第ニ十三話 ファイモス島へ
「ラブリースの町でアリスさんの服を用意しておきたいのですが」
街道の脇に馬車を停め、休憩していると、プレセイラさんが皆にそんな提案をした。
「あまりあの町には入りたくないので、別の町にしませんか? ファイモス島は寒いかもしれませんから暖かい服を用意することには賛成ですが」
ラブリースに寄ることに難色を示したクリィマさんに、カロラインさんは不満そうだった。
「どうして隠れて馬車を進めるような真似をしなければならないんだ。悪いことをしているわけでもないのに」
騎士の彼女には耐え難いことなのかもしれないが、リールさんもクリィマさんと同意見だった。
「ラブリースの町には私もしばしば出入りしていますから、噂になると厄介です。あまり大ごとにしたくはないですし」
こちらには魔人候補が二人もいるのだ。
それを引き連れて勇者が大陸を巡っているなんて、あまり知られたくはないだろう。
この世界の人たちは、勇者には魔人を滅ぼすことを期待している。
それが神の定められた使命だとさえ思っているはずだ。
勇者であるリールさんが目指しているものはそれとは別のものだ。
この世界の多くの人から賛同を得ることは難しいかもしれなかった。
「勇者様がそうおっしゃるのなら」
カロラインさんは渋々といった様子で、それでも了承はしてくれた。
「王宮には内々に今後の予定を伝えておきましょう。勇者様とクリィマさんが行方不明になったとなると、事は穏やかではないでしょうから」
プレセイラさんはカロラインさんが納得していないと見たのか、教会経由で王宮に連絡を取ることを申し出てくれた。
今後も宿泊先として教会のお世話になることは多そうだから、そうすれば随時、経過を報告することもできる。
「そうですね。そうしていただけると助かります」
リールさんも同意して、俺たちの行動は王宮にも伝えることになった。
「それで、ファイモス島に渡った後は、どこを巡りますか? もし王国の外へ向かうのなら、それも連絡しておく必要があるでしょうし」
俺は王国、王国って言っているから、何となくほかの国もあるのかなって思っていたが、やっぱり王国以外の国があるらしい。
「そうですね。島から大陸に戻った後は、少し遠くなりますがファスタン山へ、その後は港町コパルニへ向かってはと思っています。これ以外にもいくつか候補はありますが、いずれも王国の領域から出ることになりますから。まずはこの三つを訪ねるのが無難だと思います」
ここはクリィマさんの独壇場だ。
魔人について彼女より詳しい人はあまりいないんじゃないかと思うくらい、彼女は魔人について研究しているようだった。
「王国の内でと言うことなら、モルティ湖の畔はどうなのじゃ? あの地は有名であろう?」
ミーモさんが提案をしてきたが、それをリールさんが押し止めた。
「いえ。あの場所は私は行ったことがありますから。別の場所で」
制止するリールさんの顔は少し青ざめているように見え、そこは彼女が魔人を滅ぼした場所であろうことが俺には容易に想像できた。
「あの湖は勇者様が魔人イリアを滅ぼした場所で、今は綺麗な水を湛える美しい湖に戻っていると聞き及んでいます。私も是非一度……」
リールさんの声は弱々しく、カロラインさんはそれを聞き漏らしたものか、モルティ湖へ向かおうと話を蒸し返していた。
それを聞いたリールさんは、今度は激しい声を出した。
「モルティ湖には行かない! 行きたければ一人で勝手に行くがいい!」
その様子にさすがにカロラインさんも言葉を失っていた。
いったい何が起こったのか、自分が何かしでかしたのかと、すぐには理解できないようだった。
「余計なことを言って悪かったの。クリィマ殿の言ったとおりで結構じゃ」
ミーモさんが二人の間を取りなすように言って、リールさんも落ち着きを取り戻していた。
「大きな声を出して申し訳なかった。正直に言って、あの場所で起きたことは私にとって良い思い出ではないのです。いや、思い出すのも辛くて。だからあの場所を訪れることは勘弁してほしいのです」
世間では勇者リールの活躍が華々しく語られているのだろう。
だが、実際の戦いはそんな甘いものではないということだ。
もちろんゲームや映画とも違うし、生身の人間の生命を奪うことがどれ程のことなのか、それは察するに余りある。
どんな戦いが行われたのか知らないが、彼女の手にはその時の感触がまだ残っているのかもしれなかった。
結局、俺の服はファイモス島へ渡る船の出る北の町、ハムボルドで作ることになった。
こんな北の町にも教会はあって、皆は一旦そこに落ち着き、俺はミーモさんにこの町の仕立て屋へ連れて行ってもらった。
「私が話をするのでな。アリス殿は余計なことは言わないでおいてくれよ」
