第八十四話 再調査へ
俺たちは翌日、鍛治師から馬車を受け取り、ヴェロールの町を発った。
「ちょっと飛ばすわよ。きつかったら言ってね!」
ロフィさんが勢いよく馬車を出し、俺たちは一路、王都を目指す。
前日のうちに俺はクリィマさんにヴェロールで反乱が起きたことについて、大まかに伝えておいた。
「では、あの『黒い森』にあった深い穴が原因ではなかったということなのですか?」
俺にはクリィマさんの声が聞こえるだけだが、それでも彼女が愕然としていることが聞きとれた。
あの町で反乱が起きた原因なんて、彼女に分からないものが、俺なんかに分かるはずがない。
いや、中の俺はもう高校生で子どもってわけではないから、分かることだってあるのだが、彼女は俺よりかなり長くこの世界で暮らしているから、この世界の摂理を良く理解しているはずだ。
「それは分かりません。でも、残念ながら振り出しです。王様に魔人イリアについて報告するにしても、それも含めて報告しないと」
俺の連絡に、彼女は考えを巡らしているようだったが、王都へ向かってしまった今、すぐにできることはない。
ヴェロールに残っていたならば、モルティ湖や黒い森を再調査するって手も使えただろうが、彼女はもう王都までの半分くらいの距離にまで至っていた。
俺たちもそちらへ向かっているから一度、合流した方がいいだろう。
「アリス殿がいれば、王宮の空気も和らいで、責任追及の声も上がりにくいであろうからの。ここは是非、アリス殿を伴って報告すべきじゃの」
ミーモさんが勝手なことを言っているが、何故か皆はそれで納得したようだった。
「そうですね。アリスさん。クリィマさんに王への謁見は私たちが王都へ着いてからにするように伝えてください」
プレセイラさんまでそんなことを言って、どうしても俺を王宮に連れて行くようだ。
俺だって責任を追及されるような場所へ行きたくはないのだが。
俺が魔法でプレセイラさんの言葉を伝えると、クリィマさんも「そのとおりですね」なんて言って、王宮への報告を先延ばしするようだ。
誰だって怒られそうな報告なんてしたくないし、延期する理由があればそうするだろう。
まして人数が増えそうだと言うのなら尚更だ。
「人間の王はやっぱり勇者に再調査を命ずるのかしら?」
東の峠を越えた先の町で宿に落ち着くと、寝む前に自然と四人が集まり、ロフィさんがそう口を開いた。
「まあ。そうであろうの。魔人は復活してはおらなんだが、魔物は健在ゆえ、戦えぬ者では調査もままならぬであろうからの」
ミーモさんの発言は妥当なところだろう。
あのフェンリルに勝てる人なんて、この世界には一握りしかいないはずだ。
勇者のリールさんと魔法の使えるクリィマさんや俺がその筆頭だろう。
「でも、もうイリアに関しては調査する必要はないんじゃないですか?」
光る石の像のようになってしまった彼女の姿を、俺たち六人が目撃しているのだ。
イリアはリールさんに滅ぼされ、後にあれが残されたとしか思えない。
「勇者殿にも確認してもらう必要があるであろうの。あれが間違いなくイリアだと分かるのは、勇者殿だけであろうからの」
ミーモさんの発言は俺には意外だった。
あんなものまで見ておいて、それでもリールさんが確認する必要なんてあるのだろうか?
「じゃあ。イリアがあの光る像みたいな石を身代わりとしてあの場所に置いて、実は密かに復活しているとでも言うのですか?」
俺は怒りを抑えることができず、声を荒らげた。
リールさんはあんなに苦しそうだったから、俺が代わりに確認するって言ったのだ。
それは何の意味もないことだったと言うのだろうか?
