第七十五話 復命への道中で
結局、コパルニ沖の島の探索は不可能となり、魔人の遺物も海に沈んでしまったのか、その痕跡さえ見つからなかったので、俺たちは港へ引き上げるしかなかった。
「これからどうするかの?」
コパルニの宿に落ち着くと、俺たちは部屋に集まって、今後の方針を話し合った。
誰も言い出さないが、本当はモルティ湖に行って、魔人イリアに異変がないか確認すべきなのだ。
「もうヴェロールの反乱は収まったのですから、王にそのように報告しましょう。その後、私は一時、ラブリース郊外の家へ帰ろうと思います」
リールさんの中では、モルティ湖に行くという選択肢はないようだった。
それどころか、これ以上の面倒ごとは御免と、あの森の中の家に引きこもるつもりらしい。
少なくとも俺にはそう聞こえた。
「待ってください。それではアリスさんはどうなるのです?」
プレセイラさんがそう言ってリールさんを引き留めようとする。
確かに彼女に手を引かれたら、俺はどうすれば良いのだろう。
「アリスさんはクリィマが言ったように、これから自分に合った仕事をゆっくりと探せば良いのではありませんか? まだ子どもなのですから慌てる必要もないでしょう」
リールさんの意見は元の世界でなら至極当然のものなのだろうが、ここでは異質なものなのだ。
さすがに俺にもその程度は分かるようになってきた。
「子どもの期間は短いのだ。すぐに大人になってしまう。そうなった時に仕事がないなどと。あり得ないな」
案の定、カロラインさんが反論してきた。
大人になってからの時間が圧倒的に長いこの世界では、子どもでいるのなんてほんの一瞬ってことだろう。
「ここに良い例がありますよ」
クリィマさんがそう言って、皆の視線が彼女に集まる。
「私は最後はオーヴェン王国の宮廷で宰相になりましたが、それまでは定職に就かず、流浪の日々を送っていました。そして、キセノパレスを去ってからも同じです。住む場所だけは確保しましたがね」
その発言に皆がぎょっとしたのがよく分かった。
カロラインさんなんかは仰反るような仕種さえ見せていた。
「定職とは仕事の、職業のことかの?」
ミーモさんが確認したのは、この世界にはそもそも「定職」って概念がないからだろう。
神に与えられた仕事を延々と続けるのだから、定職でない仕事などないのだ。
「失礼しました。ミーモさんのおっしゃるとおりです」
クリィマさんも気がついたようで、そう答えていた。
これだけでも彼女が俺と同じ転生者だってことが分かる。
「そのようなこと、神への冒涜です! 神の与えたもうた仕事をすることが生きることなのです。それを何もせずに過ごすなどと……」
クリィマさんの言ったことは、要約すれば何もせずに過ごすってことだから、プレセイラさんの非難は正しい。
クリィマさんはあの女神から職業を示されることなく、試行錯誤の末、オーヴェン王国の宰相に収まり、そしてその後はひっそりとピッツベルゲン山脈の麓で暮らしていたのだろう。
そしてそれはこの世界では神の摂理に背くことなのだ。
「そう言われても、私が仕事をすると何が起こるか、ステリリット大陸で経験したでしょう。それに気づいた私が身を引いてさえ、それは止まりませんでした。私が何もしないことが、神の御心に適うことだと思いませんか?」
彼女の言い分だと、誰にも影響を与えずに静かに暮らすことが、転生者である彼女や俺がこの世界で生きていく術だってことになる。
でも、それでは俺は困るのだ。
「いきなりそう言われても、困ってしまいます」
俺はできるだけ勇者であるリールさんの側にいるべきではないかと思っていた。
彼女に滅ぼされることが、俺が元の世界へ戻る条件なのだから。
それでそんな風に言ってみたのだが、すぐにプレセイラさんが反応してくれた。
「そうでしょう! アリスさんは小さいのです。それなのに後は自分で何とかしろだなんて……。本当なら親もとで安心して暮らしている歳なのですよ」
それを聞いてカロラインさんやミーモさんは頷いていたが、クリィマさんはげっそりしたって顔をしていた。
彼女は俺の本当の年齢が、この世界のものとは違うと分かっているからだろう。
それでも俺は、元の世界でも高校生に過ぎないのだが。
「ですが国王陛下のご命令は私と、そしてクリィマと会わせることだったはずです。アリスさんについては、私からも陛下に口添えしましょう。今は危険はないですと」
リールさんは投げやりな感じで、そんなことを口にした。
俺は魔人になる気が満々なのに、安請け合いしていいのだろうか。
「神殿ででも暮らしてもらったらどうですか? 神殿ならアリスさん一人くらいは……」
