第四十一話 街道を東へ
「そうですね。オーヴェン王国の特に王都であるキセノパレスへは足を踏み入れたくありませんね」
いったい何をやらかしたのか、クリィマさんはそう言って渋い顔をした。
「じゃが、もうこの大陸はオーヴェン王国が、いや帝国が統治しておるのであろう? そうなるとこの大陸には身の置き所もないということになりはせぬかの?」
ミーモさんの言うとおり、テレーゼ艦長を筆頭としたあの国の軍人たちが言ったことが本当なら、この大陸はオーヴェン王国改め帝国が統治しているってことになる。
「俄かには信じ難いのだが。そのようなことがあり得るのか?」
カロラインさんは、まだ信じられないようだ。
それだけ異常な事態が起きているということなのだろう。
「ですが現実にガストーンの港は封鎖され、七隻もの軍船が我々を囲みました。まさかルビール王国がそのようなことをするとは思えませんし」
リールさんはそう言って思案顔だった。
「そうです。ルビール王国であれば、そのようなことをするはずがありません。神が定めた秩序が破壊されようとしているのです。それを座して見ているわけにはいきません!」
このところ威勢の良い意見を出し続けているプレセイラさんが、今回もまた同様に過激な案を出そうとしていた。
「ルビール王を探し出して、元のように王国の領域を統治していただくのです。それでこそ神の定められた秩序が維持され、世界に平和と安寧がもたらされる。そのためにこそ私たちは動くべきです!」
そんなことが可能なのかって、俺でさえ思うし、そもそも王が無事だってどうして分かるんだろう?
普通は王国が滅んだら、王もそれと運命を共にするものなんじゃないだろうか?
「もしルビール王が王位を追われたとしたのなら、確かにそれは許されざる暴挙だな。私たち以外にそれを為すことができる者がいないのなら、やるしかないだろう。おそらく王はどこかに幽閉されているのだろうから、まずはその場所を探ってはどうだ?」
カロラインさんも程度の差こそあれ、プレセイラさんと同意見のようだ。
この世界の人の感覚としては、あの女神が定めた秩序を否定することは、とんでもないことらしい。
まあ、女神が言ったようにここが『完璧な世界』だとしたら、そこから逸脱する行為は世界に甚大な被害をもたらしかねない。
魔人が生まれたフィロラの町で起きた悪夢のような事態のように。
「一番怪しいのはやはり王都のトレヴォロであろうかの? まあ、キセノパレスへ連れ去られたという可能性もあるが」
それにしてもミーモさんも、ルビール王国の王様はどこかに連行され、幽閉されているって前提で話していることが、俺には解せなかった。
前王朝の最後の王なんて、消される可能性が高いんじゃないだろうか?
「あ……」
「アリスさん。どうしましたか?」
俺は思わず声を出してしまい。皆の視線を浴びてしまった。
「いえ。何でもありません」
慌ててそう答えたが、俺は気づいたのだ。国王を亡き者にすることはできないことに。
(人を殺したら魔人になってしまうからな。だから幽閉されるわけか)
そうなると戦争が起きたっていう俺の考えは一部は合っているものの、戦死者は出ていないってことになる。
戦死者が出ていれば勇者であるリールさんは大手を振って、対象者を魔人として滅ぼすことになるのだろう。
その場合、魔人になるのは実際に手を下した兵士なのか、はたまた攻撃の命令を出した上官か、もっと言えば戦争を始めた王様なのか?
