第八話 王都の宿で
「老衰」と言う言葉を投げ掛けた時のプレセイラさんの反応は俺の思っていたとおりだったが、この世界が俺の想像以上の場所だと言うことに気づかされるのに時間は掛からなかった。
「年月を重ねるうちに人の身体が衰えて、それで生命を落とすってことは……」
俺は念の為、丁寧に「老衰」について説明したが、彼女は意味が分からないって様子だった。
「年月を重ねるうちに身体が衰えるって、どういうことでしょう? 大人になった後、何か変化が起こるということですか?」
俺は彼女から逆に不思議そうな顔で質問されてしまった。
どうやらこの世界では、ある程度の年齢になるとそこで成長が止まり、以後はずっとそれが維持されるようだった。
「子どもの時とは容姿が変わりますよ。だって小さなままではモントリフィト様がお与えくださった使命を果たせないではないですか。でも、大人になったら変わる必要なんてないですから。ずっと神様のくださった役割を果たしていく、それが私たちがこの世にある理由なのです」
ちなみに成長が止まるのは個人差があるものの、だいたい十五、六歳から二十二、三歳くらいらしい。
中には十代前半で止まってしまう人や、三十歳近くまで容貌が変化する人もいるらしいが、いずれにせよ、成長が止まった後は事故に遭ったり、誰かに危害を加えられたりしない限り、そのままの姿で生き続けるようだ。
「ですから子どもの数は、それを望む人の数よりずっと少ないのです。子どもは何しろ可愛いですから皆が欲しがっています。アリスさん。あなたのような可愛い子どもをね」
まあ、不慮の死なんてそう簡単には起こらないだろうから、それと引き換えだと言うのなら、子どもの数が少ないのは理解できる。
考えてみれば確かにここまで、俺以外の子どもの姿を目にしたことはなかった。
ちなみに病気はマナの力で治すことができるようだ。
「私たちの身体はマナでできていますから、この世界に充満しているマナを取り込むことで、身体を健やかな状態に保つことができるのです。それに万が一の時は、神聖魔法もありますから」
このあたりは俺も疲労回復で経験済みだ。
何とも至れり尽くせりって感じだが、あの女神が言っていたとおり、この世界『ルーナリア』は「完璧」ってことだろう。
「だからこそ私たちは『魔人』を怖れるのです。魔人はむやみに人を殺します。そして勇者以外には魔人を滅ぼすことはできません。それはこれまでの歴史が証明しているのです」
彼女は王都へ向かう馬車の中でこの世界について、そう教えてくれた。
もっと話を聞きたかったが、馬車は三日目の夕には王都へ到着してしまった。
俺はちょっとどきどきしていたが、城門でも俺たちの馬車は特に詮議を受けるでもなく、まるで以前から王都に住んでいた住民のように町へと入って行く。
「今夜は宿に泊まりましょう。大聖堂を訪ねたいところですが、少し遅くなってしまいましたから」
プレセイラさんの判断で、俺たちは王都での最初の夜を『蜜蜂亭』という宿で過ごすことになった。
その晩は疲れているだろうからということで早々に床に就いた。
飲食の必要もないのに睡眠だけは必要なんだと、俺は不思議に思っていたが、プレセイラさんが、
「夜は神聖なものなのです。モントリフィト様は人が安らかに眠れるように、暗く静かな時間をお作りになり、空に月を浮かべてその満ち欠けで時の経過を識るようにされた。そう言われていますから」
そう教えてくれた。
だからこの世界の夜は恐ろしいほど静かだった。
動物の遠吠えや、フクロウの鳴く声、虫の音が大きく聞こえるほどだ。
俺がそのことを指摘すると、彼女は眉を顰め、
「夜に蠢くのは人間ではありません。動物の中には夜の世界を見守り、人がその時間を安らかに過ごせるようにと神様がお命じになったものもいます。でも、人は静かに夜を過ごすもの。夜に活動するのは人ではなく……『魔人』です」
そう言われて、元の世界で高校生の俺は宵っ張りだったことを思い出した。
この世界ではそれだけでも『魔人』候補だと見られてしまいそうだった。
早く眠ったこともあり、翌朝の目覚めは爽快だった。
宿の布団が教会のものと比べ、ふかふかだったこともあるのだろう。
早起きしたものの、することのない俺は宿のダイニングを覗いてみることにした。
「あら。可愛い子。この宿の子かしら?」
ダイニングにいた商人風と言ったら良いのだろうか、上質の服を着た女性に早速、話し掛けられた。
「いいえ。オルデンの町から来ました」
俺の答えにその女性は目を細めている。
「お名前は?」
「アリスと言います」
「あら。可愛いお名前ね」
両手を広げ大袈裟に表現する彼女こそ、俺からみたら本当に可愛らしい女性だ。
