第七話 王都への道程
「これをアリスさんが……」
小麦粉を神殿へ運び入れると、ちょっとした騒ぎになった。
倉庫までわざわざポリィ大司祭がやって来て、俺が運んだ小麦粉の袋を見てそう漏らしていた。
こっそり倉庫へ運び込めれば良かったのだが、俺はこの神殿に来たばかり。どこに置いたらいいのか分からず、仕方なくマイさんを探したのだ。
とりあえずどこかへ小麦粉の袋を置いてから探していればって後から思ったが、すぐに見つかるだろうと思ったマイさんは部屋にも廊下にもおらず、十袋の重そうな小麦粉の袋が神殿の中を右へ左へと動く様子を多くの人たちに目撃されてしまったのだ。
「はい。やはり神託のとおりです」
プレセイラさんも心なし顔色が青ざめているように見える。
やっぱり俺が魔人なんじゃないかと疑っているようだった。
「よく働いてくれましたから、午後の仕事は免除です。ですが、神殿から外へ出てはいけませんよ」
部屋に戻って待つように言われ、おとなしくそのとおりにしていると、ポリィ大司祭がわざわざ部屋を訪れて、俺にそう告げた。
彼女は笑みを浮かべてはいたが、それは何となくぎこちないものだった。
その上、禁足を命ぜられ、どう考えても俺は警戒されてしまったらしい。
退屈だから身体を動かしていた方が良かったかなと思ったが、大司祭の後ろに控えていたプレセイラさんの真剣な表情を目にしたこともあって、じっとしていることにした。
「アリスさん。あなたの処遇が決まりましたよ」
プレセイラさんもマイさんも部屋へ戻って来ず、することもない半日を過ごした後の夕方遅く、また、ポリィ大司祭が部屋へやって来た。
待つ間、さすがに不安が募っていた。
魔人として処刑されるんじゃないか、そうしたら元の世界に戻れるんだろうかなんて考えていたのだ。
膝を曲げ、俺の目の高さまで顔を下げて、ポリィ大司祭は俺に告げた。
「あなたには王都へ行ってもらいます。念の為です。王宮にもあなたのことを知らせておくべきだと思うからです」
王都になんて行ったら、災いの芽は早く摘めとばかりに消されてしまうんじゃないかって気がする。
でも、ここに置いてくれって言っても無理そうだ。
そしてこの身体で一人で生きて行くのも困難だろう。たとえ水と食料の心配をする必要がなくてもだ。
「分かりました。でも、王都ってどこにあるんですか?」
俺にはほかの選択肢はなかったし、ここに残ることが最良とも思えない。
勇者に滅ぼされて元の世界に戻るためには、神殿で息を殺して過ごしているみたいなのは愚策だろう。
それでも、俺はこの世界の地理はまったく知らないのだ。
大司祭は簡単に言うが、王都のしかも王宮へなんて、こんな子どもが気楽に行けるものなのだろうか?
「王都はこのオルデンの町の北。徒歩で六、七日の距離にあります。ですが馬車を用立てますから、大丈夫ですよ。それにプレセイラも同行しますから」
大司祭の隣に控えていたプレセイラさんは、昼間に見せた厳しい表情ではなく、以前の優しい彼女に戻っていた。
「アリスさん。私と一緒に行きましょうね」
そう言って美しい笑みを見せる彼女に、俺はぼうっとなりかけたが、その目が決して笑っていないことに気づいた。
「はい! よろしくお願いします!」
子どもらしく元気に答えたつもりだったが、わざとらしいものになった気がしないでもなかった。
「私はアリスさんにこのまま神殿で暮らして貰えば良いのではと思っていました。アリスさんが神殿で倒れていたのは、きっとモントリフィト様の思し召しだと思うからです。でも、王宮に知らせなくても良いのかと言われると、私には分かりません」
王都へ向かう馬車の中で、プレセイラさんは俺にそう語った。
どうやらあの小麦粉の袋を運び込んだ後、俺の処遇を巡って喧々囂々の意見が交わされていたらしい。
「私たちにはそれぞれ役目があります。モントリフィト様はそれを神託としてお示しくださっているのです。例えば私のことを言えば、神聖魔法が使えるということで神殿にお仕えすることになりました。そしてそれは私にぴったりのお役目だと思っています」
彼女は神託で俺が魔法への適性、しかも普通の人とは明らかに異なる適性を示されたのは、神に愛されているからだと、神が俺に大きな役目をお与えになったからだと考えていると言ってくれた。
「そんなことはないと思います。俺は普通の人間ですから。それに王都へ行けて嬉しいです。ですから気にしないでください。大きな町なんですよね?」
俺は敢えて無邪気を装って答えたが、俺があの女神から愛されているなんてことがあるはずもない。
奴は俺をさっさと返品したいって考えているはずなのだから。
