第四十ニ話 動乱の原因
「どうしてそう思われるのですか?」
我慢できないって様子でカロラインさんが尋ねた。
彼女はプレセイラさんとほとんど同じ考えを持っているようだったから、神の定めた秩序が崩れたルビール王国の領域が平穏を保つなんて信じられないのだろう。
「帝国の皇帝とやらはキセノパレスにいるのかの? テネリフ山脈を越えて南部を統治するなど、無理な話じゃと思うがの?」
だから少なくとも混乱が起きて、南部は衰退するのではないかとミーモさんは思っているようだ。
そして南部が衰退すれば、その被害は北部にも及び、遂には海峡を越えて俺たちのいたフェルティリス大陸まで影響が出るかもしれない。
「山脈を越えて意思の疎通ができるとしたらどうです? キセノパレスとトレヴォロにいる人同士が話すことができるとしたら?」
クリィマさんが口にしたことに、俺は「ああ。メールか電話があったらってことね」とすぐに思ったのだが、俺以外の人には今一つイメージが湧かないようだった。
「何が言いたいのか分からんの。キセノパレスとトレヴォロとは、馬車でも半月以上は掛かるのじゃぞ」
察しの良いミーモさんでさえそう言って首を傾げていたから、ほかの皆は推して知るべしだ。
「そんなに距離があるのでは、風の魔法を使ってもとても無理ね」
ロフィさんもそう言うし、
「そのような絵空事、考えてどうなると言うのだ?」
カロラインさんも呆れたような顔を見せた。
だが、リールさんは違った。
「クリィマは以前、キセノパレスにいた時に、何かそれに類することをしたのですね?」
別に責める様子も見せず、クリィマさんに尋ねた。
クリィマさんは一瞬、答えに詰まっていたが、
「ええ。まさか山脈を越えて使おうとするとは思いませんでしたが」
すぐにそう言って頭を掻いていた。
「いったい何をされたのですか?」
こちらは思い切り責めるような口調でプレセイラさんが尋ねる。
「マナの力を借りて、誰でも遠くにいる人と話すことができる道具を作ったのです。二十台ほどね」
この人はオーヴェン王国で何をしていたんだろうって思うが、どうやらクリィマさんは携帯電話もどきの魔法の道具を作ったらしい。
「どうしてそんなことをされたのです!」
プレセイラさんが続けて非難するような声を上げるが、クリィマさんは平気な顔で、
「王が私にあちらの町へ行け、こちらの町に連絡せよと言って目の回るような忙しさだったからです。それならこの道具を使えば簡単に連絡ができますよと、そう言って差し上げたのです」
やはりクリィマさんはオーヴェン王国の王宮で働いていたようだ。
王とも面識があるようだから、それなりの地位にあったのだろう。
「そうすると、おそらくはその道具を使って帝国は大陸の南北を一括して統治しておるわけじゃな。広さで言えばフェルティリス大陸の方が大きいのじゃから、山脈さえ問題にならなければ統治は十分可能じゃろうの」
ミーモさんはお気楽な感じでそう言ったが、プレセイラさんは収まらなかった。
「そのようなこと、許されるはずがありません。いくら山脈を越えて話すことができるようになったからと言って、モントリフィト様はそれを許されていないのです。これは神への冒涜です。すぐに止めなければなりません」
俺は別にルビール王国の王様には何の恩義もないし、そもそも会ったことさえないから、そこまでしてやる義理もないって気がするが、そういうことでもなさそうだ。
でも、統治に問題がないのなら、このままでもいいんじゃないかって思いは拭い去れない気がした。
「これから元に戻すとなると、かえって混乱しませんか?」
クリィマさんはそう言うが、自分で種を撒いておいて、他人事だって考えているように聞こえる。
案の定、カロラインさんから、
「この事態を招いたのが、あなたの作った魔法の道具だと言うのなら、ますます私たちに事態を収拾する義務があると思うのだがな」
厳しい声で責められていた。
「勘弁してください。あの頃は私も若く、この世界の理を十分に理解していなかったのです。自らの力に溺れ、危うく取り返しのつかない間違いを犯すところでした。それが分かったからこそ、あの山の麓に隠れ住むようになったのですから」
クリィマさんがそう言って謝ると、さすがにプレセイラさんもカロラインさんもそれ以上は責め立てはしなかった。
俺にはプレセイラさんがいて、神殿ではマイさんやポリィ大司祭が記憶喪失ってことになった俺に対して、色々とこの世界のことを教えてくれたから、かなり助かった面がある。
クリィマさんにはもしかしたら、そういった人がいなかったのかもしれないなと俺は思った。
「そうするとまずは王の行方を探って、居場所を見つけることが当面の目標になるな。その後は王を解放して、再び南部の統治をしてもらうと」
何だか占領軍に対するレジスタンスみたいなことになってきた。
そういうのって愛国心に満ち溢れたその土地の方々がすべきことなんじゃないだろうか?
