第八十八話 勇者を追って
「やっとコパルニに着くの」
ミーモさんがさすがに疲れたって顔で言ったが、実際に声も掠れているようだった。
俺たちは強行軍に強行軍を重ね、通常は馬車なら二十日ほどは掛かる王都からコパルニまでの道程を、十五日で踏破していた。
マナで疲れが取り除けるこの世界で、しかもプレセイラさんの神聖魔法の力があっても、さすがにここまで無理をすると皆、疲労の色が濃い。
「アリスさん。もうすぐ着きますからね」
そう気遣ってくれるプレセイラさんも、どことなく顔色が悪そうだった。
「皆さん。いったいどうされたのですか?」
海軍の司令部を訪ね、面会を求めたメデラー総司令官にも、俺たちの顔色が良くないことが分かったらしい。
ひと目見て、彼女はそう尋ねてきた。
「実は勇者様が行方不明になっていまして。エルフの女王が、勇者様は海を渡ると教えてくれたものですから」
プレセイラさんの説明は、かなり簡単で略された部分も多かったが要領を得たものだった。
今は時間も惜しいし、最低限、リールさんの行方を追っていることが分かれば十分だろう。
「そうですか。エルフの女王は、やはり噂どおり不思議な力を持っているのですね」
総司令官は、感心したように言っていたから、やはりこの世界ではエルフの族長が不思議な力を持っているってのは、よく知られているようだった。
「ですが、勇者様なら二十日ほど前、ステリリット大陸へ向かわれましたよ。既に対岸のガストーンに到着しているはずです」
この町でも勇者が訪れたとなれば、少なくとも海軍の総司令官であるメデラーさんには情報が伝わるようだった。
「その知らせは……」
プレセイラさんが重ねて尋ねると、メデラーさんは落ち着いた様子で。
「もちろん王都へも報告を上げています。いえ。王都から事前に連絡がなかったですから正直、驚いたのです」
それでもこの町で勇者を足止めする理由もなく、リールさんは連絡船で対岸のステリリット大陸へ渡ったとのことだった。
「もうその船も戻って来ていますから、船長から話を聞きますか?」
「是非、お願いします!」
俺が思わず見せた切羽詰まった様子に、総司令官はただならぬものを感じ取ったようだった。
「何かご事情がありそうですね。もしお急ぎなら、モリーに対岸まで送らせますが。連絡船よりは速いでしょうから」
そんな正に渡りに船って申し出をしてくれた。
「是非、お願いします!」
俺は間に合わなかったかって、焦りを覚えていたのだが、軍艦で送ってもらえるのなら、かなり時間短縮になるかもしれなかった。
結局、連絡船の船長や船員は、リールさんが船に乗っていることこそ知ってはいたものの、彼女と話したりはしていなかった。
「勇者様は船室にこもられているか、お一人で甲板に立たれていることが多く、お声を掛けることも憚られたのです」
船員の一人は船の上でのリールさんの様子をそう教えてくれた。
それでなくとも勇者はこの世界の重要人物だ。畏れ多いって気持ちもあるのだろう。
乗組員たちも気を遣ったようだった。
「では、ステリリット大陸へ渡られてから、どこへ向かったのかも分からないのじゃな?」
ミーモさんの質問に、船員たちは一様に首を傾げていたから、分かる者は誰もいないようだった。
翌日、俺たちはメデラーさんが手配してくれた軍艦に乗って港を離れた。
彼女が「モリーに送らせます」って言ってくれていたとおり、俺たちが乗り込んだのはメデニーガ号だ。
「モリー艦長。お久しぶりです。またご面倒をお掛けします」
プレセイラさんが丁寧にお願いをすると、艦長もあいさつをくれた。
「皆さん。お久しぶりです。その節は大変、お世話になりました」
艦長とはステリリット大陸からの帰途で、リールさんがそれなりにあちらであったことを話していたようだから、勇者である彼女がいなくとも、俺たちのことも粗略に扱ったりはしないようだ。
それだけでなく、リールさんが行方不明ってことの重大性に、理解を示してくれてもいた。
「とりあえず、勇者様は対岸へ渡ったことだけは確認できています。ですから、決してまったくの行方不明ってわけではありませんが、やはり心配ですね」
俺たちには家に帰ると言っていたし、王宮にも知らせていないようだったから、リールさんは何を考えているんだろうって思う。
クリィマさんの不吉な予感が当たらないことを祈るばかりだ。
「定例の哨戒任務に当たる予定でしたから、ちょうど良かったです。あなたたちのおかげで、この海峡も平和を取り戻しましたから」
それでも出航の予定を一日、早めてくれたらしいが、緊急時の訓練にもなったのだと、モリーさんは笑っていた。
「リールの行き先がすぐに分かれば良いのですが……」
船の上でもクリィマさんは不安そうだった。
