第十六話 エルフの同行
「恐ろしい気配が森に入ったことを知り、慌ててここまで来たのです。そこにいるあなたは何者です?」
近づいて来た涼やかな声の持ち主は白く輝く薄絹のような優美な服を着たエルフの女性だった。
先ほど馬車の行く手を遮ったエルフよりも頭ひとつ大きく見える。
「これは失礼した。私は王国騎士の……」
「あなたではありません」
カロラインさんの言葉を遮った声は、断定的で反論を許さない厳しさがあった。
これではまた彼女の自尊心が傷つきそうだ。
「馬車の中にいるあなたです。いったい何者なのですか?」
「エフォスカザン様!」
初めに姿を見せたエルフが森から出て来たエルフに呼び掛ける。
どう見ても偉いエルフのお出ましのようだ。
「エフォスカザンとは、エルフの族長か?」
凹んでるかなと思ったカロラインさんが驚きの声を上げた。
どうやら姿を見せたのはエルフ族の長らしかった。
「人間の騎士よ。確かに私はこの森のエルフを束ねる者。森に恐ろしい気配を感じ、ここまで赴いて来たのです。あなた方の馬車にいるのは何者なのですか?」
俺はもう生きた心地もしなかった。
どうもエルフの族長は、俺の存在に気づいている気がする。
馬車に残っているのは俺とプレセイラさんだけだから、まさか神官の彼女から恐ろしい気配を感じたってことはないだろう。
「私たちは王命を奉じてラブリースへと向かう者です。どうか森の通過をお許しください」
その間にプレセイラさんが馬車を降り、エルフの長にお願いをしてくれていた。
だが、やっぱりエフォスカザンとか言うエルフの族長は納得しない。
「あなたではありません。もう一人、馬車に残っている者がいるでしょう? 私たちの目は誤魔化せませんよ!」
厳しい声で一歩も引かないという決意を見せる彼女に、俺はもう逃げられないと覚悟を決めた。
どうして分かるのか理解不能だが、エルフには俺の存在が感知できているようだった。
「まさか私のことですか?」
俺は馬車を降りると努めて冷静を装い「俺」って言うのもやめて、普通の人間の女の子を演じてみた。
なあんだ、子どもだったのかってなると良いなって思ったのだが。
「おおおおぉぉぉぉ!」
恐ろしい物を目にしたように、エフォスカザンは左腕で顔を覆い、叫ぶような大きな声を上げた。
「エフォスカザン様!」、「族長様。どうされましたか?」
お付きの者なのか、周りにいたエルフたちが驚いて呼び掛ける。
その様子から俺に恐れを抱いているのは族長一人だけだと分かった。
「大いなる災い! すべてを焼き尽くす破壊の炎。そなたたちには分からぬのか? 神が遣わしたこの者の恐ろしさが……」
俺は元の世界に帰りたいだけのただの人間なのだから、そういうのはやめてほしい。
でも、それがこの世界にとっては大いなる災いってことになるんだろうか?
「ええと。私はその……別に……」
ここは本当のことを言うチャンスなのかもしれない、俺が別の世界からやって来たって、このエルフの族長なら分かってくれるかもと思った。
だが、俺がそう考えているうちに、プレセイラさんが俺の前に立った。
「この子はまだ子どもです。何も悪いことはしていません。そんな子をどうすると言うのです!」
さすがにエルフの族長の態度に不穏なものを感じたのだろう。
彼女は俺の前に立ち塞がり、一歩も引かないという態度を見せた。
「たしかに今は何もしてはいません。されど……」
「無辜の者を害するのでは魔人と同じなの。エルフは魔人と同類になると言うの?」
エルフの族長に向かってミーモさんが難詰するようにそう告げる。
彼女は背中の大剣に手を伸ばしていた。
「私とそこの騎士は王様から二人を守るように依頼を受けた。急いでラブリースの町まで送り届けろってね。だからこの森を抜けようとしたの」
ミーモさんの言葉にエルフの族長には思い当たることがあったようだ。
「ラブリース! まさか勇者の許を訪れるのですか。その者を勇者に会わせると。何と大胆な」
彼女は恐れおののくといった様子で、俺たち四人を見回した。
俺が魔人だとしたら、それを勇者のところへ連れて行くだなんて、確かに大胆な行為かもしれない。
「そのとおりです。この子は神に愛されている。だから善き道へ導くことで、素晴らしい人間になると思っています。そのためには少しばかりの苦労などどうして厭いましょう」
プレセイラさんはそう言って胸を張る。
何度そう言われても、俺があの女神に愛されているとは思えない。
エルフの族長の感じたことが、もっとも女神の真情を言い当てているのだ。
三人が俺を守る決意を見せると、エルフの族長、エフォスカザンはふぅっと大きく息を吐いた。
「仕方ありませんね。あなたたち三人を傷つけて排除し、その者を殺したりしたら、私たちは魔人と同類だと言われてしまうでしょう。将来、大きな災いをもたらす可能性が極めて高いとはいえ、それは必ずというわけではないのですから」
諦めたようにそう言って、彼女は今度は俺たちが最初に出会ったエルフに向き直った。
「ロフィ。あなたはこの人たちとともに行きなさい。ラブリースまで、そしてその先までも」
「えっ?」
ロフィと呼ばれたエルフは驚いていたが、俺たちも驚いた。
俺たちと一緒に行けってどういうことなのだろうか?
