第七十二話 コパルニの少女
「アーコです。よろしくね」
物怖じしない性格なのか、その少女は笑顔で俺に挨拶をしてくれた。
「アリスです。こちらこそよろしくね」
一方の俺は、純真な彼女の笑顔が眩しくて、少しどぎまぎしてしまう。
この世界の俺と比べても幼い彼女は、プレセイラさんが言ったように五歳くらいに見える。
「あなた本当にきれい。私も可愛いって皆んなが褒めてくれるけど、あなたの方が可愛いと思う」
いきなりだなって思ったが、まあ俺はきれいなのだろう。
この世界に来て、俺も皆にそう言われているから、間違いなさそうだ。
「そうかな。アーコさんも可愛いと思うけど」
俺が口にしたことは嘘ではないから、そこは言いやすい。
彼女は十分に美少女と言ってよい容姿をしていると思う。
もともとこの世界の人は美しい人ばかりだし。
「ううん。私よりあなたの方がずっときれいで可愛いわ。私もあなたみたいになりたいな。どうしたらあなたみたいにきれいになれるの?」
そんなことを聞かれても、俺がきれいで可愛いのは俺の手柄ではない。
あの女神の気まぐれによるのだ。
「えーと。大きくなったらきっとアーコさんももっときれいになると思うよ。今でも十分に可愛いけど」
俺は上手く答えることができず、適当なことを言って誤魔化すしかなかった。
俺はお姉ちゃんてことになるのだろうから、もう少ししっかりしないといけないなと思って、気を引き締めた。
「アーコさんは今日はこれから何をするの?」
俺は話題を変えようと彼女にそう振ってみた。
俺のことを話すのは危険が多過ぎるのだ。
「私はこれからお花屋さんに行くの。大きくなったらお花屋さんになるから」
彼女の発言に、俺以外の皆は目を細めている。
一方で、俺はこの世界で初めて出会う子どもに緊張していた。
「そうなの。偉いわね」
俺に代わってプレセイラさんが応えてくれる。
こんな時、俺くらいの子どもだったら、どんなことを話すのだろう。
「あなたは何になるの?」
そうしてまたアーコさんは、今度こそ俺の存在の核心に触れるようなことを無邪気な様子で訊いてきた。
元の世界だったら微笑ましい子どもの将来の夢って感じだが、この世界では違うのだろう。
あの女神が与えた適性と、それに見合った職業が神託として示されるのだから。
「俺……私は……」
俺の職業は定まっていない。
それはおそらく俺がこの世界にとって異分子で、本来いてはならない者だからだろう。
やはり俺は魔人となって勇者に滅ぼされ、元の世界へ帰るべき人間なのだ。
「アリスさんには事情があってね。今は旅をしているの」
俺が呆然としていることに気づいたのか、プレセイラさんがフォローしてくれる。
「ふうん。変わっているのね。旅がお仕事になるの?」
アーコさんはあくまで仕事にこだわっているようだ。
この世界で、俺の年齢で神託を得ていない者なんていないだろうから、将来の仕事が決まっていない者はいないのだろう。
「旅はお仕事ではないけれど。今はね」
俺が答えると、アーコさんの隣にいた女性は不審そうな顔を見せた。
職業は神の与えた神聖なものだろうから、聞かれて答えないってのは不自然なのかもしれなかった。
それに俺みたいな子どもが旅をしてるのは、いかにも変だ。
普通はこのアーコさんみたいに町や村で親に保護されて、将来に備えながら暮らすのだろう。
「私たちはその先の花屋におりますから、よろしければどうぞいらしてくださいね」
彼女は優しい口調ながらも、何となく早くこの場を離れたいって様子で、アーコさんの手を引いて行ってしまった。
「やはり子どもはかわいいな。いつもアリスさんがいるから、もう慣れてしまった気になっていたけれどね」
カロラインさんがアーコさんたちの向かった先に目をやって、そんな感想を口にしていた。
「子どもはモントリフィト様が、この世界を全きものとして保つためにお与えくださった世界の宝。それが与えられないだけでも、魔人がいかに罪深く、恐ろしい存在か分かるというものです」
プレセイラさんの発言は、可愛らしい子どもを見た後でもブレることはない。
その一貫した姿勢は彼女の固い信仰によって支えられているのだろう。
「プレセイラさん。相談があります」
馬車に戻った俺は以前から考えて、先送りしてきたことを彼女に聞いてみることにした。
アーコさんに出会ったことで、そのことに改めて気づかされたからだ。
「なあに? 私で良ければ相談に乗りますよ」
彼女が俺の相談の内容をどう思っているのかは分からないが、いつもの優しい表情で、そう促してきた。
「俺は何になればいいのですか?」
俺の質問に、馬車の中に衝撃が走ったようだった。
「何になればって……本当に決まっていないのだな?」
