第七十話 マナの流れ
ヴェロールの町で運送業を営むその女性は、イヌーキと名乗った。
「忙しいからね。手短に頼むよ」
店を訪れた俺たちの目的が仕事の依頼ではないと知って、彼女はぶっきらぼうな態度を見せた。
そう言うだけはあって、お客はひっきりなしに訪れる。
やはり魔法を使える彼女に仕事を頼む人は多そうだった。
「マナの流れの話なら、もうご領主に何度もしたんだけどね」
お客が途切れたのを見計らって、俺たちは商談をするのに使われていたテーブルで彼女の話を聞いた。
「この町には私みたいに魔法を使う人がそれなりにいるからね。どうしてもマナが枯渇しがちになるみたいなんだ。そうすると、周辺からマナを補充しようとこの町に向かう流れができる。反乱が起こるのは決まってその後なのさ」
俺が使う『分解消滅』の魔法なんて、大量のマナを消費するから、きっと大きな流れができていたんだろう。
あまりそんなことは考えたこともなかったが、いかにもありそうな話ではある。
「まあ。魔法を使わない人には分からないだろうけれどね。これまで気づく人がいなかったのも仕方ないさ」
そう言って彼女は両手のひらを上へ向け、肩をすくめるようなポーズを取った。
「今はそんな流れは感じられませんね」
クリィマさんがいきなりそう尋ねてきたので、俺は思わず「はい」と返事をしてしまった。
「あんたたち。魔法が使えるのかい?」
魔法を使える人は少ないから、クリィマさんがマナの流れについて尋ねたのと、俺までがそれを感じられないって答えたのを見て、イヌーキさんは疑わしいって顔を見せた。
「えっと。ほんの少しだけ……」
俺はまずかったかなと思ってそう答えたのだが、
「アリスさん。偽りはいけませんよ」
プレセイラさんが珍しく俺をたしなめてきた。
どうやらこの世界の神の教えには偽りを述べてはいけないってのがあるようだ。
いや、プレセイラさんもイヌーキさんの態度は鼻持ちならないなって思っていたのかもしれない。
「アリスさんは大人顔負けの魔法を使います。そして、こちらのクリィマさんも。私も癒しの魔法を使いますし、こちらの戦士のミーモさんも、もちろんエルフのロフィさんは魔法を使いますよ」
何となくこうして並べて行くと、やっぱりカロラインさんがハブられている気がする。
いや、リールさんにも触れられてなかったなと思ったのだが、
「そんなに魔法を使える人が集まって。あんたたちいったい何者だい?」
さすがに俺たちがただ者ではないって気がついたのだろう。イヌーキさんは改めて尋ねてきた。
「私たちはこちらにおいでの勇者、リール様とともに王命を奉じてこの地に参った者だ。この地の反乱について調査するようにとの王のご命令があったのだ」
唯一、名前が挙がっていないカロラインさんがリールさんの素性を伝えると、さすがにイヌーキさんも驚いていた。
リールさんは身体も大きくはないし、今も静かにしていて、おとなしいって印象を受けるくらいだったろうから、まさか魔人と戦うような人には見えなかっただろう。
「勇者様だって!」
そして、この世界に王は何人もいるが、勇者はたった一人。
まさに世界の重要人物なのだ。
「そういうことは先に言っておくれよ。いや、勇者様にとんだ失礼をいたしました」
彼女は急に低姿勢になったのだが、それに対してリールさんの方はまったく変わることなく、これまでの彼女の態度を咎めるようなことも言わなかった。
「いいえ。私のことはよいのです。ですがこの町で反乱が起こったのは、マナの流れによるのだとおっしゃるのですか?」
彼女はあくまで王の依頼に応えて、この町で反乱が起きた理由を調べようとしていた。
イヌーキさんはしきりと恐縮していたが、それでも自分の出した「マナの流れが原因」という判断に、自信があるようだった。
「反乱が起こる数日前に、必ずこの町に向かって大きくマナが流れ込んでいるのです。それは間違いありません。それともう一つ気になっているのはそれ以外にもマナの流れがあることです」
イヌーキさんの言葉に、クリィマさんが反応した。
「それは北の峠に向かうマナの流れではありませんか? ここでは常にそんな流れが起きている」
山を越えて、こんな遠くの町まであの『黒い森』にあった暗黒の穴が影響を及ぼしているとは、俄かには信じ難いのだが、クリィマさんが想像しているのはそれだろう。
「良くご存知ですね? どうしてそれを」
彼女の想像は当たっていたようで、イヌーキさんはまた驚いていた。
「私たちは『黒い森』を抜けて来たのです。その間、その流れを感じていましたから」
