第百六話 元の世界へ帰って
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元の世界に戻った俺は元のとおりの生活を始めた……わけでなかった。
「急に学校へ行くだなんて。無理しなくていいのよ」
母親には驚かれてしまい、しかもいきなり登校することは難しいと言われてしまった。
「教科書や時間割はあるけれど、とにかく少し待ってくれる? 学校にも連絡がいると思うから」
母は仕事を休むと会社に連絡を入れ、慌ただしく動き出した。
俺には何のことか分からなかったが、なんの気なしに見た壁に貼られたカレンダーによって、その理由の一端を知った。
そこには俺があの女神よって「ルーナリア」と呼ばれる世界へと連れ去られた日の翌年の暦があったからだ。
「えっと。今日は何年なんだ?」
俺の問い掛けに母は諦め顔で、
「十一月二十日よ。ずっと部屋から出なかったから、仕方ないわね」
そんなことを言い出して、どうやら俺は部屋で引きこもっていたらしかった。
慌てて部屋に戻り、スマホを確認すると、確かに俺があの世界へ連れ去られた日から一年以上が経っている。
(ひどいな。帰す時の時間調整もなしか……)
俺はあの女神を呪いたい気分だったが、逆にクリィマさんはこのことを知っていたのかもしれないなって考えさせられた。
彼女はもう二十年以上、ルーナリアにいたらしいから、帰った時の影響は俺の比ではないだろう。
正に浦島太郎状態ってやつだ。
結局、俺はその日の午後、母親に付き添われて高校へ向かった。
「登校してくれるのはもちろん歓迎するが、留年しているから以前の同級生とは別の学年になるんだがな」
当然だが担任も変わっていて、俺の知らない教師はそう言って、暗に退学を勧めているように俺には思われた。
それでも俺はこの高校へ戻るために、香具山さんに会うために帰って来たのだと思い、
「明日から登校します。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げると教師は意外だったようで、
「あ、ああ。そうか。初めは無理しなくていいから、少しずつな」
なんて言って、登校の用意について教えてくれた。
翌朝、俺はかばんに教科書を詰め、登校した。
「えっ。まさか有栖か?」
校門の側で元のクラスメートの一人が声を掛けてきた。
彼とはそんなに親しくはなかったが、今は一人でも見知った顔に会うと心強い。
そう言えば異世界へ行ったばかりの頃はプレセイラさんが良くしてくれたなと、俺は彼女のことを思い出した。
「そうか。一学年下になるんだよな。俺たちは今、受験の準備で必死だよ。そう考えると羨ましいな」
彼はそんな無神経なことを言ってくる。
こっちはそんな記憶もないのに留年させられて落ち込んでいるのに。
「みんなどこを受けるんだ?」
昇降口へと向かう間、俺は何人かの元クラスメートの名前を挙げて彼らの進路希望を聞いてみた。
彼はなかなかの情報通らしく、次々に答えをくれる。
「あと……香具山さんは?」
俺はさりげない感じで、もっとも気になっていたことを彼に尋ねた。
「香具山? 香具山って誰だ?」
だが、彼はそう言って俺の顔を見た。
俺が彼女に告白したことが、俺のいない間に皆の噂にでもなって、彼がからかっているのかと思ったのだが、彼の表情は真面目なものだった。
「いや。同じクラスの香具山だよ。あの」
美人でスタイル抜群のって付け加えるべきかと思ったが、彼はますます不思議そうに、
「お前、休んでる間に何か間違えていないか? 香具山なんて奴はいないぞ」
そう言って首を傾げ、俺と別れて自分の教室へ向かって行ってしまった。
その日は朝のホームルームで軽く自己紹介をさせられたりしたが、その後は普通に授業を受けた。
とは言っても一年以上、授業を受けていないので、どの教科もさっぱり分からない。
