第五十二話 クリィマの功績
テネリフ山脈の険しい山塊を東に見て、馬車が海岸沿いを縫うように走る街道を抜けると、その先はもう旧ルビール王国の領域ではなかった。
「では、ここからは私は姿を消しますから」
クリィマさんは、そう宣言すると、本当に『不可知』の魔法を使って姿を消してしまった。
馬車の座席は不自然に真ん中が空いていて、注意深い兵士なら分かるかもって心配だった。
そんな心配をしていたからか途中の町に入ろうとした時、町の門で一度だけ、衛兵から確認を受けた。
「中を改めさせてもらう」
馬車の扉を開けた衛兵はそう言って、じろじろと覗き込んできた。
「全部で六人か。何の用で旅をしている?」
俺はドキドキしていたが、後になって考えてみれば、このくらいしてくる方が普通だろう。
この世界は平和だからか、警備の兵士も何だかのんびりしているのだ。
「私たちはキセノパレスへ向かい、セデューカ皇帝に謁見したいと思っているのです。神のご意思をお伝えしようと」
プレセイラさんがそう述べると、衛兵は発言したプレセイラさんに顔を向け、そのまま隣に座っていた俺を凝視してきた。
あまりにじろじろと顔を見られて、俺はもしかしたら魔道具を破壊した犯人とバレたのではと、そちらを心配したが、その懸念はすぐになくなった。
「なんと可愛らしい子どもなのだ! この子が神のご意思ということなのですか?」
衛兵はもう、俺から目が離せないって感じで、プレセイラさんに聞いてきた。
「いいえ。違います。私は帝国の建国について……」
そんなプレセイラさんの言葉が耳に入っているのかいないのか、衛兵は俺をじっと見詰めて、
「このように可愛らしい子は、是非とも皇帝陛下にお会いいただくべきだ。それだけでもキセノパレスへ行ってもらう意味があるだろう」
そんなことを言い出して、もう俺の向かい側に座るリールさんとミーモさんには興味なしって感じだった。
もちろんその間の席が不自然に空いていることになど気づこうはずもない。
「道中、気をつけて行くのだぞ」
最後にはそんなことまで俺に向かって言って、衛兵は俺たちを通してくれた。
それでいいのかって俺の方が心配になってしまったが、助かったことは事実だ。
「肝を冷やしましたね」
向かいの席からクリィマさんの声がして、彼女はやっぱりかなり驚いたようだった。
魔法で見えなくなっていても、そこに存在しているのだから、触られたりしたら分かってしまうはずだ。
あの衛兵は千載一遇のチャンスをみすみす見逃したってことになるのかもしれなかった。
「ええ。アリスさんの可愛さに救われましたね」
プレセイラさんが嬉しそうに言ってくれる。
「エルフの私より子どものアリスなのね。なんだかショックだわ」
ロフィさんもエルフだけあって、物語に描かれるように美しい。
でも、この世界では子どもはとても大切にされているのだ。
俺の場合、それだけではない気もするが。
「アリスさんは本当に美しいですもの。モントリフィト様のご意思なのではないかと思われても当然です」
プレセイラさんが自慢げに言ってくれるが、俺は確かにあの女神にこの世界へ飛ばされたのだから、神のご意思って言われれば、そうなのかもしれなかった。
そんなこともあったが、キセノパレスまでの旅は順調だった。
宿でも「後から一人、遅れて来るので」と伝え、七人分の部屋を確保して事なきを得ていた。
実はクリィマさんはいつも、リールさんの背後にぴったりとくっついていたのだが。
「見えましたね。あれがキセノパレスです」
街道が峠を越え、下り坂に入ったところで、クリィマさんの声がした。
「ほう。あれはまた立派な町じゃの。さすがは帝都と言ったところかの。港もあるし、王都タゴラスよりも大きいのではないか?」
俺の前に座るミーモさんにも町が見えたようで、感心したような声を出していた。
どうやら海岸沿いに作られたかなり大きな町らしい。
俺やプレセイラさんは進行方向に背を向けていて、簡単にはこの先の景色が見られないのだ。
俺の座高が低すぎるって問題もあるのだが。
「人間の町ではタゴラスが最も大きな町ではないの? 森ではそう聞いた気がするんだけど」
ロフィさんの発言に、プレセイラさんも続けた。
「そのはずです。王都タゴラスは最も大きなフェルティリス大陸の中心にして、世界最大の町。その他の町とは別格の存在なのですから」
二人の言葉に、ミーモさんは窓の外を指さして、
「私もそのくらいは知っておるぞ。だがの。あれを見ればそうとは言っておれぬのではないかの?」
小さなミーモさんが見ることができるのなら、俺にも見えるかもと思って、俺は席から立ち上がろうとしたのだが、
