第六十六話 奈落の封印
「これでどうでしょう?」
俺は大量のマナを周囲から集め、それを一気に穴の中に封じ込めた。
そしてマナを周囲の土と同化させる。
「凄まじい魔力です。これなら相当奥まで土で埋まったことでしょうね」
クリィマさんが解説してくれたとおり、俺の魔法で物質化したマナは、穴のかなり深い場所まで到達したはずだ。
だが、下手をしたら噴出してくるかもと思ったそれは、そうなることもなく、すべて穴の中に収まった。
「かなり奥まで土にしましたから、そう簡単には落ち込まないと思いますが、完全には埋まっていないみたいです」
一気に大量のマナを物質化したことと、そこまで穴の幅が広くなかったことで、土は途中から詰まってしまっていた。
だが、深い穴を完全に埋め尽くした感覚はなく、上に重い物を乗せたら、沈んでしまうんじゃないかって心配だ。
「あれでも埋まりきっていないと言うの? ちょっと信じられないのだけれど」
ロフィさんは長い耳をピンと伸ばして、そんなことを聞いてきた。
彼女には俺が操作したマナがいかに膨大なものだったかが感じられたようだった。
「とりあえず、これを上に置いておきますか。それなら万が一人が通っても大丈夫でしょう」
そう言ってクリィマさんは腰に下げた袋の中から一枚の板を取り出した。
「おっと、あぶない!」
手許が狂ったのか、クリィマさんが取り落としたそれは、ドスンという重い音を立てた。
板は黒光りするような銀色で、どうやら金属でできているようだった。
大きさはかなりあり、これならあの穴の上を覆うことができそうだが、よくこんな大きな物があの小さな袋の中に入っていたなと思う。
「これは、もしかして……」
ロフィさんが尋ねると、クリィマさんは自慢げに、
「鉄の板です。以前、オーヴェン王国にいた時に手に入れたものです。役に立って良かった」
この人はあの国で宰相をしていたって言っていたのに、それと鉄板がどう繋がるんだろうと思う。
こんな大きな鉄の板なんて、鉄板焼きでも使わないだろう。
「森の中に鉄だなんて……無粋ね。でも森と言っても『黒い森』なんだから仕方ないかしら」
ロフィさんが嫌味みたいなことを口にしていたが、クリィマさんはどこ吹く風って感じだった。
「アリスさん。手伝ってください」
どうやら袋から出してしまうと、後は普通に大重量の金属塊になるらしい。
彼女が俺に求めたのは当然、浮遊の魔法で鉄板を動かすことだった。
子どもの俺の腕力なんて、しれているし。
「これでひと安心ですね」
俺も手伝って、と言うか、ほとんど俺の魔法で鉄板を穴のあったと思しき場所へと動かすと、クリィマさんはそう言って額を拭う仕草をした。
いや、汗なんてかいていないから。
「これなら俺が魔法を使う必要なんてなかったんじゃないですか?」
最初からこの鉄板で穴を覆ってしまえば済んだって気がしたのだが、リールさんの見解は違っていた。
「いいえ。ただ人や動物が落ちる危険を除くだけならこれで良いでしょう。でも、私はあの光る粉のようなものが気になるのです」
山の方角に目を凝らしても、もうあの輝きは見つけることはできない。
どうやら穴が塞がれたことで、あれが流れてくることも止まったようだった。
「鉄の板だけだと、どうしても隙間ができますからね。その点、アリスさんの魔法は優秀です」
あまり褒められた気がしないが、俺の魔法が役に立ったのなら喜ばしいのだろう。
この穴を塞ぐべきってことは、プレセイラさんも主張していたから、彼女も喜んでくれるだろうし。
「それにしても……」
さすがに俺も記憶に残っているから間違いは犯さないが、鉄の板で塞いでおけば大丈夫ってのには違和感が残る。
「どうかしましたか?」
俺が、この世界では鉄が錆びないからこそだよなって考えていると、プレセイラさんが優しく声を掛けてくれた。
「いえ。何でもありません」
俺は慌てて首を振るが、彼女は俺を見て、
「少し疲れましたか。あんなに続けて魔法を使うだなんて。アリスさんは偉いですね。でも、もう少し気を遣ってあげないと。私が癒して差し上げますね」
そう言って俺には優しい顔で、でも主にクリィマさんだろう、俺に魔法を使わせた皆には厳しい顔を見せて、癒しの魔法を掛けてくれた。
俺はマナの扱いに相当、慣れてきていたから、あまり疲労は感じていなかったのだが、プレセイラさんの心遣いが嬉しかった。
そうして黒い森を抜け、俺たちは峠を越えるべく山道を進んで行った。
「一応、道があるんですね?」
黒い森を抜けた先には道というよりも、道の跡と言った方が適切かもしれないが、そんなものがあった。
この先はヴェロールの町までほとんど人が住んでいないと聞いたのに、道があるのが不思議だった。