いずれ、別に教材が与えられるのかもしれないが、俺は授業についていくのに、かなりの困難さを感じさせられることになった。
「おお。久しぶりだなあ」
昼休みに俺は元の自分の学年の教室を訪ねた。
中にはそう言って親しげにやって来てくれる奴もいる。
「もう部活もとっくに引退したからな。なかなか会えないな。それにもうすぐ卒業だし」
まだ卒業まで数か月はあるが、俺の元級友たちは大学受験もあるし、中には推薦で進路が決まる奴もいるから、学校へ来る期間は思ったより短いのかもしれなかった。
「そうだな。ところで香具山さんて、何組なんだ?」
俺はもう隠しておきたいとか、恥ずかしいとか考えている余裕を失っていた。
早く彼女の顔を見たかったのだ。
そのためにあの世界で魔人にまでなったのだから。
だが、彼の答えも今朝、校門で会った友人と同じものだった。
「香具山? 影山のことか? 影山の野郎に何でさん付けなんだ? 先輩になったからか?」
別の同級生のことだと思ったらしく、そんなことを聞いてきた。
「いや。香具山さんだよ。ほら、髪の長い……」
俺はそう説明したのだが、彼はますます怪訝な顔で、
「香具山って誰だよそれ? そんな奴いねえよ」
そう言ったところで、別のクラスメートに話し掛けられ、俺から離れて行ってしまった。
昼休みだというのに、教科書や参考書を開いている生徒もいる。
俺は何となく疎外感を感じて、その場を離れた。
「今日はどうだったね。いきなり一日の授業は疲れたろう」
午後の授業も終わり、俺は担任に呼ばれて職員室で面談を受けていた。
「ええ。少し。でも大丈夫です」
俺はそう答えながら、早く香具山さんのことを担任に確認しなければと、まったく心の余裕のない状態だった。
「そういえば、元の同級生の香具山さんからシャーペンを借りていて、ずっと返さないとと思っていたんです。彼女はどのクラスですか?」
さすがに教師まで俺をからかったり、とぼけたりはしないだろうと思って尋ねたのだが、彼の反応もまた、元級友たちと同じだった。
「香具山? 女子だよな。そんな生徒はいないと思うけどな」
彼はご丁寧に俺の元の担任に尋ねてくれた。
「やっぱり上の学年に、そんな名前の生徒はいないようだぞ。誰か別の生徒と間違えていないか?」
少し心配そうな様子で訊いてくれる。
「い、いえ。思い違いかもしれないです。もう一年以上前のことなので」
俺はそう言って誤魔化すしかなかった。
翌日からも、俺は暇さえあれば元の学年の教室に顔を出し、香具山さんを探した。
だが、彼女の姿は見当たらず、初めは俺のことを気遣ってくれていた元のクラスメートたちも、引きこもっている間に俺がおかしくなったとでも思ったのか、だんだんとよそよそしくなってきた。
「ここだけは変わらないな」
俺は校舎裏の香具山さんに告白した場所へ行ってみた。
まるでそれが夢だったかのように、誰も香具山さんのことを覚えていない。
そして家族でさえ、俺が学校へ行かず引きこもっていたと思っている。
俺も香具山さんもまるで神隠しにでも遭ったようだった。
「神隠しか……」
俺はそう口に出して苦笑した。
相手は確かに神なのだ。
あの女神からしたら、このくらいは朝飯前なのだろう。
そしてきっと香具山さんは、あの世界、ルーナリアの人だったのだと俺にも見当がついた。
日本人離れしたと級友の間で話題だった彼女の美貌。
それは単に日本人と言うだけでなく、この世界のものでさえなかったのだ。
「俺はどうすればいいんだ?」
校舎裏に立ち尽くし、俺は独りごちた。
この世界へ帰って来た大きな理由のひとつは、香具山さんに会うためなのだ。
その機会が失われたことを、俺は認めざるを得なかった。
「今日もご苦労さん。私は引き上げるよ」
一日の仕事が終わり、俺の師匠でもある店主は、そう言って俺を労ってくれた。
「お疲れさまです。俺はもう少し残って練り切りの練習をしています」
すると親方は白い歯を見せ「あまり無理はするなよ」と言い残して店を出て行った。
