第五十八話 麓の村の教会で
「ここは議論をする場所じゃないのじゃ! 早くしないとあのフェニックスが復活するのであろう?」
ミーモさんが突然、そう指摘して、俺たちに帰還を促した。
「そうですね。魔物と戦うのはもう遠慮したいです。一度は仕方ないにしても、何度もは御免です」
俺も二人の間に漂う不穏な空気に耐えきれず、不安な様子を見せて訴えた。
「これが見たかったものなのでしょう? 見るものは見たのでしょうから、さっさと引き上げたらどう?」
いつもは我関せずってことが多いロフィさんも、さすがに何かを感じたようで、そう勧めてきた。
「そうですね。アリスさん。ごめんなさいね。村へ戻りましょう」
プレセイラさんが思い直したようにそう言って、俺たちはもと来た道をたどり、洞窟を出てマルディ山を下りた。
だが、途中では皆、無言で、自分たちの見たものについて考えを巡らせているようだった。
(魔人が滅ぶとあんな物が残るってことをリールさんは知っていたんだよな)
彼女は勇者としてこれまで何人もの魔人と戦い、滅ぼしてきたはずだ。
魔人を滅ぼした後、それがどうなるのかについて、この世界で最も詳しい人物と言えるだろう。
彼女以外の人は、魔物に阻まれてあの水晶のような輝く物体を目にすることはできないのだから。
(それでリールさんは魔人を滅ぼすことに疑問を感じたのか?)
どうやらそう言うことらしい。
彼女はあれが魔人の本質だとしたら、どうなのかと口にした。
それが彼女が抱いた疑問ってことなのだろう。
「どうしましたか?」
プレセイラさんが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
俺が黙っているから、気を遣ってくれたみたいだ。
「いいえ。ちょっと疲れた気がして」
本当はマナを使って回復しているからほとんど疲れてはいない。
でも、自分が魔人について考えていたなんて言ったら、プレセイラさんはもっと心配するだろう。
「そうだったのね。気がつかなくてごめんなさい。今、癒しの魔法を掛けますからね」
彼女はそう言って、すぐに俺に回復魔法を使ってくれた。
その魔法はいつもの彼女のように温かく俺を癒してくれる。
「ありがとうございます。楽になりました」
俺が笑顔を見せると、彼女も笑顔で応えてくれる。
俺はその笑顔を見て、彼女には俺の疑問を尋ねない方が良さそうだと思っていた。
「今夜は教会で泊まらせていただきましょう」
麓の小さな村にも思ったより立派な教会があって、俺たちは何とかそこで寝床を確保した。
布団は固くてぺらぺらだが、野営するよりはずっといい。
クリィマさんの袋に入っている天幕や寝袋は立派なものだが、それでも俺はベッドの方がありがたかった。
「私は少しこの教会の方とお話ししてきます。神殿のことを聞きたいとおっしゃったので」
こんな辺境の村にオルデンの神殿から神官が来るなんて、まずないことだろう。
モントリフィトの教会に仕える人なら、そりゃあプレセイラさんの話が聞きたいだろうなって思う。
「ミーモさん。ちょっといいですか?」
プレセイラさんがいなくなると、俺は皆の中で何となく話しやすそうなミーモさんに声を掛けた。
彼女は魔法剣の手入れをしたりしていたのだが、それもすぐに終わってしまい。退屈そうな顔を見せていた。
「アリス殿が珍しいの。そうか。プレセイラ殿がおらぬからの」
彼女はにやりとしてそう答えてきて、もちろん会話を拒む気はなさそうだ。
部屋はさほど大きくなく、皆は静かにしているので、小声で話しても聞こえてしまうんじゃないかと心配だった。
でも、彼女は察しがいいからか、俺のすぐ横へ寄ってきてくれた。
「何でも聞きたいことがあれば聞くが良いぞ。私に答えられることであればの」
何となくお姉さんって感じでそう言ってくれて、俺はその言葉に甘えて、マルディ山の洞窟で抱いた疑問を尋ねてみることにした。
「人は亡くなるとどうなるのですか?」
考えてみると俺はこの世界へ来てから、人が亡くなったところを見たことがない。
それどころか、これだけ教会に頻繁に出入りしているのに、葬儀はおろか、お墓さえ目にしていないのだ。
「亡くなったら? それはもちろんマナに還るのじゃがの」
彼女はビー玉みたいな緑色の目をぱちくりさせて、それでも亡くなった人がどうなるのかを教えてくれた。
彼女が首を傾げるとピンクのツインテールが揺れて、とても可愛らしい。
だが、やはり俺の質問は奇異に映るようだった。
異世界人の俺にとっては、聞かなければ分からないことなのだが、この世界の人にとって亡くなった人がマナに還るってのは当然なのだろう。
「そうなると、身体は消えてしまうってことですか?」
俺は注意深く言葉を選んでさらに尋ねた。
遺体とか、もしすべてがマナに還って消えてしまうのなら、そんな概念はないはずだ。
