第二十九話 火竜ベニー
「あそこよ!」
ロフィさんが指さす先の空には、炎のように赤い身体を持つドラゴンの姿があった。
「あれが!」
カロラインさんがそう口にして剣を構え、俺たちの前に立った。
「空を飛ばれていると厄介だの。何とかするしかないがの」
ミーモさんも背中の大剣を抜き放つ。
彼女の小さな身体にはいかにも不釣り合いだが、これも魔法の力があるからこそだろう。
「まずいわ! あれはブレスを吐くのではなくて?」
ドラゴンは俺たちの方へ向かって来ながら、その喉を膨らませている。
おそらくロフィさんの言ったとおり、ブレスを吐こうとしているのだろう。
「大丈夫です。魔法で防ぎます!」
クリィマさんがそう言って前に立ち、マナの流れを操って、強力な障壁を作り出した。
ゴオオォォォ!!
「うわっ!」
俺は思わず声を上げてしまったが、ドラゴンの吐いた炎の息は魔法のバリアに阻まれて俺たちには届かない。
あの強力なブレスを完璧に防ぐのだから、俺たちを守る魔法の防護壁は、かなり優秀なものなのだろう。
「降りて来ないの」
ドラゴンはそのまま俺たちの上を通り越し、方向転換して再び襲い掛かってくる。
ヒュンッ!
俺の横から風を切る音がして、矢がドラゴンに向かう。
見るとロフィさんが弓を使っていた。
だが、矢は硬い鱗に跳ね返され、ダメージを与えることはできない。
「通らないわね。これならどう?」
今度は輝く鏃の付いた矢を取り出し、素早く弓につがえると、そのままヒョウッと放った。
グサッという音が聞こえたような気がして、矢はドラゴンの鱗に突き刺さる。
多少のダメージは与えられたのだろうが、とてもあれでドラゴンが倒れるとは思えない。
ガッ! ガリガリガリ!
ドラゴンは空中にとどまったまま、前脚の鋭い鉤爪で俺たちを襲おうとするが、クリィマさんが作った魔法の障壁がそれを防いでいた。だが、
パリーン!
何かが割れるような音が響き、次の瞬間、ドラゴンの巨大な前足が俺に迫る。
「えいっ!」
ザシュッ!!
ミーモさんが大剣を大きく横薙ぎに振るって、俺に迫ろうとしていたドラゴンの前脚が斬り落とされた。
「ギャオオオォォォ!」
さすがに痛かったのか、ドラゴンはそのまま急上昇し、怒りのこもった鳴き声を上げた。
「まずい! またブレスが来るわ!」
ロフィさんが叫んで、俺は慌ててマナの流れを作り出した。
ゴウオォォォォ!!
「きゃあぁぁぁ。あ?」
ブレスは俺が見様見真似で発動した魔法障壁によって辛くも防がれ、ロフィさんの悲鳴は途中で疑問の声に変わる。
「クリィマか? 助かる!」
カロラインさんがお礼を言うが、クリィマさんは驚きの表情で俺の方を振り向いていた。
さすがに彼女には俺が魔法障壁を張ったことが分かったのだろう。
「皆さん。下がってください!」
リールさんの声が響き、どうやら彼女は大技を使うようだ。
彼女が両手で構えた幅広の刀身を持つ長剣は、白く輝いていて、明らかに魔力をまとっていた。
ヒュッ!
慌てて皆が下がると、リールさんの剣がそんな音とともに振るわれる。
そして……、
ガッ! ズササアァァァ!!
