第四十七話 分解消滅の魔法
「やめてください! 私はもうこの国を治める自信がないのです」
アキュビー王はリールさんに訴えたが、もう大勢は決していた。
「今ごろはもう、フェルティリス大陸にもこの国の状況が伝わっているでしょう。タゴラスの王宮やオルデンの神殿に知られるのも時間の問題だと思います。そうなるとおそらく、ここにいるプレセイラと同じ判断が下されるはずです。ならば早く動いた方が良いと思います」
俺には本当に神殿がそんな結論を出すかは分からない。
でも、リールさんもそう言っているし、何よりプレセイラさんの怒りはかなりのものだった。
だからそう簡単に神殿がオーヴェン王国によるルビール王国の併合と帝国の建国を認めるとは思えない。
そうなると、神殿や下手をすると王国による介入を招く可能性だってあるかもしれない。
「そんな。せっかくより良い政治が行われようとしていたのに……」
アキュビー王の落胆はかなりのものだった。
「あなたの行う統治以上のものは必要ありません。それがモントリフィト様のお考えです。いえ。私などが神の御心を正確に知ることはできませんが、これまでずっとそうしてきたのです。それが間違っているはずがありません」
一方のプレセイラさんは自信に満ちた態度でそう語った。
現代人の俺からしたらおかしな論理だが、この世界ではそれが正しい考えってことになるのだろう。
(でも、本当にそれでいいのかな?)
今度は自分が蒔いた種だって気がして、俺は少し心配になった。
「それでは早速行きますか? 魔法の道具を見つけて壊していきましょう」
クリィマさんは何だか嬉しそうだ。
なんだかんだ言って、自分が作り出した魔法の道具だから、気になっていたのかもしれない。
彼女は今回使われた携帯電話もどきを作った時はまだ「若く、この世界の理を十分に理解していなかった」と言っていたから、若気の至りってやつなのだろう。
「でも魔法で壊すってどうするんですか?」
浮遊の魔法で落としたり、炎の魔法で焼いたりとかではないような気がした。
それなら普通に衝撃を与えたり、燃やしたりすれば済むはずだ。
「この世界から抹消せねばなりません。すべてをマナに戻し、消え去るようにする魔法。『分解消滅』の魔法です」
クリィマさんは平気な顔でとんでもなく恐ろしいことを口にした。
「分解消滅の魔法……ですか?」
文字どおり物質を分解してマナに戻し、消滅させる魔法なのだろう。
誰かが生唾を飲み込む「ゴクリ」という音が聞こえた気がした。
それは俺のものだったのかもしれない。
「そうです。お見せした方が早いですね。何か適当な物が……」
クリィマさんはそう言って腰に下げていた魔法の袋の中を探り出した。
「これがいいでしょう」
そう言って彼女が取り出したのは小さな茶色っぽい塊だった。
「それは何?」
ロフィさんが尋ねると、
「パンのかけらです」
クリィマさんが自慢げに答える。
「パンなんて食べたかしら?」
ロフィさんは首を傾げているが、俺にも心当たりはない。
この世界では食事は必須ではないし、プレセイラさんが一緒にいるから皆、遠慮してあまり食事をしないのだ。
「いつのパンじゃな? それは」
ミーモさんが気味が悪いって顔をして聞いてくると、クリィマさんはさすがにばつが悪そうだ。
「ちょっといつのものか忘れてしまいました。でも、この袋の中では時間が進みませんから、腐ったりしませんし」
そんな言い訳をしていたが、ロフィさんも舌を出して、信じられないって顔を見せた。
ほかの皆も、何となく身体を傾けて、クリィマさんから距離を取ろうとしたように見える。
ソファに座っていなかったら、本当に離れたかもしれない。
「このパンがいつの物かは関係ないのです。どうせ消え去るのですから」
いつもより大きな声でそう告げると、クリィマさんがマナの流れを操ったことが俺には分かった。
膨大なマナがそのパンのかけらに集中する。
そしてそれが一点に凝縮したかと感じられた時、今度は反転するようにマナが爆発的にパンのかけらのある場所から噴出した。
「うわっ!」
「なにやら凄そうじゃの」
「何が起こっているの?」
俺は思わず声を出したが、さすがにこのレベルになると俺だけでなく、ミーモさんやロフィさんもマナの動きを感じたようだ。
そして魔法を扱う二人だけでなく、それ以外の人たちも何かを感じ取ったようだった。
この世界はすべてがマナからできているらしいから、それも当然なのかもしれない。
「消えましたね」
一方でリールさんは冷静だった。
勇者である彼女には魔法が効かないから、今のマナの流れも感じなかったのかもしれない。
「ええ。消えました。でもこの魔法を発動するのが結構、大変なことはアリスさんは分かりましたよね?」
