第五十九話 行くか戻るか
次の日、一日掛けて森を抜け、ようやくたどり着いた小さな町の宿に入ると俺たちはこれからのことを話し合った。
「どうします? 一旦、王国へ戻りますか?」
プレセイラさんが皆に尋ねる。
これまで俺たちは、魔法に対する適性を持っている俺やクリィマさんが魔人にならずに済むようにと、魔人の事績をたどって旅をしてきた。
俺の場合は人を殺めずに魔人になる方法を探してってことになるのだが。
「それも良いかもしれません。私も一度、王宮に報告したい気持ちもありますし」
カロラインさんは近衛騎士なのだから、行くあてのない俺なんかとは違う。
彼女は最初から俺とプレセイラさんの護衛に乗り気ではなかったし、さっさと帰りたいって気持ちは分からないでもない。
もともとこの大陸に渡ったのは、港町のコパルニでオーヴェン王国が南のルビール王国の王都を落としたって話を聞いたからだ。
それは本当だったのだが、その動乱も収まったのだから、もうここにいる必要はないってことだろう。
「私もここまで旅が長くなるとは思っていなかったし、森に帰りたいわ。でもちょっと不安なのよね。エフォスカザン様は『ラブリースまで、その先までも』っておっしゃっていたから」
ロフィさんはそう言って顔をしかめた。
彼女はまったく予期していない任務を突然、与えられて、ほとんど着の身着のままで俺たちに同行したから、酷い目に遭ったと思っているのだろう。
でも、あの族長の命令に反するんじゃないかと、それが気になるようだった。
「私は諦めませんよ。魔人の事績をたどれば、何か分かることがあるかもしれません。すでに私たちはその端緒を掴んでいる気もしますし」
クリィマさんはある意味、俺と同じ境遇だ。
彼女が何をどう考えているのか、しっかりと確認する機会は得られていないが、俺と同様に元の世界へ戻るチャンスを窺っているのだろう。
それとあの水晶のような魔人の遺物がどう関係するのか分からないが、彼女には何か考えがある気がする。
「勇者様はいかがですか?」
カロラインさんが尋ねると、リールさんは真剣な表情を見せて一瞬、躊躇するようだったが、口を開いた。
「私は、クリィマと同じ考えです。私は魔人についてもっと知りたいと思っています。でも、それに皆さんを巻き込むことは本意ではありません。本当はもっと早く、私とクリィマだけで、そうすべきだったのです」
彼女は苦しそうだった。
魔人が滅ぼされる時に見せる、その美しい顔が恐怖や苦痛に歪む様子や、魔人が滅んだ後に残った輝く遺物を見て、何かが違うと思うようになったのかもしれなかった。
「そんなことはありません。私は勇者様のお供をさせていただいて、とても光栄だと思っているのです。このような機会はまずありませんから」
リールさんの言葉に即座に反応したのは、さっきはあんなに早く王都へ帰りたそうだったカロラインさんだった。
彼女が急にそんなことを言い出したのは、勇者と共に旅することは、騎士の誉れと思っているからだろう。
随分と現金だなって思うが、神官と子どもの護衛の任務と勇者の同行者なら、どっちが聞こえがいいかなんて考えるまでもない。
「そう。それじゃ。騎士様までもがそう言い出しておる。珍しい機会に惹かれておるのじゃ。もちろん私もそうじゃがの」
ミーモさんの言葉は途中まで、カロラインさんへの皮肉なのかと思ったが、どうもそうではないらしい。
「神のくださった適性によって導かれた仕事をして日々を過ごす。それがこれまでの皆の生活だったはずじゃ。だが、今はそうではなくなっておる」
そう続けたミーモさんの言葉に、プレセイラさんが不安そうな表情を見せる。
俺も彼女の言葉に不穏なものを感じていた。
「これまでこのような日々を想像できたかの? 日々旅をして新たな町を訪れ、そこで新たな知識を得るのじゃ。少なくとも私は考えたこともなかったの」
「それは一時のことです。アリスさんが魔人にならないことが分かれば、すぐに元の平和な日々が……」
我慢できなくなったって様子でプレセイラさんが口を開いた。
だが、ミーモさんはそれを遮って、
「そうかの? 私はもしかしたらあのオーヴェン帝国の皇帝よりも面倒なことになるような気もするがの」
そんなことを言い出した。
(どういうことだろう? それに、いくらなんでもオーヴェン帝国の皇帝よりも面倒なことなんて、そんなことはこの世界にはないんじゃないか?)
