第十九話 勇者の責務
神は勇者に魔人を殺すことを求めている。
勇者リールは俺たちにそう言った。
「いえ。それは結果としてそうなるのかもしれませんが、平和な世を守ることが勇者様の……」
「いいえ。逆ですね」
カロラインさんの反論を、勇者様は冷静に否定した。
「結果として平和が保たれるのです。私が魔人を殺すことによって」
言われてみれば確かにそうだ。
彼女はこの世界の人々を守るために魔人を殺さなければならない。
それによって平和が保たれるのだ。
「それは私たちも同じではないかの? 村や町の側に現れる危険な獣の駆除を依頼されることは多い。いや。魔人と比較にならないことは分かっておるが、私もそれらの生命を奪っておると言われればそのとおりじゃ」
「エルフも弓で獣を狩るわ。それは神から許されていることだと思うけど」
ミーモさんもロフィさんも口々にそう言ったが、勇者リールはゆっくりと首を振った。
「まったく違いますね。危険な獣を除いたり、猟をすることは確かに神に許され、剣士や猟師の本分と言ってもいいでしょう。ですが私が手に掛けるのは人間なのです」
彼女はそう言って自分の両手に目を落とした。
「魔人は皆、恐ろしいほど整った容姿をしています。そして魔法に対する特異な適性を持っている」
それってまったく俺のことじゃないかと思ったが、これまでリールは勇者として何人もの魔人と戦ったことがあるようだった。
彼女が言っているのはそういった過去に現れた魔人のことなのだろう。
「それでも魔人は魔人です。人とは相容れぬ者。人類の敵なのです」
プレセイラさんが宣言するような声を出した。
彼女はとても優しくて俺に良くしてくれるのだけれど、俺が魔人になったら、率先して斃しに来そうな怖さがある。
「いいえ。魔人は人間です。私が言ったように、魔人は魔人として生まれるのではないのです。魔人になろうとしてなる。人を殺めることによって……」
俺にはリールさんの言っていることが分かった。
俺自身がそうだからだ。
俺は元の世界へ戻るために魔人になって勇者に、リールさんに滅ぼされる必要があるのだから。
(でも、人を殺さないと魔人になれないのか? そんなこと俺にできるのか?)
映画やドラマではもちろん人が殺される場面を見たことはある。
ゲームでもモンスターやゾンビを倒しまくってはいる。
でも、現実に自分が人間を手に掛けるなんて、想像することさえおぞましいことだ。
だが、それを勇者はしてきたのだ。これまでずっと。
「あまり気にされることはないのではないですか? 魔人は勇者様に斃されて本望だと思います。そういうものですし」
俺は深刻な表情を見せるリールさんの姿に耐えきれず、思わずそう口にしてしまった。
「私に斃されて本望? あなたはどうしてそう思われるのですか?」
(しまった!)
皆の視線が俺に集まる。
魔人の気持ちが分かるなんて、自分で俺は魔人だって言っているようなものだ。
でも、よく考えてみれば俺は彼女に滅ぼされることが目的なのだ。
ここで魔人だと判定してもらえれば、それが叶うかもしれない。
これは千載一遇のチャンスかも、俺はそう思った。
「俺は魔人だからです。だから勇者様。俺を斃してください」
俺がそう口にすると、皆の間に沈黙の時間が流れる。
プレセイラさんが椅子から立ち上がると俺の側へやって来て……、
「可哀想に。色々言われて自分でもそう思うようになってしまったのね。大丈夫ですよ。あなたは何も悪い事はしていません。それは私がよく知っていますから」
がばっと言った感じで俺を抱きしめ、大きな声で皆に聞かせるように言った。
「そうじゃ。何を言うか。こんな可愛らしい魔人がいるものか」
ミーモさんもそう主張するが、魔人は整った容姿を持っているんじゃなかったのだろうか?
