第八十一話 町の混乱
「まさかって? いや、まさかそんなことはあり得ないでしょう?」
俺は軽い感じでそう口にしたが、それは自分の心の内の不安を認めることが恐ろしかったからかもしれない。
「あの人が言っていた流れじゃない? 北の峠に向かうマナの流れ」
あの人が誰を指すかなんて聞くまでもない。
この町で反乱が起こる数日前に、必ず町で感じられるマナの流れがあると、イヌーキさんはそう教えてくれたのだ。
「でも、それはあの『黒い森』にあった深い穴が原因だったんじゃないですか?」
俺たちがあれを塞いだことで、マナの流れはなくなったはずだ。
「そんなの知らないわ! 分かるわけないじゃない」
ロフィさんが怒ったように言ったのは、彼女も恐怖を感じているからかもしれなかった。
もし、俺たちの想像が正しくて、マナの流れに乗ってあの魔人が遺した光る石の粉みたいなものがこの町に流れ込んで来ているとしたら。
そこで起こることを考えるだけで身がすくむ思いだった。
「逃げた方が良いのではないかの?」
ミーモさんも顔色が悪いように見える。
彼女はモルティ湖で一度、酷い目に遭っているのだ。
あの光る石の粉がやって来るというのなら、ここに留まっていたくはないだろう。
「逃げるってどうやってですか?」
馬車は鍛冶屋に預けているし、領主屋敷へ行って別の馬車を借りるにしたって、勇者のリールさんも近衛騎士のカロラインさんもいないのだ。
申し訳ないが一介の剣士に過ぎないミーモさんが訪ねて行って、二台目の馬車を貸してくれって言ったって、そう簡単に事が運ぶとは思えない。
ましてエルフのロフィさんや子どもの俺が頼むなんて問題外だ。
「歩いてでもここを離れるべきではないかの?」
いつもは楽観的に物事を見る傾向が強いミーモさんが、珍しくそんな弱気なことを言う。
それだけ彼女が危険を感じていると言うことなのかもしれなかった。
「でも、プレセイラさんはどうするんですか?」
彼女は近隣の町や村の教会を巡っていて、もう少ししたらこのヴェロールの町に戻って来るのだ。
その時に俺たちがいなかったら、きっと困惑するだろう。
最悪、この町で起こる反乱に巻き込まれるかもしれなかった。
そう。ここヴェロールの町では、また反乱が起こるかもしれないのだ。
「宿に伝言を頼んではどうかの? プレセイラ殿はここへ来るであろうからの」
こんなことなら彼女がどこの町や村を訪ねるのか聞いておくべきだったと思うが、俺はこの辺りの地理には疎いのだ。
いや、そもそもこの世界の町や村なんて知りもしないから、聞いてもムダだと思って聞かなかったのだ。
「やっぱりここへ帰って来るんですよね。じゃあ、やっぱりここで待っていなくてはダメじゃないですか」
彼女だけを残して自分だけ逃げるだなんて、俺にはとてもできない。
これまで散々世話になって、彼女がいなかったら俺なんて、この世界でどうなっていたか分からないのだ。
「アリス殿がおかしくなってしまったら、プレセイラ殿も悲しむと思うの。だから、ここは一旦、難を避けるべきなの」
ミーモさんはそう言って、決して自分だけが助かりたいと思っているわけではないらしい。
(それにしても、どうしてこんなことに?)
俺はそう考えて思い当たることがあった。
イヌーキさんが言っていた、反乱が起こる前兆についてだ。
ヴェロールの町の人が魔法を使うと、それによって枯渇したマナを周辺から補充しようと、町に向かうマナの流れができる。それが反乱の起こる前兆だと彼女は教えてくれた。
今回は俺が魔法の練習を繰り返したことによって、それと同じ状態が作り出されたのだろう。
「ちょっと。これって……」
ロフィさんの怯えた声に彼女の指さす方を見ると、そこにはきらきらと光る何かが、風に流されるようにふわふわと、北に向かって漂って行った。
「間違いないの。早く逃げないと!」
ミーモさんがまたそう言ったのを聞いて、俺は慌てて窓に走った。
だが、それはしっかりと閉じられ、何かが部屋へ入り込む余地はないはずだった。
それでも、俺たちが見ている間に、光る粉のような物が部屋の中を二つ、三つと流れて行く。
どうなっているのか分からないが、あの光る石の粉のようなものは、窓や扉を閉めていても、建物の中まで入ってくるようだった。
いや、マナも同じような性質を持っているから、当然なのかもしれないが。
(いずれにせよ、これを引き起こしたのは多分、俺だ)
俺が練習した『分解消滅』の魔法は、この町の人たちが使う魔法と比較して圧倒的に膨大なマナを消費するから、この場所でマナが不足して、町へ向かうマナの流れができたのだろう。
そしてその流れと、ロフィさんが気がついた北へ向かうマナの流れとが合わさって、この町にあの光る石の粉のような物が運ばれてきたのだ。
