第十八話 勇者リール
森の小径を少し進んだ先にあったのは、小さな木造の建物だった。
「あれ……だろうの」
ミーモさんが指さしたのは、決して豪華とは言えない簡素な造りの住宅だ。
小屋ってわけではないが、そこまで大きなものでもない。
一人で住んでいるのなら、これで十分なのかもしれないが。
「間違いなさそうですね。ここで行き止まりのようですし」
プレセイラさんが言ったとおり、この先には何もなさそうだ。
案内役が勘違いをしたのでなければ、ここが勇者の住まいなのだろう。
お城に住めとまでは言わないが、この世界の重要人物の住居としては、あまりに小ぢんまりとしたものだと思う。
「ごめんください」
プレセイラさんが玄関のドアをノックして訪いを入れると、しばらくして扉がギィと音を立てて開いた。
「あなたたちは?」
そう言った扉の中の人と俺の目が合った。
彼女の身長は俺より少し高いくらいで、ほかの三人とはかなり目の高さが違っていたからだ。
いや、ミーモさんは同じくらいかもしれない。
「私たちは王のご命令で勇者様をお伺いした者。勇者様にお取り継ぎを……」
カロラインさんがそう名乗ると、扉の中の人は彼女を見上げた。
(ああ。なるほどね。子どもを雇っているのか)
俺は一瞬、そう思ったが、この世界で子どもを雇うなんて簡単にできるはずもない。
勇者だから特別ってことはあり得るにしても。
「私が勇者のリールですが」
子どものような容姿の人は、相変わらずカロラインさんを見上げて、そう答えた。
「大変失礼いたしました。まさか勇者様とはつゆ知らず」
中へ案内され、ダイニングテーブルを勇者様を含む六人で囲むと、カロラインさんは平謝りだった。
「いいえ。こちらこそ昨日、ラブリースの町から連絡が来ていましたのに、もう少し後かと思っていたものですから。それに初めてお会いするのですし、誰にでも勘違いはあるものです。別に何とも思っていませんから」
勇者様は寛大な方のようだ。
その態度からは言葉どおり、カロラインさんの不用意な発言を責める様子は感じられなかった。
正直言って、俺も驚いた。
ほかの二人も何も言わないが、おそらく同じ気持ちだろう。
魔人を倒す勇者なのだから、屈強な体躯を持つ人なのだろうなと何となく想像していたのだ。
この世界に来て、そんな人に出会ったことはないのだが。
「お茶でもどうぞ。お客様は久しぶりで、準備をする間もありませんでしたから、大したおもてなしはできませんが」
そう言って勇者様は手ずからお茶を淹れて、俺たちに振る舞ってくれる。
皆はしきりと「もったいない」と言って恐縮していた。
俺は普通にいただいてしまっていたが。
彼女がティーポットからお茶を注ぐたびに、明るい茶色の短い髪が揺れていた。
「それで私にご用がおありとか。どういったことでしょう?」
皆にお茶が行き渡り、ひと息つくと、勇者様は俺たちに用件を話すよう誘ってくれた。
「実は勇者様をお訪ねしたのはほかでもありません。この子の、アリスさんのことなのです」
プレセイラさんが話を切り出すと、勇者様を含め皆の視線が俺に集まる。
勇者様の瞳は澄んだ緑色で、何だかビー玉のようにも見える。
その瞳がじっと俺を見つめていた。
「随分と整ったお顔ですね。この子はもしかするとということですか?」
俺は会う人会う人、見た目を褒められているから、相当整った容姿をしているらしい。
この世界の人は皆、美しいし、鏡で自分の姿を見ることはそんなにないから、あまり意識していないのだが。
だがさすがは勇者。俺が魔人かもしれないという可能性に早々に気づいていた。
「どういうことじゃ?」
ミーモさんが痺れを切らしたって感じで勇者様に尋ねる。
「アリスさんは魔人かもしれないと、その疑いを持たれたということでしょう。そのために私を訪ねられた。そういうことですね?」
勇者様の言葉を聞いて、三人の間に衝撃が走った。
カロラインさんなんかは腰の剣に手を伸ばしていたし、ロフィさんは、
「エフォスカザン様のご様子がおかしかったのはこれが理由だったのね! 勇者に真偽を聞くまでもないわ!」
そう叫ぶように口にして、慌てて椅子から立ち上がり、俺から距離を取る。
やっぱり彼女らエルフの俊敏さは、人間には真似できそうにない。
ミーモさんは俺を見て、
「ただ者ではないとは思っていたが、まさかの……」
そう言って固まっていた。
彼女の頬がぴくぴくと動いている。
「待ってください! この子は何もしていません!」
またプレセイラさんがそう言って俺を擁護してくれるが、皆の受けた衝撃は大きく、簡単には収まりそうもない。
だが、勇者リールは静かな声で皆に向かって、