「そう気に病んでも仕方がないの。今は身体を休めて、ガストーンに着いたら、すぐに行動できるように準備することじゃの」
ミーモさんの言うことが正しいのだろうが、そうして心を落ち着けることができるには、そうとうな経験が必要だろう。
それに事欠かないのが、この世界の人なのかもしれないが。
「船で身体を休めるなんて無理だわ。早く大陸に着いてほしい」
ロフィさんは相変わらず船が苦手なようだった。
こればかりは経験を積んでも克服が難しいのかもしれなかった。
「クリィマさんに心当たりはないのですか?」
俺たちの中でリールさんと親しいと言えば、やはり彼女が一頭地を抜いているだろう。
その彼女が行き先が分かればなんて言っている時点で、かなり難しい気がする。
「こうなるともっと詳しくエフォスカザン様に伺っておくべきだったかしらね」
ロフィさんはそう言うが、あのエルフの族長が情報を出し惜しみしたとも思えない。
あの時点では、リールさんは船に乗る前で、そこまでしか予見できなかったってことだろう。
「いいえ。エフォスカザン様は、間に合わないとはおっしゃっていなかったではないですか。だからきっと大丈夫です」
彼女の言葉に従って、俺たちは寄り道をせずにここまでやって来た。
王宮への報告さえカロラインさんに任せ、脇目も振らず急行してきたのだ。
コパルニでは海軍のメデラーさんやモリーさんの協力さえ得たから、普通に想定される以上のスピードで進んで来たと言えるはずだ。
「そうですね。ガストーンに着いたらすぐにリールの行方を探しましょう」
そう言われて、俺はとても心許ない気がしていた。
ガストーンで情報が得られなかったら、逆に得られた情報が誤ったものだったら、取り返しがつかないかもしれないのだ。
さっき俺はあんなことを言ったが、エルフの族長は寄り道している時間はないから急げとも言っていた。
事態は切迫しているのだ。
「何の目的もなく彷徨っているとは思えぬの。さすがにどこか目的地があるのではないかの?」
ミーモさんの意見は、勇者であるリールさんが行くんじゃないかって場所を考えてみようってものだった。
そんなのこれまで散々考えたし、それが分からないから困っているんじゃないかって思ったが、今できることなんてほかにない。
俺はもう一度、リールさんが行きそうな場所を考えてみることにした。
(まず筆頭はモルティ湖だよな)
そもそも国王陛下の命令に従って、リールさんがモルティ湖へ赴いていれば、何の問題もなかったのだ。
でも、彼女はそれを頑なに拒否した。
俺が考えたとおり、普通ならあの湖がリールさんが行きそうな場所の筆頭に挙げられるだろう。
でも、彼女の気持ちを考えれば、その可能性はゼロだった。
「クリィマさん。イリアが魔人になった時、リールさんが訪れていた町ってどこでしょう?」
彼女がその町を訪れていた間に、イリアは人を殺めて魔人となってしまったのだ。
それがリールさんがその町を訪れたせいだとは思わないが、彼女がそう思っている可能性はある。
「さあ。たしかニヴィウ大陸の町だったと思いますが。町の名前までは……。ですが確かにその可能性はありますね」
クリィマさんも俺の考えに賛成してくれた。
今回の件は、リールさんがイリアを滅ぼしたことがすべての発端になったいる。
そしてその原因はイリアが魔人となったこと、そしてリールさんはそのさらに元の原因は、彼女が故郷のジョイアの町を、イリアの下を離れてニヴィウ大陸を訪れたことにあると思っているような気がした。
そうだとしたら、その町を訪れることも考えられるんじゃないかって思ったのだ。
「ニヴィウ大陸に渡るのかの? ならば船はステリリット大陸東岸のヴェーラの町から出ておるの」
ミーモさんが教えてくれたが、俺は相変わらずこの世界の地理には不案内なのだ。
「このまま船でニヴィウ大陸まで渡った方が早いのではなくて? 一旦、陸へ上がって馬車で東岸を目指すなんて、とても迂遠な気がするわ」
ロフィさんがそう言ってくれたのは意外だった。
彼女は船の旅が嫌だったのではなかっただろうか?
「そうなると、このまま船でニヴィウ大陸まで乗せていってもらった方がいいですね」
俺がそう言ってプレセイラさんを見ると、彼女は頷いてくれた。
「艦長のモリーさんには私からお願いしてみましょう。それでいいですね」
そう言われてみて初めて、ロフィさんは船の旅が続くことを悟ったようだった。
「ちょっと待って。やっぱり一旦は、陸に上がって……」
突然、そんなことを言い出して、皆を慌てさせたのだが、そんな意見が採用されるはずもない。
本当なら一人ででも下船して、ヴェーラの町を目指すんだろうが生憎、俺は船を降りる気はない。
そうなるとロフィさんにも、船を降りるって選択肢はないはずだった。