「ミーモさん。俺に考えがあります。おっしゃるとおり一度、町を出ましょう」
でも、そのまま逃げるわけではありませんよと俺は思っていた。
宿の外へ出ると、そこではもう異変が起き始めていた。
「税を免除しろ!」「領主と談判だ!」
そんな声が、町のそこかしこで上がる。
中には鋤や鍬を持った人もいて、物騒なことこの上ない。
この世界では人が亡くなったりしたら大変だから、武器としてそんな物を掲げるだけでも、大変なことなのだ。
「あの様子だと領主屋敷へ向かったとしても、馬車を借りるのは無理じゃな」
ミーモさんが驚きの声を上げると、ロフィさんが、
「それ以前に領主はまた逃げ出したんじゃない?」
そんな予想をしていた。
つい先日の反乱でも、領主のラーナさんは王都へ難を避けていたから、今回も同じ行動を取った可能性はある。
この世界では、暴力で人を排除するのはお互いに魔人となる危険を冒すことになるから、逃げ出すことは実は賢明な判断なのかもしれなかった。
「西の門へ向かいましょう!」
「えっ。どうして西門なの? 王都は反対じゃない!」
宿を出た先の十字路で、俺はミーモさんにお願いして西門へと先導してもらった。
ロフィさんからは苦情を寄せられたが、ミーモさんは俺の要望を聞いてくれて、西門から町の外へ出た。
門へ向かう途中で出会った町の人たちは、一部の暴徒化した人たちが領主屋敷を目指しているくらいで、それ以外には異常は見受けられない。
門を通った俺たちも、特に見咎められることもなかった。
逆に反乱鎮圧のため、多くの兵が領主屋敷へと向かっているのか、門は手薄な状態だった。
魔法の使えない人にマナの流れは感知できないから、ほとんどの人は、今起きていることに気づいていないのだろう。
イヌーキさんは気づいているのかもしれないが。
「いったい何をする気かの?」
町から少し離れると、ミーモさんが俺に尋ねてきた。
彼女は俺が何かする気だと分かっていたようだ。
もちろん俺には腹案がある。
逃げる方向を間違えただけなんてことはないのだ。
「モントリフィト様。どうか力をお貸しください」
俺はあの女神に祈りを捧げる。
「いったい何をする気なの?」
ロフィさんは俺が何をしたいのか、さっぱり分からないといった様子で聞いてきたが、俺はここで魔法を使おうと考えていたのだ。
「えいっ!!」
俺が掛け声とともに魔法を発動すると、膨大なマナが路傍の岩に集中し、次の瞬間、
「きゃっ! 消えた!」
ロフィさんも何度も見ているのだから、そんなに驚くこともないと思うのだが、やっぱりこの魔法はインパクトが強いようだ。
俺は『分解消滅』の魔法を発動し、かなりの大きさの岩を消し去った。
当然、それに用いるマナは膨大な量で、ヴェロールの町で魔法を使える人々が消費する量を軽く凌駕するものだろう。
だが、あの町で俺は魔法の訓練のため、ミーモさんの雑巾を消し去ったり、『浮遊』の魔法を使ったりしている。
「モントリフィト様。どうか力をお貸しください」
「えっ。また?」
ロフィさんの声を無視して、俺は今度は岩の向こうにあった倒木に意識を向ける。
そして……、
「また消えたの!」
魔法が発動して、かなりの太さの倒木が姿を消すと、今度はミーモさんが声を上げた。
「いったい何をしているの?」
ロフィさんには分かるかなって思ったのだが、意外なことに俺の考えを言い当てたのはミーモさんの方だった。
「なるほどの。マナの流れをこちらに導くことで、町にあの光る石の粉が流れ込むのを防ぐというわけじゃな」
ご名答って言いたいところだが、念には念を入れる必要がある。
俺はさらにもう一度、女神に祈りを捧げると、今度は倒木の横にあった岩を魔法で消し去った。
「マナの流れを感じるわ。この辺りで枯渇したマナを補おうと、周囲からかなりの勢いでマナが流れ込んで来ているみたい」
ロフィさんが気がついたようだが、俺もようやく、これなら大丈夫じゃないかと思えるようになっていた。
「急いで町に戻りましょう。ここにいると、流路を変えたあの光る石の粉がやって来るかもしれませんから」
俺がそう告げると、その可能性に気がついたのだろう、ミーモさんとロフィさんの顔色が変わった。
「冗談じゃないの」、「冗談じゃないわ!」
ほとんど同時にそう言って、二人して顔を見合わせると、俺の手を引いて元来た道を戻り出す。
「でもこれで、あの町の住人たちがおかしくなるのを防げるわね」
「アリス殿のお手柄なの」
二人に両側から手を引かれて歩きながら、俺は自分があの町の宿で魔法の訓練をしたことで、今回の事態が引き起こされたかもしれないことを言い出せないでいた。




