第二十一話 クリィマの屋敷
「私も国王陛下にご報告せねば」
勇者の廃業宣言とも言える「魔人と戦いたくない」という言葉を聞き、皆が度を失っていた。
「待ってください。リールはもう魔人を手に掛けたくないと言っているだけなのです。決して魔人を見逃すわけではありません」
そう言ったのはクリィマさんだった。
「どういうことなのだ?」
いち早く立ち直ったのか、ミーモさんが彼女に尋ねた。
「私を見てください。私は魔人になるべき人間でした。それがこうして魔人と化すことなく、静かに暮らしているのです。この先も魔人となるべき者が姿を現すかもしれませんが、その人たちにも私同様、魔人にならないようにしてもらえれば。リールはそう考えているのでしょう」
彼女の言葉にリールさんも静かに頷いた。
「私はずっと疑問を感じていたのです。あんなに美しい姿をした魔人を滅ぼして良いのかと。長い年月の間、何人かの魔人と戦ううちに、その思いはますます強くなっていきました」
そう言った勇者に、反論の声を上げたのは神官のプレセイラさんだった。
「ですが勇者様は、神がそれを望まれているのだと言っていたではありませんか。勇者が魔人を殺すことを望まれていると」
俺はその言葉を聞いて、さすがに彼女も冷静さを欠いているんだなと思った。
神が人を殺すことを望んでいるだなんて、それでいいのかって俺でさえ思う。
もちろん、魔人は人間でないっていうのなら別かもしれないが、それでも生命あるものであることは確かなのだし。
「ええ。ですが、たとえ神が望まれているとしても、私にはもう耐え続ける自信がないのです。私は弱い人間なのかもしれない。あなたのような強い信仰を持っていないのかもしれない。でも、どうしてもこれ以上魔人を手に掛けたくはない。そう思っているのです」
それは彼女の魂から、心の底から出た叫びのようだった。
この世界の人は元の世界では想像もできない程の長い人生を送っている。
魔人がどの程度の頻度で生まれるのかは分からないが、リールさんはこれまで、多くの魔人を屠ってきたのだろう。
魔人たちが滅ぼされる時の恐怖や絶望に満ちた目。
それを彼女はずっと目にしてきたのかもしれなかった。
(これは困ったことになったな……)
皆もそう思っているだろうが、俺が考えている困ったことは、ほかの皆とは違う種類のものだ。
(これじゃあ、俺は彼女に滅ぼしてもらえそうにないぞ)
そうなのだ。
勇者リールは魔人を手に掛けたくないと言っている。
そうなると俺が勇者によって滅ぼされ、元の世界へ帰還することは絶望的だ。
「プレセイラさん。あなたもそうお考えになられたのではなかったのですか? 彼女を、アリスさんを魔人となる運命から救いたいと」
リールさんにそう迫られて、今度はプレセイラさんが動揺を見せていた。
「そ、それは。確かにそうですが……」
これまで彼女は俺は何も悪いことをしていない、だから魔人にはならないのだと言い続けてくれていた。
「私が魔人を滅ぼすことを神がお望みだというのなら、あなたもアリスさんに手を差し伸べるべきではなかった。そういうことになりませんか?」
俺がオルデンの町の神殿で、プレセイラさんに救われていなかったら、どうなっていたのかは分からない。
でも、俺は彼女に導かれるようにしてここへやって来た。
だからそれは運命だったのかもしれない。
そして運命なのだとしたら、それこそがあの女神が望んでいることなのだろう。
「いいえ。道端に倒れている幼い子どもを見過ごすだなんて。そんなことをモントリフィト様が望まれているはずがありません」
彼女はそう答えたが、すぐにリールさんの冷静な声がそれに応える。
「彼女が魔人だとしても?」
「アリスさんは魔人ではありません!」
もうこれは議論にならないなって俺は思った。
俺が魔人になるかならないかなんて、どちらも仮定の話なのだ。
俺自身は魔人になる気なのだが、でも、勇者同様、人を手に掛けることは勘弁願いたい。
女神はそんなことは言っていなかったし、何か別の方法があるのなら、それを知りたいのだ。
「今は争う必要はないのではないか? プレセイラ殿はアリス殿に魔人になってほしくない。リール殿は魔人を手に掛けることをしたくない。ならば、アリス殿が魔人にならないようにすれば良いだけのことじゃ。だが、具体的にこれからどうするのだ?」
ミーモさんが引き取って、何とか丸く収めようとしてくれた。
俺の意思とは正反対だが、ほかの人たちの思惑はそれで一致したようだ。
「ならば、これから勇者と特に魔人の事跡をたどりましょう。これまでに魔人がどれほど恐ろしいことを行ったのか、それを知れば魔人となることが何をもたらすのか、それを考えることができるはずです。それは大きな抑止となるでしょう」
クリィマさんがそんな提案をしてくれた。