どうもリールさんはここまでモルティ湖を訪れることについて国王陛下をはじめとして、プレセイラさんやカロラインさん、果てはロフィさんにまで責められて意固地になってしまっているようだった。
真面目な彼女がこんな適当なことを言うなんて、信じられない気がした。
「勇者様。神殿で働く者は神に奉仕する適性を持った者。そう定められた者なのです。困っている方に救いの手を差し伸べることはしますが、その方を神官として受け入れるかどうかはまた別の話です。それに神殿にはそんなに余裕があるわけではないのです」
プレセイラさんはリールさんを諭すように言った。
こういうところはきっと、これまでも信者の方たちにそうしてきたのだろうから、手慣れた感じさえする。
まあ、この世界の人には定められた仕事があるから、神殿に巡礼として訪れて、いきなり神官になりたいなんて言い出す人はいないだろうが。
「いずれにせよ一旦、王宮へ行きましょう。アリスさんをどうするかは道々考えれば良いでしょう。どうせここからタゴラスまでは二十日は掛かりますし」
リールさんは譲る気はないらしく、そう結論を出してしまった。
やっぱり彼女らしくもなく投げやりな態度だと思う。
それでも彼女が強くそう主張すれば、俺たちの中に抗える人はいない。
俺たちはコパルニの町を発ち、馬車で王都へ向かった。
もともと王様から依頼を受けているのは彼女なのだ。
カロラインさんも「勇者を守れ」って命令されているだけだし、俺に至ってはクリィマさんと会った時点で依頼を達成したと言ってもいいくらいだ。
「アリスさんについては勇者様が保証してくださるようですから、これで良かったのかもしれませんが……」
王都が近づくにつれ、プレセイラさんは自分を慰めるようにそう口にするようになってきた。
もともと神殿の判断で王宮に俺の処遇について裁定を求めようってことで、プレセイラさんは俺に付き添って王都へ赴くことになったのだ。
それなのに彼女はその後もずっと俺と行動をともにしてくれただけでなく、本当に親身に俺の行く末を考えてくれていた。
「やはり勇者様がおっしゃったように、神殿で暮らしてもらうのが良いかもしれませんね。私からもポリィ大司祭にお願いしてみますから」
そう言ってくれるプレセイラさんだが、それが正しくないことは、以前の彼女自身の発言が示していた。
「いいえ。これ以上、ご迷惑をお掛けできません」
食べ物は必要ないにしても、薪やベッド、衣服など、この世界でも生きていくのに必要なものはある。
そして、それにさほど余裕がないことは何となく分かる。
そもそもムダが出ないように女神によって設計された世界なのだろう。
「アリスさんが気にすることはないのですよ。あなたはまだ子どもなのですから」
プレセイラさんは哀しそうな顔を見せて、またそう言ってくれるが、それは根本的な解決にはならないのだ。
俺はいつまでも子どもではいられないのだから。
コパルニで出会ったアーコさんのような、あんな小さな子どもでも、もう自分の与えられた仕事を意識し、その仕事を学ぼうとしていた。
神殿に行ったらそう遠くない将来、俺が神から職業を与えられていないことが大きな問題となるだろう。
(クリィマさんは上手くやったんだな……)
馬車で俺の斜め前に座る彼女を見ながら、俺はそんなことを思っていた。
彼女に言わせれば、それまでに苦労したんだって言われそうだが、ピッツベルゲン山脈の麓に棲み処を用意し、そこを魔法で隠蔽して静かに暮らしている。
(そうか。俺には魔法があるじゃないか)
俺は澄ました顔をしている彼女を見ていて、改めてそのことに気がついた。
「プレセイラさん。きっと大丈夫です。これまでたくさんの援助をいただきましたから。きっと一人でも生きて行けます」
魔法の力があれば、非力な子どもの俺でも、様々な作業を自力で行うことができるはずだ。
クリィマさんが自分のことを良い見本だと言っていたのは、そのことではないかと思ったのだ。
だが、プレセイラさんは首を縦に振らなかった。
「いけません。アリスさんが一人で暮らすなどと。そんなことが知られたら、人々にどんな動揺が走ることか。王都の宿で起きたことを忘れてしまったのですか? 王宮も許さないはずですよ」
確かに王都の宿では、俺が「親がいない」と言っただけでひと騒動あったのだ。
秘密にしておけばって思わないでもないが、既に俺については王宮や勇者を巻き込んで、話が大きくなってしまっている。
それが急に消えたとなったら、箝口令を敷いたとしても、いつかは人の口の端に上ることは十分に考えられる。
「アリス殿は王のお気に入りだしの。王宮は許さないであろうの」
ミーモさんが突然、口を挟んできたが、そういう問題ではないと思うのだが。




