第六十八話 魔人イリア
「一旦、ここで休憩しますか。長くなりそうですしね」
クリィマさんが嘆息するように言って、例の袋からテーブルと椅子を取り出した。
峠まではまだ掛かりそうで上り坂が続くし、俺にとっても休憩はありがたい。
マナの扱いに慣れたおかげで疲労回復はお手の物になってきてはいるが、そもそも歩幅が狭いのだけは如何ともし難いのだ。
「イリアはとても美しく、聡明な人でした。神から授かった自らの役割に関して言えば、私などよりずっと真摯に取り組んでいたでしょう。そもそも魔人が現れなければ、私はあまりすることはありませんし」
皆が思い思いの席に落ち着いたのを見て、リールさんは再び語り始めた。
俺の席はリールさんの正面に座るプレセイラさんのすぐ横だ。
彼女が椅子を並べてくれると、別の席に座るのも不自然だから、どうしてもそうなってしまう。
俺は何となくプレセイラさんの付属品みたいに、リールさんと対峙するような感じになっていた。
「ご謙遜を。勇者様の常日頃のご努力は、誰もが知っております」
カロラインさんがそう言ったのは、決してお世辞ばかりではないだろう。
リールさんは真面目な人だから、その務めをおろそかにするとは思えないのだ。
だが、リールさんはゆっくりと首を振って、それを否定した。
「私などは毎日、同じことを繰り返していただけ。ですがあの人は違いました。いつも自分に家やお店を建てるように頼んでくれる町の人により良いものを、そして一日でも早く自分の建てたものを使ってもらいたい。心からそう願っている人でした」
どうやら魔人となる前のイリアは、真面目な人だったらしい。
リールさんと似た性格の人のようだから、お互いにシンパシーを感じていたのかもしれなかった。
「本当に善良な人だったんですね」
俺はそう言ってしまって思わずプレセイラさんを見上げた。
彼女はちょっと驚いた顔をしていたが、俺を責めてはこなかった。
「ええ。善良な人。あの人はそう言ってもよい人だったと思います。いつもお客になってくれる町の人の期待に応えたい。そう考えている人でしたから。そうして、そのための努力を怠らない人でもありました」
リールさんはそう言って遠い目をした。
きっとイリアさんと過ごした日々を思い出しているのだろう。
「あの人は、もっと手早く簡単に家を建てられないかと常に考えていました。そうすることで、より多くの町の人の期待に応えられると思っていましたから。そうしてついに、その想いを実現したらしいのです」
「らしいとは、どういうことじゃの? 親しかったのではなかったのかの?」
ミーモさんの疑問は俺も同様に感じたことで、俺は「聞き間違いかな?」と思ったくらいだった。
相手の仕事についてさえ、かなり詳しく話を聞いていたみたいなのに突然、「実現したらしい」って伝聞になるのは不自然な気がした。
「もちろん親しかったですよ。ですがあの人がそれを実現した時、私は町を留守にしていたのです」
どうやらリールさんは、イリアが新しい建築方法を考え出した時、故郷の町にいなかったようだ。
「町を留守にしていたって、もしかして魔人が現れたのかしら?」
ロフィさんが不安そうに尋ねると、リールさんは、
「それは半分は正解ですが、正確にはそうではありません」
そんな謎掛けのような答えを口にした。
皆は黙って彼女の次の言葉を待つしかなかった。
「私がその時、ジョイアの町を離れたのは、ニヴィウ大陸のある町で魔人が滅ぼされて千年の記念式典が開かれたからなのです。そういった機会に王都であるとか、魔人討伐に縁のある町に勇者が招かれることもままあることなのです」
俺は千年ってすごいなと思ったが、誰からもその点についての反応はなかった。
この世界の人には寿命はないし、元の世界だって歴史上の人物の「何百年忌」なんてニュースにもなっていたから、それもあり得るのだろう。
「ニヴィウ大陸はこの間までいたステリリット大陸のさらに東にある大陸ですよ」
一方で、プレセイラさんは俺に親切にそう教えてくれた。
ステリリット大陸のさらに東って、遠くまで招かれたんだなってことが分かったし、俺にはこの世界の地理に関する知識なんてないからありがたかった。
「もしかして半分は正解って……」
ロフィさんの不安げな顔にリールさんが頷いた。
「私がジョイアの町に戻ろうとコパルニに上陸した時、すでにイリアは魔人となっていたのです。魔人となったあの人は故郷の町を離れ、モルティ湖に私を誘いました」
俺は何とも思わなかったのだが、カロラインさんが悲鳴のような声を上げた。
「魔人に誘われたのですか? 勇者様が魔人に? それは罠ではないのですか?」
ロフィさんも怯えた目でリールさんを見ている。
