第三十二話 魔人の遺物
「もう何年かしてあの子が鍛治の仕事ができるようになれば、この町も元に戻ります。本当に長かったですが、昔のフィロラが戻ってくるのです」
そう言ったリットさんは少し涙ぐんでいるようにも見える。
これまでの話だと、フィロラの町が衰退したのは千年前に町の鍛治師が魔人になったことが原因だから、それは長かったってことだろう。
「そう思って皆で喜んでいたところに突然の勇者様の来訪でしたから。まさかまたと、慄くような気持ちでした。そうでないのなら本当に良かった」
やっぱり涙ぐんでいたリットさんは、もしかしたら千年の間、この町が衰退していく様を領主として歯噛みをする思いで見てきたのかもしれなかった。
この世界の人なら、それも可能性としては十分にあるはずだ。
「考えてみれば、あの子はまだ小さな赤ん坊ですから、人を殺めることなどしているはずもありません。魔人であるはずもないのですが『呪われた町』などと言われ続けて神経質になっていましたか」
本当に安心したのだろう、彼女は饒舌に話し続けていた。
リールさんはにこにこして話を聞いていたが、一区切りついたところで用件を切り出した。
「実はこの町に魔人の遺物があると聞きました。それを拝見したいのです」
リールさんがそう言うと、これまでご機嫌な様子だった領主の顔が急に曇る。
「そのようなものをご覧になってどうされるのです?」
せっかく過去の魔人の負の遺産が取り去られようとしているのに、それを掘り返すようなことを言われて、面白かろうはずもない。
相手が勇者のリールさんでなかったら、追い返されていたかもしれない。
「いえ。私たちは魔人の事績をたどっているのです。魔人がどんなことをして、どんな影響を人々に与えたのか。それを知ることも必要だと思いまして」
リールさんの言葉は、彼女の性格によるのだろうがとても真摯なものに聞こえる。
その声にリットさんも落ち着きを取り戻していた。
「そうですか。お役目お疲れ様です。確かにもう最後に魔人が現れてから五十年以上経ちますから、もう次の魔人に備えるにしても遅いくらいですね」
そう言って魔人の遺物について教えてくれた。
「あの魔人は元が鍛治師でしたから、大きな金属柱に文字を刻み、この町の西の山にある洞窟に打ち立てたのです。魔人が滅んで後、その金属の柱が発見されましたが、皆は恐れて入り口を埋めてしまいました。以後、近寄る者さえいませんが、確かにそれはあのままそこにあるはずです」
俺は千年も前の金属なんて、すっかり錆びて原形をとどめていないんじゃないかと思った。
でも皆はそれに思い至らないのか、それともせっかくここまで来たんだからってことなのか、町の西の洞窟を訪ねることになった。
「あちらです」
俺たちは馬車で西へ向かい、途中からは徒歩で山腹を目指して進んだ。
木々の生い茂る林の奥へ足を踏み入れると、案内をしてくれた領主の家臣が、茶色い土が剥き出しになった崖を指さして教えてくれた。
「千年も前の洞窟なのに、よく残っているものですね」
俺は素朴にそう思って口にしたのだが、皆からの反応はない。
地殻変動を起こすほどの時間ではないにせよ、土やほこりで埋まってしまっていてもおかしくないと思うのだ。
「ここだな。では、掘り返すか」
カロラインさんがそう言って、領主が用意してくれたスコップを使って洞窟の入り口の土を取り除こうとし始めた。
「時間が掛かりそうですから、あなたはもう結構ですよ。ここまでありがとうございました」
その時、クリィマさんが領主の家臣にそう言って、彼女に帰るように促した。
初めは「いえ。お帰りの案内もいたします」と言ってくれていた彼女にクリィマさんは「大丈夫ですから」と再び帰るように勧める。
「終わったら道具をお返しに伺いますから。その旨をご領主にお伝えください」
最後はリールさんがそう言って、さすがに勇者の言葉に反論するのもと思ったのか、彼女は自分の乗ってきた馬車を返して引き上げていった。
「ずいぶんと親切じゃな。あの者もこんな場所に長居をしたくはないであろうからの」
ミーモさんがそんなことを口にしたが、もちろん本心ではないだろう。
「あまりこれからすることを見られたくありませんからね」
クリィマさんがそう言って、彼女の周りにマナの流れが起こる。
「浮遊の魔法の応用です。アリスさんも手伝ってくれませんか?」
洞窟の入り口であろう場所の土がどんどん取り除かれ、俺たちの後方に山積みになる。
「は、はい!」
いきなり声を掛けられて、俺は慌てて彼女のマナの動きを真似て、ある程度の量の土を浮かべると、それを後方へ吹き飛ばした。
「きゃっ! どうして?」
「あっ。すみません」
俺が飛ばした土がロフィさんに掛かりそうになり、彼女は慌てて避けていた。
