第百二話 神の言葉
「あなたはいったい何者なの?」
ロフィさんが耐えきれなくなったと言うようにプレセイラさんに尋ねた。
もうここにいるプレセイラさんを除く四人には、彼女がいつものプレセイラさんだとは思っている者はいなかった。
「私が誰かなど、言うまでもないでしょう? 本当は手を出したくなかったのに、また勇者が同じ過ちを犯そうとするとは。ここまで不完全だとは思いもしませんでした」
その言葉は俺に、彼女が誰かを確信させるに十分なものだった。
彼女がプレセイラさんであったのなら、そんなことを口にするはずもない。
そしてあの傲岸不遜な態度は、俺がこの世界に連れ去られて来た時に最初に出会った奴にそっくりだった。
「モントリフィト! あなたはモントリフィトなのですね?」
俺の発したその名に、カロラインさんが愕然とする。
エルフのロフィさんでさえ同様だ。
「そんな……、神が降臨されたと言うの?」
辛うじてそれだけを口にして、ロフィさんはそれ以上は言葉もない様子だった。
「不甲斐ない私を叱責するために姿をお見せになられた。おそらくそうなのでしょう。私には勇者など務まらないのです!」
リールさんは自分が勇者としての責務を果たそうとしないから、神の怒りに触れたとでも思っているようだった。
でも、俺は違うような気がしていた。
おそらく彼女はずっとプレセイラさんとともにいて、俺を見張っていたのだろう。そう思えた。
(何のために?)
それは俺には自明のことに思えた。
物事が彼女の想定通りに進むか見守るためだろう。
そして道を外れようとした時に、介入するためでもあったのだろう。今回のように。
「勇者よ。モルティ湖へ行くのです。そこであなたは私の用意した解決策を目にします。そしてあなたの務めを果たしなさい」
プレセイラさんの姿をしたモントリフィトは、厳かな態度でリールさんに告げた。
こうなるともう、この世界の人に否やはない。
「分かりました。ですが、私はもう限界なのです。そこであなたのお気に召さない結末を招いたとしても、お赦しいただけますか?」
リールさんは弱気な態度でそう訴えていた。
彼女は最初は王に、そして今では神に魔人となった幼馴染との辛い思い出の地を訪れるよう強要されている。
だからそんな訴えをせざるを得ないのだろう。
「分かっています。人は不完全で弱いもの。だからこそ、これまでの勇者は哀れな末路をたどったのです。ですがもうそれは終わる時が来たのです。疑うことなく彼の地を訪れなさい」
プレセイラさんの口から出る言葉は、いつもの彼女のように優しいものだった。
そして優しい笑顔を浮かべた彼女は突如、崩れるように倒れてしまう。
「プレセイラさん!」
俺は慌てて駆け寄ると彼女を抱き寄せた。
いや、小さな俺にできたことは、彼女の前に座り込んで、自分の脚の上に彼女の頭を持ち上げることだけだった。
「あ……アリスさん?」
すぐに彼女は気がついて俺の名を口にした。
「プレセイラさん。大丈夫ですか?」
俺がそう呼び掛けたところに、ようやくリールさんやカロラインさん、ロフィさんが近づいてきた。
「プレセイラ……なのか?」
カロラインさんの言葉は、俺にも一瞬、頭に浮かんだものと同じだった。
でも、彼女が俺の恩人であることは変わらない。
たとえそれがあの女神、モントリフィトの意思によるものであったとしても。
「あの……私……いったい?」
プレセイラさんはまだ意識が朦朧としているようで、そう言って気怠い様子で俺の腕に身体を預けたまま、周りを見回していた。
「あなたは私たちに神の言葉を伝えてくださったのです。神があなたを通じて、私に使命を果たすよう、お命じになった」
リールさんが決意を秘めた目を見せて、彼女にそう説明をした。
さすがに事ここに至っては、モルティ湖を訪れないって選択肢はないようだった。
「行きましょう。モルティ湖へ。神が解決策を用意してくださっているのですから」
リールさんの言葉に事情の分からないプレセイラさんを除き、皆が頷いた。
あの女神の解決策がどんなものか分からないが、俺にとっても解決策になるかもしれない。
俺はそんな淡い期待を持っていた。
とりあえず『黒い森』の穴は塞いだ。
でも、もうそんなことは些細なことなのかもしれなかった。
この世界の神であるモントリフィトが勇者にモルティ湖を訪ねろと命じたのだ。
「神は私に解決策を示すと約束してくださいました。だから私は命じられるまま、あの湖の畔を訪ねたいと思います」
クリィマさんとミーモさんに向かって、リールさんはそう決意を示した。
「神の示される解決策がどんなものか分かりますか?」
クリィマさんは俺たちにそんな質問をしてきた。
