第三十九話 臨検
「その船! 停まれ!」
俺たちの乗るメデニーガ号に向かって来た船団の一隻から、そんな声が掛かる。
よく通るその声はその船に乗る兵が発したもののようだ。
「ここは停船するしかないでしょう」
リールさんの言葉に、士官は慌てて駆け出した。
艦長に勇者の判断を伝えようってことだろう。
だが、すぐに命令が出てメデニーガ号は停止した。
このまま真っ直ぐに進んでいたら、前方からやって来る船にぶつかるかもしれないから、致し方なかったのだろう。
図らずもリールさん言ったとおりになったが、それは彼女の判断を聞いた上で行われたことではなさそうだった。
「これより臨検を行う! 抵抗する者は拘束する!」
近寄って来た船からまた大きな声が聞こえた。
随分と乱暴だなって俺は思ったが、周りの皆の表情もさすがに硬いものになっていた。
近寄って来た船団は全部で七隻からなり、うち一隻はこちらの船に横づけするようにさらに接近して来た。
一方で残りの六隻はこちらをぐるりと取り囲む。
こうなってしまうと逃げることも難しそうだから、おとなしく臨検とやらを受けるしかなさそうだった。
「この船の艦長は誰だ?」
軍服を着た十人程が、両船の間に渡された梯子を伝ってこちらの船に乗り込んで来て、そのリーダーらしき人物が聞いてきた。
彼女たちはやはりガストーンの町の海軍の者たちらしい。
海賊なんてものがこの世界にいるのか分からないが、そういった無法者に襲われたわけではなさそうだ。
それでもどちらが良かったのかは、現状では判断が難しい。
相手側のリーダーは束ねた赤い長髪が印象的な女性だった。
日に焼けた肌は健康的で、黒を基調とした軍服が良く似合っている。
「私が艦長のモリーだ。本来なら臨検など受ける謂れはないはずだが?」
メデニーガ号の艦長は堂々とした態度で答えていた。
俺たちが乗り込んだのは出航する時間ぎりぎりで、しかも俺は子どもだからか、その後も艦長に挨拶をする機会がなかった。
だから俺は彼女を見るのは初めてだった。
彼女も日に焼け、長い栗色の髪を背中で束ねている。
海軍の軍人の定番のヘアスタイルってわけでもないのだろうが、その姿は相手方の船からやって来た女性とよく似ていた。
「ガストーンの港は現在、外国船の停泊を認めていない。どうしてやって来たのだ?」
赤い髪の女性は厳しい声で俺たちにそう告げる。
どうしてやって来たって、どうしてそんなことになっているのか確かめるためだよなって、俺は思ったのだが。
「ルビール王国は何の故を以て、我らの寄港を阻まれるのか? 教えていただきたい」
モリー艦長も堂々とした態度で、そう問い質した。
だが、相手方の女性はまったく動じることなく答える。
「ルビール王国の命令ではない。オーヴェン王の、いやオーヴェン帝国皇帝の勅命だ。新たな秩序によって大陸が安定するまでの間、他国の干渉を受けないための措置だ。即刻、立ち去られよ!」
「オーヴェン帝国皇帝?」
俺以外の皆も聞いたことがないといった顔をしていたから、初めて聞く名前だったのだろう。
コパルニの町のメデラー総司令官は、オーヴェン王国によってルビール王国の王都が落とされたと言っていた。
彼女の言ったことが正しいのならば、そのオーヴェン王国はルビール王国を滅ぼして、王が皇帝を名乗ったってことなのかもしれない。
(あれ? クリィマさんは?)