「有栖君が来てくれて、あの人も仕事に張り合いができたんだね。あんな風に笑えるようになったのも、あなたのおかげだよ。それにしても、こんな和菓子屋を継いでくれる奇特な人がいるなんて私は思わなかったよ」
毎日店頭に立つ師匠の奥さんも、そう言って嬉しそうだ。
「いえ。住み込みで働くことを許していただいて、本当に感謝しています」
俺の方ももう何度目だって答えを返すが、俺がこの和菓子店にやって来たのは、ただの偶然ではない。
授業にもついていけず、そもそも学校にも通う理由もなくなった俺は、あの後、早々に自主退学した。
そして自分が何をすべきか考えているうちに、クリィマさんの足跡をたどることを思いついたのだ。
「あなたには私のことを覚えておいてもらいたいのです。もう元の世界には私のことを覚えている人はいないでしょうからね」
彼女はそう言っていた。
だからそのためにも、彼女の実家である和菓子店を探してみようと考えたのだ。
幸い学校をやめた俺は暇だった。
俺はその有り余る時間を使って和菓子店を探したのだ。
そしてとある地方都市にそれらしき店を見つけた。
「和菓子のくりま」
その店のホームページには、そんな店名が踊っていた。
「うちには跡を継ぐ子どももいないし、もう店を閉めようかと思っているんだがな」
和菓子作りの修行をさせてほしいと頼み込んだ俺に、最初、店主は迷惑そうにそう返してきた。
だが、俺がすでに両親を説得して、ここへやって来たと知ると、とりあえず続けられるか試してみるかと言ってくれたのだ。
「ありがとうございます」
両親は高校をやめた俺に、また引きこもられてはとでも思ったのか、和菓子職人になるために、この店で修行がしたいと言うと、あっさりと許してくれた。
「空いている部屋があるから、そこを使うといい」
住み込みで修行をしたいという厚かましい俺の願いに、師匠はそう応じてくれさえした。
(クリィマさんの部屋だ……)
店の二階にある部屋に落ち着いて、窓を開けて外を眺めた俺はそう確信した。
この世界では彼女の、いや彼の存在はその痕跡さえまったく残っていなかった。
でも、この部屋はきっとそうだ。俺はそう感じていた。
(クリィマさん。俺、お菓子作りが好きになれそうです)
亡くなる少し前、彼女は俺に「お菓子作りに興味はありますか?」って聞いてきた。
あの時、俺はあの中世ヨーロッパ風の世界も相まって、ケーキやクッキーのような洋菓子を想像してしまっていた。
だが、彼女はきっとこのお店のことを思い出していたんだろう。今はそう思っている。
きっと彼女のほぼ唯一の心残りが、両親の営むこの和菓子店だったのだろう。
(クリィマさん。あなたの想い。俺が引き継ぎます)
本当にそうなのかは分からない。でも、俺にとってもそれは自然な選択だった。
「有栖君が手伝ってくれるようになって、店に並ぶ商品も増えたからね。アルバイトを雇うことにしたんだよ」
俺が店で働きだして数か月が経った頃、奥さんがそう言って彼女の手伝いをしてくれる人を紹介してくれた。
「望月瑠那さん。有栖君。仲良くしてやっておくれよ」
俺は彼女を見た時、すぐには声が出せなかった。
「望月です。よろしくお願いします」
横に居た師匠に肘で小突かれて、俺はようやく我に返った。
「有栖です。こちらこそよろしく……」
そう言った俺の声は震えていたかもしれない。
「別嬪さんだろう? うちの店にはもったいないくらいだな」
店主はご機嫌でそんなことを言っていたが、俺はもう上の空だった。
あの女神の奴、また何か企んでいるな。
そう思うと身震いが止まらない気がした。
【アリスの異世界転生録・完】
最後までお読みいただきありがとうございます。
今後は折を見て、後日談などを投稿していけたらと思っています。
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