俺たちは思い切り外国人だし、俺なんて異世界人だ。
そんな俺たちがこの国の統治に異議申し立てなんてして良いのだろうか?
「住民の皆さんはどう思われているんでしょうか?」
俺は住民の理解を得ないまま、このまま突き進んで成功するんだろうかってことが気掛かりになった。
だが、プレセイラさんはそんなことは意に介さないようで、
「住民は日々の務めに忙しいですから、そんなことをしている暇はありません。モントリフィト様の定められた秩序を守ることは神聖な務めです。私たちこそがこれに携わるべきでしょう」
そう言って一歩も引く気はなさそうだった。
「じゃが、魔人が関係していたわけではないのであろう? 勇者であるリール殿が手を出して良いものかの?」
ミーモさんが遠慮がちに意見を述べた。
ここで反対意見を言うのは勇気がいるなって思っていたから、俺は感心してしまった。
「それはまあ、そうですが。ですが魔人が関係していないという明らかな証拠もありませんから」
プレセイラさんも急に歯切れが悪くなっていた。
確かにリールさんがあの女神に与えられた役割は魔人を滅ぼすことだ。
だから、ルビール王を復位させることなんて、してもいいか分からない。
オーヴェン王が神に許されていないことをしたって言うのなら、リールさんだってそう言われてしまうのかもしれない。
「いえ。プレセイラさんのおっしゃるとおり、魔人がまったく関係していないかは分かりません。だから私もプレセイラさんとともに、まずはルビール王の行方を探し、場合によっては王に再度、南部の統治をお願いする。そうしてみるつもりです」
彼女はそう言って皆を見回した後、最後にクリィマさんを見て頷いていた。
クリィマさんのしたことを収拾しようってことなのか、それとも彼女は魔人ではないにせよ、それに近い存在だったということなのかもしれなかった。
「でも、どうやって探すんですか?」
異世界なんだから神託みたいに何か簡単に手掛かりが得られる方法があるといいなと思って俺は聞いたのだが、カロラインさんが、
「どうやってって、まずは聞き込みをするしかないだろう。国王陛下が連れ去られるところを見た者はいないか、トレヴォロの町で聞いて回るんだ」
そんな答えを返してきたので、俺はがっくりきてしまった。
だって、帝国が施政権を握っているであろうトレヴォロの町で聞き込みなんかしたら、危険極まりないはずだ。
やっぱりこの世界の人は、神から与えられた自らの役割を果たして、日々を平和に送っているから、こんな場合でも危機感が働かないのかなって思えてしまう。
「そうですね。危険ではありますが、ほかに方法はなさそうです」
プレセイラさんまでそんなことを言い出して、俺は唖然とする思いだった。
「えっと。それって……」
危険なんてものじゃないんじゃないですかって俺は言おうと思ったのだが、俺がそれを口にする前に、クリィマさんが俺を見ながら口を開いた。
「プレセイラさんの言うとおり、トレヴォロの町で聞き込みをするのは危険でしょう。私に少し心当たりがあります。いずれにしてもトレヴォロの町まで出向く必要はありますが」
彼女は俺の懸念を理解してくれたようだった。
でも心当たりがあるって、やっぱり彼女は何か知っているらしい。
結局、結論としては俺たちはルビール王国の王都であったトレヴォロの町まで行くことになった。
「思ったより混乱はないみたいですね?」
俺は不審に思って尋ねた。
街道の行き来も制限されているくらいだから、町や村はかなり混乱しているのではって思っていたのだが、そのような様子はまったくと言っていいほど見られなかった。
「まあ、これまでルビールの国王の命令に従っていたものが、キセノパレスから発せられるオーヴェン王の命令に従うようになった。それだけのことだと思います。それにしても、よくトレヴォロを攻め落とせましたね?」
リールさんがそう言ったのは、俺に教えてくれようとしたのかもしれなかった。
俺が思っていた両国間で大軍を動員しての戦争なんてものではなく、少数の兵による奇襲やクーデターなんかに近いのかもしれない。
「近衛騎士は何をしていたんだ?」
カロラインさんが不愉快そうに口にしたが、即座にリールさんが、
「近衛騎士と言っても、それ程の人数はいないでしょう? 逆にオーヴェン王国がそれなりの人数を揃えて攻め込めば、なす術もありませんから」
相手を戦死させることができないとなると、人数で押されると確かに対応は難しそうだ。
「オーヴェン王国ではあの魔法の道具によって、これまで伝令役を担ってきた軍人や通知文を作成する文官の仕事がなくなりましたから。それらの人を訓練し、兵としてトレヴォロの町に送り込んだのでしょう。まさかそんなことが起きようとは考えてさえいなかったルビール王国の騎士団の方が蹴散らされたのかもしれません」
そう言われて俺は王都タゴラスの王宮の警備の様子を思い出していた。
他国でもあの状態であったなら、少し人数を揃えれば簡単に王を虜にできそうだ。
今回の異変はまさにそれが現実に起こったのかもしれなかった。