こういった時、冷静な態度で相手と交渉するのって、彼女が適任な気がしたのだが、船室にでも戻ったのか、彼女は姿を消していた。
「どのような事が起きたのか、私たちはそれをお聞きしようとここまでやって来たのだ。是非、皇帝にお取次ぎいただきたい」
リールさんがそう言って前へ進み出た。
「あなたは?」
当然、相手方の女性は不審だといった態度で聞いてきた。
「私は勇者のリールです。今回の件、魔人が絡んではいないのでしょうか?」
リールさんの名乗りに、さすがにオーヴェン帝国の軍人なのであろう彼女も動揺を見せた。
「どうして勇者様がこのような場所に? まさか魔人が現れたのですか?」
やはりこの大陸でも勇者は誰もがその名を知る有名人ってことらしかった。
「いいえ。ですが今回の事態を私は疑っているのです。何らかの魔人の影響によるのではないかと」
リールさんがそう告げたのは俺には意外だった。
彼女はプレセイラさんがそう主張するのを押し止めていたように思っていたからだ。
「このような暴挙。魔人に仕業に違いありません!」
案の定、プレセイラさんがそう被せるように言ってきて、オーヴェン帝国側との間に緊張が高まった。
「無礼なことを言うな! 魔人など絡んでおらぬわ!」
メデニーガ号に乗り込んで来た軍人たちの一人が、プレセイラさんに向かって言い放った。
だが、彼女は睨むような目で軍人たちを見据え、発言を撤回することも、謝ることもしようとしない。
「魔人が絡んでいないとしても、海峡を渡ることを拒まれては困るのです。万が一、魔人が現れた時、対処することができなくなりますから」
リールさんがそう言うと、オーヴェン帝国の軍人たちは顔を見合わせていた。
魔人に対抗できるのは勇者のリールさんだけだから、確かにステリリット大陸に魔人が姿を見せた時、元いた大陸との間の往来が禁止されていたとしたら、彼女は魔人を滅ぼすことができない。
その間、魔人は勇者のいないこの大陸で、やりたい放題ってことになりかねない。
「ならば勇者殿だけは上陸を許そう。それ以外の者は立ち去るのだ!」
赤い髪のリーダーが宣言するように言うと、リールさんが即座に、
「私の仲間もともにお願いします。戦いに必要な者たちです」
俺たちの同行を許すよう申し出てくれた。
オーヴェン帝国軍のリーダーはだが、それに難色を示す。
「勇者殿以外は必要なかろう。臨検も特別にこれで終える故、早々に立ち去るがいい!」
そんな命令にプレセイラさんが敢然と反論した。
「勇者様から仲間を奪うことは、魔人を利することになるのです。モントリフィト様は決してお赦しになりませんよ!」
彼女の言葉にまた、帝国軍との間が一触即発と言ってよい状態に陥った。
俺はさすがにどうなることかとプレセイラさんに走り寄り、その袖を掴んだ。
その途端、リーダーが急に大きな声を上げた。
「おお。どうして子どもがこんな船に?」
俺はさっきまでミーモさんと並んでいたから、気づかれなかったのかもしれなった。
まさか軍の船に子どもが乗っているなんて思わなかったってのもあるだろう。
帝国軍のリーダーはふらふらといった様子で俺に歩み寄って来た。
「なんて可愛らしいのだ。名前は何と言う?」
プレセイラさんを見上げると頷いたので俺は、
「アリスです」
そう答えた。
俺の返事にリーダーは蕩けるような笑みを見せる。
「アリスちゃんか。何と可愛らしい。こんな可愛い生き物がこの世に存在していいのか?」
この世界には子どもが少ないからか、異常なほど子どもの好きな人が多いと思う。
俺はどこでも大歓迎や特別待遇を受けている気がするのだ。
「どうしてこんなところにいるのだ? 何かあったら世界の損失ではないか」
リーダーは心配そうな顔で俺に尋ねてきた。
「あの。勇者様と一緒に旅をしているのです」
途端に彼女から先ほどまでの甘い顔が消え去り、きりりとした軍人の顔が戻って来た。
俺は何か失敗をしたかと思ったのだが。
「予定変更だ。勇者殿とその仲間には上陸を許可する。それ以外の者はすぐに立ち去れ!」
彼女はそんな命令を出して皆を唖然とさせていた。
助かったが、それでいいのかと俺でさえ思った。
「では、私たちは行って参ります」
リールさんがモリー艦長に挨拶し、俺たちは帝国軍の渡した梯子を使って船を乗り換えることになった。
「あれ? クリィマさんは呼ばなくて……」
俺がそう口にすると、
(私ならここにいます)
すぐ隣から小さな声が聞こえ、俺は跳び上がりそうになった。
「えっと……」
(騒がないで……静かに)
俺の横には誰もいないはずなのに、明らかにクリィマさんの声だ。
すぐに俺の横にいたプレセイラさんも俺の方を不審な目で見てきたし、その先のカロラインさんは実際に「ひっ」という声を出して跳び上がった。
(私はこのままアリスさんの後について行きますから。上手に間隔を取ってください)
またそんな声が聞こえ、彼女はなぜか不可視の魔法を使って姿を隠しているようだった。
ミーモさんは分かっているのか、素知らぬ顔をしているし、ロフィさんも同様だ。
リールさんは俺の方を見て、
「気をつけて行きましょう」
なんて言って訳ありって感じで頷いていたから、彼女にも分かっているようだった。
いや、勇者には魔法が効かないらしいから、彼女にだけはクリィマさんは丸見えなのかもしれない。
「そうだ。気をつけて。落ちないようにな」
梯子の側にはあのリーダーがいて、俺に向かってそんな声を掛けてくれる。
「ありがとうございます。大丈夫です」
俺はそう言って梯子に手を掛けて向こう側の軍艦へと渡って行く。
身も軽いし、この程度の梯子なら落ちる気はしない。
でも、クリィマさんがすぐ後ろから来ているようで、変な揺れ方をしそうだから注意すべきだった。
そしてもやい綱が解かれ、メデニーガ号が西へと去って行くのを見ると、俺はやはり心細い気がした。
「勇者殿はこちらへどうぞ」
赤い髪のリーダーが俺たちを誘導してくれた先は艦長室のようだった。
クリィマさんも一緒に来ているようだ。
「トーリス号へようこそ。勇者様。歓迎しますよ」
そう言って握手を求めてきたのは、ミーモさんや俺と同じくらいの背丈の黒い髪をおさげにした可愛らしい女性だった。




