第七十三話 魔人の島へ
「勇者様。よくぞおいでくださいました」
メデラー総司令官は初めて会ったときのように背筋を伸ばし、俺たちを司令部の応接へ迎えてくれた。
「アリスさんも。よく来てくれましたね」
そうして何故かリールさんだけでなく、俺にだけは別に歓迎の言葉をくれる。
見ると以前、ステリリット大陸への往来で乗ったメデニーガ号の艦長のモリーさんが隣にいて、笑顔を見せてくれていた。
「あの時はアリスさんがガストーンの町の軍人たちを籠絡してくれて、事なきを得たのです。この子は私たちの海の守護聖人と言ったところです」
別に俺は何かをしたわけではないのだが、ここではそんな話になっているらしい。
「何とも可愛らしい守護聖人だな。いや。アリスさんの美しさはそれに相応しいのかもしれぬ」
メデラーさんもそんなことを口にして目を細めていた。
だが、俺たちは別にここへ俺を守護聖人として崇めてもらうために来たわけではない。
「以前、予定していたとおり、私がメデニーガ号にてご案内します。予定は以前とは異なるようですが」
モリー艦長が言っているのは、以前はあくまで哨戒へ同行するだけだったのに、今回は魔人の滅んだ島へ渡るってことだろう。
「申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
リールさんは素直に謝っていたが、どちらかと言えば、あれはクリィマさんの発案だった気がする。
リールさんは真面目だから、彼女だけだったら、あんなことはしないと思うのだ。
「いえ。わずかな期間でステリリット大陸の混乱を収められた勇者様のご手腕には感服しましたし、かの地にあるマルディ山や火竜の守るファスタン山へも赴かれたと伺っています。そのような勇者様のお役に立てるのなら光栄ですから」
モリー艦長は少し慌てた様子でそう言って、それでも俺たちを島まで運んでくれるようだ。
これも勇者であるリールさんあってのことだろう。
普通ならそんな危険な行動に、お付き合いしてくれないはずだ。
そして二日後、俺たちはメデニーガ号に乗って、町の北東にある小島を目指していた。
「絶海の孤島というわけではありませんが、そう簡単にたどり着ける場所ではありませんね。今は海竜もいますからなおさらです」
俺たちの向かう魔人の滅んだ島について、モリー艦長はそんな説明をしてくれた。
ここもほかの魔人の滅んだ地と同様に、人が訪れることの難しい場所らしい。
こうなるとモルティ湖だけが異様なのかもしれない。
あの場所はヴェロールの町からそれほど離れていないし、馬車で向かおうと思えば向かえる場所だ。
もちろん魔物はいるのだろうから、気軽に近づくことなどできないが。
「勇者様が人々に配慮してくださったのは良いのだが、訪れる私たちは堪ったものではないな」
カロラインさんが、島への近寄り難さを嘆くように言うが、そもそも誰かが近づかないように、そういった場所を選び、その上で魔物が置かれているのだろう。
(でも、なんのために?)
改めて考えてみると不思議な気がする。
わざわざ人の住む場所から遠くまで連れ出して、勇者は魔人を倒しているのだ。
そんなことをする必要なんてないと思う。
町の中でとまでは言わないが、そんなに遠くまで連れ出して滅ぼす理由は何かあるのだろうか?
「リールさん。どうして魔人はこんなに不便な場所で滅ぼされるのですか?」
俺はこの質問は危険かなって思いつつ、それでも何かの手掛かりになるかもしれないと思って尋ねてみた。
彼女は一瞬、驚いた顔を見せたが、すぐに笑顔に戻ると、
「さあ。どうしてでしょうね。アリスさんはどうしてだと思いますか?」
逆に俺に尋ねてきた。
分からないから聞いたんだけどなと思いつつ、俺が頭を捻っていると、それを見かねたのかカロラインさんが代わりに答えてくれた。
「魔人の滅んだ地は呪われ、魔物が姿を現します。そんな危険な場所に人が近づいたりしないように、勇者様は心を砕いておられるのです」
彼女の意見は、まあ、公式見解としてはそうなんだろうなって、俺程度でも思えるものだ。
「そうですね。でも、私たちは実際に魔人の滅んだ地をいくつか見たではないですか。それでも同じように感じましたか?」
リールさんの言葉に、俺はこれまでに巡った魔人の滅んだ地のことを思い出した。
ファイモス島ではわずかに光る砂のようなものが落ちていただけだったが、ファスタン山では火口の中、彼方に光る何かが確認できた。
そして、ステリリット大陸のマルディ山では、ついにその輝く水晶のような石を目の当たりにしたのだ。
「とてもそうは思えません。あの石が呪われたものだなんて、実物をみたらとても」
