第三十三話 パスカの町へ
「勇者様。そこまでです」
リールさんの発言を止めたのはプレセイラさんだった。
「モントリフィト様はこの者をお赦しにならなかった。それがすべてなのです。ここに書かれていることは魔人の戯言に過ぎません。勇者様はそちらを信じ、モントリフィト様のご裁定をお疑いになるのですか?」
彼女の厳しい声に皆は我に返ったような顔を見せた。
「そうじゃな。証拠は何も残っておらぬであろうしの」
ミーモさんが言ったとおり、千年も前の出来事なのだ。
もう証言者もいないだろうしって思ったところで、俺はいるかもしれないってことに気がついた。
「いえ。誰か真実を知っている人がいるんじゃないですか?」
この世界の人は不慮の事故でもないかぎり亡くならない。
ならば当時のことを知っている人が生きている可能性はあるはずだ。
「魔人が魔人になる前の知り合いか。まあ、いるかもしれぬな」
カロラインさんも俺の意見を肯定してくれる。
その人を探し出せば、どうしてシシが魔人になったのか、その原因を知ることができるかもしれない。
それは魔人となることを目指す俺にとって必要な情報なのだ。
「そのような者を探して会うと言うのですか? 魔人に近しかった者なのですよ」
プレセイラさんが彼女には珍しくまた大きな声を上げる。
「プレセイラさんは俺がもし魔人になってしまったら、俺のことはもう穢らわしい者として忘れてしまうんですね? 仕方ないですけど」
俺がそう言うと彼女は動揺した態度を見せた。
「そ、それは……。アリスさんは魔人になったりしません! アリスさんは何も悪いことをしませんから!」
俺はてっきり「そのとおりです」って答えが返ってくるかと思っていたのだが、彼女の中にも葛藤があるようだ。
「別に魔人に協力したわけでもなし、周りにいた者に罪はないのであろう。話を聞くくらいは良いのではないかの? 本人が話したがるかは別問題じゃが」
ミーモさんがそう言って、俺たちはとりあえず領主館へ戻って、魔人となる前のシシに親しかった者を教えてもらうことにした。
「お疲れ様でした。何か収穫はありましたか?」
領主のリットさんは町に戻った俺たちを労ってくれた。
「ええ。魔人の言葉が残されていました。内容の真偽は分かりませんが」
リールさんが答えるとリットさんは頷いて、
「魔人の言葉など真に受ける者はいませんね」
そう言った後、話を継いだ。
「この町にも鍛治師が戻ってきます。そうしたらあれは撤去してしまおうと思っているのです。これまではそれさえできませんでしたから」
当然だって顔でそう続けた。
俺は千年前の遺物を壊してしまうんだと驚いたが、
「魔人の痕跡など消し去りたいであろうからな。気持ちは分かる」
カロラインさんがそう言っていたから、そんなものなのだろう。
「この町は生まれ変わるのです。元のとおりの繁栄を取り戻すのですから、あのような物は目障りです。鍛治師の手がそこまで回らずこれまで放置されてきましたが、あの子が大きくなれば」
領主の言葉は彼女の発言を肯定するものだったから、この世界の一般的な反応ではあるのだろう。
「そうですか。ところであの魔人と親しかった方をご存知ないですか? 洞窟に残された魔人の言葉について確認したいのです」
リールさんの問い掛けに、領主は一瞬、不愉快そうな顔を見せたが、やはり失礼だと思ったのか、少し考えるとすぐに答えをくれた。
「そうですね。以前、鍛治工房の隣に住んでいた者ならどうでしょうか? もっとも今はこの町を離れていますが」
彼女は鍛治師が戻ってくる目処がついたから、以前この町に住んでいた人たちを呼び戻す準備をしているのだと言った。
「ですから少しずつ町を離れた人たちの行方を探しているのです。まあ、モントリフィト様にお任せしておけば良いのかもしれませんが」
少し笑ってそう言った彼女に、プレセイラさんが厳しい顔を向けた。
「神は自らを助けようとする者に救いの手を差し伸べられます。何でもモントリフィト様に縋れば良いわけではありませんよ」
領主は「これは失言でした」と謝っていたから、神官であるプレセイラさんの言葉も重みのあるものなのだろう。
でも、今日のプレセイラさんは何となくいらいらしているように見えた。
「魔人となった鍛治師の隣に住んでいた者は、名をスニと言いまして、今はこの町から南に向かった先のパスカの町に住んでいます。この町にいた時と同じようにパン屋を営んでいるはずです」
これ以上、説諭を受けてはと思ったのか、リットさんはすぐに魔人となる前のシシの隣で暮らしていたという人のことを教えてくれた。
「パスカの町か。この辺りでは比較的大きな町だな。それほど遠くはないな」
