第六十九話 ヴェロールの町
「アリスさん。山越えはきつくなかったですか?」
ヴェロールの町が視界に入るとプレセイラさんが、いつもの優しい声で気遣ってくれた。
「ええ。自分ひとりにだけ癒しの魔法を何度も使っていただいて。ありがとうございます」
俺がそうお礼を言うと、彼女は目を細めた。
「そのようなこと。アリスさんは子どもなのですから、気にしなくて良いのですよ」
彼女はこんなに優しいのに、話が魔人のこととなると、まったく譲ろうとはしない。
それはやはりこの世界の神への信仰に関わる問題だからだろうか?
「いきなり襲われることはあるまいの?」
いよいよヴェロールの町の門が近づくと、ミーモさんが珍しく、怯えたような声で誰にともなく尋ねた。
「いや。領主が逐われたくらいなのだから。油断しない方がいいだろう」
カロラインさんはそう言って腰の剣に手を伸ばす。
別に抜剣して町に入ろうというわけではなく、念の為に腰の物を確認しただけのようだが。
「私なんて町に入れてさえもらえない気がするわ」
ロフィさんみたいなエルフを見たことのある人は少ないらしいから、反乱の起きた町に姿を見せたら、確かにトラブルが起きそうだ。
「こちらにはリールがいるのです。そう無碍にはされないでしょう。それにアリスさんが前に立てば、誰もが歓迎してくれるのではないですか?」
後半は完全に冗談なのだろう、クリィマさんの発言に、だが、プレセイラさんがすぐに反応した。
「何をおっしゃるのですか? アリスさんを前に立てるなどと。子どもを危険に曝すようなことを言って。恥ずかしくはないのですか?」
そこまで非難を浴びせられるとは思っていなかったのだろう、クリィマさんは呆気に取られたって顔をしていた。
「プレセイラさん、冗談ですよ。何とも思っていませんから」
俺が慌ててそう答えると、プレセイラさんはそれでも厳しい顔でクリィマさんを見ていた。
そんなこともあって少々険悪なムードの中、俺たちはヴェロールの町の門にたどり着いた。
「普通に見えるの」
ミーモさんが拍子抜けしたって声で言ったが、門の様子はその言葉どおりだ。
門衛こそいるものの往来はほぼ自由で、足止めをされている人もいなさそうだ。
「それでも外部の人は止められるんじゃないかしら?」
ロフィさんは疑い深いのかなって思ったが、その可能性は確かにある。
門衛だって町の人だから、この町に長く暮らしているのだろう。
町の人ほとんどとは顔馴染みになっているのかもしれない。
「ここで待っていても仕方がありませんね。町に入るしかないでしょう」
「そうだな。こちらは王命を奉じているのだ。止められる道理はないからな」
クリィマさんが結論めいたことを口にすると、それにカロラインさんが応じたが、王命が効果を発揮するのって、相手がそれを尊重する時だけじゃないだろうか?
「ほう。これは可愛らしい子が来たね。ヴェロールへようこそ」
門衛の兵士は、俺たちが想像していたのとはまったく逆の対応だった。
俺の姿を見て相好を崩した彼女は膝を曲げて俺の顔をまじまじと見てきた。
「お名前を教えてもらっていいかしら?」
もう、ほかの人には興味がないって様子で俺に話し掛けてくる。
「あの。アリスと言います」
本当は下の名前もあるんだけどなって付け加えたい気がしたが、こう名乗るのにもだいぶ慣れてきた。
もともと嘘じゃないし。
「ほう。アリスさんか。可愛らしい名前だね。今日はアリスさんに出会えて、とても良い日だよ」
大袈裟だなって思ったが、この世界では神から与えられた使命を守って日々を過ごすのが基本だから、俺みたいな子どもが門を通ることってあまりないのかもしれない。
「どこから来たのかな?」
頭を傾ける彼女の様子は悪意があるようには見えないが、もしかして子どもの俺から上手く情報を引き出そうとしてるんじゃないかって気がしてきた。
俺がそう思ってプレセイラさんを見上げると、
「ありゃ。私が大きいから怖がらせてしまったかな? 何もしないから安心していいよ」
そう言って慌てだして、その様子はまた、嘘をついているようには見えない。
確かに門衛の人はカロラインさんと並んでも、彼女の方が高いんじゃないかって長身の女性だった。
「そ、そんなことはありません」
何だか眉の先を下げて、残念そうな顔を見せる彼女が可哀想な気がして、俺は謝った。
「王都タゴラスからです」
そんな俺を見かねてか、プレセイラさんが答えてくれた。
隠しても仕方がないし、カロラインさん的に言えば、王命を奉じているのだから堂々とすべきなのだ。
「それはまた遠くからだね。大変だったろう。早く町に入って休んだ方がいいね。引き留めて済まなかったね」