その視線に気づいたリールさんは寂しそうに首を横に振った。
「いいえ。罠などではありません。魔人となった後も、イリアは元のままだったのです」
さすがに耐えられないといった様子でプレセイラさんが口を開く。
「魔人が元の人間のままだったなどと。失礼ですが勇者様は感傷に流されているとしか思えません。いくらその方と親しかったからと言って、魔人は人ならざる者。狡知に長けた邪悪な存在なのです」
その言葉に、今度はリールさんが抗議の声を上げる。
「あなたに何が分かると言うのです! あなたは魔人と出会ったことがあるのですか?」
そう問われて、プレセイラさんは一瞬、怯んだようだった。
この世界で恐れられている魔人に実際に会ったことのある人は、思ったより少ないのかもしれなかった。
逆にリールさんはこれまで何人もの魔人と戦ってきているのだ。
こと魔人に関しては、リールさん以上に接触している人はいないだろう。
「残念じゃが、元のままだったというのは信じられんの。だって人を手に掛けておるのじゃろう? 魔人となったからにはの」
ミーモさんが落ち着いた声でそう言って、それでもやはりプレセイラさんの側に立つ。
この世界の人にとって、それが常識なのだろう。
「確かにそうです。あの人は家を建ててもらおうとやって来た人を殺めたようです」
ミーモさんのおかげか、リールさんは落ち着きを取り戻していた。
だが、その言葉に今度はプレセイラさんが、
「お客を手に掛けたと言うのですか? それで善良な人などと、よく言えたものですね!」
呆れたって顔でそう言い放った。
その「善良な人」ってのは俺が言ったんだけどなと思ったが、彼女はもうそこに配慮する冷静さを失っていたのだろうか。
「そうですね。ですが、それはあの人が望んだことではないのです。あのシシの遺した鉄柱に刻まれた文字や、シシの隣人であった人の話を聞いて、私はそれを再認識することができたのです」
彼女の目は、その言葉どおり確信に満ちていた。
魔人シシの遺物と伝わる鉄柱には、彼女が人を手に掛けたのは事故だったと書いてあったはずだ。
そうなるとイリアが人を殺めたのも事故だったのだろうか?
「あんな魔人の勝手な主張を信じるというのですか? 魔法が使えるようになり、魔人となったそのことが、イリアやシシが人を手に掛けた証拠なのです。自分は悪くないと主張するのも、いかにも邪悪な魔人らしいではないですか?」
プレセイラさんはそれでもリールさんの主張を一蹴した。
俺は、さすがにこれでは議論にならない、平行線だなって思ったが、リールさんもそんな気になったのかもしれない。
突然、話の方向を変えてきたのだ。
「私はアリスさんを初めて見た時、あの人のことを思い出したのです」
これには俺だけでなくプレセイラさんもぎょっとしていた。
「どうしてここでアリスさんが出てくるのです?」
俺が訊く前に彼女がそう訊いてくれた。
それに対して、リールさんはじっと俺を見詰め、
「アリスさんの美しさはあの人に通じるものがある。何だか私にはそう思えてならないのです。もちろんアリスさんの美しさは別格です。でも、あなたを見ていると、私はあの人のことを思い出さずにはいられないのも事実なのです」
その目はいつもの真面目なリールさんのものではなく、とても優しく温かいものに見えた。
きっと彼女が友人であるイリアさんに送っていた眼差しなのだろう。
俺にはそう思えた。
「アリスさんを魔人などと比べないでください!」
プレセイラさんはそう言って、俺を守るように抱き寄せた。
でも俺は自分が魔人となった人と似ていると聞いて、ほんの少しだけ希望を覚えていた。
最近はずっと旅をしていて、忘れそうになるが、俺の目的は魔人となって勇者に滅ぼされ、元の世界へ帰還することなのだ。
「さあ。休憩はこのくらいでいいじゃろう。これではいつまで経ってもヴェロールの町に着かぬからの」
ミーモさんの提案にずっと黙っていたクリィマさんが、
「そうですね。何とか日のあるうちに峠を越えてしまいたいですね」
そんな風に応じて、俺たちは席を立った。
二人とも俺と同じように、プレセイラさんとリールさんの意見が交わることはなさそうだって感じたのだろう。
「今はとにかく国王陛下のご依頼を果たさねばならないからな」
カロラインさんも自らを納得させるように、そう言っていた。
俺はもっと魔人となったイリアのことが聞きたかったが、今はこのあたりが限界のようだ。
この先、ヴェロールの町でも一悶着あるかもしれないなと俺はそう思っていた。
何しろその町は魔人の滅んだモルティ湖に近い。
そしてそこはリールさんが親しかったイリアを滅ぼした場所なのだから。