その辺りは判然としないが、いずれにしても魔人になるような危険を冒したい者はいないだろうから、皆、戦死者を出さないように細心の注意を払ったのだろう。
「ここから近いのはトレヴォロですから、まずはそちらへ向かってみましょう。クリィマはキセノパレスへは行きたくないのでしょうし」
リールさんが断を下し、俺たちはルビール王の幽閉先を探すため、まずは王都であったトレヴォロの町を目指すことになった。
翌朝、俺たちは宿を出てガストーンの町を離れ、一路、トレヴォロへ向かった。
だが、戦時だからか街道の行き来はかなり制限を受けているようで、勇者であるリールさんの力を以てしても、馬車を用立ててもらうことはできなかった。
「アリスさん。辛かったら言ってくださいね」
プレセイラさんが俺を気遣ってくれるが、さすがに徒歩はきつい。
疲れは取ることができるにしても、俺は身体が小さいから、速く歩くにしても限界があるのだ。
「魔法を使ってはダメですか?」
ファイモス島で西の岬を目指した時のように、浮遊の魔法を使えばかなり楽に進むことができる。
だが、今回は目立つことは避けたいとのリールさんの判断で、俺も歩くことになっていた。
「辛かったら休みましょう。それとも私が背負ってあげましょうか?」
街道を行く人は少ないのだから、注意して魔法を使えば、見つかることもないと思う。
でも見つかった場合のことを考えると、止めておいた方がいいってことらしい。
確かにあんな非常識な魔法の使い方ができる者なんて、俺とクリィマさんくらいだろう。
それに行き交う人が少ないとは言っても、ファイモス島で魔人が滅んだ場所へと向かった時とはやはり勝手が違う。
あの島で魔物が襲って来るような場所へ向かうような物好きは、俺たち以外にはいなかったのだから。
「いいえ。大丈夫です。荷物も持っていただいていますから」
俺の荷物はクリィマさんの袋にすべて入れてもらっていた。
それはカロラインさんやミーモさん、エルフのロフィさんでさえそうだった。
「何も持っていないのも変ですものね。鞄だけは持つわね」
俺以外の皆はそう言って、大部分の荷物はクリィマさんに預け、ほぼ空の鞄だけを持って歩いていた。
例外はプレセイラさんで、彼女は「私の荷物には儀式で使う物も多いですから。お預けするわけには」と言って、すべて自分で持ち運んでいた。
だから俺が彼女に背負ってもらうなんて、できるはずもないのだ。
「こんなことになって。人々は大丈夫なのでしょうか?」
プレセイラさんも心配しているが、港は封鎖され、街道の行き来も制限されている。
物流が滞って民衆は不便を強いられているんじゃないかと思うのだが。
「大丈夫なのでしょう。もともと周辺で自給できる町が多いですし、本当に足りない物だけを運ぶようにすれば、この程度で十分なはずです。少なくとも当面は」
クリィマさんは、何故かそんなことを言っていた。
「どうして分かるんですか?」
どうもこの人は何か知っているような気がする。
だが、彼女は俺の方を見もせずに、
「前にも言いましたが、私は以前、オーヴェン王国にいましたから。それにそういう意味ではフェルティリス大陸の町も同じです」
彼女が言うには、俺たちが元いた大陸の町、例えば神殿のあるオルデンの町だって、基本は自給自足しているらしいのだ。
「王都のタゴラスだけは事情が違いますが、それ以外の町はほぼ自給できる体制になっています。現実問題として海が荒れて船が出航できなくなったり、もっと言えば魔人が現れたりした場合には、自給ができないとたちまち干上がってしまいます」
基本、平和な世界のようだからもっと物流が発達していても良いような気がするが、現実にはそこまで人々の往来は活発ではない。
コパルニの町だけが異常なのだ。
「今夜はこの町の宿に泊まりましょう」
リールさんの提案で俺たちはマルトという町では教会で宿泊するのではなく、宿を取ることになった。
(やった! 今夜はふかふかの布団で寝られるぞ)
俺は単純に喜んでいたのだが、宿に落ち着いて後、皆で集まるとプレセイラさんは憂い顔だった。
「教会を信用されていないのですね?」
彼女がリールさんに確認するように言うと、リールさんは申し訳なさそうに、
「プレセイラさんのお考えと、この地の教会の見解は一致していないようですからね。いらぬ軋轢を起こす必要もないでしょう」
ガストーンを出てすぐの町の教会で、プレセイラさんはそこの司祭とひと悶着あったのだ。
「モントリフィト様の定められた秩序を乱さんとする者の支配に服するとは。それでもあなた方は神に仕える者ですか?」
例の「神に感謝と奉仕を」って挨拶の後、すぐに彼女が大きな声で司祭を責めるように言ったものだから、とても宿泊をお願いできるような状況ではなくなってしまったのだ。
プレセイラさんはその辺りは曲げない人だから、この町の教会を訪ねても同じことが繰り返されるのだろう。
「オーヴェンの王も神が統治を委ねられた方だからなどと言って容認するとは。あれでモントリフィト様にお仕えする者だと胸を張って言えると思っているのでしょうか?」
彼女は今もそう言って、教会の神官たちの態度を嘆いていたが、現状では特に問題は起こっていないようだ。
迫害でもされれば別だろうが、そうでなければ、それも「神様の思し召し」として容認するのが普通なんじゃないかと思う。
「ルビールの王様がいなくなったのに、国が寂れたりしないんでしょうか?」
俺にはそちらの方が疑問だった。
あのフィロラの町では一人の鍛冶師が魔人になっただけで、町に大きな影響が出たのだ。
国王が、幽閉されたのか連れ去られたのか分からないが、いなくなったのなら、国全体がフィロラの町みたいに衰退してもおかしくないと思うのだ。
「そうですね。ここまで見たところそんなことにはなっていないようです。どの町でも平穏な暮らしが維持されているようでしたから」
リールさんが答えてくれたように、これまで通過してきた町では、特に混乱などは起きていないようだった。
これから色々と不都合が起こってくるのかもしれないが、そうなったら事態も動くかもしれない。
俺はそう思ったのだが。
「問題は起きないでしょうね。そう考えたからこそ、ルビール王国を併合するという挙に出たのでしょうから」
クリィマさんがそう言って、やはり彼女には何か心当たりがあるようだった。




