第三十四話 魔人の隣人
パスカの町で道行く人にパン屋のスニさんのことを聞くと、お店の場所を教えてもらうことができた。
町の外れにある小さなお店で店番をしていた彼女は、黄色い髪を後ろで束ねた少し陰を感じさせる人だった。
「勇者様……ですか」
リールさんが名乗り、ここを訪ねた目的を話すと、彼女はさすがに意外そうな顔をした。
「普通ならお断りするところですが、ほかならぬ勇者様のご依頼です。お話ししましょう」
それでもやはり勇者の威光か、彼女はそう言って魔人となった隣人のことを話してくれることになった。
エプロンを外すと、少し痩せているように感じられる。
この世界の人は概ね健康的な身体つきをしているから、少し珍しいのかもしれなかった。
「シシさんはどんな方だったのですか?」
小さな店にはほかに部屋とてなく、パンを焼く窯の側に置かれたテーブルの周りに各々腰掛けてとりあえず落ち着くと、クリィマさんがそう尋ねた。
途端にプレセイラさんの表情が硬いものに変わる。
魔人をさん付けにして、しかも「どんな方」だなんて聞いてってことなのだろう。
「シシは良い隣人でしたよ。別に変わったところもない、真面目な鍛治師でした」
どうやら魔人になる前は、ごく普通の市民だったらしい。
その頃から危ない人ってわけではなかったようだ。
「間違いありませんか?」
念の為、そう尋ねるクリィマさんに、スニさんは自信ありげに答える。
「ええ。あの人とは長い付き合いでしたから。ずっと隣で店を構えていたんです。たまには話し込むこともありましたし、神様のことも普通に信じていましたよ」
異世界からの転生者である俺なんかより、よほど普通の人だったのだろう。
だが、その答えにプレセイラさんの顔が不愉快そうなものになった。
やはり彼女が魔人を嫌悪することは、ほかの人以上のものがあるようだ。
魔人が神様を信じていたなんて言われて、神への冒涜だって気持ちに違いない。
「あなたは魔人に大変な迷惑を被ったのでしょう? この町へ来なければならなかったのだって」
たまらずといった様子でプレセイラさんがそう問い掛けると、スニさんはゆっくりと頷いた。
「まあ、そうですね。この町へ来るまでもそれはもう大変でした。櫛の歯が欠けるようにあの町の住民はいなくなっていったのです。暮らしはますます不自由になり、遂に私も教会を訪ねて神託を仰ぎました。そしてこの町への移住を勧めていただいたのです」
あのフィロラの町の教会で、彼女はこの町へ移りなさいという神託を得たらしい。
この世界ではどこまであの女神が設計図を描いているのだろうと考えると、薄気味悪い。
「それにこの町に移り住んだから安心というわけでもありません。ここでは私は実は必要のない人間なのです。本当はこの町のパン屋は、目抜通りにあるお店だけで十分なのです。この町はそれなりに規模の大きな町ですから、私が店を開いても何とかやって行けてはいますが」
小さな町ならパン屋が一軒増えたなら、とも倒れになりかねないのだろう。
もともと食事は必須ではないし、俺がオルデンの町の神殿で小麦粉を運んだように、教会もパンを焼いて配ったり、販売したりしている。
それでも朝や昼の活力に、そして何より美味しいものを食べて幸せな気分になるために、食事をとる人はかなり多い。
敢えてそうしないのは教会関係者で、しかも真面目なプレセイラさんくらいのものだ。
「ところでフィロラの町の近くの洞窟に、シシさんが遺した鉄柱があるのですが、知っていますか?」
「ええ。知っていますとも。あの人は鍛治師として最後に何か遺したかったのかもしれません。鍛治の仕事に誇りを持っていましたから」
クリィマさんが再び話を戻したが、その間もスニさんの態度は常に冷静で、魔人に対する怒りのようなものは感じられない。
迷惑を掛けられたとはいえ、それ以前の長い期間は仲の良い隣人だったのであろう彼女は、魔人となったシシさんのことをそれだけで恨んでいるってことはなさそうだった。
「あの鉄柱に文字が刻まれていることも?」
そう尋ねられた時、スニさんは初めて意外そうな顔を見せた。
だが、すぐに元の顔に戻ると、
「そうですか。言われてみればそれもあるでしょうね。金属に文字を刻んだりする細かな技術を、あの人は編み出したのですから、大きな鉄の柱に文字を刻むくらいなんてことはないでしょう」
スニさんは懐かしい思い出にひたるように遠い目をした。
そして俄かに何かを思い出したようで、
「そう言えばあの人の作ってくれた物があるのです。お見せしましょうね」
そう言って奥の居住スペースだろうか、扉を開けて、その先へと入って行ってしまった。