蜂蜜色の髪と金色にも見える瞳は、ここが『蜜蜂亭』だからかなって思ってしまうくらいだった。
「あなた親御さんは?」
何だか興味津々て感じで、次々に俺に質問をしてくる。
俺はちょっと王都の宿がどんなか覗いてみようって思っただけだから、こんなに親し気に話し掛けられるなんて思ってもみなかったのだ。
「いません」
答えていいのかなと思いつつ、彼女の優しい眼差しにほだされるような感じで、俺は自分に親がいないことを口にしてしまった。
途端にダイニングの空気が変わったような気がした。
周りで談笑したり、テーブルで朝の食事を、本当は必要ないのだが景気づけの意味もあるのだろう、取っていた人たちが、一斉に俺の方を振り向いたのだ。
「親御さんがいないって? 本当かい?」
不穏な空気を感じて、俺はたじろいだ。
先ほどの女性も凍りついたような表情で俺を見ている。
「あ、あの。今は別の人と、その、旅をしていて……」
しどろもどろで弁解のような言葉を口にする俺に、最初に話し掛けてきた女性がまた尋ねてきた。
「ご一緒されている方はどういう方なの? 親御さん以外の人と旅をするなんて。とても信じられないわ!」
どうもこの世界の人たちが子どもを大切にするってのは、俺が思っていた以上のようだった。
俺が答えられずにいるうちに、騒ぎはますます大きくなっていった。
「誰かに連れ去られたんじゃないかしら?」
「親御さんは半狂乱になって探していると思うわ。お可哀想に」
「すぐに騎士団に連絡して保護してもらうべきじゃないの?」
皆が立ち上がり、今にも俺の身柄を確保しようと動き出しそうで、俺は恐怖を覚えて立ちすくんでいた。
「アリスさん! これはいったいどうしたことですか?」
その時、ダイニングの扉が開き、プレセイラさんが俺を呼んでくれた。
俺は金縛りにあったみたいになっていたのだが、その声を聞いて動けるようになり、彼女の許に駆け寄った。
「あの。親はどこにいるのかって聞かれたので、正直に答えたら、何だか騒ぎになってしまって」
情けないかぎりだが、俺は本当の小さな子どもみたいに彼女の裾にしがみついた。
「あなた何者ですの? 見たところ神官のようですけれど」
あの蜂蜜色の髪の女性が、プレセイラさんに問い掛けた。
その口調は厳しく、詰問と言ってもよいくらいだ。
「私はオルデンの町の神殿に仕える者です。そして今はこの子の、アリスさんの保護者です」
プレセイラさんは毅然とした態度で、堂々と答える。
俺は彼女の隣でうんうんと首を縦に振り、その言葉を肯定した。
「保護者って、親御さんではないのね。どうしてそんな方がこんないとけない子を連れているの? おまけに親はいないだなんて、おかしくありませんこと?」
彼女の言葉に周りの皆が頷いている。
この世界では俺の方が非常識で、親がいないなんてあり得ないってことのようだった。
先ほどの皆の様子を見れば、それも頷ける気がする。
親がいない子どもがいれば是非引き取りたいって人がいっぱいで、その辺にそんな子どもが転がっているはずがないってことだろう。
「この子は記憶を失っているのです。そこでまずは神殿が保護したのです。ですが、この子の親は必死でこの子を探しているでしょうから、情報の集まる王都へ連れて来たのです」
そう言って一呼吸置いて周りを見回し、
「モントリフィト様の御名に懸けて、このこと、偽りではありません。ですから皆さまも他言無用に願います。不届き者がこの子を我が物にしようと画策するかもしれませんから」
これまで見たことのないような厳しい顔で、皆にそう告げた。
彼女の気迫に呑まれたように、ダイニングにいた皆は無言だった。
俺は手を引かれ、そのまま彼女の部屋へと連れて行かれた。
「プレセイラさん、ごめんなさい。まさかあんなことになるなんて」
俺は異世界を甘く見ていたようだった。
いまだに現代日本の気分が抜けていないのだ。
でも、小さな子どもが一人でふらふら出歩いているのって、現代社会でも日本くらいなのかもしれない。
そう考えると、俺の行動はいかにも軽率だった。
「いいのよ。あなたは小さいし、それに記憶を失っているのだから。これからは気をつけてね」
先ほどの厳しい表情が嘘のように、プレセイラさんはいつもの優しく柔和な顔を見せてくれた。
「でも、また面倒なことが起こると良くないから、早めに大聖堂に向かいましょう。大聖堂に入ってしまえば、安心ですからね」
どうやら宿に泊まらずに、教会を利用していたのは、秘密保持って目的もあったらしかった。
それに気づかずに、固いベッドに不満を抱いていた俺は、本当に自分勝手で情けないなと消え入りたい気分だった。