三日月のような光の刃がドラゴンに向かって進み、ドラゴンはその身を両断されて墜落し、地面に激突した。
黒い土埃が山肌に上がる。
「す……ごい」
カロラインさんは辛うじて声を出していたが、ほかの皆は無言だった。
「勇者の力とは恐ろしいものよの。噂では聞いていたが」
東の火口へ向かって歩を進めながら、ミーモさんが感心したって様子でそんな感想を口にした。
「いえ。皆さんが私が剣にマナを集める時間を作ってくださったからこそです。まさかクリィマの障壁が破られるとは思っていませんでしたが」
どうやらクリィマさんの魔法障壁でドラゴンの攻撃を防いでいる間に、リールさんが剣に魔力を込め、一撃必殺の大技を放つって算段だったようだ。
俺を含め、二人以外は戦力として期待されていないみたいだったが、リールさんはそんなことは言わなかった。
俺やクリィマさんを守ったり、万が一けがをした場合の治癒などには、仲間の助力が必要ってことだろう。
「それよりも急ぎましょう。魔物が復活する前にたどり着きたいですから」
リールさんの言葉は、俺だけでなく皆にとって意外なものだった。
「えっ。ドラゴンが復活するの?」
途端にロフィさんが不安げな声を上げる。
彼女の弓矢による攻撃は、あのドラゴンに有効だったとは思えないから無理もない。
「ええ。魔物は呪われた地に人を近づけないために存在する者。その場所が呪われている限り、いなくなることはないのです」
どうやら魔人が斃された後に残る魔物は、倒してもいくらでも復活するらしい。
ドラゴンはあの後、砂のように消え去り、何の痕跡も残らなかったのだから、逆に姿を現すこともある気はする。
「モントリフィト様がそうお望みになれば、在るべきものは在るのです。きっと魔物もそうなのでしょう」
プレセイラさんが厳かにも感じる様子でそう述べたが、こっちにしたら迷惑この上ない。
あの女神の思惑がそうなら、さっさと火口へ行くべきだろう。
「何もないの」
息を切らせながら火口まで登った俺たちだが、周辺には何も発見できなかった。
「人間の目には見えないの? あそこにあるのがそうじゃない?」
そう言ってロフィさんが指さしたのは、大きく口を開けた火口の壁の突き出した部分で光っている場所だった。
「あんなところに何かあるのか?」
カロラインさんが目を凝らしているが、そこまではかなり距離があり、しかも断崖の途中だから簡単にはたどり着けそうにない。
「おそらくそうでしょう。私が見たものに似ていますから」
リールさんがそう言って、皆の視線が彼女に集まった。
「見たものって?」
ロフィさんが不思議そうに聞くが、おそらくリールさんは魔人を滅ぼした時に何かを見たのだろう。
「魔人を滅ぼすと、巷間言われているように消え去ったりはしないのです。あの大きなドラゴンですらマナに帰って姿を消すと言うのに、輝く石のような物が残るのです」
俺はファイモス島の西の岬で見たきらきらした砂のことを思い出した。
あれは魔人が消えた後に残されるその輝く石の残骸だったのかもしれなかった。
「プレセイラは怨念みたいな物が残ると言っていたの。あれがそうなのか?」
ミーモさんがプレセイラさんを見上げて訊くが、彼女は「分かりません」と答えただけだった。
「私は前にあれを間近に見たことがあるのです。輝く美しい結晶。私があれに抱いた感想はそう言ったものでした。こんな美しい物が邪悪な物なのだろうか? そんな疑念を抱いたのです」
遠いことと、火口から噴煙のようなものが上がっていて、断崖の途中にあるそれは、はっきりとは見えない。
でもよく見ると確かに彼女の言う美しく輝く水晶のようにも見える。
「上辺の美しさに騙されてはいけません。魔人から生じた物が邪悪でないはずがありません。魔人そのものも美しい容姿で人を騙すと言われているのですから!」
プレセイラさんが珍しく興奮気味に主張するが、それってやっぱり俺とクリィマさんは魔人ってことにならないだろうか?
俺がそう思っていると、彼女もそれに気がついたようだった。
「アリスさんは違いますよ。アリスさんは何も悪いことをしていませんから。魔人になんてなるはずがありません」
彼女こそ俺の美しさ? に騙されているんじゃないかと思うが、俺は確かに悪いことなんてしてないから、魔人になれないのかもしれない。
でも、この世界の人たちが言うように殺人者になれって言うのなら無理な話だ。
「残念ですがここまでですね。これ以上は危険でしょう」
クリィマさんは引き上げるべきって判断をしたようだ。
「浮遊の魔法であそこまで行って、サンプルを取って来るのはどうでしょう?」
そのくらいならできるかなって俺は思って提案したのだが、クリィマさんは渋い顔だった。
「やめておきましょう。火山ガスが溜まっているかもしれませんし、何が起きるか分かりません。壁が崩落でもしたら、巻き込まれそうですし」
彼女の言うとおり、火口の底からは噴煙が上がっているし、火山灰が積もった壁はいかにも崩れやすそうだ。
「魔人の斃れた地はここだけではありません。今はここまでで十分です。ドラゴンが復活したら面倒ですからね」
彼女の言葉にロフィさんが肩を震わせた。
「そうよ。こんなところさっさと立ち去りましょう。緑も水もないし」
そんなの最初から分かっていることだし、今さらって気もするが、もう一度ドラゴンと戦いたいかって言われれば、そんなはずもない。
リールさんがいるから負けないとは思うが、試す必要もないだろう。
「じゃあ、麓へ戻って温泉じゃな。全身、埃だらけじゃからの」
ミーモさんが埃を払うしぐさを見せた。
言われたとおりで、さすがに俺も風呂に入ってさっぱりしたい。
でも、また皆で入るのかと思うととても勇気が要る。
早く慣れなくてはいけないのだろうが、そんな時が来るのだろうかと俺は不安でいっぱいだった。