「本当はここを通るのが、ヴェロールまでの近道なのです。今の街道は山脈をぐっと東へ迂回していますから」
どうやらそう言うことらしい。
そしてそれには『黒い森』が絡んでいるのだろうっていう俺の予想は半分は当たって、半分は外れたようだった。
「ここから見える『黒い森』は以前はあのような恐ろしい場所ではなかったのです。もちろん野生の動物はいましたが、あんな恐ろしい魔物が蠢く呪われたと呼ばれる森ではありませんでしたから」
プレセイラさんの説明に、ロフィさんが付け足すように、
「そうよね。私たちの中では、五十年くらい前からあんな森になってしまったって言われて……」
そう言ったところ、リールさんが厳しい表情で彼女を睨みつけるように見てきた。
その顔にロフィさんは思わずたじろぐ様子を見せたが、プレセイラさんはさらに続けて、
「そうです。魔人イリアが滅ぼされてからなのです。あそこに見える森が『黒い森』と呼ばれるようになったのも、そしてヴェロールの町で反乱が起こるようになったのも」
俺ははらはらして見ていたが、プレセイラさんはリールさんの様子に気がついているだろうに、まったく忖度する様子を見せず、後方を振り返って言った。
このあたりは神に仕える神官ならではって気がする。
たとえ相手が勇者だとしても、人間相手に真実を告げないって選択肢はないようだ。
その割には俺には甘いのだが。
「どうしてもイリアのせいだと。そうおっしゃりたいのですね?」
とうとう耐えられなくなったって様子で、リールさんが噛みつくように返してきた。
その姿は普段の冷静な彼女からは想像できないものだ。
「国王陛下もおっしゃっていたではありませんか。時期も場所も、あまりに近すぎるのです。リールさんが魔人イリアを倒された時と場所に」
「やめてください!」
プレセイラさんの追及に声を上げたのはリールさんではなく、クリィマさんだった。
彼女も辛そうに顔を歪め、今にも泣き出しそうにさえ見えた。
「やめてください。そんなことはリールだって分かっているのです。それでも、あの湖には近寄りたくない。そう思っているのです。あまりに辛い出来事があったのですから」
激情のこもった声で、クリィマさんは続けた。
彼女だけはモルティ湖で何があったのか知っているのだろう。
リールさんと彼女は長い付き合いらしいのだから。
「クリィマ。いいのです。皆さんにもお話ししましょう。イリアと私との関係を」
急にいつもの落ち着いた様子を見せたリールさんに、クリィマさんは目を見開いて彼女を見ていた。
「いけません。誰もが理解してくれる話ではないのです。いえ。理解を得られない場合の方が圧倒的でしょう」
彼女は思わずそう言って、しまったという顔をした。
だが、口から出してしまった言葉を無かったことにはできない。
「理解を得られない話とは、魔人と勇者様との関係とは何なのですか? 勇者様!」
カロラインさんがリールさんに詰め寄って、答えを求める。
クリィマさんはまだ顔を左右に振っていたが、リールさんは彼女に向かって頷くと話しはじめた。
「私はずっと勇者として、魔人と戦い、何体もの、いえ何人もの魔人を滅ぼしてきました。それが勇者の務めだと、神のお命じになったことだと信じて疑いませんでしたから」
彼女の言葉は誰もが納得することだろう。
勇者は神に命ぜられて魔人を倒すものだからだ。
この世界では人はそれぞれ神によって役割を与えられている。
勇者のそれは魔人を倒すことで、それは皆が認めていることでもあるのだ。
「魔人は特異な存在。人をその手に掛け、悪行の限りを尽くした獣のような者。到底、人とは相容れない魔物に近い相手だとそう思っていませんか? 私はずっとそう思ってきました。多少の違和感を覚えながらですが」
その違和感のひとつがあの水晶のような美しい結晶だろう。
あんな綺麗なものを残す魔人が、邪悪だなんて信じられないってのは俺でさえ思う。
でも、リールさんの言い方だと、彼女は魔人は邪悪ではないって考えているように聞こえた。
「そのとおりではありませんか。魔人は人を害し、人に災厄をもたらす者。滅んだ後に魔物が現れるのもそのせいなのでしょう?」
プレセイラさんはリールさんの発言に危険なものを感じたようで、咎めるような厳しい声で応じていた。
あの女神の敬虔な信徒である彼女にしたら、魔人が邪悪じゃないなんて、認めることはできないだろう。
「いいえ。私はそうではない魔人を知っています。いえ、イリアは魔人などではなかった。今でもそう思っているのです」
どうやら、リールさんがモルティ湖で滅ぼした魔人イリア。
それはやはり彼女にとって、特別な魔人らしかった。