「今のはアリスさんの魔法か。何度見ても信じられん気がするな」
カロラインさんがそう言うのは、俺が魔人だってことだろうか。
残念ながら俺は勇者であるリールさんに魔人と認められていない。
彼女が俺を魔人と認め、滅ぼしてくれれば俺は元の世界へ帰ることができるのだが。
「もういいのではありませんか?」
リールさんがそう言って、洞窟の入り口は人が立ったまま入れるくらいの大きさになっていた。
「さすがに二人で働けば捗りますね」
クリィマさんはそんなことを言っていたが、働くってのは大袈裟だ。
マナの流れを操るだけだから、そこまで疲れるものでもないし、プレセイラさんに疲労回復の魔法を掛けてもらうまでもないくらいだ。
「では行くぞ!」
カロラインさんが一番乗りで洞窟に入って行くのを見て、俺は慌てて魔法で灯りを生み出して、彼女の頭上に向けて飛ばした。
「おお。助かるな!」
振り返ってお礼を言う彼女に、俺は松明も用意せずにどうするつもりだったんだろうと思ったが、クリィマさんも同意見だったようだ。
「松明もなしにどうする気かと思っていましたが、アリスさんは優しいですね」
そう言ったクリィマさんはちょっと意地悪だと思う。
俺が彼女を見上げると、俺だけに聞こえる小さな声で、
「先ほどの土砂の移動も、今の灯りも。アリスさんは私よりも余程、魔法の才能があるようですね」
そんなことを言ってきた。
「これがそうだな」
少し奥に進むと洞窟はすぐに行き止まりになり、そこに俺の身長くらいの高さの金属の柱があった。
太さは俺が両の手のひらで包んで指の先がつかないくらいあって、かなり立派なものだ。
「これは、何でできているんですか?」
魔法の灯りを反射して銀色に輝くそれは、まるでつい先ほど作られた物のように見える。
普通の金属でできているのなら、とっくに錆びてぼろぼろになっているだろうって俺は思ったのだが、
「いいえ。おそらくは鉄でしょう。魔人は元鍛冶師だったのですから」
クリィマさんがそう言って、表面に目を凝らす。
「いや鉄って。そんなはずが……」
だが、また皆から怪訝な顔を向けられて、俺は余計なことを口にしたことを悟った。
(あれっ? もしかして入り口が土で閉じられていたからか? でも、そんなことってあるのか?)
元いた世界にもオーパーツじゃないかって言われるような、大昔からある錆びない金属柱が海外に存在するって聞いたことがあるような気がするから、これもその類なのかもしれない。
でも、クリィマさんは魔人は元鍛冶師だからって言っていたから、普通の鉄だと思うのだ。
異世界らしくオリハルコンとかミスリルとかとの合金なのかもしれないが。
「真実を知ってもらいたくここに記す。魔人と呼ばれることになった理由を」
俺の疑問に構わず、クリィマさんが金属柱の側面に彫られていたのだろう文章を、声を上げて読みだした。
「それは事故。鍛えた剣を検分に供した時、倒れ込み命を落とした者がいた」
俺の作り出した光源に照らされた金属柱を指でなぞり、クリィマさんはさらに読み進めていく。
ちょっと言い訳じみてるなって俺は思ったが、誰も何も言わず、クリィマさんの読み上げが続く。
「そして魔法の力が与えられた。私は千載に魔人の悪名を遺すことになった」
それで終わりらしく、彼女は立ち上がった。
「それだけなの?」
ロフィさんもそう思ったようで、クリィマさんに聞いていた。
「ええ。ご不審に思われるならご自分で確かめてみてはいかがですか? それとも人間の文字は読めませんか?」
クリィマさんの言葉にロフィさんは、
「失礼ね。人間の文字くらい読めるわ」
そう言って彼女も金属柱の前に腰を落とし、文字を読み出した。
「間違っていないみたいね。でも、この人は結果として人を殺してしまったってことでしょう? こんなことをしてどうなると言うの?」
「どうにもなりませんね」
ロフィさんの疑問に答えたのはリールさんだった。
「それでも真実を知ってもらいたい。そう思ったのでしょう。それこそ血を吐く思いで」
勇者であるリールさんが、魔人となった人を擁護している。俺にはそれが驚きだった。
いや、皆が目を見張っていたから皆にとっても同じだったのだろう。
「この人は誤って人を殺めてしまい。それでも神に許されることなく魔人と化した。そして当時の勇者はそんな人を殺したのです。魔人であるという理由だけで」
リールさんは勇者を非難するような言葉さえ口にした。
そしてそれは現代日本人の俺には理解できることだった。
この金属柱に書かれたことが本当なら、魔人は殺人罪ではなく過失で人を死に到らしめたことになる。
それで勇者に滅ぼされ、故郷の町が廃墟のようになってしまうなんて、あまりに酷だと俺は思った。




