第六十四話 魔物との連戦
「そんな噂があるのですか?」
プレセイラさんの言い種は、この森がただの森ではないって知っていたってもののように感じられる。
「ええ。以前言ったように神殿がもし、私がこの森へ向かうと知っていたなら、きっと止めたことでしょう。少なくともポリィ大司祭は反対されたはずです」
彼女がそんなことを言ったのは俺には意外だった。
彼女は敬虔な神の信徒で、神殿の大司祭と意見を異にすることなんてないだろうって思っていたのだ。
「大司祭様が反対されても、ここを訪れるべきだと思ったってことですか?」
俺が尋ねるとほとんど同時に、ロフィさんの声が響いた。
「何かいるっ!」
彼女たちエルフは感覚が鋭敏だ。
だからきっと俺たちは以外の何かが側にいるのだろう。
そして、こんなところにいるのが人のはずがなかった。
彼女が指さした前方に目を凝らすと、俺にも暗い森の中に何か黒い影が動く様子が見えた。
「ジャイアント・グリズリー? 大きいわ!」
ロフィさんにはそれが何か分かったようだ。
分かった上で、驚きの表情を浮かべていた。
「こちらへ来るぞ!」
カロラインさんはそう言って剣を抜き、俺たちの前に出て臨戦態勢を取る。
俺たちに向かって来たそれは、ロフィさんの言葉から想像した熊とは明らかに異なるものだった。
(でかい! これは熊なのか?)
姿形は確かに熊に似ているし、毛の色も黒っぽい灰色で熊らしいと言えばそうだ。
だが、その大きさは大型トラックくらいあり、それがそれこそトラック並みの勢いで木々の間を駆けて来るのだ。
「アリスさん?」
クリィマさんだろうか? 俺に呼び掛ける声が聞こえた。
だが、俺は恐怖に駆られ、咄嗟に動くことができなくなっていた。
熊なんて動物園でしか実物を見たことはないが、あんなに大きいはずがない。
「アリスさん! 魔法の障壁をお願いします!」
クリィマさんから叫ぶように声が掛かったが、俺はもう別の魔法を発動していた。
バリバリバリバリ!!
「うわっ!」「なんだ?」「キャー!!」
俺の前方に輝く魔法陣が出現し、そこから眩い雷がジャイアント・グリズリーに向かって走る。
そしてドドーン! と言うような音がして、大きなトラックほどもあるそれは、吹き飛ばされて周りの木々をなぎ倒した。
「すごい……」
ロフィさんだろうか、そんな声がして、俺が我に返った時には、倒れたジャイアント・グリズリーは溶けるように消えていた。
「アリスさん。大丈夫ですか?」
プレセイラさんが駆け寄って、俺を優しく抱き止めてくれる。
「大丈夫です。ごめんなさい」
これまでドラゴンやフェニックスとも戦ってきたが、魔人の滅んだ地には、そこを守る魔物が必ずいると聞いていたし、心の準備ができていた。
でも、今回は何となく危ないのかなって思っていた程度で、いきなり現れた巨大な魔物に、気が動転してしまったのだ。
「驚いたわね。まさか、あれを一撃でなんてね」
エルフのロフィさんだけは、驚きを口にしていたが、ほかの皆は言葉もないようだった。
俺は自分の力を見誤っていて、あのファイモス島の池を干上がらせた時みたいに、魔法を暴走させ掛けたのだ。
「みな、ケガはないの? アリス殿。大丈夫なの。気にせずとも良さそうなの」
ミーモさんはそう言ってくれるし、プレセイラさんも、
「怖かったわね。こんなところまで連れて来てしまって。ごめんなさいね」
そんな言葉とともに、俺を優しく抱き続けてくれていた。
そのおかげもあって、俺は落ち着きを取り戻した。
「これがあの、キセノパレスの王宮で起きたことなのか?」
だが、俺の前に立っていたカロラインさんはまだ呆然としているようだった。
キセノパレスで起こったことを実際に目の当たりにしたのは、俺とセデューカ王にクリィマさんの三人だけだ。
あとの皆は、それによって破壊された皇宮の様子を目にしただけだった。
「そうでしょうね。あの時も私が魔法で防御しましたから、あの程度で済んだのです」
クリィマさんの言葉に、皆は色を失っていた。
今回もまた、彼女が魔法障壁を使って、皆を俺の魔法から守ってくれたようだった。
「それにしても、さすがに肝を冷やしたの。これではオーヴェンの王が態度を改めるのも道理よな。あれに代わって大陸を統べることさえできたのではないかの?」
ミーモさんが改めてって感じでそう言って、俺はまた皆から注目を集めていた。
「いえ。それは無理でしょう。リールもいますから」
ミーモさんの発言をクリィマさんは否定する。
確かにリールさんには魔法は効かないから、俺は彼女と対峙したら分が悪い。
世界中の人に恐れられている魔人を、勇者が滅ぼすことができるのも、それが理由だろう。
「でも、リール殿が止めなかったら? 止める理由もないのではないの?」
いきなりそう問われて、リールさんが瞬きしていた。
「止める理由は……、確かにありませんね。アリスさんは魔人ではありませんし、私が止める対象ではありません」
「えっ。それでいいのですか?」
俺は別に大陸を支配しようなんて、これっぽっちも思っていない。
でも、俺が確認したのは、聞きようによってはそんな野望を抱いているって思われるかもしれなかった。
「良いも悪いも、私は勇者です。勇者の敵は魔人です。アリスさんは魔人ではないでしょう? そういうことです」
「でも、オーヴェン帝国の大陸支配を防ごうとされたじゃないですか?」
リールさんの返答は俺にとって意外なものだったので、俺は思わず聞き返してしまった。
でも、考えてみれば、あの時リールさんはそこまで積極的に動いていたわけではなかった気もする。
「それは……クリィマのこともありますし、魔人の影響という可能性もありましたから」
そう言って彼女はプレセイラさんを見ていた。
プレセイラさんはそんな話を聞きながら俺をいつもの優しい目で見てくれている。
(本当に気づいていないのかな?)