「この者があなたたちに同行します。それが森を通り抜ける条件です。容れられないと言うのなら、あなたたちにはこの森にとどまってもらいます。森の妖精の呪いを聞いたことがあるでしょう?」
俺は当然、聞いたことがなかったが、ほかの皆は特に疑問もなさそうだったから、きっと知っているのだろう。
少なくともプレセイラさんは嘘なんてつかないはずだ。
でも、それがどんなものか知らない俺でも、呪いなんて掛けられないに越したことはないことくらいは分かる。
「森の妖精の怒りを買った者は、森から出られなくなる。永遠に森の中を彷徨い続けるって、あれじゃな」
ミーモさんが俺に聞かせるともなしに解説してくれた。
やっぱり恐ろしい呪いのようだ。
この世界だと本当に「永遠に」ってことになるのかもしれない。
「では、私も馬車に同乗させてもらうわ。最低でも勇者のいる場所まではね」
エルフの族長は取り巻きだろうエルフたちを連れて去り、俺たちとともにロフィと呼ばれたエルフが残された。
彼女は「どうして私が」なんて小声でぶつぶつ言っていたから、不本意だったのだろう。
「馬車は操れるのか?」
カロラインさんが尋ねると、彼女は不服そうに、
「失礼ね。人間にできることで私たちエルフにできないことなんてないわ。見てなさい」
そう言ってさっさと馭者席に乗り込んで手綱を握った。
どうもカロラインさんに上手く馭者役を押し付けられたんじゃないかって気がする。
「さっさと乗って」
俺たちは彼女の気の変わらないうちにと、馬車へ乗り込んだ。
「いきなりですけど、準備はいいんですかね?」
馬車が走り出すと俺はプレセイラさんとそう話した。
ロフィさんはどう見ても森の哨戒中って感じだったから、いきなり俺たちと旅に出るなんてありなのかと思ったのだ。
「準備なんていらないわ。すぐに済ませてここへ帰るんだから!」
いきなり馭者席から大きな声が返ってきた。
まさか聞こえないだろうと思っていたのだが、彼女はかなり耳が良いらしい。
でも、少なくともラブリースの町まで何日かは掛かるみたいだし、勇者だってすぐに会えるかは分からない。
「着替えが足りなくなったら私の物をお貸ししましょう。背格好は私が一番近いようですから」
プレセイラさんがそう言っていたが、俺とミーモさんは子供服ってサイズだし、カロラインさんはかなり背が高い。
確かにプレセイラさんの背丈がもっとも近いのかもしれないが、それでもエルフの女性の方が小さいと思うのだが。
最悪、着替えについては俺がクリーニングの魔法できれいにするしかないかと思ったが、魔法を使うと皆の疑念を深めるだけかもしれない。
でも、皆に守られるだけで何の役に立たないのも精神衛生上、良くないのだ。
中の俺は小さな子どもってわけではないからな。
「何か俺にできることがあったら言ってください」
プレセイラさんにお願いすると、彼女は優しい笑みを見せてくれる。
「ええ。ありがとう。アリスさんが大きくなったらお願いするわね。今は辛い馬車の旅に耐えてくれて、とても偉いなって思っているの。だから大丈夫。でも無理せずに、きつかったら教えてね」
そして、完全に子ども扱いをされてしまった。
今の俺は見た目子どもだし、仕方がないのだが、魔法だって使えるのにと残念な気がした。
その後は順調に馬車は走り続けた。
いや、途中で狼の群れに出会ったのだが、主にロフィさんが魔法で蹴散らしたのだ。
「精霊よ。我が剣となりて敵を切り裂け!」
彼女がそう呼び掛けると、強烈な風が吹き起こり、狼たちはそれに巻き込まれて消え去った。
「ざっとこんなものね」
彼女は一人で狼たちを退治して、自慢げだった。
カロラインさんとミーモさんは唖然としていたが。
(精霊魔法なのか? でもマナの動きを真似すれば発動できそうだな)
一方の俺はそんなことを考えていた。
そうして馬車は森を抜け、草原を走る街道を駆け抜けてラブリースの町へ入った。




