第三十六話 インスラビーチ
「とんだ寄り道になってしまいましたが、コパルニの町に向かいましょう」
翌朝、クリィマさんは何事もなかったかのように皆にそう告げた。
プレセイラさんも何も言わないから、俺が彼女と話したことは知られることはなかったようだ。
でも、そもそもクリィマさんの思い過ごしってこともある。俺はそう考えていた。
「いえ。でも魔人がいかに周囲の人々に恐ろしい被害をもたらすか。それがよく分かったことは意味のあることだったと思います」
一方で、プレセイラさんはそう言って、俺を眺めていた。
その目は決して魔人にならないようにって、俺を諭しているように感じられる。
「私も噂では聞いておったが、まさか町があそこまで衰退するとはの」
ミーモさんも気味が悪いって顔をしていたから、魔人になることを目指している俺としては複雑な気持ちだ。
「そのコパルニの町はどうして衰退していないのかしら? 魔人が生まれた町なんじゃないの?」
ロフィさんは何か勘違いしたらしくそんなことを聞いていた。
「正確にはコパルニの町から少し離れた海岸の先に浮かぶ小島がこれから尋ねようとしている場所で、そこで魔人が最期を迎えたのです。魔人が生まれたのはコパルニから数日の町で、小さな町だったことも災いし、既に人の住まない廃墟となっています」
何とも恐ろしい話だが、フィロラの町はあの辺りではかなり大きな町だったからこそ、鍛冶師が一人いなくなっても、住民を減らすことで均衡を保つことができたのだろう。
コパルニ近郊の魔人が生まれた町は規模が小さく、魔人となった人が従事していた職業を継ぐ者がいなくなり、町を維持することもできなくなって、全ての住民が神に願って移住を認められたってことのようだ。
近くにコパルニっていう大陸有数の大都市があったことも影響したのかもしれない。
そこなら多少の人口の流入があっても、何とか受け止められそうな気がするし。
南に向かうにしたがって気候は温暖になり、日中には暑いと感じることもあった。
俺はファスタン山に登る時にクリィマさんから借りた白いシャツとパンツで過ごしていた。
「コパルニに着いたら服を買いましょうね」
プレセイラさんがそう言ってくれる。
「ありがとうございます。でも申し訳なくて」
子どもの俺はお金を稼ぐ手段がないから、彼女に頼るしかない。
本当は大人用の古着でもあれば、クリィマさんが使った魔法の要領でサイズを合わせ、洗浄の魔法で新品同然にすることもできそうなのだが。
「気にする必要はありませんよ。着る物と住む場所は最低限必要なものですし、子どもにはそれが与えられて然るべきですから」
いつもの美しい笑顔を見せて彼女はそう言ってくれる。
だが、買う服を決めるに当たっては、ひと悶着あったのだ。
「せっかくコパルニまでやって来たんじゃ。浜辺で海に入って楽しみたいの」
ミーモさんはそう言って、浜辺でのバカンスを楽しむ気満々だった。
「私たちには魔人の事跡をたどり、魔人が実際にどんなものなのか、その恐ろしさを知る必要があるのです。そのようなことをしている余裕はないと思いますが」
真面目なプレセイラさんは、そう言って難色を示したのだが、ミーモさんはきかなかった。
「コパルニまで来ることなど、そうそうあるものではない。多少のことはモントリフィト様もお目こぼしくださるのではないかの?」
そう言って、一人でも浜辺へ行くのだと言い出した。
「たかが半日程度のこと。どうしても嫌なら町の教会で祈りでも捧げておるが良いわ。私は行って来るでの。ほかの皆も行くであろう?」
ミーモさんに訊かれると、ほかの皆も興味がありそうだった。
「そうね。せっかくここまで来たのだし、森の仲間たちへの土産話になる気がするわ」
ロフィさんはそう言って乗り気だったし、クリィマさんが、
「アリスさんも行ってみたいのではないですか?」
そう言って俺の顔を覗き込んできた。
彼女の言うのは、俺が皆の水着姿を見てみたいだろうってことのような気がする。
「そうですね。きれいな砂浜なら、そこで景色を見ているだけでも気持ちがいいと思います」
俺はそう答えた。
この世界の人がどんな姿で海に入るのか分からないが、そんなに過激な水着ってことはないだろうと思う。
だから本当に景色を眺めるだけでもいいのだ。
「何事も経験じゃし、アリス殿も海に入ってみた方がいいと思うのじゃ。こんな機会は滅多にないからの」
ミーモさんにだしに使われている気がするし、海くらいはさすがに現代日本で行ったことがあるから経験済なのだが、指摘のしようもない。
「何事も経験ですか。アリスさんも行ってみたいと言うのなら、それも良いかもしれませんね。ここまで大変でしたから、休憩も必要でしょう」