「私はここで暮らして、その間、魔人のことを調べてきたのです。各地に残る伝承や、魔人に関する書籍に当たったりしながら。ですが机の上でできることには限界があります。実際に現地を見て、その地に残された資料を渉猟することで新たな知識が得られるかもしれません」
どうやらそこには彼女の希望も入っているらしかった。
「魔人について調べるか。魔人については話すことさえ禁忌とされている地方もあると聞く。それにあなたのことのように秘匿されていることも多いと思うが」
カロラインさんがそう言って、その困難を指摘するが、クリィマさんは譲らなかった。
「だからこそです。リールの言葉を借りれば魔人は人間です。それがどうして魔人になるのか。それを知ることができれば、魔人にならないこともできる。天国へ行く最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することなのです」
俺はまあそうだなって思ったが、俺以外の四人は違う反応を見せた。
「待ってくれ。テンゴクとは、いったいどこのことなのだ?」
すぐにカロラインさんがそんな反応を示した。
それで俺も気がついたのだ、彼女が口にしたのが、元の世界で聞いた言葉だってことに。
「失礼しました。深い意味はありません。行く道を知っていれば迷うことはない。そんなつもりで言ったのです」
クリィマさんはそう言って誤魔化していたが、俺は誤魔化されなかった。
彼女は俺と同じ転生者だ。
俺はそう確信した。
(これはどこかで二人きりになって、彼女から詳しく話を聞く必要があるな)
彼女が魔人候補だったということを別にしても、俺は彼女と話さなければならない。そう思った。
「ほかに良い案があれば別だが、今はそうするしかないであろうの。だが、魔人が斃れた地は呪われ、この世の物ならぬ魔物が姿を見せるとも聞く。そんなところを巡るのかの?」
ミーモさんがそう言って難色を示した。
どうも魔人に関しては謎が多い。
「魔人は純粋なマナからできてはいないと言われています。この世の不条理にその身を焦がし、その怨念を溜め込んだ者。そうも言われているのです。ですから魔人が斃れた地は呪われ、その怨念が魔物となってその地を徘徊する。私はそう聞いています」
プレセイラさんの説明に、俺は魔人の気持ちが分かる気がした。
一方で魔人を斃したことがあるはずのリールさんは、黙って二人の会話を聞いていた。
俺だってあの女神のやらかしのために、意思に反してこの世界へ送られたのだ。
不条理だって言えば、こんな不条理もないだろう。
そしてマナ以外のものが混ざっているとすれば、それは俺自身、俺の意識ってことになるのかもしれなかった。
「ええ。ですからできれば皆さんには私やアリスさんと一緒に来ていただきたいのです。私は目立つようですから道中、トラブルに遭ったりするかもしれません。できれば護衛をお願いしたいのです」
彼女はここまでこの僻地と言ってよい場所で隠れ住んでいたのだ。
それは俺と同様、その容姿が目立つからってこともあったのだろう。
俺も騒動を起こしがちだから、気持ちは分からないでもない。
「異存はないな」
「断る理由もないの」
「私も一緒に行かせてもらうわ」
三人がそう答え、勇者であるリールさんとクリィマさんも頷き合っている。
「もちろん私もアリスさんと一緒に行きますよ。神のご加護を祈りましょう」
プレセイラさんを見上げると、彼女はいつもの優しい声でそう答えてくれた。
「決まりですね。では、私も出発の用意を整えて参ります。すぐに済みますのでこちらで待っていてください」
クリィマさんはそう言って部屋から出て行った。
残された皆もそれぞれ馬車を出すための準備や荷物の整理なんかを始めていた。
リールさんは勇者でありながら、残されたティーカップとソーサーを持って、屋敷の奥へ消えていった。
どうやら彼女はこの屋敷の間取りを知っているようだ。
「アリスさんはゆっくりしていてくださいね。また馬車での移動ですから大変ですけれど。我慢してね」
子ども扱いにもすっかり慣れたが、俺がばたばたしたって邪魔になるだけだ。
でも俺はせっかくの機会だから屋敷の中を探索してみたかった。
「ちょっとお家の中を探検してきていいですか?」
いかにも好奇心旺盛な子どもって感じで、俺はプレセイラさんにそうねだってみた。
「ええと。私の家ではないから、いいですよなんて言えないわ。あとでクリィマさんにお願いして見せていただきましょうね」
プレセイラさんは困ったような顔を見せたが、俺はこの機会を逃す気はなかった。
「じゃあ、クリィマさんに聞いてきます。クリィマさーん」
ちょっとわざとらしいかなと思いつつ、俺は大きな声でクリィマさんの名を呼びながら、彼女が消えた扉へと向かった。
プレセイラさんは少し腰を浮かし、「アリスさん。ダメですよ!」と声を掛けてきたが、俺はその時には扉を開け、その先の廊下に入り込んでいた。