カロラインさんの記憶では、このフィロラの町から馬車なら三日もあれば到着できそうだということだった。
道案内を付けましょうかというリットさん申し出をリールさんは丁重にお断りして、俺たちはすぐに馬車で発つことにした。
「この町は人手が不足していますから、これ以上の負担を強いるべきではないでしょう」
リールさんは馬車の中で領主の申し出を辞退した理由をそう説明してくれた。
「確かに見ていてこちらが心苦しくなるくらいだったからの。洞窟までの案内をしてもらったのでさえ悪かったと思っていたのだ」
ミーモさんも同じ気持ちだったらしい。
「それもやっぱり鍛治師が魔人になってしまったからですか?」
一度説明は受けたものの、どうも納得しきれていない俺は、改めてそう聞いてみた。
「そのとおりですよ。鍛治をする方がいなくなり、すると料理をする包丁や警備をする騎士や剣士の剣も新調できなくなります。畑を耕す鍬などの農具だってそうです」
プレセイラさんは俺の発言に危険なものを感じたのか、また丁寧に解説をしてくれる。
でも、ここでは俺は記憶喪失ってことになっているから、多少の不穏当な発言は許容されると思うのだ。
「そうするとその人たちが耐えられなくなって神様の慈悲を求めるってことですね。そうして住民が減っていったと」
俺の答えに満足したのか、プレセイラさんは優しい笑みを湛えて頷いた。
「でも、そうなると皆さんが俺と旅を続けてくださっているのも実はすごくご迷惑をお掛けしているのでは……」
俺は隣に座るプレセイラさんだけに聞こえるような小さな声で尋ねた。
プレセイラさんは一瞬、目を見張って驚いた表情を見せたが、すぐに目を細めて笑顔になった。
「大丈夫ですよ。あの町の鍛治師のようにずっといなくなってしまうわけではありませんから。少しの間なら同業者がフォローできますし、商人だってまったく余剰がないわけではないのです」
続けて俺にに向かって「アリスさんは優しい子ですね。そんなに気を遣わなくていいのですよ。まだ子どもなのですから」と口にして嬉しそうに笑った。
「私もあの騎士も王の命令を受けておるからの。気にすることはないぞ」
ミーモさんがそう言えば、
「私もエフォスカザン様直々のご命令だから」
ロフィさんも素っ気ない態度ながらそう言ってくれる。
「私とクリィマは自分自身のことですから」
リールさんもいつもの真面目な顔で続けてくれて、俺は少しだけ心のつかえがなくなったような気がした。
俺が小声で尋ねたのに、プレセイラさんは普通の会話で返してきたから、本当に気にすることはないって言いたいようだった。
「それにしても、千年も前の記憶なんて残っているものなのでしょうか?」
俺なんてほんの数年前の記憶だってかなり朧げだ。
この世界の人の記憶がどの程度のものなのか分からないが、オーバーフローしてもう記憶できないなんてことにならないのだろうか?
「そうね。私たちエルフなら大丈夫だけれど、人間はどうかしら?」
馬車の中は退屈だからか、さすがに旅も長くなって慣れてきたからか、ロフィさんも普通に会話に加わってくるようになっていた。
エルフであることのプライドは相変わらずだが。
「千年くらいなら大丈夫でしょう。日々それほど記憶に残ることなど起こりませんから。魔人となった隣人のことを忘れたりはしないでしょう」
確かにあの町の人たちはシシが魔人になったことで多大な迷惑を被っている。
隣に住んでいたスニさんもパスカの町への移住を余儀なくされたのだ。
プレセイラさんの言ったとおり、その元凶となった隣人のことは、忘れようとしても忘れられるものではないだろう。
「私もそうね。あのいつも冷静なエフォスカザン様があれほど取り乱されたところは初めて見たもの。あなたたちに出会った日のことは、忘れられそうにないわ」
ロフィさんはそうも言って、彼女もずっと森で平和な日々を過ごしてきたんだろうなって思える。
「それでもどうじゃ? 悪くないであろう?」
ミーモさんが彼女の顔を覗き込むようにして言うと、ロフィさんは少し睨むような目を見せた。
でもすぐにいつもの澄ました顔に戻って、
「悪くないって言うか、もう慣れたわね。それでいいのか分からないけれど、諦めるしかないのかも」
そんな風に言って、溜め息をつくような様子を見せた。
「そうね。でもこの旅のこともきっと忘れないわね。こんなことまずあり得ないもの」
でも、すぐにそう続けた声は楽しそうに俺には聞こえた。
「これもアリスさんのおかげですね」
プレセイラさんがいつもの優しい笑顔でそう言ってくれて、そんな俺たちを乗せた馬車は順調に街道を進んだ。
パスカの町はもうすぐだった。




