第五十七話 マルディ山へ
結局、セデューカ帝はプレセイラさんの、神殿の神官による助言を容れて、大陸南部の統治を放棄することになった。
「モントリフィト様の御心に従います」
急に殊勝な神の信徒となったセデューカ帝は、いやもう元のとおりのセデューカ王なのだが、彼女は魔法の道具を使うことをやめ、クリィマさんがこの国に現れる以前の体制に戻すことを誓った。
「この国の南方、テネリフ山脈の険しい山の中に魔人が滅ぼされた地があるはずです。そこを訪れたいのですが」
リールさんがお願いすると、セデューカ王は二つ返事でそれを認めてくれた。
「勇者様の望みをどうしてお断りできましょう。どうぞ自由にお訪ねください」
彼女はそう言ってくれて、俺たちの旅に便宜を図ってくれた。
公用手形を発行してくれたのだ。
これでこの国の中では、俺たちは町の門や関所もスムーズに通過でき、宿にも泊まり放題だった。
「やっぱり宿はいいですね」
宿のダイニングに皆で集まって話していると、クリィマさんの懸案が片付いたという安堵感もあってか、俺はつい本音を口にしてしまった。
慌ててプレセイラさんを見たが、彼女は笑ってくれていた。
教会で泊まるのは嫌だと言っているように取られて、彼女が機嫌を損ねたんじゃないかと思ったのだが、そんなことはなかった。
「アリスさんは正直ですね。私も宿の方がしっかりと身体が休まる気がします。でも、あまり贅沢をするのは良くないですから」
そう言ってまた笑みを見せてくれるプレセイラさんの様子に、俺は優しい彼女が戻ってきてくれたようで嬉しかった。
このところ彼女は、オーヴェン帝国に対する厳しい顔ばかりを見せていたような気がしていた。
「何しろタダじゃからの。贅沢だのと気にせずに泊まれるというわけじゃ」
ミーモさんが嬉しそうに言って、俺はちょっと論点がズレているんじゃないかと思った。
プレセイラさんが言っているのは心構えみたいなもので、無料なら良いってことじゃないと思うのだ。
「それにしても皇帝は急な変わり様だったな。いきなり解放されて良かったのだが驚いたぞ」
カロラインさんは素直にそんな感想を漏らしていたが、ロフィさんは不機嫌だった。
「いきなり部屋に閉じ込めるだなんて、本当に野蛮だわ。森へ帰ったらエフォスカザン様に報告しないわけにもいかないし。また人間に対する反感が増すわね」
やはり二人とも皇宮のどこかに幽閉されそうになったようだ。
「そう言えば、プレセイラさんはどうしてほかの皆さんのように閉じ込められなかったのですか? いきなりあの部屋の外にいたからびっくりしました」
彼女があの場所にいてくれたことも、俺があれ以上狼藉を働かずに済んだ理由の一つだと思う。
まあ、クリィマさんの説得で俺はかなり落ち着いてはいたが、セデューカ帝に魔人扱いされていたし、流れによってはそれなら……ってなっていたかもしれない。
「そうですね。警備の方がたまたま敬虔な神の信徒で、私が自由に動くことを認めてくださったのです」
「そうなんですね。こんな国でも神を信ずる心の篤い人はいるのですね」
俺は彼女の答えに、神殿の神官に対する尊崇の念を持っている人も多いだろうから、そんなこともあるよなって思った。
でも、彼女は急に顔を曇らせて、
「それにしても、まさかアリスさんがあんなことになっているだなんて、思ってもみませんでした」
俺に向かってそう言ってきた。
その言葉は厳しくはないが、彼女の深い哀しみが感じられるようで、俺はまた申し訳ない気持ちになった。
「確かにあれは凄かったの。でも、ああでもしないとあの皇帝は態度を改めることはなかったであろうからの。結果的には良かったのじゃ」
ミーモさんはそう言ってくれたが、俺の魔法が引き起こした惨状を見て、皆は目を丸くしていた。
被害はあの部屋だけにとどまらず、皇宮のかなり広い範囲に及んでいた。
奇跡的に亡くなった人やけが人はいなかったが、俺は本当に魔人になってしまうところだった。
「あれでもかなり効果を削いだのですからね。そのまま放置していたら、被害は町まで及んだかもしれません」
クリィマさんの言葉に、皆は改めて驚いたようだった。
俺の魔法の力は、ファイモス島へ渡った時点で、それなりに大きな池の水を一瞬で干上がらせるくらい強力だった。
今はその時と比べてもかなりマナの扱いに慣れたから、クリィマさんが抑えなければ、宮殿を飛び出して町まで被害が及んだってのも、あながち盛り過ぎってことはないのかもしれない。
「そんなになの?」
ロフィさんも驚いたようで、クリィマさんが頷くと、その後は言葉を失っているようだった。
