第五十六話 皇宮破壊
「クリィマさん!」
俺はとっさに魔法の発動を抑えようとしたが、もう無理だった。
ギギーンッ!
金属同士が衝突したような不快な音がして、その直後、
ゴバーン!!
「うわあぁぁぁぁ!」「きゃあ!」
悲鳴を上げたのは召使いたちだろうか? それともセデューカ皇帝だったろうか?
目も眩むような閃光とともに爆発音が響き、床に巨大な亀裂が入った。
「アリスさん。落ち着いて!」
クリィマさんが話し掛けてきたが、俺は落ち着いてなどいられなかった。
あの女神に理不尽に飛ばされ、頼る者とてなかったこの世界で、俺を親身に世話してくれたのはプレセイラさんやリールさん、そしてクリィマさんたちだ。
その人たちを迫害し、苦しめるこの国と皇帝が俺には許せなかった。
「クリィマさん。どいてください!」
俺の魔法を遮ったのは、彼女の防御魔法らしかった。
あのファイモス島で俺たちを魔法の暴走から救ってくれた魔法だ。
それがなければ、俺の魔法は皇帝もろともこの部屋を消し飛ばしていただろう。
「今度は外さない!」
俺は女神に祈ることさえ忘れ、そのまま魔法を放つ。
マナの扱いに慣れた俺は、もうそんな芸当もできるようになっていた。
ギギュッ! ドドーン!!
またクリィマさんが防御魔法を発動し、俺の魔法は進路を妨害されて、今度は天井に巨大な穴を開けた。
「うわっ!」「きゃあぁぁ!」
多くの悲鳴が上がり、
「あぶないっ!」
クリィマさんがまた防御魔法を使って、部屋にいる人たちを天井の崩落から守っていた。
「クリィマさん。どうして?」
その姿に俺もさすがに少しだけ落ち着きを取り戻した。
「どうしてもこうしてもありません。私はずっとこうしてきたのです。この世界をより良いものにしようと思って」
彼女は服に着いた埃を手で払い、笑みさえ見せながらそう言った。
その笑顔は少し寂しそうに見えた。
「それがどうしてこんなことになっているんです? プレセイラさんやカロラインさんが間違っているのですか?」
彼女が苦労しているのは、主に二人が強硬に帝国のステリリット大陸制覇に反対しているからだ。
クリィマさんが世界をより良いものにしようとやってきたことは、どうして二人からそこまで反対されなければならないのだろう。
「そうだ。やっぱりこいつが、こいつがすべての元凶なのでしょう? こいつさえいなくなれば!」
俺はクリィマさんの後ろで腰を抜かしたように床に座り込んでいるセデューカ帝を指さした。
彼女は俺の剣幕に、先ほどまでのふてぶてしい態度はどこへやら、恐怖に慄き、逃げることさえできなくなっていた。
「いいえ、違います。すべての元凶は私であり、そしておそらくはあなたもそうなのです」
クリィマさんはまた落ち着いた静かな、少し哀しげに響く声で俺に向かって言った。
「クリィマさんが? それに俺って……」
だが、俺にはそれだけで十分だった。
俺とクリィマさんの共通点なんて、考えるまでもない。
少なくとも俺たちの間では。
「私はパンドラの箱を開けてしまったのです。この世界では決して開いてはいけない、変化というものの封じられていた箱を」
彼女の口調は諦めを含んでいるようでもあり、また逆に、俺に真実を告げようとする力を持ったものにも聞こえた。
「変化……ですか?」
俺が繰り返すと、彼女は頷いた。
「ええ。変化。進歩と言い換えてもいいかもしれません。いずれもこの世界にはあってはならないものです」
俺がこの世界に飛ばされてもうかなりの月日が経った。
そんな中で俺にも分かってきたことがある。
クリィマさんが口にしたことは、俺にも理解できることだった。
「完全な世界には、必要のないものですね?」
俺の問いにクリィマさんはまた頷きを返す。
俺はあの女神からこの世界が「完璧」だと言われたから何となく分かる。
完璧な世界に変化など必要ないのだ。
「アリスさんは賢いですね。私がそれに気づくまでにかなりの時間が必要でした。その間、良い気になって色々と試してみたのです。それが禁忌に触れることになるとも知らず」
俺がそれを理解しているのは賢いからではなく、それとなく女神に匂わされたからだ。
それに神殿で保護されたことも良かったのだろう。
異世界から来た俺を不審者として扱うことなく、皆が優しく様々なことを教えてくれたのだから。
「禁忌……なのですか?」
プレセイラさんとカロラインの様子を見るとそうなのかもって思う。
特にプレセイラさんは神の意思として、帝国の大陸全土の統治は認められないと言い切っていた。
「おそらくは。私はそのことにようやっと気がついて逃げ出したのです。私さえこの国からいなくなれば、きっと元に戻るはず。そう考えて」
だが、それは甘かったということだろう。