すでに六人の間で誰が俺を連れて行くかでひと悶着あったのだ。
これ以上の面倒は避けたいってことらしい。
俺と仕立て屋へ行く人選で、リールさんはもしかしたら顔を知られているかもしれないということで、まず除外された。
「失礼ですが勇者様は有名人ですから、こんな辺境の町にいらっしゃっていると知られると、色々と憶測を呼ぶかもしれません。あまり出歩かない方が良いでしょう」
カロラインさんがラブリースの町の意趣返しってわけでもないのだろうが、そう主張したのだ。
クリィマさんは目立ちすぎて問題外だというのがプレセイラさんから出された意見だった。
「アリスさんだけでもとても整った顔立ちで目立つのに、二人が並んで歩いていたら誰もがどんな人なのかと気になると思います。二人で出歩くのは避けた方が良いのではないですか」
彼女の意見ももっともだと言うことになり、クリィマさんが同行することはなくなった。
「ここは私が行くしかないかもしれぬの」
続けてミーモさんが皆を見回して言った。
「どうしてだ? 私では不服か?」
カロラインさんは不満そうだったが、ミーモさんは落ち着いたものだった。
「いや。どうせ仕立て屋では適当なことを言って誤魔化さねばならん。そなたはそう言うのは苦手じゃろう? 王国騎士が子どもを連れてここで何をしているのだと聞かれたら、答えに詰まるであろうに」
そう言われると彼女は一言もないようだった。
「同じ理由でプレセイラもダメよね。私はそもそも問題外だし」
エルフのロフィさんはさすがに無理だろう。
俺が彼女に連れられている理由なんて思いつかないし。
神に仕えるプレセイラさんも適当なことを言うのには抵抗があるということで結局、ミーモさんが俺を連れて行ってくれることになった。
「よろしくお願いします」
俺の保護者をもって任じてきたプレセイラさんはミーモさんにそう言っていたが。
「これからファイモス島に行くのでな。この子に暖かい服がほしいのだ。今すぐにな」
そうして出掛けた町の仕立て屋で、ミーモさんが依頼をしたのだが、店主は簡単には受けてくれなかった。
「今すぐにって言われても、子どもの服なんて一から作るしかないね。大人用なら何枚か在庫があるんだけどね」
やっぱりこの世界は子どもの数が少ないからか、俺は服を手に入れるのも一苦労だ。
だが、ミーモさんは引き下がらなかった。
「別に子ども用である必要はないのだ。私みたいなタイプの者が着る小さなサイズの服であれば、問題ない。そういった物はないのかの?」
言われてみればミーモさんは大人なのに、俺とほとんど身長が変わらない。
まあ、以前の世界でも身長はかなり個人差が大きかったし、この世界も同様らしかった。
「小さなサイズって。ああ。そう言えば古着ならないこともないね。それで良ければ見てみるかい?」
ミーモさんが俺を見てきたので、俺は慌てて「はい。お願いします」と答えた。
さっき余計なことを言うなって言われなかったかなと思ったが、彼女は特に何も言わなかった。
「思ったより汚れていたね。暖かそうではあるけれど、これではね……」
店の奥から店主が持ってきた服は、少しくすんだ赤色で、フードが付いたコートだった。
フードの周りと袖口とスカートの裾にはもこもことした羽毛のような飾りがあり、本体の素材も暖かそうだ。
サイズはさすがに少し大きそうだが、着られないことはなさそうだった。
「いいえ。それにします。その服をください」
店主が販売を諦めようとしていたので、俺はまた慌てて購入の意思を伝えた。
俺は洗浄の魔法を使えるから、多少の汚れは落とせるのだ。
「そうかい。後で苦情を寄せないでおくれよ」
そう言ってもう一度、机の上で広げて状態を確認した彼女からコートを受け取り、ミーモさんに代金を払ってもらい、俺は晴れて冬用のコートを手に入れることができた。
「素材は良いからね。暖かいと思うけど、ちょっともったいないね。お嬢ちゃんも素材が良いだけにね」
店を去る俺たちに、店主は残念そうにそう言ってきたが、この後、俺が魔法で服をきれいにするとは思っていないようだった。
「本当にそれで良かったのかの?」
ミーモさんは心配そうに俺に尋ねてきた。
「ええ、大丈夫です。ほら、こうしますから」
俺は帰り道で早速、洗浄の魔法を発動し、服の汚れを落とした。
少しくすんだようだった色合いは鮮やかなものになり、袖口のもこもこも輝くように白くなってまるで新品のコートのようになった。
「これは驚いたの。アリス殿も魔法が使えたのだな」
別に隠していたつもりはないのだが、ここまで魔法を使う機会もなかった。
だが、俺が魔法を使えることを知って、皆の不安は増すことになるのかもしれなかった。




