
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