元の世界なら大切なことでも長い年月の間に忘れ去られ、緩慢に元の状態に戻ってしまうってこともあるかもしれない。
でも、この世界の人は亡くならない。
いつまでも直接体験して覚えている人が残っているのだ。
「箱から出てしまったものは簡単には元に戻せません。そのためには大きな力がいるのです。今回、私はそのことを痛感しました」
俺たちが話す中、クリィマさんの背後で呆然としていた皇帝が突然、我に返ったかのように立ち上がった。
彼女の水色の瞳には、俺に対する恐怖心が宿っていた。
「魔人……。アリスは魔人だったのだな。そしてあの魔法の道具も同じ。魔人の作りし呪われた道具。そうだったのだ!」
そう口にした彼女の目の焦点は合っておらず、半狂乱といった様子だった。
彼女の言うとおり俺の魔法の力は、魔人と呼ぶに相応しいものだろう。
「これはいったい?」
その時、崩れ落ちた壁の向こうの廊下からプレセイラさんの姿が見えた。
「魔人アリスがやったのだ! 余の心を惑わせ、世界を支配させた後、それを乗っ取ろうとして」
セデューカ帝はプレセイラさんにそう主張する。
言っていることが支離滅裂で大丈夫かって気もするが、俺は魔人だと言われれば、そのとおりなのかもしれなかった。
俺はそう思ったのだが……、
「アリスさんは魔人ではありません! それよりもけがをされた方はいませんか?」
彼女がそう言って周りを見回しても、そう申し出る者はいなかった。
「けがを負った人も、亡くなった人もいないはずです。それだけは注意しましたから」
クリィマさんの答えに、プレセイラさんの顔に安堵の色が浮かぶ。
俺が破壊の魔法を使った時、クリィマさんは人身への被害だけは避けようと、そう考えて防御魔法を使ってくれたらしかった。
「では、やはりアリスさんは魔人ではありませんね」
プレセイラさんの声に明るいものが感じられる。
だが、俺はまだ皇帝を許す気にはなれなかった。
「魔人ではありません。でも、俺は魔人になることをためらったりはしません。もしこいつがプレセイラさんたちを痛めつけると言うのなら……」
「お黙りなさい!」
厳しい声で叱責されて、俺は思わず口ごもった。
いつも優しいプレセイラさんから、まさか自分がそんな激しい言葉を投げつけられるなんて、思ってもみなかったからだ。
「アリスさんを神殿の側で見つけた時、私がどれほど神の御心に感謝したか、あなたには分からないのでしょう? あなたは神に愛されている。私が何度そう伝えたら、あなたは自分を大切にしてくれるのですか?」
プレセイラさんは今にも泣き出しそうな顔をしていて、俺はもう何も言えなくなってしまった。
彼女を苦しめているのは誰よりも俺だ。俺の軽率な行動が彼女を傷つけている。
そんな気持ちになってしまったからだ。
「プレセイラさん。ごめんなさい」
俺にできることは謝ることだけだった。
だが、ただそれだけで彼女はいつもの優しい彼女に戻ってくれた。
「大丈夫ですよ。モントリフィト様は常に私たちの側におられます。そしてこの世界に暮らす者を慈しんでくださるのですから。もちろんアリスさんも」
彼女が嬉しそうにそう言ってくれて、俺は笑顔で頷いた。
それでもやっぱり、俺があの女神に愛されているってことだけは信じられなかったが。
「オルデンの神殿の者よ。あなたの言葉は正しかった。あの魔道具は人が手にして良いものではなかったのだ」
俺たちの会話に、セデューカ帝が口を挟んできた。
どうやら彼女の中で、あの携帯電話もどきの魔道具は、魔人に属する物だってことになったらしかった。
確かにあれは俺と同じように魔法に適性のあるクリィマさんにしか作れない代物だ。
そう言う意味では、魔人の物って表現は間違っていないのかもしれなかった。
「そんなことはありませんよ。あれはただの通信手段。それをどう使うかは人間に属することですから。だって、あの魔道具は神の言葉を伝えることができたでしょう? 魔人に属する物ではないことの証拠です」
そう答えるクリィマさんを、皇帝は気味の悪いもののように見ていた。
「そんなことを言ったのですか?」
またプレセイラさんが非難するような声で言った。
「ええ。言いました。聖書の一節を読んで、その声が遠くまで届けられることを示したのです」
この世界にとっての異世界人の俺やクリィマさんの感覚からしたら、道具は所詮、道具で、それに善悪なんてないってのが普通なのだが、この世界の人にとっては違うようだ。
「いいや。それも魔人のまやかしだ。余を騙し、余の国を尖兵として世界を手に入れようという魔人の狡猾な罠だったのだ」
セデューカ帝は首を振り、何となく虚ろに見える目で、そんなことを言っていた。
俺の行動は軽率だったが、彼女の考えを改めさせる効果はあったようだった。