俺がそう疑問に思った時、
「また来たみたいよ!」
ロフィさんが俺たちに敵の接近を告げた。
「なんだ、あれは?」
カロラインさんが驚きの声を上げ、その時には俺もその姿を確認することができた。
「サーベルタイガー?」
ロフィさんが口にした名前は、その姿を的確に表したものだった。
巨大な虎のようなその動物の口からは、鋭い牙が突き出していた。
「魔物よ! 気をつけて!」
動物だと思ったのは俺の間違いで、やはりそれは魔物らしい。
元の世界に絶滅した同じ名前の動物がいたから、そう思ったのだが、俺が目にしているのは大型乗用車くらいの大きさだ。
名前は同じだが、まったく別物と考えた方がいいのだろう。
「アリスさん!」
クリィマさんが俺に呼び掛けてきて、俺はすぐに魔法の障壁を展開した。
グォロロロ!
そんな唸り声を上げて、サーベルタイガーが俺たちに襲い掛かる。
だが、俺の魔法の障壁に阻まれて、俺たちに手を出すことはできなかった。
「右へ回ったわ!」
ロフィさんの声が聞こえ、俺がそちらに障壁を展開しようとした刹那、
「大丈夫です!」
クリィマさんはそれを読んでいたのか、そう言って俺と同じ魔法の障壁を展開してくれた。
ゴリッ! ガリガリガリガリ!!
鋭いカギ爪が何度も振るわれ、不快な音を立てる。
それでも魔法の障壁は破られることもなく、しっかりとその攻撃を防いでいた。
「リール! 頼みます!」
彼女はどうやらこの事があるのを予期していたようで、まずは俺に第一撃を防がせ、その後は自分が臨機応変に対応すべきだと思ったようだ。
そして最後はリールさんの出番だと思ったのだが……、
「任せるの!」
ミーモさんの声が響き、彼女は大剣を背中から一気に抜き放った。
ズバーン!
あの王都でカロラインさんを襲ったものと同じ、いや、それよりも速く強力に見える衝撃が魔物を両断する。
サーベルタイガーは断末魔の声を上げることさえできず、その場で真っ二つにされると、そのまま砂のように消え去った。
「たまには役に立たないと、何の為の護衛だか分からないの」
ミーモさんはそう言って振り向くと、俺たちに向かって親指を立てた。
「なっ! それは同じ護衛である私への当てつけか? どうせ私など……」
カロラインさんだけは青い顔をしていたが、とりあえず魔物を無事に退治できたようだ。
国王から直接命令を受けたり、勇者とともにいることで、最近は高まっていたカロラインさんの自己肯定感が、また大きく下がってしまったようではあったが。
「これはやっぱり、魔人の滅んだ地を守っている魔物と同じ系統のものだと思うの」
何度目かの魔物の襲撃を退けて、ミーモさんがそんな認識を示した。
「まさか。この地では魔人は滅ぼされていないはずです」
クリィマさんが慌てて答えたが、ミーモさんは首を振る。
「この『黒い森』が魔人が滅ぼされた場所だとは言っていないの。そこにいる魔物と同じような魔物だって言っているの。それに魔人の滅ぼされた地では、こんなに続けて魔物は現れないの」
これまで魔人の滅んだ地で見た魔物はドラゴンとフェニックスだったから、ちょっと毛色が違う気もするが、強さで言えばそうかもしれない。
この森の魔物は動物系ではあるが、あのロフィさんが蹴散らしたルークの森の狼とは、まったく別物であることは間違いない。
「やはりこの森は、魔人が滅ぼされた地と同じように、呪われた場所と言うことでしょうか?」
プレセイラさんの言葉が真実を言い当てているように俺には思えた。