クリィマさんはそう言って俺の顔を覗き込んできたが、そんなの言われるまでもない。
「こんな凄い魔法が、俺に使えるでしょうか?」
扱うマナの量がこれまでの浮遊や洗浄の魔法とはけた違いなのだ。
周辺のマナが不足してしまうんじゃないかって思ったほどだ。
「ええ。逆に私を除けばアリスさん以外の人には使えないでしょう。それにアリスさんの魔法の力は私以上だと思いますよ」
俺は女神からチートな能力を与えられているはずだから、彼女の言うとおりだろう。
でも、彼女だっておそらく俺と同じように、チートな能力を与えられているはずなのだ。
どちらが上かは微妙なところだと思う。
「練習用にこのクッキーの破片を提供しましょう。どうぞやって見てください」
クリィマさんはまた袋の中から、今度は割れたクッキーを取り出した。
そしてそれを俺に押し付けてくる。
「あ、ありがとうございます」
お礼を口にして受け取ったものの、何となく不潔な気がする。
「ぼろぼろと落ちてるわよ。何だか汚らしいわ」
またロフィさんがそう言って、やっぱりこのまま口に入れる気にはならない代物のようだ。
「どうせ消し去ってしまうのですから、これでいいのです。さあ! やってみてください。でもくれぐれもしっかりと狙いを定めて、このクッキーだけを消し去ってください。私まで巻き込まないようにね」
また大きな声でクリィマさんは俺に勧めてきた。
俺はさっき彼女使った魔法のマナの流れを思い出して、神に祈りを捧げる。
「モントリフィト様。どうか力をお貸しください」
そうしてより鋭敏になった知覚で周辺のマナを操り、それを一気に手のひらの上のクッキーに集中する。
「またじゃの」
ロフィさんがビクッと身体を固くしていたし、ミーモさんはやっぱり気づいたようで、そう口にしていた。
「できましたね」
クリィマさんが言ったとおり、俺の手の上にあったクッキーのかけらは消え去っていた。
「どこかに隠したわけではないのだな?」
カロラインさんはのんきにそんなことを言っていたが、そんなことをしても意味がない。
いや。実はその魔法の道具を隠すだけでもいいのかもしれないが、後々のことを考えたら、きちんと消滅させておくべきだろう。
少なくともクリィマさんは、それを望んでいるに違いない。
そんな皆がクリィマさんと俺が魔法を使うところを見ている中、プレセイラさんの表情は、先ほど俺に見せた喜びや、アキュビー王に見せた自信に満ちたものとはまったく異なるものになっていた。
「それは、恐ろしい破壊の魔法。魔人の使う魔法ではありませんか?」
彼女の目は恐怖に見開かれ、信じたくないものを見たといった顔に見える。
クリィマさんと俺が使った魔法は彼女の言ったとおり破壊の魔法。魔人の使う魔法なのだろう。
俺もクリィマさんも魔人となる資質をあの女神から与えられた者なのだから。
「何と禍々しい魔法でしょう! 私はアリスさんにはそんな魔法を使ってほしくありません!」
このところプレセイラさんは情緒の安定を欠いているような気がする。
敬虔なモントリフィトの信徒として、今の状況に安穏としていられないことは分からないではないのだが。
「プレセイラさん。こうでもしないとクリィマさんの作った魔法の道具をなくすことはできないみたいなんです。俺もそれを手伝いたいし、大丈夫ですから」
魔人になるためには人を殺めなければならないのだ。
さすがに俺にはそこまではできない。
そしてそれはクリィマさんも同じだろう。
「魔人の使う魔法を操り、そしてオーヴェン帝国で使われる魔法の道具を作り出したと。いったいあなた方は何者なのですか?」
アキュビー王も怖れを抱いたように、俺たち二人を交互に見て、質してきた。
(異世界からの転生者です)
それが本当の答えなのだが、そう言ってもどうせ信じてもらえないだろう。
「私たちは神から魔法の適性を与えられているのです。でも、それを使って世界をどうこうしようなんて考えていません。彼女は、アリスさんはまったくそうですし、私は以前には多少、そんな気持ちがありましたが、今はそんなことは思いませんし、逆に過去の過ちを正そうと思っているのです」
クリィマさんはアキュビー王に、そう答えてくれていた。
それで王の懸念が拭えたかは定かではないが、もう結論は出ている。
「それでは、魔法の道具を壊しに行きましょう。プレセイラさん。心配しなくても私がほとんど担当しますから。アリスさんにお願いするのは万が一の時だけです」
クリィマさんは自分の作った魔法の道具なのだから、ある程度、自分でけりをつけようって考えているようだ。
「手始めにこの町にある物を探しましょう。まあ、司令官が持っているのでしょうがね」
クリィマさんは簡単そうに言ったが、司令官の持ち物を破壊するって、困難を極めるんじゃないだろうかって俺は思っていた。




