第三話 神託
俺はプレセイラさんに連れられて、大聖堂に赴いた。
赴いたとは言っても大聖堂はあの女神、モントリフィトに捧げられたオルデンの神殿の中心となる建物だ。
倒れていた俺が運び込まれた神殿に奉仕する神官たちの居住区とは、さほど離れていなかったので、すぐに到着した。
「立派な建物ですね」
俺は正直にそう感想を述べたが、プレセイラさんはそれには曖昧に頷いただけで、答えてくれない。
どうも彼女は慌てているようだった。
「思ったより遅くなってしまったわ。まだいらっしゃるかしら?」
そんな独り言を口にしていたから、目的である神託を得るには、もう遅い時間なのかもしれなかった。
確かに夕闇が迫り、周りには人気もない。
大聖堂と言うからには多くの人々がお祈りに訪れる場所であろうに、周囲がこうも静かなのは、もう扉が閉じられる時間だからかもしれなかった。
「神に感謝と奉仕を。プレセイラ。その子は?」
プレセイラさんの後を追って大聖堂に入ると、中には立派な司祭服だろうか、ところどころに金糸の縫い付けられた豪華そうな衣装を着けた神官がいて、俺たちにそう呼び掛けた。
建物の中はがらんとしていて、俺たち以外に人はいない。
プレセイラさんは正面の扉ではなく、脇にある通用口のような小さな扉から入ったから、やはり大聖堂はすでに閉じられていたようだった。
「神に感謝と奉仕を。大司祭ポリィ様。この子は神殿の側の路傍に倒れていた子です。アリスと言うそうです」
プレセイラさんが俺のことをそう紹介してくれると、神官は大きく頷いた。
「その子が……。それでどうしてあのような場所に? 事情を伺ってもよろしいかしら?」
俺に問い掛ける大司祭も、見目麗しい女性だった。
あの女神に仕える神官は、女性ばかりなのだろうか? それとも、もしかしたらこの神殿は男子禁制なのかと疑ったが、とりあえず俺は自分が記憶喪失で、名前のほかには何も覚えていないのだと彼女に伝えた。
「住んでいた場所も年齢も覚えていないのですか?」
ポリィ大司祭はさすがに驚いた様子で訊いてきたが、そんなの分かるはずもない。
住んでいたのは日本ですなんて言って理解してもらえるとも思えないし。
「困りましたね。見たところ十歳? いえ、もう少し小さいのかしら。八歳くらいかしらね?」
彼女の見立てでは俺の年齢はそのくらいらしい。俺自身の感覚でも妥当なところだと思う。
一瞬、彼女に別の世界から来たことを告げようかとも思ったが、先ほどのプレセイラさんと同じ反応だろうと考えて思いとどまった。
「ですからモントリフィト様の神託をいただこうかと思いまして」
俺の簡単な話に続けて、プレセイラさんがポリィ大司祭にそう伝えてくれていた。
それに対して大司祭は思案顔だった。
「近隣の教会に行方不明の子どもがいないか、問い合わせてみましたか?」
「はい。まだ回答はありませんが、逆にこれまでそういった問い合わせも来ていませんので……」
そんな会話が交わされて、どうやらこの世界では教会がかなり大きな力を持っているらしい。
子どもが行方不明になったら教会に頼ると言うのだから。
「そうですね。あなたの言うとおり何かの手掛かりになるかもしれませんから、神託をいただいてみましょうか。あまり例のないことですが」
最後はそう判断したようで、俺はその「神託」とやらを受けることになりそうだった。
「神託って何ですか?」
俺はさすがに不安になって、二人にそう尋ねた。
ポリィ大司祭は驚いたようだったが、プレセイラさんが「この子は記憶を失くしていますから」と言ってくれると、納得してくれていた。
「子どもを授かると、皆、モントリフィト様の神託をいただくのです。その子がどのような役割を担うのか、神様が教えてくださいますから」
優しい声で教えてくれる。
「そのようなことまで忘れてしまっても、話すことはできるのですね? 不思議ですが、これも神様の思し召しかもしれませんね」
大司祭は疑念を抱いたようだったが、神に仕える者らしく「神様の思し召し」ってことで納得してくれたらしい。
俺はあの女神を信じる気なんてさらさらないが、この世界の人と話すことができるのは、彼女が何らかの配慮をしてくれたのだろう。
異世界で日本語が通じるなんて考えづらいから、そうとしか思えなかった。
「神託ではモントリフィト様が、その子に与えた使命を、その子が得意とする事柄をお示しになられます。農業や鍛冶、商売や料理、中には統治や武芸に秀でているとの神託が降ることもあります。皆がその神託に従って、役割を果たすのです」
大司祭は当たり前って顔でそう教えてくれるが、俺は大きな違和感を抱いた。
だって、生まれた瞬間に職業が決められるって、それで良いのだろうかって思ったのだ。
もっとも、ここは中世ヨーロッパ風の世界のようだから職業は基本、世襲なのかもしれないが、現代日本で生きてきた俺は「職業選択の自由は?」って思ってしまう。
俺の両親は二人とも会社員だったから、どんな神託になるのか分からない。
この世界に会社員なんて職業があるとは思えなかった。