「まあ、魂は神の御許に行くと言われておるの。身体はマナに還るから、消えると言われればそうなるのかの」
少し抵抗感があるという口ぶりだが、概ね俺の発言は間違ってはいないようだ。
「もちろんあんな物は残らぬぞ。あれは……何かは分からぬが、すぐにはマナに還らぬ何かを持っておるということじゃろうの。そうとしか考えられぬの」
ミーモさんは部屋の奥で話すリールさんとクリィマさんに視線を送り、二人に聞かれないようにさらに声をひそめて、そう言った。
あれとはもちろん魔人のことだろう。
「すぐにはマナに還らないものって何なのでしょう?」
ミーモさんは「何かは分からない」って言っていたから、答えてもらうのは難しいかなって思いながら、俺は聞いてみた。
少なくともこの世界に来て短い俺が考えるより、ミーモさんが考えてくれたことの方が、より真実に近いんじゃないかと思ったのだ。
「さあの? じゃがファイモス島にはあんな物はなかったしの。あの島の魔人が滅ぼされたのはいつだったかの?」
俺はあの島の西の岬で、ガラスの粉のような物を見たのを思い出した。
それとともに記憶が甦ってくる。
「確か千年近く前だったと思います。リールさんの三代前の勇者があの島で魔人シシを倒したと聞いた気がしますから」
その話は結構、意外だったから覚えていた。
魔物がいなくなるのに千年も掛かるってことと、逆に千年の間に勇者が三回も代替わりしてるってことに引っ掛かりを覚えたからだ。
それに気づいたってことは、俺も多少はこの世界の感覚に慣れたのかなとも思う。
元の世界なら千年もあれば三十くらいは代を重ねているはずだ。
「千年か。千年も経てば、あの光る石のような物もマナに還ってしまうのかの? 何となく惜しい気もするがの」
ミーモさんはあの水晶のような物が気になるようだった。
あれにはエルフのロフィさんでさえ魅せられていたようだから、何か人を惹きつけるものがあるのだろう。
「でも、いくら綺麗でも魔人の遺した物なのですよね。それに触れるのもまずいんじゃないですか?」
俺の問いに、ミーモさんは少し考えていた。
この様子だと、彼女もやっぱり魔人が滅んだ後にあんな物が残されるってことは知らなかったようだ。
「まあ、そうであろうの。あの魔物とて、人々があれに近づかぬように、神が遣わした者であろうからの」
「えっ。魔物を神が遣わしたのですか?」
俺にはミーモさんの言葉は意外だった。
思わず大きな声を出してしまった気がしたが、周りを見回すと、リールさんは相変わらずクリィマさんと話していたし、カロラインさんは既に横になっていた。
ロフィさんには聞こえたかもしれないが、特に興味を示したりはしなさそうだ。
「そりゃそうじゃ。世界はモントリフィト様のお考えのとおりになっておる。プレセイラ殿に教わらなかったのかの?」
そう言われてみればそのとおりなのだろうが、言われるまで俺は気づかなかったのだ。
そうなるとあの女神はドラゴンやフェニックスといった強力な魔物を遣わしてまでも、この世界の人にあれを見せたくなかったってことになる。
(どういうことだ? 女神はあの水晶みたいな物を人の手に渡したくないってことなのか?)
俺がそんなことを考えていると扉が開き、プレセイラさんが部屋へ戻ってきた。
「遅くなってしまいましたね。明日は森を通って町まで距離がありますし、早めにやすみましょう。あら。アリスさんはまだ起きていたのですか?」
彼女はそう言って少し咎めるような顔を見せた。
確かに俺は子どもの姿だが、元の世界では高校生だったし、そんなに早く寝る習慣はない。
でも、小さな身体に引きずられるのか、ここでは結構、眠くなるのが早い気がしていた。
「アリス殿は私とお話しをしていたのじゃ。この子は面白いからの」
ミーモさんが俺と話していたことを伝えてくれたのは、俺が起きていたのは彼女のせいだって言ってくれようとしたのかもしれない。
でも、単純に彼女の時間潰しに使われたって面も本当にあったような気もしていた。
「ミーモさんとですか? アリスさんにおかしなことを教えていないでしょうね?」
プレセイラさんはちょっと困った顔をしていたから、半分は本気なのだろう。
でも、別におかしなことを教えてもらったわけではない。
プレセイラさんにはあまり知られたくないと言うのも事実だが。
「別におかしなことなど教えていないのじゃ。品行方正な剣士じゃからな。私は」
ミーモさんも半笑いって感じだったから多少、思うところもあるのだろう。
でも、そうして上手く受け流すのはやっぱり、年の功なんだろうなって思う。
彼女は見た目は俺とあまり変わらないのだが、いったい何歳なのだろう?
年齢を聞くのは失礼らしいから聞かないが、俺はちょっと気になっていた。