だが、しばらくして戻って来た彼女の手には、金色に輝く首飾りがあった。
「それが?」
今までどちらかと言えば詰まらなそうにしていたロフィさんが興味を示す。
その首飾りはそのくらい綺麗なものだった。
「大した造りね。ルークの森の職人だって、ここまでの細工をできる者は少ないわ」
エルフの優越を主張して止まない彼女からしたら、最大限の賛辞と言ってもいいだろう。
俺には宝飾品に関する知識なんてまったくないが、それでもその細工が見事なものだってことくらいは何となく分かる。
「この首飾りをシシさんが?」
クリィマさんが尋ねると、スニさんは大きく頷いた。
「そうです。これを作ったのはシシです。あの人は金属を細かく細工する技術を開発したのです。そうしてその噂が広がりはじめ、遠く王都からも注文があったと嬉しそうに話していた矢先でした」
「シシさんは人を殺め、魔人になったのですね?」
クリィマさんの確認の言葉に、スニさんは「そうです」と返してきた。
「どうして人を殺めたか、聞いたことはありますか?」
リールさんが問い掛けると、彼女は頭を振った。
「いいえ。もうその後のことは。すぐに魔人が現れたと騒ぎになり、私も逃げるだけで精一杯で。実際に町の守備兵が全滅していますし、戦う力なんて私にはありませんから」
平和なこの世界では守備兵と言っても大した数ではないだろう。
クリィマさんや俺の魔法の力を考えれば、魔人に対抗できたとは思えない。
「実はシシさんが遺した鉄柱に刻まれていた文字は、人を殺めたのは事故だったというものだったのです。事故で人が亡くなった後に魔法の力を授かったと、そう書かれていたのです」
クリィマさんがそう告げたが、彼女の返事は分からないというものだった。
「魔人になる前のシシのことを思い出せば、あの人が人を殺せるはずなんてないとは思います。でも、シシは実際に魔人になり多くの人がその被害を受けました。私にはその原因が事故だったなどとはとても言えません。実際にその場に居合わせたわけでもありませんし」
彼女の話はそれで終わりだった。
「結局、よく分かりませんでしたね」
スニさんの店を後にした俺たちは、今夜はこの町で泊まろうということになり、またいつものように教会に落ち着いた。
しばらくすると広間の隅に集まって、彼女の話してくれたことを皆で語り合った。
「そうですね。ですが私は魔人が人だということを、さらに強く感じました。シシは魔人と化す前は良い隣人だった。彼女のこの言葉は偽りではないと思います」
リールさんの声は確信に満ちたものだった。
プレセイラさんはそれを聞いて何か言い掛けたが、その言葉を飲み込んだように俺には見えた。
「まあ、そうなのであろうの。だが、あの鉄柱には魔法の才能が与えられたと書いてあったと思うのだが、それは本当なのかの?」
ミーモさんがそう言い出して、俺とクリィマさんに視線を送ってきた。
彼女の言いたいことは分かる。
俺もクリィマさんも人を殺めていないにも関わらず、既に魔法の才能を持っている。
それは魔人となったシシとは違うものだ。
(魔法の力を持つことが魔人となる条件なのだったら、俺はもう魔人ってことになるな)
それは魅力的な考えだ。
もしそうであるなら俺は人を手に掛けるまでもなく、リールさんに滅ぼしてもらえばいい。
それで晴れて元の世界へ、香具山さんが待っていてくれる世界へと帰ることができるのだ。
「おそらくはそうでしょう。スニさんもシシが魔法を使っていたとは言っていませんでしたから」
クリィマさんもそう考えているらしい。
スニさんが魔人となる前のシシと過ごした時間はそれなりに長かったようだから、ずっと魔法の力を隠していたってことは考えづらい。
「でも、シシは金属を細工する技術を開発したって言っていたわよね。それって実は魔法の力じゃないのかしら?」
ロフィさんはあの首飾りがあまりに見事なので、魔法によるものなんじゃないかと疑っているようだった。
「確かにな」
カロラインさんも疑わしいと思っているようだ。
「神のお与えくださった責務を果たすのが我らの使命。そんな酔狂なことにかかずらわっている暇はないからな」
彼女がそう続けるとプレセイラさんも頷いている。
どうもこの世界では神から命じられたことをすることが第一で、それ以外は二の次、と言うよりも手をつけてはいけないみたいだ。
「あんな鉄柱を立てて、わざわざ嘘を記すとも思えませんがね」
一方のクリィマさんはあの金属柱の記載は本当だと思っているようだ。
俺はそれを聞いて、ずっと疑問に思っていることを確認してみることにした。
「あの金属柱って。本当に千年も前のものなんですか?」