俺の答えに、リールさんはゆっくりと頷いていた。
「魔人の遺した物なのですよ。確かに美しい輝きを持った石でしたが、呪われたものであることは間違いないのです」
プレセイラさんが、少し強めの声でそう主張してきた。
それでも、俺が出した考えを全否定するのにためらいがあるのか、以前、リールさんやクリィマさんと言い争った時よりは、ずっと穏やかな声に聞こえる。
「呪われたと言えば、あの『黒い森』にあった穴の方がその言葉に相応しいのではないですか? 光り輝く美しい石と、マナを吸い込む暗黒の穴のどちらが呪われているか、考えるまでもないと思いますが」
クリィマさんがプレセイラさんを非難するように返したが、そう言われてみると、あの穴は何だったのだろうと思えてくる。
そんな俺の疑問が伝わったわけではないだろうが、プレセイラさんがそれに答えをくれた。
「あの『黒い森』にあった穴は、神聖なものです。穢れた魔人の遺物を浄化していたのです」
「えっ。そうなんですか?」
俺がそう尋ねると、プレセイラさんは少し慌てたようだった。
「そ、そうですね。そんな気がするのです。あの穴には光る砂のようなものが吸い込まれていたではないですか。あれはおそらく魔人の遺物です。その証拠に、ヴェロールの町でマナが不足して流れが起きると、それに流されるように光る砂のようなものが町を襲い、人心を乱して反乱を起こさせるのでしょう」
そう言われてみると、これまで見てきたことがすべて一本の線でつながったような気がする。
俺たちが見たあの光る砂のような物が、遠いモルティ湖から流れて来たってのは信じ難い気がするのだが、それ以外に適当な候補も見つからない。
でも、あれが人の心に影響を与え、それで反乱が起きたなんて、それもまた考えが飛躍し過ぎている気がしていた。
「確かにそうであるとすると辻褄が合いますね。でも、あんな穴はほかの場所では見たこともありませんし、そんなものがあると聞いたこともありません。どうしてあの場所にだけあんなものが?」
クリィマさんも俺と同じように感じたようだ。
そしてあの穴が神聖なものだなんて、プレセイラさんの感覚はちょっと変わっていると思う。
あれが神に関わるものだと言うのなら、その神は邪神の類いじゃないかと思う。
俺にとってはあの女神は邪神と言って差し支えない存在だが。
「そのようなことは私には分かりません。すべてはモントリフィト様のご意思なのですから」
クリィマさんの疑問にプレセイラさんは素っ気なく答えたが、やはり彼女はあれを神聖なものだと思っているようだ。
あの透明できらきらと輝く石が魔人の残した呪われたもので、そのきらきらを吸い込む暗黒の穴が神聖なものって、どう考えても逆だと思う。
見た目に騙されるなってことなのかもしれないが。
「そうなると、あの魔人の遺した光る石に近寄るのは危険ということにならぬかの? あれの粉末に近寄っただけで、ヴェロールの町の人々は反乱を起こすのじゃろう?」
ミーモさんの懸念はもっともな気がした。
あの光る砂のようなものが魔人の遺した石の粉末で、それに触れたり吸い込んだりしただけで人の心に害を及ぼすなら、その本体に近寄ることは危険だろう。
「でも、これまで何ともなかったわよね?」
ロフィさんが丸い目で皆を見回して尋ねてきた。
皆もお互いに顔を見回すが、あれに近寄ったマルディ山でも、誰かがおかしくなってしまうなんて事態は起きなかった。
だから大丈夫だとは思うのだが、ヴェロールの町の反乱の原因を聞いた後だけに薄気味悪いことは確かだ。
「ここまで連れて来ていただいて、やっぱりやめますというわけにもいかないでしょう。それにそろそろ、あれの領域のはず……」
リールさんがそう言った時だった。
「勇者様! 前方に巨大な何者かが姿を見せています。おそらくはシードラゴンかと」
伝令の兵士が駆け込んで来て、俺たちにそう告げた。
「分かりました。すぐに甲板に上がります」
リールさんは落ち着いたものだが、俺はもう腰を浮かせていた。
「行きましょう!」
立ち上がったリールさんの後を皆が追い、俺たちは甲板へと駆け上がる。
「勇者様! あちらです」
甲板の上にいた兵士が、艦の前方を指さした。
「大きいな!」
カロラインさんが思わず口にしたとおり、シードラゴンらしきものは、まだかなり距離がありそうなのにその姿をはっきりと捉えることができる。
そしてその後方にぼんやりと見えるのが、魔人シスフィが滅ぼされた島なのだろう。
「まずは船を守ることですね。アリスさんもお願いしますよ」
クリィマさんはそう言って、魔法の障壁を張ってメデニーガ号を守るようだ。
俺も彼女の指示に従い、まずは障壁を展開すべく、女神に呼び掛けた。




