第八十七話 勇者の行方
ハント卿が迷っていたのは、早馬を出そうか考えていたからのようだった。
「王宮への報告は早い方が良いでしょうし」
彼女はそう言っていたが、カロラインさんが、
「私たちはルークの森を抜けて行きますから。伝令の兵を出すのとあまり変わらないと思います。仲間にエルフがいますから」
そう伝えると、ロフィさんは満足そうだった。
「ここへ来る時も私が馭者を務めたのよ。森を迂回する必要がないから、かなり早く着くと思うけど」
そう続けたので、それではってことになったのだ。
「やれやれ。また王都かの。ゆっくりする暇もないの」
再び馬車で王都へ向かうことになって、ミーモさんはうんざりしたって様子だったが、それどころではない。
ある意味、この世界の危機かもしれないのだ。
「リールがどこまで考えているのか? 無事でいてくれれば良いのですが」
そう言ったクリィマさんは顔色は明らかに良くなかった。
俺もリールさんはそんなにモルティ湖に関わるのが嫌だったんだと再認識したが、無事でいてくれればってのは大袈裟だなと思ったのだが。
「以前、リールが言っていたのです。勇者は明らかにほかの職業の人と比べて早く亡くなるのだと」
彼女に言われてみて、俺は改めてそれに気がついた。
ファイモス島でも話題になったが、あの島で魔人シシを滅ぼしたのは、リールさんの三代前の勇者だと彼女は言っていた。
だがそれは約千年前のことなのだ。
この世界ではたったのと言ってよい時間だろう。
「リールさんって幾つくらいなんですか?」
思わず俺が尋ねると、プレセイラさんが驚いた顔をしていた。
年齢を聞くのはマナー違反だと分かってはいるが、そんなことを言っている場合ではないって気がした。
「はっきりとは分かりませんが、おそらく三百歳くらいかと……」
俺と同じ異世界人だからだろうか、クリィマさんは特に躊躇することなく教えてくれる。
俺はプレセイラさんと同じくらいかと思ったが、ミーモさんの言葉が、それがこの世界でどの程度のものかを教えてくれた。
「ほ。若いの」
三百歳の人に向かってどうかと思うが、この世界の人は寿命がないから、そうなるのだろう。
「勇者様は私よりずっと年下だったのか……」
カロラインさんも愕然としていた。
彼女は「それであの落ち着きようは、流石は勇者だな」なんて続けていたが、三百年も生きていて、落ち着かない方がどうかと思う。
俺はそんなことより気になったことがあった。
それはクリィマさんも同じ危機感を持っているのではないかとも思ったのだ。
「どうして勇者は早くに亡くなるのか、聞いていますか?」
普通に考えれば魔人と戦って傷ついて、とか思うのだろうが、勇者には魔法が効かない。
逆に魔人には魔法しか取り柄がないから、勇者が魔人を倒すことは容易いだろう。
「いいえ。リールがそう言ったのも、気が緩んで思わずといった感じでしたから。それ以上のことは教えてくれませんでした」
だが、それは俺に一つの可能性を想像させるものだった。
勇者が魔人を滅ぼすことに耐えきれず、自らを滅ぼすという可能性に。
道を急ぐ俺たちは、迷うことなくルークの森へと馬車を乗り入れた。
「止まるわよ!」
森に入ってしばらく走ると、馭者席からロフィさんの声が響き、馬車が急停止する。
(真面目だな)
口には出さなかったが俺はそう思った。
ルークの森を通り抜けようとして、エルフが見逃してくれたことはない。
この状況だと、普通は馬車でこの森を抜けようなんて思わないわけだ。
カロラインさんとミーモさんはいざとなればエルフたちを蹴散らして森を駆け抜ける自信があったのだろうか?