ここは女神の言う「完璧な世界」なのだしと、俺はそう思ったが、俺が口にしなくても誰かが反論するだろうと思って黙っていた。
ところが口を開く者は誰もおらず、皆が黙り込んでしまう。
「どうしてそんなことになるんですか?」
仕方なく俺がそう尋ねると、ミーモさんは意外そうな顔を俺に向けた。
「アリス殿が一番よく分かっておるかと思っておったのだがの」
彼女の口から出た言葉は、その表情と同じように意外だってものだった。
「いえ。それはリールさんは勇者ですから、影響は大きいと思います。でも、別に一国の統治をしているわけではありませんから」
王が誤った政策を推し進めた場合、その被害は一国の民すべてに及ぶ。
そう考えるとやっぱり、あの魔道具を破壊したのは正しかったのだ。
あのままにしておいたら、影響はさらに広がり、この世界に収拾のつかないほどのダメージを与えていたかもしれない。
「国王などよりもっと大きな影響を及ぼす者がいるではないか。世界に破滅的な影響を与える者がの」
ミーモさんの言葉にプレセイラさんが息を呑む音が聞こえたような気がした。
そして俺は自分でも顔から血の気が引くのが感じられるようだった。
「アリスさんはそのような者にはなりません!」
俺が反論できないでいると、プレセイラさんがはっきりとそう言い切ってくれた。
だが、ミーモさんも今回は負けてはいなかった。
「キセノパレスの皇宮がいかに激しく破壊されたか、皆はその目で見たではないか。そしてプレセイラ殿はそれを目の当たりにしたはずじゃ。あれを見て何の危険もないと言うのは、現実に目をつむっているとしか思えぬがの」
「あの時は、皆さんが囚われていて、クリィマさんが呼び出されて、それで、皆さんを痛めつけるとあいつが言い出したからつい……」
俺はそんな弁解をしたが、ミーモさんはゆっくりと顔を振って、
「『つい』であんな被害をもたらすことなど、常人ではあり得ぬよ」
厳しい目で俺を見て、そう言ってきた。
「ごめんなさい。プレセイラさんとも約束しましたから、これからはあんなことはしません」
いや、俺は何で弁解してるんだろうって途中から思いだした。
「そう。俺はあなたの思っているとおり魔人なのだ。だから勇者よ。さっさと俺を滅ぼすのだ」
そう言ってしまえば、俺は無事に元の世界へ帰れるのかもしれないのに。
「アリスさんはまだ子どもなのですよ。しかも記憶を失っているのです。間違うこともあるでしょうし、少しは大目に見てあげてくれないのですか?」
だが、またプレセイラさんがそう言って俺を擁護してくれる。
そうなると俺は自分から「魔人です」なんて言えなくなってしまった。
「あれは大目に見ていいレベルのものかの?」
ミーモさんはまだぶつぶつ言っていたが、プレセイラさんはさらに、
「幸いにして、ケガをしたり亡くなった方はいません。これも神のご意思でしょう。神はアリスさんに魔人になるよう命じたりはしていないのです」
そう皆に訴えてくれた。
あの女神は俺に魔人になってさっさとこの世界から退場しろって思っているはずだから、今回なんかはそのチャンスだったと思うのだ。
正直、俺は怒りに我を忘れていたし、もしクリィマさんがいなかったら、確実にセデューカ帝を殺めていただろう。
自分が思っていたより俺の魔法はずっと強力で、コントロールも上手くいっていなかったから、その可能性は高かったはずだ。
(あのフィロラの町の魔人ベニーは、事故で魔人になったって鉄柱に刻んでいたから、それより俺の方がずっと危険だな)
俺は魔人になることについては望むところだが、誰かが亡くなることが条件だってことになるとさすがにそれはきつい。
でも、危うくキセノパレスの皇宮で、それを満たすところだったのだ。
「いずれにせよ。まずはキセノパレスまで戻るしかないだろう。旅を続けるかどうかは、それまでに決めれば良いのではないかな? 全員がそうする必要もないだろうし」
カロラインさんがそう言って、結論を先送りした。
まあ、言われてみればそのとおりだ。
「アリスさんはどうしたいですか?」
プレセイラさんが俺の意見も聞いてくれる。
「もう少し、旅を続けてみたいです。何か自分にできることが見つかるかもしれませんし」
俺の答えは自然に出たものだったが、心の内でずっと気になっていたことだ。
これまでプレセイラさんを筆頭に、俺は色々な人にお世話になってここまでやって来られた。
もうこれ以上、皆に迷惑を掛け続けるのは、申し訳ない気持ちが強くなってきていた。
「もし私のことを気にしているのなら、そんな必要はありませんよ。アリスさんとの出会いはモントリフィト様の思し召しだと、その気持ちは強くなりこそすれ、疑ったことは一度もありませんから」
プレセイラさんの目が、心配そうに俺を見つめていた。
俺は彼女の深い緑色の瞳を見て、危うく泣きそうになってしまった。