カロラインさんがそんな疑問を口にした。
この世界の人にとって、俺くらいの年齢になって将来の仕事が決まっていないってあり得ないことなのだろう。
「いいえ。適性は示されていますから、問題はありません。後はそれを生かす仕事を見つけるだけですから」
プレセイラさんが慌てて俺の発言を補足する。
だが、それはカロラインさんやミーモさん、そしてロフィさんに、あのことを思い起こさせるに十分だった。
俺が魔人になる可能性があるってことを。
「記憶を失っているからということはないのかの?」
ミーモさんが何とか助け舟を出そうとしてくれていたが、それも無理な話なのだ。
俺との旅も長くなっているから、彼女もさすがに俺を魔人だと決めつけるのは、心情的に忍びないのだろう。
「いいえ。神託をいただいたのは記憶を失ってからですから。そこでは職業までは示されませんでした。ただ適性しか……」
プレセイラさんは正直に答えていた。
神に仕える身として、嘘をつくわけにもいかないのだろう。
「そうなるとどうなるのだ? 仕事もなく、何をして暮らすのだ?」
この世界では食事も必要ないし、クリィマさんみたいに辺境の森にでも住めば、誰からも逐われたりしないはずだ。
でも、そんな生活でいいのかってのは、また別問題で、カロラインさんが指摘したのはそういうことなのだ。
クリィマさんがそうしてきたのには、きっとオーヴェン王国宰相として様々な経験をした上で、そうせざるを得ないと考えたからではないだろうか?
「別に慌てる必要はありません。ゆっくりと探せばいいのです。自分に合った職業を」
俺は無意識のうちにクリィマさんに目をやっていたらしい。
それに気づいた彼女は、何てことないって顔つきで、そんな言葉を口にした。
「自分に合った職業だなんて……それは神がお示しになるものです!」
プレセイラさんが思わずといった様子でクリィマさんを非難するが、すぐに俺が彼女を見ていることに気がついて、珍しく動揺しているようだった。
「神がお示しにならない以上、自分で探すしかないのでは? 神はそれをお咎めになられると言うのですか?」
それに付け込んだってわけでもないだろうが、クリィマさんは逆にプレセイラさんを問い質す様子を見せた。
「それは……」
俺はそこまであの女神を信じていないから、俺が勝手なことをして咎められないって保証はないなと思う。
でも、プレセイラさんにとって、神は慈悲深く、寛大な方のようだった。
「神を試そうとしてはなりません。神の慈悲に対して、人は謙虚であるべきです。勝手な振る舞いをしておいて、神の慈悲に期待して赦していただこうというのはむしが良すぎです!」
プレセイラさんはそれでも敢然とクリィマさんに反論した。
そうなると俺はひたすら身を慎んで、神から職業を与えられるのを待つことになるのだろうか?
「そうですね。でも私はある程度貯えもありましたし、リールと知り合ったことで、静かに暮らそうという気にもなりました。ですがアリスさんはどうなのです?」
クリィマさんがどのくらい、あのピッツベルゲン山脈の麓の家で暮らしていたのかは分からない。
でも、彼女はオーヴェン王国で宰相という高位にあったのだ。
そこではおそらく相当な高禄を食んでいたのだろうから、貯蓄だってかなりのものだったのだろう。
「アリスさんには、きっと彼女に見合った仕事が示されるはずです。そう遠くない時期に」
そう言ったプレセイラさんの声には、悲壮な感じさえ漂っていた。
彼女自身もそれを信じ切れてはいないのだろう。
俺はやっぱりあの女神がこの世界で、俺に仕事を斡旋してくれるとは思えなかった。
さっさと魔人になって退場しろってのが、女神のご意思ってやつじゃないかと思う。
そのために人を殺めなくてよいのなら、俺はすぐにでも魔人になって見せるのだが。
「そう遠くない時期だなんて信用できませんね。信託が降るなら、とっくに降っているのではないですか?」
五歳のアーコさんにさえ、花屋という仕事が与えられたのだ。
俺に仕事が与えられないのは、これはもう決定と言って良さそうだった。
それにしても、三百年以上も神官として生活してきたプレセイラさんに、真っ向から宗教論争を挑むだなんて、クリィマさんは勇気あるなって思う。
「いずれにせよ、今は結論が出ないことよね。もう司令部に着きそうよ」
ロフィさんが呆れたように言ったとおり、海軍の司令部の敷地の門は目の前だった。
ここは一旦、お互いに矛を収めて、ここへ来た目的である魔人シスフィの滅んだ島へ渡ることを考えるべきだろう。
そもそもの原因は俺の不用意な問い掛けによるのだが、今はそうするしかないのだと、俺は考えていた。