門衛は本当に済まなそうな顔をしてそう言って、立ち上がると左腕を広げて、門の中へ進むよう促してくれた。
「ありがとうございます」
俺のお礼の言葉に彼女はまた笑顔になり、
「どういたしまして。ヴェロールで良い一日を!」
そう言って俺だけでなく、仲間の皆を通してくれた。
「まさかこんなに簡単に行くとは思っていなかったの」
ミーモさんは不思議そうに思っているようだったが、クリィマさんが訳知り顔で、
「私の言ったとおりでしょう。アリスさんの力は偉大なのです」
そう口にすると、プレセイラさんはまた怒るのかと思ったが、おかしそうに噴き出していた。
「ごめんなさいね。でも本当にアリスさんの可愛さは無敵なのね。どんな人もアリスさんを見たら幸せな気持ちになってしまう」
笑いながらそんなことを言って、俺は困惑を隠せない。
誰もがそうってわけではないと思うのだが、そんなことが何度もあったことは事実だ。
「これならアリスさんの力で、この町の反乱も収まるのではないか?」
カロラインさんまで、そんな無茶なことを言い出した。
「とりあえず政庁を兼ねている領主屋敷に向かいましょう。反乱を起こした者たちはそこにいるでしょうから」
リールさんだけは真面目な顔で、この先に訪ねるべき場所を示してくれていた。
やはりイリアの滅んだ地であるモルティ湖の近いこの町では、気楽な気分にはなれないようだ。
「最悪、睡眠の魔法で反乱を起こした者たちを眠らせてしまいましょう。アリスさん。頼みますね」
クリィマさんは今度は真面目な顔で俺にそんなお願いをしてきた。
できれば穏便に済めばって思うが、上手く行かなかった場合はってことだろう。
俺が頷くと、皆はそのまま町の中心にある領主屋敷へと向かった。
「勇者様のお手を煩わせ、恐縮です。ですが反乱は既に鎮まりました」
領主屋敷に赴くと、そこにいた文官の一人が、リールさんにそう挨拶をしてくれた。
「反乱は収まったのですか? どういうことでしょう?」
リールさんが尋ねると、文官はばつが悪そうに、
「いつものことです。住民たちの一部が突然、徴税に応じなくなったのです。もっとも今回は暴徒と化した住民が領主屋敷に押し寄せ、領主が一時、王都へ難を避けることになってしまいましたが」
住民を傷つけるわけにもいかないので仕方がなかったのだと彼女は弁明するように言った。
「確かにそうですね。間違いでもあったら大変ですから」
カロラインさんの言ったのは、間違って亡くなる人が出たら大問題ってことだろう。
その瞬間、魔人が出現し、この町の衰退が確定してしまう。
「領主のラーナ様は賢明な方ですから、そういった危険は避けられたのです。数か月程度の間なら徴税が不可能になっても、この町にもある程度の貯えはありますし、いずれ住民たちも心を入れ替えるはずですから」
これまでもずっとそうだったのですと、その文官は付け加えた。
「そうなのですか?」
カロラインさんが尋ねると、文官は頷いた。
「最近ようやく分かったのですが、どうやら原因はマナの流れのようなのです。荷運びを生業とする者が、町で騒擾が起こる前に、必ず特異なマナの流れを感じているのです。最初は偶然かと思っていたのですが」
彼女は魔法を使えないので、自分には分からないのだと残念そうに言った。
「そのマナの流れを感じた人を紹介してくれませんか?」
リールさんがお願いすると、文官は二つ返事で請け合ってくれた。
「もう王都にも早馬を出しましたから、ラーナ様も追っ付け町に戻って来ることでしょう。この町はもう元の静かな町に戻りますから」
そして、そう言ったのは、王都への報告は穏便にってことなのかもしれなかった。
「マナの流れなんてあるのだな」
文官に紹介された荷運びをしている人の家へ向かって歩いていると、カロラインさんがクリィマさんに向かってそんなことを聞いていた。
魔法を使えない彼女には、それがどういうものか想像できにくいらしい。
「マナの流れはもちろんありますよ。感じたり、人から聞いたりしたことはありませんか?」
クリィマさんはそう返すが、カロラインさんは少し不服そうだった。
「聞いたことはないな。それに残念ながら私には魔法の才能が与えられておらぬから、感じることもできない。それも神様の思し召しだろうが」
魔法は便利だし、この世界でも使える人はやっぱり特別だ。
仕事の効率も段違いだから、魔法が使えれば重宝されることは確かだろう。
「そうだの。魔法が使えなくともカロライン殿は近衛騎士であるからの。それも神様の思し召しであろうて」
ミーモさんがちょっとうんざりしたって顔で、カロラインさんを宥める。
また彼女の後ろ向きの話が始まりそうだって思って、それを未然に防いだのだろう。