「アリスさん……でしたか? アリスさんは魔人ではありません」
そう断言した。
「魔人ではないと」
カロラインさんは勇者の言葉にようやく少し落ち着いたようだ。
それでも椅子から腰を浮かし、手は長剣に添えられたままで、俺から目を離さなかったが。
ロフィさんも壁際まで離れたまま席に戻って来ない。
やっぱり厳しい顔で俺を睨んでいた。
「私もてっきり魔人かと思ったぞ。あの一撃を見切られるとは思わなんだからの」
ミーモさんもそう言いつつ、その口調にはいつもは感じない緊張があって、本当かなって思いでいることが伝わってくるようだった。
「ええ。魔人ではありません。今はとしか言えませんが」
勇者様はそう言い直したので、皆がまた身構えてしまった。
ロフィさんなんかは、もう魔法で攻撃しようって様子を見せていた。
あのエルフの族長の慌てぶりを目にしている彼女は、勇者の言葉を聞いても、俺が魔人である疑いを拭い切れないようだ。
「人は魔人として生まれるのではない。魔人になるのだと私は思っています」
皆に席に戻るように促し、元のようにテーブルを囲むと、リールさんはお茶をひと口飲んでそう口にした。
静かなその声は、皆に染み透るようで、ロフィさんもカロラインさんも落ち着きを取り戻していた。
「そのようなことはないだろう。神は人にそれぞれ役目をお与えになられる。私は近衛騎士という役目を与えられたことを誇りに思っているのだ」
カロラインさんがそう主張して、これにはプレセイラさんも同意せざるを得ないようだ。
あの女神が作った世界では、彼女から一人一人の人間に役割が与えられ、人はそれを果たして生きていく、そう決まっているのだから。
だから教会で子どもの内に神託を受け、自らに与えられた適性を知り、それに見合った職業に就くのだ。
そうしてあの女神、モントリフィトの言った『完全な世界』が保たれているのだろう。
「私だって剣士と言う職業に誇りを持っておる。神が与えたもうた職業に貴賤はなく、各々がその職分を尽くせば、世界はまったき状態を保つのだからの」
ミーモさんもそう言って、やはりそれがこの世界の摂理ってものらしい。
「人間はなんだか面倒なのね。私たちエルフは違うわ。エルフであるってことだけで十分だもの。私たちは神に近い種族なんですもの」
エルフはちょっと違うみたいだが、彼らは弓矢が得意で魔法も人間とは違った系統のものを使う。
だからエルフってだけで別の職業みたいなものなんだろう。
そして彼らの誇りは人間以上のようだった。
神に近い種族だなんて自分で言うくらいなんだから、エルフであることに至上の価値を見出しているのだろう。
「では、私の役目は何でしょう? モントリフィトは私に何を求めているのだと思われますか?」
突然、勇者様は俺たちに問い掛けた。
俺には彼女の言葉の意味が分からない。
いや、意味自体は分かるのだが、彼女がそんな答えを求めていないことも分かったからだ。
「それは……。勇者であることではありませんか? 私が騎士であるように」
カロラインさんは俺が勇者様が求めているのはそれではないんだろうなって思った答えを口にしていた。
彼女は勇者としてこの世界で知られている。
だから神が彼女が勇者であることを望んだのは自明のことだ。
でも、彼女はそんなことが聞きたいのではないはずだ。
「では、騎士であるとはどういうことですか? 具体的には何をするよう、神は求められているのでしょうか?」
その質問に隠された勇者様の考えが俺には分かる気がしたが、いきなり質問を浴びせられたカロラインさんは、真面目にそれに答えていた。
「それは……、王国の秩序を守り、国王陛下やその重臣たちを警護し、民衆が平和に暮らせるように町の治安を維持すること。そうだと思いますが」
彼女の答えを聞いて、勇者様は満足そうに頷いた。
「そうですね。人々から感謝され、尊敬を受ける立派な職業だと思います。あなたがその役目を果たすことができるように神は適性を付与し、役目を与えられた。きっとそうなのでしょう」
勇者様の声は穏やかなものだった。
そして彼女はゆっくりと皆を見回して尋ねた。
「では、神は私に何を求めておられるのでしょう? 具体的に私は何をすれば?」
俺にはその答えが分かったが、それを口にするのは憚られた。
「いえ。勇者様なのですから。民を魔人から守られて……」
カロラインさんの答えに勇者リールはゆっくりと顔を振った。
「違います。魔人を殺すこと。神は私に魔人を殺すことを求められているのです。それが私の役目なのです」
そう言った彼女の目は俺をしっかりと捉えていた。