食事をする必要はないが、夜は眠る必要はある。
そのため、馬車は夕方になると途中の宿場町で停まった。
「今夜はこちらの教会にお世話になりますよ」
「はい。ありがとうございます」
清貧を旨としているのか、教会のベッドは固く、毛布もぺらぺらで寝心地が良いとは言い難い。
これはオルデンの神殿もそうだったから、教会はどこもそうなのだろう。
俺はお礼を言いつつも正直、ふかふかのベッドで眠りたいって気持ちだった。
でも、教会には俺たちのほかにも多くの人が宿泊しているらしく、一度、前を通った大部屋には数多くのベッドが並べられていた。
俺とプレセイラさんは個室を使わせてもらっていたから、贅沢は言えなかった。
「たくさんの人が泊まっているんですね。王都が近いからですか?」
いよいよ明日は王都だという町の教会で、出発前に俺はプレセイラさんに聞いてみた。
王都が近いからとは言ったものの、考えてみれば、ここまで来る間も教会にはかなりの人数が泊まっていたように思う。
それ以外にも普通の宿も結構あるようだったし、宿泊の需要はありそうだった。
俺もあの宿の一つに泊まりたいなって思っていたから、間違いない。
「ええ。それもありますが、この街道は王都タゴラスと神殿のあるオルデンを結ぶ道。多くの巡礼がこの街道を利用しますから、いつも多くの人が行き来しているのです」
そう教えてくれる。
座高の低い俺は、馬車の窓から外を見ても、あまり街道を行き来する人の姿を確認することができなかった。
プレセイラさんが、俺が馬車から顔を見せることをあまり好ましいとは思っていないことも何となく分かった。
だからはっきりとは分からないのだが、オルデンの町からここまで、男性の姿を見ることがなかったことは間違いない。
王都から来る馬車とすれ違う時にちらっと見えた乗客や、休憩中に姿を見た街道を行き交う人々は女性ばかりだった。
さすがに王都も近いのに、ここまで男性がいないとなると、もうこれは確定だと言ってよさそうだ。
この世界には男はいない。女性ばかりの世界なのだ。
いや、より正確には人間に性別がなく、元いた世界の女性に似た姿をした者ばかりが暮らす世界だと言うことだろう。
「プレセイラさん。子どもはコウノトリが運んで来るのですよね?」
俺は神殿でマイさんから得た知識を確認した。
突然の質問に彼女は面食らったようだったが、それでも優しく教えてくれる。
「ええ。そうですよ。モントリフィト様は常にこの世界のことを見守っておられます。誰かが不慮の事故などで亡くなると、その人の果たしていた役割を引き継ぐために、神は子どもを下さるのです。神の御使いである白く輝く羽を持ったコウノトリが、子どもを運んで来るのです」
「えっ。誰かが亡くなると、その人の代わりに?」
彼女の答えは俺の想像を超えたものだった。
そんなことはマイさんは言っていなかったし、俺も考えもしなかった。
だが、彼女は当たり前だとばかりに繰り返す。
「そうです。神は常にこの世界の人々が平和で幸せに暮らすことを望んでおられます。ですから、それぞれの人に役割を与え、万が一、ある人が亡くなった時は、その役割を引き継ぐ者を送られるのです」
彼女の口調は静かだったが、俺は平静ではいられなかった。
誰かが亡くなると子どもが生まれるなんて考えたこともなかったからだ。
「そうすると、生まれる子どもは亡くなった人の生まれかわりってことですか?」
俺は彼女の話から、てっきりそうなのかと思ったが、彼女は首を振った。
「いいえ。生まれかわりではありません。モントリフィト様は誰かが亡くなると、マナから新たに子どもをお作りになると考えられています。コウノトリがもたらすのは純真無垢な子どもですから、それが正しいと私も思っています」
どうも記憶を引き継ぐわけではないらしい。
そうなると本当は生まれかわりであろうとも、意味をなさないことになりそうだ。
あともう一つ、俺は確認しておかなければと思ったことがあった。
「プレセイラさんは不慮の事故でっておっしゃいましたけれど、もしかしてそれ以外で人が亡くなることってないんですか? 例えば老衰とか?」
俺はこれはかなり危険な質問かなと思ったが、彼女は俺が記憶喪失だってことで納得している。
それに、彼女がそう配慮してくれているのか、馬車の馭者も含め、俺の周りには彼女以外の人はほとんど寄りつかなかった。
だから俺の発言が誰かに聞きとがめられる危険性もなかった。
「老衰って、何ですか?」
俺が想像していたとおり、彼女は異世界人特有の反応を見せた。
これは「老衰」という概念自体がこの世界には存在しないと考えるしかなさそうだ。
「飲まず食わず」や「女性」という言葉同様に。