「ロフィ! またお前か」
馬車の外でそんな声が聞こえたから、この森を通り抜けるのはもうやめた方がいいんじゃないかと思う。
エルフたちにとってかなり迷惑みたいだし。
そして案の定、またあの声が聞こえた。
「おおおおぉぉぉぉ!」
やっぱりあの族長、毎日のようにああして叫んでいるんじゃないかって思う。
でも、ロフィさんは固く否定していたから、俺とクリィマさんに本当に恐怖を感じているらしかった。
「エフォスカザン様。お聞きしたいことが……」
何となくあの叫び声にも慣れてしまったのか、ロフィさんは何もなかったかのように族長に尋ねていた。
「勇者が行方不明になっているのです。どこにいるか分かりませんか?」
俺はロフィさん無茶を言うなって思ったが、問われた族長は急に落ち着きを取り戻したようだった。
「その程度のこと、私に分からぬはずがない。人間が勇者と呼ぶ者。この世を停滞に導く者は、今はこの大陸の南を彷徨っている。やがて海を渡るであろう」
そうして、ごく当たり前って様子で、族長は続けた。
「そのままそなたらがあの者を追えば、間に合うであろう。だが、寄り道をしている暇はない。急ぐがよいぞ」
厳かにも聞こえる声で、彼女はそう断言した。
先ほどの大声で叫んでいた彼女は、どこへ行ってしまったんだろうと思うが、おそらくは今の状況が普段の姿なのだろう。
そして彼女の言葉を聞いたロフィさんは急に慌てだした。
「急ぎましょう。エフォスカザン様がああおっしゃったのなら、一刻の猶予もないわ。急がないと間に合わない」
そう言って馬車を出そうとした。
エルフたちも俺たちを止めようとはしないようだ。
「待ってくれ。どういうことなのだ?」
俺は呆然としていたが、カロラインさんがロフィさんに聞いてくれた。
「どうもこうも、エフォスカザン様がおっしゃったのなら、必ずそうなる。あの方は神に最も近いお方。その言葉に誤りなどありようはずもないわ」
だが、ロフィさんはあくまで彼女たちの族長を信じるようだ。
「エルフの長には不思議な力があると言うの。あれがその力かの?」
ミーモさんは何か聞いたことがあるようだった。
「ええ。エフォスカザン様は私たちエルフからしても貴いお方。未来を見通し、人の本質を見る目を持たれた偉大なお方なの」
ぐずぐずしていられないとばかりに、ロフィさんは馭者席に着くと、すぐに馬車を出した。
何となく今までより慌てているようで、馬車の操作が荒い気がする。
未来を見通すだなんて、そんな力って思うが、ここはエルフがいるような異世界なのだ。
そんな力を持つ者がいても不自然ではないのかもしれなかった。
「待て! どこへ行くのだ!」
王都タゴラスの町の北門へ向かうと思っていた馬車は、そのまま町を遠望しながら、南へと向かう。
ロフィさんは馬車の速度を下げることさえしなかった。
「道が違っているぞ! 止めてくれ!」
続けてカロラインさんの大きな声が響くと、ようやく馬車は速度を落とし、街道の脇で停まった。
「どうしたの?」
馬車の扉が開いて、ロフィさんが不審そうな顔で問い掛けてきた。
「どうしたもこうしたも。国王陛下に報告せねばならぬのに。王都へ向かわないとはどういうことだ?」
俺も王宮に知らせないのはまずいとは思う。
一方で、あのエルフの族長が言った「寄り道している暇はない」ってのをそのまま受け取れば、王都へ寄ることは致命的だろうって気がする。
国王陛下への報告なんて、謁見まで何日待たされるか分からない。
事が事だし、すぐにお召しが来るのかもしれないが。
「エフォスカザン様がおっしゃっていたでしょう。時間がないの。人間の王への報告なんて、すべてが済んでからでいいじゃない」
こういうところは、やっぱり彼女はエルフだよなって気がする。
当然、人間のしかも近衛騎士であるカロラインさんには、別の見解があった。
「何を言っているんだ! 国王陛下への報告を後回しにすればいいなどと。それで王国の秩序が保たれると思っているのか?」
カロラインさんに大きな声で詰られ、ロフィさんは不本意そうだった。
「そんなに報告に行きたければ一人で行けば。私は勇者を助けに行くわ。エフォスカザン様のおっしゃったことはただ事とは思えないもの」
ロフィさんの厳しい言葉に、カロラインさんが一瞬、たじろいだ様子を見せると、ミーモさんが隙を突いたって感じで口を挟んだ。
「それは良いの。国王陛下との謁見は、慣れた近衛騎士のカロライン殿に任せ、私たちは先を急げば良いのだからの。後から早馬で来れば、追いつけるであろうて」
かなりお気楽な意見だって思うが、間違っていない気もする。
国王陛下への報告は大切だが、リールさんを見つけ出すことも重要だ。
まして、エルフの族長があんなことを言ったのだ。
本当はそちらこそを重視すべきなのだろう。
「なっ。そんなことができるはずが……」
「できますよ。神がそうお望みになられるならば……」
プレセイラさんまでがそう言い出して、カロラインはもうたじたじだった。
「では、せめてもう少し南門の側まで運んでくれないか? あと、報告が終わったら、私はどうすれば……」
弱気な感じで、何とかそう返していた。
「報告が終わったら、コパルニの町ね。南で海を渡るってエフォスカザン様はおっしゃっていたでしょう。私たちもこれからコパルニを目指すわ」
皆の賛同を得たからか、ロフィさんは得意気な様子でカロラインさんに告げていた。
俺も何となくそうかなって思っていたが、俺たちはこれから港町コパルニへ向かうらしかった。
「はあ。どうして私一人で報告を……」
馬車から降りたカロラインさんは、ため息とともにそうこぼしていた。
一方でミーモさんは、
「アリス殿がおらぬから、そう簡単に謁見は叶わぬかもしれぬな。果たして追いつけるかのう?」
なんて、馬車の中でまた気楽そうに言っていた。