「アリス殿。私とアリス殿が仲違いする必要はないの。王宮がそう言うに違いないって話なの。魔人に関しては勇者の領分なの」
ミーモさんは少し慌てて、そう言ってきて、俺は心を落ち着けた。
「確かに王宮ならそう言うでしょうね」
プレセイラさんもミーモさんの見解が正しいと思っているようだ。
俺はリールさんをモルティ湖に行かせたくないって気持ちが強いから、判断が曇っているのだろう。
「結論は変わらないと思うわ。でも、人間てそうよね。権威ある人が保証しないと収まらないのよ」
ロフィさんはあの石の像のような人が、とても美しかったことを、その根拠に挙げた。
「悪いけれど人間とは思えない美しさよね。あれに勝てる人がいるとしたらクリィマさんか……、あとはもちろんアリスさんよね」
魔人は人間離れした美しい顔立ちを持っているらしいから、ロフィさんの言うとおりなのだろう。
そしてやっぱり俺とクリィマさんは、魔人となるに相応しい逸材なのだ。
次の日からもロフィさんが馭者を務めてくれて、俺たちの馬車は道を急いだ。
カロラインさんとクリィマさんとは王都の『蜜蜂亭』で落ち合うことにした。
「やっぱり先に謁見を申し込んでおいてもらったらどうですか?」
時間の節約になると思ってした俺の提案は、ミーモさんに却下された。
「アリス殿は国王陛下のお気に入りじゃからの。王都へ戻って来たと知ったら、すぐにお呼びが掛かるかもしれぬ。そうなったら立ち往生してしまうであろう?」
政務に忙しい国王陛下が、俺なんかを真っ先に呼ぶなんて思えないのだが、プレセイラさんも同意見らしかった。
「普通なら最低でも十日くらいは待たされてもおかしくありませんが。アリスさんがいますからね」
プレセイラさんまで俺をからかうのかと思ったが、彼女はいつもの優しい目で俺を見て、微笑んでくれていた。
いくらなんでもプレセイラさんも、俺を高評価し過ぎているんじゃないかと思う。
でも、それが誤りではなかったことは、すぐに王都で判明することになった。
俺たちが王都へ到着し、国王陛下に謁見を願い出ると、その日の夕に『蜜蜂亭』を王宮の使者が訪れ、謁見の日どりを伝えてきた。
「えっ。明日の朝ですか?」
その日のうちに使者が宿までやって来たのにも驚いたのだが、謁見は翌日の朝だと言うのでさらに驚かされた。
そんな俺の様子を見て、ミーモさんはにやにやしている。
「それ、言ったとおりであろう。お忙しい国王陛下がすぐに私たちを召したのは、アリス殿がいるからに違いないの」
何だか自慢げにそう言われても、俺は素直には頷けない。
「国王陛下は本当にアリスさんを好かれているのだな。私もあやかりたいものだ」
あげくにカロラインさんまでそんなことを言って、皆は本気で王様が俺に会うために、ほかの予定をキャンセルしたと思っているようだ。
「いや。さすがにそんなことはないでしょう。たまたまキャンセルがあったとか」
俺はさすがにミーモさんたちが言うことが信じられず、そう答えたのだが、
「人間に国王陛下との謁見をキャンセルするほどの用事なんてあるのかしら? ちょっと考えられないわ」
ロフィさんも首を傾げて俺の発言を否定してきた。
「いや、例えば……」
俺は「親が危篤とか」って言おうとして思いとどまった。
この世界では人は老いないし、不慮の事故がなければ亡くなることもない。
国王陛下との謁見の日に親が危篤になるだなんて、そんな可能性はほとんどゼロだろう。
「ロフィ殿の言うとおりなのだ。やっぱり無理があるであろうの」
俺が言い淀んだのを見て、ミーモさんがさらに畳み掛けてくる。
そしそうだとしても、そのおかげで早く謁見の機会を得られたのだから、良かったのだと思うことにして、俺は反論を諦めた。
「余の春の妖精よ。久しいな。無事に戻ったようで何よりだ」
翌日の謁見の席で、国王陛下は満面の笑みで俺たちを迎えてくれた。
いや、正確には呼び掛けたのは俺に向かってだけで、ほかの皆は居心地が悪そうだった。
「久しぶりに会ったのだ。もっと近くまで来てくれ。さあ」
以前、謁見を賜ったのは、おおよそ二か月くらい前だから、久しぶりと言えば久しぶりだが、言うほどのことでもないと思う。
でも、俺たちはこれから国王陛下に任務失敗に近い報告をしなければならないから、素直に従っておいた方がいいだろう。
俺はそう思って、国王陛下の側に寄る。
「アリスよ。そなたは何と麗しいのだ。もっと余の側に来るがよい」
王様はそう言うと、優しく俺の腕を取って引き寄せた。
「陛下!」
厳しく響いたその声は、俺はまたあの眼鏡を掛けた文官なのかなって思ったのだが、実際にはそれはプレセイラさんのものだった。
「おお。相変わらずアリスの保護者は厳しいの。これから余り良くない報告があるのであろう? 余も心を落ち着けて聞かねばならぬ。その前に多少の余興は許してほしいものだな」
国王陛下は俺の頭を撫でながら言ったが、どうやらヴェロールの町から早馬で事の顛末が報告されているようだった。
「余はアリスの言うことを信じるし、アリスの姿を目にした者は皆、余と同じ気持ちになると思う。だが、王都の者たち全員にアリスを紹介するわけにもいくまい」
俺の頭をひとしきり撫でて、文官から「陛下、そろそろ」と促されると、国王陛下は興醒めだって顔を見せた。
それでも彼女は真顔になって、ヴェロールの町の反乱について検討することになった。
王様は俺たちがモルティ湖で見たものが、魔人が滅んだ証拠だと信じてくれたようだったが、それをこの国中の人に信じてもらえるかどうかは別問題だ。
「国中の者が心安らかに暮らすためには、アリスたちが見たその石の像のようなものが、魔人が滅んだ証で、イリアは二度と復活しないと保証する必要がある。それができるのは勇者のみだ」
やはり王宮はリールさんに、モルティ湖の魔人が復活していないことの確認を要求するようだった。