それは転生者である彼女と俺しか持ち得ない疑問だろう。
この世界の人にとってモントリフィトは慈愛深き母なる神なのだから。
「それは分かりません。ですが神のお言葉が降ったのです。それに従うしかありません」
リールさんの返事は、これまでのプレセイラさんのそれのようだった。
王命に対するカロラインさんの態度と言い換えても良いかもしれない。
「私には何となくその解決策なるものが分かる気がします。それはアリスさんも同じではありませんか?」
突然、クリィマさんは俺に話を振ってきた。
「えっと。よく分かりませんが」
そう答えながら、俺も何となく彼女と俺に関するものなんじゃないかって気がしていた。
これまでの勇者と魔人の関係は、ある意味安定していたのだ。
それがここ五十年、魔人は姿を見せていない。
そしてその間、ヴェロールの町では反乱がステリリット大陸では動乱が起きている。
それはおそらく、クリィマさんがこの世界に転生した時期と重なっているのだろう。
「そうですか? アリスさんだけには分かっているかと思っていたのですが……」
クリィマさんは静かにそう言ったが、おそらく彼女はそう口にすることで、俺が気づくだろうと考えているのだ。
彼女と俺の最大の共通点なんて、考えるまでもないのだから。
「そうですね。でも、そんなことが可能なのか。分からない気がします」
モントリフィトは俺が勇者に滅ぼされることで元の世界へ戻ることができると言った。
それがおそらく解決策の一部になっているのだろう。
でも、そうなるとあれは偶然ではなかったことにならないだろうか?
俺がこの世界へ導かれたことがだ。
俺はいよいよ彼女と転生について話すことが待ったなしだと感じていた。
そうして峠からの道を下り、たどり着いたヴェロールの町は反乱が起きていたことが嘘のように落ち着いていた。
「やっぱり原因はあの光る粉だの。あれがなければこのとおりの静けさじゃからの」
ミーモさんが感心したように言ったが、やはりあの粉には人々を何かに駆り立てるものだあるようだった。
「明日はモルティ湖に向かいます。今日はこの町で泊まりましょう」
リールさんがそう決めて、俺たちは、と言うよりもリールさんはいよいよあの女神の求めに応じて魔人イリアの滅んだ地を訪ねることになった。
そこで何らかの「解決策」なるものが示されるのだろう。
そうなると、俺は元の世界に帰れるかもしれないのだ。
何の保証もないのだが、俺はそう感じていた。
「クリィマさんに相談したいことがあるんです。しばらく二人だけにしてもらえませんか?」
俺がそうお願いすると、皆は呆気なく、それに応じてくれた。
「もう旅をしてかなり長いのに、二人だけで話すのは初めてなのね。意外な気がしますね」
プレセイラさんもそう言ったので驚いた。
クリィマさんによれば、彼女が俺とクリィマさんが二人だけになることを阻み続けていたのに、そんなことはなかったかのように、すんなりと二人で話すことを許してくれたのだ。
「彼女は憑き物が落ちたようでしたね。いえ。本当にそうなのでしょう」
二人だけになった宿の部屋で、クリィマさんはまず俺にそう言ってきた。
「プレセイラさんのことですよね。それでもプレセイラさんはこれまでもあんなでしたよ。いつも優しくて笑顔で俺のしたことを許してくれる。そんな人でしたから。クリィマさんのことだけは別でしたけど」
本当にそうなのだ。
クリィマさんが言ったとおり、プレセイラさんは俺がクリィマさんと話すことだけはいい顔をしなかったり、時には嫌悪の感情を露わにして阻止したりしてきた。
でも、それはあの女神の意思が働いていたんだなって、今は思える。
そしてそれがなくなったのは、もう必要ないからなのだろう。
「彼女はこのところ気怠そうでしたから。神がその身に降臨すれば、さすがにただでは済まないのでしょう。生命があっただけでも幸運だったのかもしれません」
言われてみればそうかもしれないって思える。
『黒い森』からの帰り道、プレセイラさんはあまり体調が良くなさそうだった。
今回、俺とクリィマさんが話すのを許したのも、それを阻止するだけの体力がないからって気がしないでもない。
でも、それを差し引いても、やっぱりあの女神の意思が働いていたんだろうって思う。
そして今、リールさんは俺とクリィマさんを引き連れてモルティ湖に、あの女神が解決殺を示す地へと導かれている。
「昼間、クリィマさんは俺にも解決策が分かるんじゃないかって聞いてきましたよね。クリィマさんはどんなものだと思っているのですか?」
俺は彼女とこうして話すのも、今夜が最後かもしれない。そんな思いを込めてそう口にした。