少し得意げな顔を見せて、そう告げたのはクリィマさんだったのだが、イヌーキさんはリールさんに向かって、
「なんと! あの『黒い森』を抜けて来られたのですか? さすがは勇者様です。この五十年、あの森は足を踏み入れることさえ禁忌とされてきましたのに!」
そう言ってしきりと感心をしていた。
だが、リールさんはそんな賞賛の言葉にも特に反応することなく、真顔のままで、
「反乱が起こる前、輝く砂のような物を見ることはありませんでしたか?」
イヌーキさんにそう尋ねていた。
それは俺も気になっていたことだ。
まさかあれが反乱が起こる原因だなんて、突飛すぎる気もするが、どう考えても怪しい。
「そのようなことまで既にお調べになられたのですか。それではわざわざ私などにお尋ねになるまでもないのではありませんか?」
イヌーキさんはそう答えてくれて、彼女もそれに気がついていたようだった。
ここヴェロールの町で反乱が起こる前、おそらくはマナの流れに乗って、モルティ湖から魔人が遺した輝く水晶のようなものが流れてくる。
それが引き金となって反乱が起きているのだ。
「それが原因かどうかは分かりませんがね。あの穴は塞いでしまいましたから、もう確かめることもできませんし」
クリィマさんは自分が無視されたのに気分を害したわけでもないと思うのだが、ちょっと拗ねた感じでそんなことを言っていた。
「まさかもう一度、あの穴を開いて、反乱が起きるか試してみるわけにもいくまいの。王国としては今後、反乱が起きなければ問題はあるまいからの」
ミーモさんもそう言って、もうここで話は打ち切りかって流れになり掛けたのだが、
「いや。王のご命令は反乱に関する調査とその鎮圧だったはずだ。反乱が収束したことで、鎮圧の方は完遂したが、原因はしっかりと調査すべきだ。勇者様が原因究明に訪れた後でまた、反乱が起きたらどうするのだ?」
カロラインさんがそんな懸念を示した。
確かに王宮へ「反乱は収まり、原因も取り除きました」なんて報告してすぐにまた反乱が起きたりしたら問題だろう。
今のところは何となくマナの流れとそれによってこの町にもたらされる魔人の遺物が原因だろうって結論になりつつある。
でも、それは所詮は仮定でしかないのだ。
「では、どうしたら良いのでしょう? まさか本当にあの穴をもう一度開いて、この町で強力な魔法を使って反乱が起こるか確かめてみると言うのですか?」
クリィマさんの言った方法は、俺たちの考えている仮定を検証する方法としては、それでいいのかもしれない。
でも、そんなことをしてしまっていいのかって俺でさえ思うし、使う魔法の威力によっては、思わぬ事態が生じかねない気がする。
特にクリィマさんと俺が強力な魔法を使ったら、この町の全住民が蜂起するなんてことになりかねないんじゃないだろうか?
「それは……例えば魔人が滅んで残されたあの輝く石のようなものを分析してみるとか。そうしたら何かが分かるかもしれない」
カロラインさんも訊かれて困ったのだろう。何だかしどろもどろになりながら、そんな意見を口にした。
「では、モルティ湖に行って、その欠片を採取して来ましょう」
「お断りします!」
プレセイラさんの提案に、リールさんは即座に断固とした態度を見せた。
「王宮が懸念していたように、この地の反乱はやはり魔人の影響によるものだった可能性が高いのではありませんか? それなのにその調査さえ拒まれるとは、失礼ですが勇者様らしからぬ行いだと言わざるを得ませんが」
プレセイラさんの問い掛けを、リールさんは黙って聞いていた。
それを見てカロラインさんも意を決したように、
「勇者様。魔人と戦うのは神が与えたもうた勇者様の責務です。そのような感傷は捨ててください!」
リールさんを説得せんとして、訴えかけた。
だが、それに対してリールさんは、彼女を睨むようにきっと見た。
「私は勇者である前に一人の人間です。イリアと親しかった一人の人間なのです」
その言葉に、プレセイラさんの隣にいた俺には彼女が息を呑んだ音が聞こえたような気がした。
「一個の人間である前に、あなたは勇者であるべきです。神はそのためにあなたに生命をお与えくださったのですから。神に与えられた責務を果たすことこそを優先されるべきなのです」
異世界人である俺の感覚だと、リールさんの「勇者である前に一人の人間だ」って意見は納得できる。
でも、この世界は俺も会った女神が存在し、彼女が作り上げた世界だ。
それを維持するために必要だと言うのなら、自ずと優先順位は違ってくるのだろう。
この世界を完全な状態に保つためには、各人の自由意思による行動を大きく制限する必要があるのかもしれなかった。