「エフォスカザン様もあなたを害することをされず、私を同行させるだけにとどめたわ。その時、大きな災いをもたらす可能性は高いけれど、必ずというわけではないとおっしゃったはずよ。だから道はあるわ」
ロフィさんも珍しく俺を不憫だと思ってくれたのか、そんなことを言ってくれた。
結構、酷い言われような気もするけど。
だが、勇者リールは彼女の言葉を聞いて、それを否定しなかった。
「エルフの方の言うとおりです。魔法に特異な適性を持つ者は魔人となるべく生まれた者。私もずっとそう思っていました。ですが必ずしもそうではない。それには例外もあるのです」
冷静だった彼女の声に、熱がこもっているように俺には感じられた。
「魔人とならなかった者がいる。そういうことなのか?」
カロラインさんの問いに、勇者様は頷いた。
「そうです。アリスさんと同じように整った容姿を持ち、魔法に恐ろしいほどの適性を持ちながら静かに暮らしている。そんな者がいるのです」
カロラインさんは勇者の言葉に「信じられん」と呟いていたが、俺も同じ気持ちだった。
魔人にならなかったなんて、そんな選択肢があるのだろうか。
「国王陛下は私を訪ねるようにおっしゃった時、別の者にもアリスさんを引き合わせるようにと付け加えられませんでしたか?」
勇者リールは俺たちにそう尋ねた。
言われてみて、俺とプレセイラさんは思い出したことがあった。
「はい。おっしゃっていました。『とある者』に引き合わせようと。勇者様はそれが魔人とならなかった者だと。そうおっしゃるのですね」
プレセイラさんが気がついたって様子で勇者様に確認していたが、彼女の口調は途中から明らかに希望を感じとったものに変わっていた。
「魔人に関わる事ゆえ、その人の存在は厳重に秘匿されているのです。あなたたちはその秘密が守れますか?」
誰かがごくりと唾を飲むような音がした。
それは俺のものだったのかもしれない。
「アリスさんのためにも、その方には会わねばなりません。どうして秘密を漏らしましょう。モントリフィト様にお誓いしてもよろしいです」
プレセイラさんは決意を見せてそう告げた。
「私はエフォスカザン様にこの人とともに行くように言われたの。そのためになら秘密を守るわ」
「騎士の名に賭けて」
「ここで帰るなどあり得ぬの。せっかく面白くなってきたのじゃ。私も行くぞ」
ほかの三人もそう言って、同行してくれるようだ。
この中で一番信用の置けないのは俺なのかもしれなかった。
ここまで見てきたこの世界の人は基本的に善良で、約束を破ったりしなさそうだ。
そう言う意味で、この世界はあの女神が言ったように「完璧」なのかもしれなかった。
「それで、その方のいる場所は遠いのですか? たとえそこまでの道のりがどれほど困難に満ちていようとも、私はそれを越えて行くつもりですが」
プレセイラさんはそんなことを言って、俺はどうしてそこまでって思ってしまう。
俺なんて老人に電車で席を譲るべきかとか、横断歩道を渡ろうとしていたら手を引いてあげるべきかとか、悩んでいるうちに誰かに先を越されたりすることが多いのに。
「いえ、それほど遠くはありません。あの人は自分がもし魔人と化してしまったら、私に討ってほしい。そう言ってここからさほど離れていない場所で暮らしています。ですがさすがに町に住むわけにはいきませんから」
どうやら魔人にならなかったという人は、勇者にそんな依頼をしているようだった。
かなりの覚悟を持って過ごしている。そんな気がした。
「アリスさん。また旅をしなければならないようですが、大丈夫ですか?」
プレセイラさんが優しく聞いてくれる。
「ええ。もちろんです。だって自分のことですから。それより皆さんに申し訳なくて」
それは俺の率直な気持ちだった。
いや、本当はリールさんが俺を滅ぼしてくれればそれで済むのだ。
だが、今の状況では彼女はそうはしてくれそうにない。
「魔人は人間です」
そう言い切った彼女は、自分の手を見ていた。
魔人とは言え、人を殺すという行為に大きな疑問を感じているのだろう。
それは自分が滅すべき魔人がすることと同じ行為なのだから。
(もしかすると魔人とならなかった者を説得したのはリールさんかもしれないな)
俺はそう思った。
何らかの方法で勇者は魔人となる前のその人に出会い、魔人とならないように、自分に滅ぼさせないように説得したのではないだろうか。
俺と同じように。
(でも、そうなると俺はずっとこの世界に残ることになるのか?)
勇者に滅ぼされなければ、俺は元の世界に戻れない。あの女神はそう言っていた。
そうすると、俺は元の世界に戻るため、勇者に滅ぼされるために魔人となる必要がある。
そしてそのためには人を殺さなければならないのだ。
(かと言ってここまで俺と一緒に旅をしてくれて、面倒を何くれと見てくれたプレセイラさんや、それ以外の三人を殺すなんてできないな)
それ以外の人だって俺には無理なのだが今、俺の前にいるのは勇者以外はその三人しかいないのだ。
「どうした? 泣いているのか?」
カロラインさんが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
俺は考えに沈んでぼーっとしていたらしい。
「大丈夫です」
俺が答えるとロフィさんも憂い顔で、
「無理もないわ。こんな過酷な運命。私だったら耐えられないかもしれないもの」
そんな同情の言葉をくれる。
「そのためにも今はその秘密の人に会いに行くのだ。きっと道は開けるからの」
「そうです。私も急いで準備を整えますから、すぐに出ましょう」
最後はリールさんがそう言って、俺たちはその魔人とならなかった人がいると言う、ピッツベルゲン山脈の麓を目指し、馬車を進めることになった。