(もしかしたら変わった職業が示されて、俺が別の世界から来たってことが証明されるかもしれないな)
いずれにせよ俺にほかの選択肢なんてない。
子どもの身体でお金も持っていない。
せめてもの救いは教会の側に倒れていたってことだろう。
変な大人に見つかっていたら、酷い目に遭っていたかもしれなかったのだ。
だから、もうここはプレセイラさんやポリィ大司祭に任せて、神託を受けるしかなかった。
「この像の前で膝を着いて。そうそう……そうして両手を組んでいてくださいね」
俺はプレセイラさんに言われるがまま、大聖堂の祭壇の奥、石像なのだろう真っ白な像の前に跪いた。
ちらっと仰ぎ見たその像は、あの女神によく似た美しい女性のようだ。
どうやら女神が言っていたとおり、ここに祀られているモントリフィトという神様は彼女のことらしい。
「すべてをお識りになる方。あなたに祈りを捧げ、お言葉を求めます。この者の行くべき道をお示しください」
どうやらポリィ大司祭は神託を得ることができるらしい、一方の俺はこの世界の女神に対する信仰とはほど遠い場所にいるから、本当に神託が降るか不安だった。
だが、彼女が一心に祈りを捧げると、白い像が輝きを放つ。
蝋燭の光だけが照らす薄暗い大聖堂の中で、それははっきりと分かった。
俺はこれこそ奇跡なんじゃないかと思って、純粋に驚いた。
「おおっ!」
だが、大聖堂に響いた驚きの声は大司祭の発したものだった。
彼女はきっと何度も経験しているだろうに、大袈裟だなって思ったのだが、
「このようなこと……あり得ません!」
やはり俺が異世界人だからか、あり得ない神託が降されたらしかった。
俺はまだ高校生だったし、そもそも将来どんな職業に就くか、何が向いているのかなんて、よく分からなかったのだが、いったいどんな神託が降ったと言うのだろう?
「ポリィ様。これは……」
どうやらプレセイラさんも同じような神託を受けたらしい。
そう考えると神託って、この世界では思ったより身近なものなのかもしれなかった。
子どもが生まれたら全員が授かるって言っていたし、お宮参りみたいなものなのかもしれない。
だが、大聖堂に仕える彼女たちの驚きぶりを見ると、俺が受けた神託はどうやら普通ではなかったらしい。
俺は不安だったが、これが俺が現代日本からやってきた証拠になるのではないかと少し期待もした。
「何かの間違いではないかと私も思います。ですが、それは不遜なことですね。神の示されたことを疑ってはなりません」
大司祭の言葉に、プレセイラさんも頷いている。
「あの。いったいどんな神託が……」
俺はさすがに不安になってそう尋ねた。
とても農民や商人、職人などの一般的な職業が示されたとは思えなかったからだ。
俺を振り返ったポリィ大司祭は一瞬、躊躇する様子を見せたが、すぐに彼女が受けた神託を教えてくれた。
「あなたの適性は魔法です。あなたはあらゆる魔法を誰よりも上手く扱うことができる。モントリフィト様はそうおっしゃっています」
俺はあの女神が「チートてんこ盛り」って言っていたのを思い出した。
「そんなことより……ポリィ様……」
大司祭に向かってプレセイラさんが深刻そうな顔を見せていた。
どうやらとんでもないことが起きているようで、俺はますます不安になった。
「分かっています。魔法の才能を持つとは何を意味するのかということですね。この子には、それも伝えておくべきでしょう」
彼女の言葉が比喩とかでなければ、どうやらこの世界には魔法が存在するらしい。
これはいよいよ異世界確定だなと思ったが、それがどうして問題なのかは分からない。
「アリスさん。あなたには魔法の才能があります。それは使い方によってはとても恐ろしい力。人々から禁忌されてさえいるものなのです」
ポリィ大司祭は厳しい顔で俺にそう告げる。
だが、そう言われても俺にはさっぱり分からない。
「魔法でどのようなことができるのですか?」
俺は単純に分からないから尋ねたのだが、その問いに大司祭は慄くような態度を見せた。
「魔法でできること……。一般的に魔法を扱う者には火を起こすことができる者、重い物を運ぶことができる者、中には土を掘って建物を建てることに協力する者などがいます。魔法を使う者たちは、そんな一定の神に許された限られた魔法だけを扱うのです。ですがあなたの才能はその程度のものではありません。あらゆる魔法を扱うことができるようなのです」
要は俺はどんな魔法でも上手に使うことができてしまうってことらしい。
大司祭の話を聞くかぎりでは、この世界に魔法を使える者はいるにはいるが、普通はどんな魔法でも使える魔法使いってイメージの者ではないようだ。
例えば鍛冶屋なら炎を扱う魔法、運送業なら重い物を運ぶ魔法なんて要領で、何らかの魔法が使えるだけってことだろう。
それが俺に限ってはどんな魔法でも誰よりも上手く使えるってことのようだから、まさにこの世界においても、俺は魔法使いって存在なのかもしれなかった。
女神の奴、やり過ぎだろうって思ったが、俺の人生最良の時を奪ったのだ、そのくらいはしてもらっても良いのかもしれない。
いずれにせよ俺はこの世界に長くいる気はないのだが。