プレセイラさんが諦めたように口にした。
この世界の人はマナを取り入れることで疲労から回復することもできるし、彼女は魔法でそうすることもできる。
でも身体の疲れはそれで取れても、ずっと気を張ったまま旅を続けて来ていることは確かだ。
そういう意味では、ここで休息を取るのも意味のないことではなさそうだ。
「そうと決まれば、まずは水着じゃな。アリス殿もせっかくじゃから海に入ってみると良い。また私と服を買いに行こう」
ミーモさんが嬉しそうに俺を誘ってくれて、俺たちはコパルニの町で買い物をした後、すぐに町の南にある浜辺へ向かうことになった。
コパルニは商都と呼ばれる町らしく、活気のある大きな町だった。
商店の品揃えも大陸随一とのことだったが、現代人の俺からすると大したことはない。
「海に入られるのなら丈の短いシャツとパンツがお薦めですね」
何着か子供服を購入した後、服屋の店員に水着は置いていないか尋ねると、そんな答えが返ってきた。
「さすがにスカートで水の中に入るわけにはいきませんし、丈の長い衣服は水を吸って重くなり、動きにくくなりますから、溺れでもしたら大変です。ですからこういった薄手の動きやすい服が良いのです」
俺からしたらティーシャツに短パンって感じの衣装だったが、この世界ではそれで泳いで問題ないらしい。
化学繊維とかがあるわけではないから、こういった服装で水に入るしかないのだろう。
「では、これもいただこうかの。さすがに裸で水に入るのはマナー違反であろうからの」
ミーモさんが決めてくれて、俺は白いワンピースに水色のブラウス、花柄のスカートなんかとともに、水着用にその服も購入することになった。
動きやすそうだし、普段使いにしても良さそうだった。
そして翌日、俺たちは朝早く町を出て馬車を南に走らせ、インスラビーチと呼ばれる砂浜にやって来た。
「これはまた見事な海じゃのう」
馬車から見える海の様子にミーモさんはずっと興奮していたが、海岸に着くと待ちきれないとばかりに馬車から飛び出して行った。
「思ったより賑わっているな」
カロラインさんもさっさとシャツに着替えると、馬車から彼女を追って海へと向かった。
町を早く出たはずなのに、この浜辺の側の村にでも宿泊している人たちなのか、既にビーチには多くの人たちがいた。
美しい女性ばかりがいる砂浜は花が咲いたようだ。
「ものは試しね。私も入ってみるわ」
ロフィさんもすぐに二人の後を追う。
皆は俺と大差のない格好だが、シャツは少しサイズの小さいものを着ているのだろう。
特に背の高いカロラインさんやプレセイラさんのシャツの丈はお腹が出てしまうくらいのものだった。
「本当に綺麗な海ですね」
プレセイラさんも思わず感想を漏らしたように、砂浜は白く輝くようで、浅瀬のエメラルドグリーンに、沖はコバルトブルーと言うのだろうか深い青色だ。
ところどころで白い波頭が光っていて、そのコントラストがえも言えぬ美しさだ。
「来て良かったですか?」
彼女は俺にそう聞いてくれる。
普段はゆったりとした神官の衣装を着ているのであまり気にしたことはなかったが、彼女は思った以上にスタイルが良く、俺は目のやり場に困ってしまう気がした。
「ええ。プレセイラさんはどうですか?」
あまりじろじろと見ないよう、視線を外しながら俺は尋ねた。
彼女はあまりここを訪れることに賛成ではなかったようだから、少し気になっていたのだ。
「私も今は良かったと思っています。こんなに美しい海を作られたモントリフィト様の慈愛の深さを感じられるような気がしますから。私がアリスさんとここを訪れたのも、きっと神様のお導き。そうも思います」
やっぱり彼女はそんな風に考えるんだなって俺は思った。
でも、彼女がここを訪れたことを後悔したりしていないようでほっとした。
「せっかく来たのですから、存分に楽しみましょう。もうほかの皆さんは海に入っているようですからね」
見ると彼女の言ったとおり、カロラインさんやロフィさん、リールさんまでも先に海に入っていた。
「じゃあ先に行ってます!」
俺が慌てて駆け出すと、プレセイラさんは「危ないですよ」なんて言いながら、俺の後を追って来てくれる。
途中、ビーチで一人、座り込んでいたのはクリィマさんだった。
「どうしたんですか? 海に入らなんですか?」
俺が尋ねると、彼女は俺を見上げて海に入らない理由を教えてくれた。
「身に着けているのはただの布のシャツですから、水に濡れると思った以上に透けるのです。ほかの人たちは気になりませんが、あなただけは気になりますから」
そう言って俺を睨むような目で見てきた。
言われた俺は、その日はさらに目のやり場に困ることになった。