その様子にほかの皆も何となく、軽口を叩いていい状況ではないと感じたようで、妙な静けさがその場を覆った。
それを破ったのはプレセイラさんだった。
「アリスさん。あなたが私たちを心配して、魔法を使ってくれたことは分かりますし、とてもありがたいことだと思っています。その気持ちは本当ですよ。でも、私はアリスさんにあんな魔法を使ってほしくはないのです。不吉な破壊の魔法をです」
彼女の深い緑色の瞳が俺をしっかりと見つめていた。
その目は俺のことを本当に心配してくれているように見える。
思えば彼女はずっとそうだ。
俺のことを心から心配してくれ、いつも味方でいてくれた。
「プレセイラさん。分かりました」
俺が答えると、彼女はまだ心配そうな顔をしていたが、大きく息を吐くと、
「ええ。私はアリスさんを信じていますから。あなたは神に愛されている人。そう思うのです」
その言葉に俺はまた申し訳ない気持ちになる。
彼女はどうしてそこまで俺のことを信じてくれるんだろうと思うのだ。
俺があの女神に愛されているなんてあるはずもないのに。
「それで、次の目的地はまた山なの? あまり嬉しくはないの」
ミーモさんがクリィマさんに尋ねる。
「ええ。マルディ山の魔人ユフィ。リールの先代の勇者が滅ぼした魔人です。マルディ山はテネリフ山脈でも有数の高い山ですから、行き着くのも大変です」
クリィマさんの言い方は何だか人ごとみたいだが、実際には俺たちが山登りをするのだ。
「途中は深い森なのよね。故郷の森とはちょっと違うみたいだけど、まあいいわ」
ロフィさんは途中に森があるってことで、機嫌が良さそうだ。
それだけ山奥ってことで、俺なんかはげっそりしてしまうのだが。
「麓には村がありますから一応、道は通っていますし、山も頂上まで登るわけではありませんから」
ロフィさん以外の反応が今ひとつなのを案じてか、リールさんがそんな説明をしてくれた。
そうして麓の村で馬車を預け、向かったマルディ山の中腹で、俺たちは魔人の滅んだ地を守るフェニックスの襲撃を受けた。
「勇者様。さすがです!」
カロラインさんは瞳を輝かせて陶酔してるって様子だが、やったことはファスタン山で火竜ベニーに対した時と同じだ。
俺とクリィマさんが魔法障壁で炎による攻撃を防ぎ、リールさんの放った光の刃がフェニックスを両断したのだ。
「不死鳥なのに死ぬんですね?」
俺は不思議な気分だったが、クリィマさんは不機嫌そうに、
「どうせすぐに復活するのです。フェニックスなんておあつらえ向きの魔物だと思いますよ。無駄口を叩いている時間はありませんから」
そう言って俺たちに先に進むよう促した。
「もう一度ここまで登ってくるのは遠慮したいからの。さっさと行くべきであろうの」
ミーモさんはそう言ってフェニックスが守っていた洞窟の入り口へと向かう。
この地の魔人は勇者によって洞窟の中に追い込まれ、そこで最期を迎えたらしかった。
「あれがそうかしら?」
ロフィさんの呼び出した光の精霊が照らす中、俺たちは洞窟の奥へと進んでいたのだが、その先に何か薄明るい場所が見えた。
「おそらくそうでしょう。ファスタン山の火口で遠くに見えたものと同じです」
リールさんの口ぶりは、その言葉とは逆に確信に満ちたものだった。
きっと彼女はこれまでにも、あれを見たことがあるのだろう。俺には何となく分かる気がした。
「これが魔人が残した物なのか?」
すぐ側まで近寄ると、そこにあったのは美しい光を放つクリスタルのような結晶だった。
高さは大人の身長くらい。今の俺よりはずっと高い。
それが何本も地面から突き出し、自ら輝いている。
「綺麗ね。見る方向によっては七色に見えるわ」
ロフィさんがその周りを歩き回って、そんなことを言った。
「ああ。美しいな。まさか魔人がこんなものを遺すとは。俄には信じ難い気がするな」
カロラインさんもそう言って、クリスタルのように輝く結晶を眺めている。
「そうです。私も初めてこれを見た時、カロラインさんと同じように感じました。あの恐ろしい魔人が滅んだ時、残るのはこんなに美しい物なのです。不思議だとは思いませんか?」
リールさんが皆に同意を求めるように尋ねたが、誰もがその真意を測りかねていた。
「どういうことでしょう?」
その言葉に不穏なものを感じたのだろう。プレセイラさんが尋ねた。
「言葉どおりの意味です。魔人が遺すのはこんなに美しい物。これはもともと恐ろしい魔人だったのです。これが魔人の本質だとしたら? 私は魔人を滅ぼしながら、そんな考えを持たざるを得ませんでした」
リールさんの答えに、プレセイラさんが厳しい顔を見せる。
それはキセノパレスでセデューカ帝に見せたものと同じ表情だった。