「あぶないっ!」
すぐに隣に座るプレセイラさんからそう言われ、止められてしまった。
「どうしても外が見たいのなら、私の膝の上に乗りますか?」
おまけに彼女から優しい目で、そんなことを言われてしまう。
「い、いえ。いいです。我慢できます」
とても魅力的な提案だが、彼女の前には姿を消しているがクリィマさんがいるのだ。
プレセイラさんの膝の上になんて乗せてもらったら、彼女に何を言われるか分からない。
「そう。アリスさんは偉いわね。もう少しで着きますからね」
プレセイラさんはそう言って、また俺の頭を撫でてくれた。
それだけで、俺はもう町の姿を見られないくらい気にならないって気分になっていた。
「これは本当に立派だの。やはりタゴラスより大きいのではないかの?」
町の門が近づいて、ミーモさんが改めてそう言った。
「門も城壁も新しく見えますね。クリィマには何か心当たりがあるのではないですか?」
リールさんが隣に座るクリィマさんに顔を向けて尋ねる。
彼女には普通にクリィマさんが見えているのだろう。
確かに彼女の言ったとおり、馬車の窓からちらっと見えた門や壁はかなり新しいものに見えた。
この世界は歴史ある建物が多い。
住んでいる人も統治機構も変わらないのだから当然なのだが。
「ええ。心当たりならありますね。新しく城壁を作って町を広くしたのは私ですから」
クリィマさんの声がして、どうやら彼女は宰相であった時に、このキセノパレスの町を拡張したらしかった。
「どうしてそんなことをしたのです!」
プレセイラさんが彼女の発言を咎めた。
今は俺にも彼女が怒りを覚えている理由が分かる。
町に誰が住んでどのくらいの規模が必要かは、あの女神が決めたはずなのだ。
「いえ。私が作った魔法の道具はあの互いに会話ができるものだけではないのです。例えば畑を耕したりとか、衣類を洗ったりとか、ほかにもいくつか作ったのです。それで、キセノパレスに移住して来る人が増えまして」
どうやら人口増加に伴って、町を拡張する必要に迫られたってことらしい。
それを聞いたプレセイラさんは言葉を失っていた。
「職を失ったのは伝令の兵だけではなかったのです。多くの農民もそうですし、掃除や洗濯などのきつい仕事から解放されて、生活が向上した人も多いはずです」
その後「まさか全員を神官にするわけにもいきませんし」って続けたのは、プレセイラさんへの当てこすりかとも思ったが、彼女は相変わらず呆然とした様子を見せていた。
「町を大きくするなんて、クリィマさんは凄いですね」
俺の感覚だと彼女は農機具や掃除機、洗濯機なんかを作ったってことなんだろうなって何となく分かるから、そこまでのショックはない。
でも、そんなものの存在を知るはずもない皆の受けた衝撃はかなりのもののようだった。
「そうですか? アリスさんなら簡単にできるのと思いますが」
クリィマさんの方も、あまり大したことだとは思っていないようだった。
確かに、俺だってやろうと思えばそのくらいのことはできそうだ。
魔法で資材を運んだり、大きな穴を掘ったり、そこへ作った土台の上に資材を積み上げたりなんて、魔法のもっとも得意とする分野だろう。
「いえ。さすがにちょっと……」
それでも俺はそう答えたが、クリィマさんは、
「そんなことはないでしょう。私はここまで魔法を扱えるようになるまで、かなりの時間が掛かりました。でも、アリスさんならすぐにでもできそうですし」
姿が見えないからどんな顔でそう言っているのか定かではないが、その口調からはきっと当然って顔で言っているのだろう。
確かに俺の魔法の力は彼女と比較しても段違いらしい。
これもあの女神が言っていたチートの効果なのだろう。
「それで、これから皇宮を訪ねるのじゃろう?」
ミーモさんが予定を確認してきて、リールさんが答える。
「そうですね。まずはあの魔法の道具をと考えていましたが、それだけで済むかどうか? とりあえず魔法の道具はこの町にありそうですか?」
リールさんが俺に尋ねてきて、俺は慌ててマナの流れを探った。
「そうですね。町の中心、丘の上あたりからそれらしい気配がします。きっと皇宮に集められているんだと思います」
俺の答えにリールさんは頷いて、
「では、予定どおりセデューカ帝に謁見を求めましょう。そしてその席でプレセイラさんが魔法の道具を使う非を問う。それでいいですね?」
今度はプレセイラさんが頷いた。
彼女は今回の出来事が神の意思に背くことだと固く信じているようだから、一切の迷いはないのだろう。
現地の教会が日和見しすぎなのかもしれないが、俺にはプレセイラさんの断固たる態度は少し意外な気もしていた。




